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6話

 夜更けにかけ、雨は激しくなっていくばかりでした。


 夕飯の片付けの最中、マヒロ様はいつも通りに振舞おうとされていましたが、ため息をこらえる回数は増えており、少し落ち込んでおられるご様子でした。


 何かに熱中することで目の前の憂鬱を忘れることができるのならばそれに越したことはありませんが、もうすぐ日付が変わります。

 ガレージの電気は点いたままです。

 わたくしは、今この時点での望ましい行動を列挙し、結果、コーヒーを淹れてマヒロ様のもとへお持ちすることを決めました。


「失礼いたします」


 ノックをして入ります。

 マヒロ様はガレージの片隅に置かれたデスクで何やら考え事をされているご様子でした。デスクの足元に置かれているオーガスタの背の高い葉が、デスクに影を作っています。


「ワタリさん?」


「コーヒーをお持ちしました」


「ありがとう」


 マヒロ様はうっすらと微笑まれますが、目元にお疲れがにじんでいました。


「ひどい雨ですね」


 ガレージは雨音が響きやすいようで、ザーっという音が台所よりも強く聞こえます。


「そうだね」


 マヒロ様の指示のもとマグをデスクに置き、一礼したところで声がかかりました。


「ワタリさん」


 どこか緊迫したものをはらんだ声でした。


「はい」


「――――今もまだ、燃えてしまいたいと思ってる?」


「本当に壊れてしまう前には。優先順位は下がりましたが、わたくしの望みは変わっていません」


「そう」


 マヒロ様は考えるように口を閉じられました。マグから立ち昇るコーヒーの湯気がだんだん薄くなっていきます。


「たとえば、私がワタリさんのマスターに危害を加えるつもりだといったら、どうする?」


「どうやってでしょうか」


 マヒロ様がそれを行う具体的な手順が思い浮かばず尋ねます。


「ワタリさんの製造番号から、所有者の問い合わせを行ったんだ」


 そして読み上げられた住所と名前は確かにわたくしのマスターのものでした。

 購入された自動人形の多くは、製作元の企業にその所有者が登録されています。

 おそらくは私の知らないところで、何らかの問い合わせを行われていたのでしょう。


「先日、火事になったところみたいだね。住人は煙を吸ってしまって一時は危なかったみたいだけれど、助かったみたいだよ」


 マヒロ様が印刷されたニュースサイトの記事を差し出されました。


「そう、ですか」


 わたくしはそれを受け取り、拝見したあと、胸に抱きしめました。

 マスターが、生きてくださっている。それを知れただけで十分でした。わたくしはマスターより『不要』と言われた身です。身の振り方がわからないわたくしに廃棄物処理場について教えてくださったのもマスターでした。なのに、マスターのお命に関わる事態に、命令に背いてしまいました。わたくしは結果に満足しておりますが、もう会いに行くことなどできません。


「ワタリさんは、どうして私があなたにマスター登録をさせなかったのだろうと考えなかった?」


「どういう意味でしょうか」


 夕刻いらっしゃったテルユキ様がおっしゃっていたように、ロボット工学三原則は、わたくしに人間へ危害を加えることを禁止します。しかし、マスター権限者の命の危機に関する限り、その原則は緩むのです。当然、それをマヒロ様もご存じのはずです。ならば、マヒロ様のお考えを確かめる必要がありました。


「たとえば、私があなたのマスターに危害を加えるつもりだといったら?」


「全力でお止め致します」


「それでも私が止まらなかったら」


 その続きは聞きたくありませんでした。しかし、マヒロ様はわたくしをまっすぐに見つめておっしゃいます。


「ワタリさんは私を殺してしまわなければならない」


「そうならないよう、加減いたします」


「できるかな」


 修理をしてくださったのはマヒロ様です。もし、わたくしに気が付かないように細工をされていた場合、想定外の事故につながってしまう可能性は高いでしょう。そのようなことは本当に可能なのでしょうか。しかし、マヒロ様にそれを問うたとして、結局はマヒロ様のお言葉を信じるしかないのです。代わりに別のことを聞きました。


「そのためにわたくしを拾われたのですか」


「そうだよ」


 マヒロ様は目を伏せられます。


「あなたが倒れているのを見て、この罪深い計画を真っ先に思いついてしまったんだ」


「ですが、そのようなことをしてしまえば、マヒロ様は死んでしまいます」


「ワタリさんも死にたがっていた」


 そう。わたくしも別の新しい何かに生まれ変わりたいと、マスターに描いて頂いた夢を胸に抱いていたのでした。


「ワタリさんはもう自力で廃棄物処理場へ行くことはできる。完璧だと思わない?」


 穴だらけな計画だと思いましたが、確かにマヒロ様とわたくしの願いを満たす、という点においては十分な計画でもありました。


「どうして今この話をしてくださったのでしょう」


「あんまり時間が経ってしまうとつらいんじゃないかと思って」


「それは誰が?」


「私が」


 わたくしは、この青年をとても矛盾した生き物だと思いました。マスターも、そういう方でした。どうして人はこうも矛盾して生きていけるのでしょうか。己を刺すために拾った道具を、時間が経つと、目的のために使えなくなるなんて。道具はどこまでいってもただの道具でしかありえません。


「そこまでわたくしに話してしまってよろしいのですか」


 本当にマヒロ様が計画を実行するつもりならば、わたくしにマスター登録をさせなかった理由を話された意味がわかりません。ただマスターに危害を加えるという旨をわたくしに伝え、想定通りの結果を引き起こせばよいだけなのですから。


「本当意味わからないよね」


 自嘲気味に笑われるマヒロ様に、わたくしは首を横に振ります。


「わたくしは、それはマヒロ様が迷いながらでも生きたいと願われた、ということだと理解いたします」


「私は死にたがりだよ」


「終わりは誰にでも用意されています。迷われているのならばその道行きを今決めてしまわれなくてもよいのではないのでしょうか」


「拾った自動人形に諭されるって、私も相当だね」


「マヒロ様は生きることを望まれているようですので」


 そうお答えすると、マヒロ様は泣いているのか笑っているのかよくわからない嗚咽を漏らされ、手で顔を覆ってしまわれました。

 雨はまだ変わらぬ強さで降り続いています。


「ワタリさん」


「なんでございますか」


「ありがとう」


「わたくしは、最初にしたお約束を守っているだけですので」


「約束?」


「マヒロ様のお話し相手になることです」


「――――そうか、そうだったね」


 そして、長い時間のあと、ようやく顔をあげられました。

 その口元にはうっすらと微笑みが浮かんでいます。


「ワタリさん」


「はい」


「明日、ワタリさんのマスターに、あなたを預かっていることを伝えてくるよ。そして正式にワタリさんの所有権を私に移してもらう」


「マヒロ様がわたくしのマスターになられるのですか」


「それは、もう少し考えさせてほしいけれど――――でも、そうだね。一年。一年経ったら、大丈夫だと思う」


「かしこまりました。わたくしのマスターになっていただける気になりましたらいつでもおっしゃってください」


「そうだね、頼むよ」


 わたくしは、きっとこの約束もマヒロ様は叶えてくださるのだろうな、と思いました。



  *  *  *



 わたくしがマヒロ様のもとに来て一年が経ちました。


「そうだ、ワタリさん」


「はい」


「明日なんだけど、このオーガスタの鉢がもう狭そうなんだ。株分けをしようと思うから手伝ってくれる?」


「かしこまりました。しかし、明日は終日降水確率七十パーセントです」


「え、そうなの? なら明後日の方がいいかな」


「明後日は午後からなら三十パーセントとなっています」


「なら明日雨が降る前に出来なかったら明後日にしよう」


「マスターの仰せのままに」


「そのマスターっていうのはやめようよ。私は名前を呼んでくれる方が好きなんだけど」


「わたくしは、わたくしのただ一人のマスターをマスターとお呼びしたいのです」


「それはそうかもしれないけど、もう、仕方がないな」


 わがままを許してくださるマスターに、深く一礼します。

 わたくしが壊れかけの自動人形であることは変わりません。

 しかしせめて、この優しいマスターに穏やかな日々が続くことを。変わりない毎日が、変わりなく続くことを願わずにはおれません。機械でできた体にすぎませんが、わたくしもそれを願うということがどういうことか、最近わかってきた気がします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 独特の雰囲気があって面白かったです! 死にたがり二人の未来が明るいことを祈っています。
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