4話
夕焼けの光に室内は黄昏に染まっていました。
時計を確認したところ、日没まであと一七分。本日は雲が多いため、昨日より暗くなるのが早いようでした。もう少ししたらあかりを点けなければなりません。
マヒロ様はお仕事のためにガレージに籠られています。わたくしは夕飯のための野菜を刻んでいました。火を使う工程はマヒロ様がなさいますが、下ごしらえはわたくしに任せてくださっています。
そうして人参を短冊に刻んでいる時でした。家の前でスクーターのエンジン音が停止しました。配達物が届くとは聞いていませんでしたのでお客様でしょうか。
マヒロ様のお宅にはインターホンが設置されておらず、玄関のチャイムが鳴るのを待って、出迎えに行きます。
「はい、どちら様でしょうか」
カラリと戸を開けると、アジアンタムの小振りな鉢を持ち、もう片手にタッパーらしきものの入ったビニールを持った、マヒロ様と同年代の青年が立っていました。
細もてながらもしっかりした骨格、染めて少し痛んだ髪の毛。女性にさぞ人気のありそうな雰囲気の男性でした。花屋のロゴの入ったエプロンを違和感なく着こなしておいでです。
「え、……?」
客であるはずの青年から驚かれ首を傾げます。マヒロ様のお知り合いでしょうか。
「お客様のお名前をお尋ねしてもよろしいですか?」
「テルユキだよ。ヒロ兄……マヒロさん呼んでくだサイ」
「かしこまりました」
少しぎこちない敬語ですが、普段の接客は大丈夫なのでしょうか。ガレージに居るマヒロ様に来客者の名を告げると嬉しげに玄関に向かわれます。わたくしも、その一歩後に続きました。
「あ、テルくん。来てくれたんだ」
「これ、おふくろから。あとこれはオレから」
ビニールと植木を渡され、マヒロ様が受け取られました。
「いつもありがとう。ユキコさんにもよろしく伝えておいてね。今日はあがってく?」
「……すぐ帰ろうかと思ってたけど、ちょっと、その、ヒロ兄が良ければその執事サン?の話とか聞きたい」
「そうだった。驚いたよね? あがってってよ」
マヒロ様はテルユキ様を居間に案内すると、わたくしにテルユキ様から頂いたビニール袋を預け、お茶を二人分準備するように言われます。アジアンタムの鉢はひとまず居間のちゃぶ台の上に置かれました。
台所と居間はガラス戸で仕切られた続き間です。お湯を沸かす間もお二人の会話が聞こえています。
「親父さんまだ帰らないの?」
「この間帰ってきてまたすぐ出てったよ。次に帰るのはまた何ヶ月か先だろうね」
「あの執事さんは親父さんから?」
「いや、この間私が修理したんだよ」
「へぇじゃ親父さんも知らないんだ」
「そうだね、私以外に会うのはテルくんがはじめてかも」
「そうなんだ」
お茶を来客用の湯飲みに準備して盆に乗せて運びます。
「失礼いたします」
「あ、どうも」
わたくしの存在が気になるのか、テルユキ様からの視線を感じます。
お茶を置いてどうしたらよいかとマヒロ様を伺うと、マヒロ様は笑顔で頷かれます。
「紹介するね、彼はワタリさん。ワタリさん、彼は幼なじみのヒロ君」
「以後お見知りおきをお願いいたします」
「こちらこそ、えっと、よろしく」
テルユキ様がぎこちなくおっしゃられます。
「ワタリさん、テル君は私の幼馴染なんだ」
それで見慣れないわたくしが居たことにあれほど驚かれたのでしょう。
「ワタリさんは自動人形だけれど、とても賢いんだ」
「あ、うん、なんか見てたら、そう思った。ヒロ兄、そういうの得意だもんな」
「得意って……一応それで食べていけてるんだからね?
でもワタリさんに関しては私は何もしていないんだ」
「珍しくない?」
「する必要がなかったってだけ」
「これで少しは安心だな」
「なにが?」
「ヒロ兄この時期ダメじゃん。ワタリさんがいれば倒れるようなことはないんじゃない」
「もうそんなことにならないって。信用がないな」
「俺も母さんも心配してるんだってば」
頂いたビニール袋に入ったタッパーの中には手作りの総菜が入っていました。今までも時々このように差し入れに来られていたのでしょう。
「それに、なんだっけ、ロボットの三原則?」
「ロボット工学三原則だね」
「ロボットなら、ヒロ兄が危ないこともないだろうし」
「よくそんなこと知ってたね」
「昔、ヒロ兄が教えてくれたんだよ」
「そうだったっけ」
マヒロ様は記憶を掘り返すように首を傾げられます。テルユキ様はそれを見て、少し微笑まれます。
「それじゃ、俺、帰る。タカ兄の命日が近いからちょっと心配してたけど、大丈夫そうでよかった。ワタリさん、ヒロ兄のことよろしくな」
「かしこまりました」
何をどうすればよいのか具体的ではありませんが、そのような場合もどのようにすればよいか組み込まれています。この場合は余計なことを言わずに礼をするのが一般的な対応の様ですのでそれに従います。
「玄関まで送ってく」
わたくしもテルユキ様と共に立ち上がったマヒロ様に続きます。
外はもうすっかり陽が落ちて暗くなっていました。
「気を付けてね」
「おう。ヒロ兄もな。また近いうちにタッパー取りに来る」
そうして、テルユキ様は帰って行かれました。
マヒロ様はテルユキ様が見えなくなるまで玄関の前で立っておられました。
※「ロボット工学三原則」について
アイザック・アシモフによる「ロボット工学ハンドブック」第56版『われはロボット』内の、「人間への安全性、命令への服従、自己防衛」を目的とする3つの原則を引用、参照しています。