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③書くこと、引くこと、隠すこと
さて、本題です。大根丸かじりのような、私の文章には、隠しているものも、敢えて引こうとする技術もあってないようなものに見えるでしょう。適当な文章にそれを思う方などあまりいらっしゃらないのかもしれない。
けれど、私は、その言葉に反論致します。
どんなに、野放図に見えたとしても、適当な文章に見えたとしても、それが書かれたものなら、書いた方の隠そうとするものも、引こうとする技術もあります。
それが、文章だからです。
これが絵なら、幼児の落書きと巨匠の絵が全く違うものに見えたとしても基本は点と線だと思えば同じ。そういったレベルの話に落としたような言葉ですが、私は、そう思っています。
文章は、それが音(言葉)の塊だと考え、私は、思います。
どんなに稚拙に見える文章にも、それは、存在するって。
そう、たとえ、それが無意識で生み出したものであったとしてもです。