席どうぞ、降りるので。
「席どうぞ、降りるので」
それが私の口癖だった。バスの座席が全て埋まっている時、立っている高齢の方を見かけると、必ずそう声をかけることにしている。
もちろん私も人間なので、出来る限りは座席を用いて楽をしたい。しかしそれ以上に、私は見て見ぬ振りが出来ない性格でもある。だから席を譲る。そこには何の後悔も、問題もない。
「あら、すみません。 ありがとうございます」
私が席を譲ったご婦人は立居振る舞いから上品さが滲み出ていて、口調もどことなくエレガントだった。うむ、やはりこの瞬間はとても良いことをした気になる。
「お気になさらず。 私は降りるので」
問題なのは、この後ーー後悔するのは、決まってその後なのだ。私は宣言通り、その次のバス停で降りた。先程席を譲ったご婦人が微笑みながら、窓越しに私に手を振ってきた。私も自分が作れる最高の『親切な若者スマイル』を浮かべ、自己肯定感を高めにかかる。例え他者から偽善と呼ばれようが、しない善よりする偽善だと私は思っている。
「問題は、ここからなんだよなー……」
ただ私は、自分の目的地がまだ先でも言ってしまうのだ。『席どうぞ、降りるので』という口癖を。
それには理由がある。以前同じように高齢の方に「席どうぞ」と座席を譲った時、「いや、大丈夫です」と断られたことがあったのだ。その時私が襲われた、『余計なことをしちゃった感』。大丈夫、と言われたらそれはもう、相手にとっては大丈夫なのだ。中途半端に腰を上げていたその時の私は、「あ、すみません」と平静を装いつつ、いかにゆっくりと腰を下ろせるかということしか頭になかった。
そんなことがあったので、私は席を譲る際に『降りるので』という一言を添えるようになった。そう言えば、「私にとってはもう必要のない席ですよ」という意思表示になる。そのおかげで断られることは無くなったものの、結果はまあ、この通り。次のバスが来るのを待つか、行ける所まで歩くかの選択だ。我ながら、なんと面倒くさい性格だろうか。自分にはマイナスとなる行動であるため、もはや悪癖である。
次のバスが来る時間や、手持ち無沙汰を解消する手段(文庫本など)が無いことから、私は行ける所まで歩くことに決めた。仕事帰りで疲れていたが、最悪家まで歩けなくはない、そんな距離だった。
これも良い運動だと開き直り、私は歩み始めた。社会人になってからというもの、あまり積極的に運動をしていない。とは言っても今回のように早めにバスを降りて、次のバス停まで歩くことは良くあることなので、そういう意味では私もスポーツマンを名乗ってもいいかもしれない。
そんなくだらないことを考えながらしばらく歩いていると、降りた所から数箇所先のバス停に到着した。多少待ち時間はあるものの、少し待てば次のバスが来る。私は小腹が空いたこともあったので、その目の前にあったコンビニに入店した。
「おっ、新しいの出てる」
贔屓にしている揚げ物の新バージョンが二つほど発売されていたため、私はどちらを買うか悩んだ。しかしその悩みは、すぐに解決した。
「ここで迷ってバスに乗れないってオチでしょ? その手には乗らないから」
つまらないことに悩むぐらいなら両方買えば良いのだ。さすが私、見事な決断力。そんな自画自賛をしつつ、商品の購入のために店員さんに話しかけようとしたまさにその時、私はまるで仕組まれたかのような不運に見舞われることになる。
「あ、あいたたたたた……」
謎の腹痛ゥ、駆け込むトイレ個室ゥ、流れるタイムゥ、そして見送るバスのおケツゥ。なんて陽気に韻を踏んでいる場合ではない。バスに乗り遅れるまでに起きたスピード感溢れるハプニングを体験し、何をやっても裏目に出そうな直感がした私は、揚げ物も買わずに大人しくバス停で次に来るバスを待つことにした。もう何もしない。
大体なぜこんな思いをしなくてはならないのか。降りるからか。私が無駄にバスから降りるからなのか。まあそれ以外に理由はないだろうが。我ながら本当に、面倒くさい性格である。
そして私は、次に来たバスに乗った。そのままバス停のベンチで寝落ちするオチも不屈の精神力で回避した。車内は混んでいたので、私は空いているスペースに立った。そうだ、座席を譲って降りてしまうぐらいなら立っていればいい。そうすれば今のように、無駄に疲れることもないのだ。あは、あはは。
「あの…… もしよければ、席どうぞ」
そんなことを考えていたら、中学生ぐらいの男の子が私にそんな申し入れをした。卑屈に笑う私はよっぽど疲れて見えたのだろうか。
「僕は次、降りるので」
真っ直ぐにこちらを気遣ってくれた彼に、私は一言「あ、ありがとう」とだけ返した。真面目に生きていると、たまには良いこともあるものだ。
そして、他人に座席を譲ることの出来る彼にーー人を温かい気持ちにさせられる彼にも、良いことがありますように。