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六つの盟約と一人の一般部外者  作者: 仕方舞う
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消費される有限

 入院して一週間。賢士の容態はかなり安定している。瀕死の重傷だった筈が、入院翌日には骨がくっ付き、その次の日には内臓損傷が回復。想像を絶する回復を脆弱な人間の治癒とは思えず、医療の問題と考えた医師達は大慌て。結果、ヴォルムは集中治療室に押し込まれる事になった。ヴォルムが居なくなり静かになった病室。未だ目を覚まさぬ賢士は、静寂の中で夢を見ていた。見たくも無い最悪の悪夢を…。



 静かな病室に小さなノックが響く。

 扉をゆっくり開けて顔を出したのは、フェンリル。賢士を気遣って物音を立てずに部屋に入り、こっそり紫色の花を挿した花瓶を机に置く。甘く爽やかな香りが室内に充満し、一嗅ぎしただけで気分が落ち着く。

(…賢士、皆心配しているよ。早く戻らなと大変な事になってしまう…)

 小声で囁くフェンリルは、足音を立てないように去って行く。



 10分ほど時が経つと、眠っていた賢士がうなされ始める。息が詰まったように口をパクパク動かし、両手を必死に動かし何かを掻き分ける。暴れる体はベッドから落下し、机の花瓶がガタガタ揺れて倒れ、花と水が賢士の体に零れる。水に濡れると、賢士は更に暴れる。意識の戻らぬまま、悪い夢にうなされ苦痛にもがき続ける。

「賢士さん!」

 見舞いに来ていたリュザが異変に気付き飛び込んでくる。賢士の体を支え、頬を数回叩く。しかし、賢士は目を覚まさない。口をパクパクしながら、首を押えて必死に呼吸を求める。

「リュザ…何があった!」

 缶ジュース片手に戻って来たフェンリルは、賢士のもがく姿を見て顔面蒼白。ジュースを投げ捨て、慌てて駆け寄り匂いを嗅ぐ。

「分かりません。ただ、苦しそうで…」

「クンクンクン…変な臭いだ。新鮮な肉の匂いの奥に、腐った肉の臭い…がする。これは…おいらが嗅いだ事の無い匂いだ…」

「何か持病でもあるのでしょうか?」

「ルシファーも心配して探っているみたいだけど…」

 ルシファーの懸念が具現した瞬間。しかし、その瞬間に立ち会っても賢士の身に何が起きているのか分からない。記憶に潜んだトラウマを疑ったが、記憶を追体験できるほど回復しているにも拘らず意識が戻らないのはおかしい。

「とにかく医者を呼んでくる!」

 フェンリルは、大急ぎで医者を呼びに行く。

 リュザは、賢士を揺さぶりながら何度も問いかける。



「何だって!」

 盟約の館で連絡を受けるルシファー。全身が硬直し、冷や汗が全身から溢れる。声に応じて集まった王達と三姉妹は、ルシファーの様子に胸が苦しくなる。

「フェンリル、医者は何て言っているんだ?」

(…分からない。傷の影響でも、心的影響でもないって…)

「傷でも…心でもない…一体何なんだ!」

 携帯電話を床に叩きつけ激しい憤りを露わにする。王達でさえ近づく事が出来ない雰囲気の中、ティターニアが恐る恐る近づく。

「ルシファー、知っていたの?」

「……異変に気付いて調べた。だけど…分からなかった。入院歴も治療歴も無い、知り得る限りの過去も調べた…それでも…」

 調べても調べても分からない賢士の憂い。異変が顕在化する前に知りたかった、知って対処したかった。それが出来なかった悔しさが怒りとなって表に出ている。

「精霊界には、真聖(しんせい)の泉という踏み入る者の全てを暴く選定の場所があるの。そこに賢士を連れて行けば何か分かるかも…」

 ティターニアから齎された未知への回答に、藁にも縋る思いでルシファーは頷く。だが、頭に過るのは精霊界の問題。

「……イフリートを説得できるかい?」

「何が何でも説得する。最悪は、イフリートを倒してでも…」

 ティターニアの決意に満ちた目を見ても、ルシファーは不安で堪らない。信用できない訳では無く、他者に委ねて解決したくない。最初に気付いた存在として細部まで自分が関与したかった。しかし、今はそんな事を言っている場合ではない。考えるべきは何としてでも賢士を癒す事。

「…頼んでも良いかな?」

「うん! 絶対に何とかしてみせる!」



 翌日。

 フェンリルが賢士を連れ帰ると、その悲痛な姿に王達と三姉妹は深い悲しみに包まれた。深い眠りに落ちていながら苦しそうに呻き声を上げ、呼吸が思い通りに出来ないせいで血の気が引いている。メリスが手に触れると、死体のように冷たく何度摩っても全く温もらない。クロースとレイスがお湯を持ってきて手と足を温めるが、それでも温もらない。これで身体的に問題が無いと言われても誰も納得しない。ティターニアは、賢士を背負い精霊界へ赴く。一刻も早く異変を知り、一刻も早く治療したい。



 精霊界。

 全域を森が埋め尽くし、幻影の水晶がそこかしこに生えている。幻影の水晶は青い光を放ち、照らす者を幻惑の中に堕とす効果がある。避ける為には、生まれながらに耐性を持っているか、訪れる前に胃の中を空にしている必要がある。この制約が無ければフェンリルも同行していた。



 女王の塔。

 精霊界の中央にそびえ立つ白亜の城。塔と呼ばれているのは、以前の姿が塔に酷似していた為。今の姿は、西洋風の城。尖がった屋根の突端に球体に整えた幻影の水晶が設置してある。これは塔の姿の時は無く、西洋風の城になってから設置された。設置したのは城の動力源にする為。300年前まで行っていた他世界との戦争を生き抜く為の苦肉の策。


「イフリート、いい加減にしなさい!」


 巨大な城門前。

 賢士を抱えたティターニアが、深紅の炎を纏う初老の男に遮られている。彼こそがイフリート。ルシファーが懸念していた最大の難関。

「姫、なりません! 部外者を城に招き入れるなど以ての外!」

「賢士は部外者じゃない! 私にとって大切な人なの!」

「なりません!」

 いがみ合う二人。

 周囲に集まる妖精、ドワーフ、エルフは、見慣れたいつもの光景と溜息を漏らす。かつては止めようと試みる動きもあったが、獄炎を操るイフリートと光を操るティターニアの間に入るのは致命的。実際、止めようとした妖精が重症を負う事件も起きている。

「これ以上話し合いは必要ない!」

 ティターニアは、強引にイフリートを押し退けて通る。

 通り抜け際に炎が襲うが、光の障壁が防ぎ無効化される。

「姫! 精霊界を危険に晒すつもりですか!」

 イフリートの声は届かず、ティターニアは城の中に入っていく。



 女王の間。

 光を放つ虫を利用したシャンデリア、木の皮で出来たカーペット、宝石をふんだんに使った煌びやかなベッド。幻想的で豪華な雰囲気の中に、こっそり撮った賢士の写真が木製の棚に所狭しと飾られている。当然、イフリートもこの事は知っている。

 ティターニアは、背負った賢士をベッドに寝かせる。

「賢士…」

 賢士は苦しそうに荒い呼吸を繰り返している。一刻よりは安定してきたが、意識が戻る様子は無い。


 トントントン。


「姫様、推参いたしました」

 入ってきたのは、半透明の肌の妖艶な女性。一歩一歩踏み出す度に滴る水の音が鳴り、肌の奥には水流のような流れがある。部屋に入った瞬間から室温がどんどん低下していく。

「ウンディーネ、早々に悪いけど…」

「真聖の泉ですね。用意はできております」

「…拒まないの?」

「ええ。姫様の想いを理解しておりますから…」

 ウンディーネは、真聖の泉の守護者。真聖の泉は、精霊界でも特別な場所にあってウンディーネの力が無いと辿り着く事が出来ない。昔は長い時間を掛ければ到達できたが、世界間の戦いが発生してからは秘匿の為に現在の仕様になった。

「では、早速…」

 ウンディーネは、踊りながら床に青い水で魔法陣を描く。妖艶さを際立たせる動きで器用にも足で描く。その最中、妖艶だった体は徐々に幼い容姿に変化していく。どうやら、魔法陣に使われている青い水は自身の体の一部のようだ。

「姫様、彼と共に魔法陣の中央へ」

 ティターニアは、賢士を抱えて魔法陣の中央に座る。

 魔法陣は光り輝き、二人を転移させる。



 新緑の木々が生い茂る森の中、天に張り付く逆さの泉がある。泉から小雨が降り、地面には巨大な透明の鏡が形成されている。

「賢士、もう少し頑張って…」

 賢士を抱えて透明の鏡の上に移動する。二人の体重がかかっても鏡が割れる事も軋む事も無い。

(姫様…彼は人間、真聖の泉が毒になる事もあります。傍に寄り添い、何かあったら直ぐに避難を)

 ウンディーネの声がティターニアの耳に響く。

「分かった」

 天に張り付く泉が鏡に落ちてくる。

 新緑の森は水中に沈み、賢士とティターニアは鏡の上に浮かび上がる。強固だった透明の鏡がグニャグニャに歪み、映す二人の顔を交互に拡大する。ティターニアは、光の膜を纏い鏡に映らないように細工。賢士一人が鏡に映っている状態になると、鏡の歪みは治まり、何か映像を映し出す。


「死になさい…お前は、失敗作…」


 鏡に映ったのは、幼い賢士。口一杯に綿が詰められ、水を張った風呂の中に押し込まれている。大人の女性が圧し掛かり、頭を押さえて水の中に沈めようとしている。

「お、おか…ゴフッごぶっ…た、すけ………」

 跳ねた水を綿が吸い、口をパクパク動かす度に喉の奥に水が流れ込む。訴えるのを止めて口から出そうとするが、圧し掛かる体が邪魔して腕を動かせない。腕を動かそうと必死にもがくと、今度は首を絞めてくる。

「お前が悪いのよ。他の子より劣っているから…私が恥をかくの」

 賢士を押さえつけているのは、話の内容から母親だと思われる。

「うう…うぅぅ…」

 声を出す事も、抵抗する事も出来ない。待っているのは死。力は徐々に失われ、頭が水面に沈んでいく。

「不出来な子は要らない。失敗作は葬らないと…」

 女性は全体重をかけ、賢士の頭を強引に水の中に沈める。

「お前は生まれて来てはいけなかった。私の子ではない。死んでしまえ…」

 女性の言葉にショックを受けた賢士は、抵抗する力を捨てて死を受け入れる。沈んだ口の中に水が流れ込む。

 

 映像は、ここで終わった…。


「こ、こんな事って…」

 ティターニアは、光の膜を破り賢士を抱きしめる。温めても温もらなかった理由は、体が冷えていた訳では無く、心が冷えていたから。こうして抱きしめても心に届かなければ温める事は出来ない。

(姫様、お戻りください…これ以上は彼の毒になります…)

 ウンディーネの声は聞こえている。だが、簡単に割り切って動けない。悲しくて悲しくて自分の事のように苦しく、今は心に温もりを与える事しか考えられない。

(姫様…こちらで転送します…)

 ウンディーネは水を操り、強制的にティターニアと賢士を帰還させる。



 女王の間に戻ると、直ぐに賢士をベッドに寝かせた。今も苦しみ続ける姿を見て、ティターニアの頬は涙でビチョビチョ。手を握って一生懸命祈るように冷たい手を摩る。

「姫様、閲覧できなかった記憶を調べました。どうやら日常的に母から虐待を受けていたようです」

「…どうして?」

「幼い彼は他の子よりも劣っていた。それが我慢できず…」

 賢士の冷たい頬に触れ、光で温めながら優しく撫でる。

「劣っている事がそんなに罪なの? 私には理解出来ない!」

「姫様…お言葉ですが、貴方には彼の母を非難できません…」

 ウンディーネは間違っていない。賢士に出会う前のティターニアは、権力や立場を優先する行動を多々見せていた。精霊界には序列があると常日頃言っていて、精霊、エルフ、妖精、ドワーフ、よそ者の順に立場が下がっていき、下の者は上の者に口答えしてはならないと命令を下していた。その思想を色濃く支持していたのがイフリート。門前で賢士を拒んだのもその考えに基づいて。

「……ウンディーネ、私はまだ傲慢?」

「いいえ。今の姫様は、一人の人間に恋い焦がれるただの乙女です。その点で言えば、彼は非常に優秀です。傲慢な姫様を変えてくれたのですから…」

 賢士は精霊界で既に英雄視されていた。傲慢だった姫の態度を変え、蔓延っていた支配階級が廃止されるきっかけを作った。傲慢な姫の発案を支持していたイフリート以外は賢士の味方。

「賢士にちゃんとお礼を言いたい」

「その願いは叶います。数日すれば目を覚まし、いつもと変わらぬ姿を見せてくれる筈です。ただ、根本的に解決した訳ではありません。彼に母が齎したのは…呪い。生きる事を拒む『絶命の呪い』…」

「…人間の母が呪いを?」

「きっかけは母ですが、呪いに変えたのは彼自身です。死を受け入れた瞬間、心ではなく体が記憶してしまった。死ななければならない存在だと、生きていてはならない存在だと。恐らく、彼の言葉や行動にも兆候は出ていた筈です…」

 ティターニアのみならず、盟約に関わる者は全員心当たりがある。必要以上に急ぐ姿、危なっかしい交渉、命を粗末にした選択。どうしてと問いたくなる行動は多かった。

「賢士はどうなっちゃうの?」

「体に刻まれた呪いが徐々に増大し、最後には…」

「それ以上は止めて!」

「姫様、目を背けても解決にはなりません。彼が大事なら、彼の望みを叶えなさい。望みを叶える事で呪いは弱まる…」

 賢士を救う為には、盟約を完全なモノにするしかない。その為には、これまで以上に危険な交渉を必要とする場面がある、これまで以上に苛烈な状況に耐える必要がある。賢士が傷つく様を見続けるのは辛すぎる。しかも、呪いが解消する訳では無く弱まるだけ。


「姫!」


 イフリートが扉を蹴破り入ってくる。我慢の限界と言わんばかりの形相で、ベッドで眠る賢士を蔑むように睨みつける。

「これ以上は留めておけない。早々に排除する」

 灼熱の炎がベッドを覆い、苦しむ賢士を飲み込む。

 しかし、光の茨が炎を掻き消す。

「イフリート………もう限界。覚悟してくれる?」

 光の茨がイフリートを締め上げる。

 纏う炎で焼き払うが、何度も何度も絡みついて離れない。

「姫! 我は貴方を想って…」

「黙りなさい! 私を想っているなら見守る努力をすべきだった! 信じて委ねるべきだった!」

 炎を螺旋状に織り上げ、光の茨を薙ぎ払う。

 だが、突如雨が降り炎が消える。

「ウンディーネ!」

「非は貴方にあります。姫様を信じる事の出来ない者に家臣は務まりません」

 ウンディーネが放った水はドロッとした粘度の高い水で、包み込まれたイフリートが必死に炎を燃え上がらせても湯気が立ち上るのみ。この状態では非力。

「姫ーーー!」

「盟約の当主を殺そうとした精霊界への最大の裏切り! 女王として絶対に看過できない!」

 光の茨が根から養分を吸うように脈動しながらイフリートより力を奪っていく。必死に抗えば抗う程、光の茨は大きくなり、イフリートは小さくなっていく。

「ぐおおおおお! 我を…殺すつもりなのか!」

 ティターニアに迷いは無い。イフリートを肯定していた自分は、愚かな支配者。イフリートを否定する自分は、愚かでも自然な姿。賢士と出会って、賢士を知って、本当の自分を取り戻せた今を大事にしたい。その為には、過ちの根源たるイフリートを簡単に許す訳にはいかない。

 しかし…。

「……止めた」

 光の茨が消え、イフリートは解放される。

 イフリートを追い詰める自分の姿が、賢士を虐待する母の姿と符合する。許せない気持ちは消える事は無い。それでも、許さなければならない時がある。

「愚かでも、憎くても、生きる事は許す。去りなさい、そして、二度と顔を出さないで…」

 賢士と触れ合う事で、今まで至る事が出来なかった強さを身につけた。心の葛藤を正しく見つめ、真に下すべき決断を迷いなく行う。

「……姫、我は…我は許せん! これまでの功を踏み躙った罪、いつかきっと贖わせる!」

 小人のように小さくなったイフリートは睨みつけながら去って行く。ティターニアの恩情も通じないほど怒りに侵食されている。



 翌日。

 ティターニアは、賢士を連れて盟約の館に戻った。賢士は未だ目を覚まさないが、苦しむ様子は無くなり、呼吸も正常に戻っている。ウンディーネの話では、真実の露見と共に呪いの影響範囲が心から体へ移行し心的なダメージが軽減された。その為、心が原因となって発生した苦しみが減り、これからは体が原因となる苦しみが始まる。

 当主の間に用意したベッドに賢士を寝かせ、三姉妹は改めて賢士の手を摩る。獣人界から戻った時とは明らかに違う温もり。呪いが無くなった訳ではないが、自分達の献身が通じる分、若干だが穏やかに見守れる。迫りくる死の期限を出来るだけ考えないようにして、自分達に出来る事を一生懸命やろうと決意する。



 盟約の館、レストラン。

 集まった王達は、賢士の真実を知り堪らない思いに苛まれていた。賢士が経験した母の虐待は、人間界ならではの事件ではなく、他の世界でも多々見られた事件。世界が不安定であればあるほど発生しやすく、世界が不安定であればあるほど悪と感じず行ってしまう。王の中には、戦いを拒む者や、戦いに否定的な者に暴行を施した事実もある。

「儂も似たような事を言った事がある。弱い者には生き残る道は無い…」

 ティアマトは、古代竜の思想を推奨していた頃を思い浮かべる。弱い者を鼓舞し、弱い者を無理やり厳しい戦場に配置したり、弱者である事を罪として罰していた。

「おいらの世界もだ…」

 獣人界は、強さ=富だった。強い者しか栄華を極める事が出来ない為、戦場に赴く精神教育を幼い頃から施し、それについて行けない者は両親から虐待を受けていた。戦場に順応できない不良品として。

「二人共、自分を責めたところで何も変わらない」

 アテナは、二人を諭しながら自分にも釘を刺していた。神は人間の過ちを放置し続けている。愚かな行いも、残忍な事件も、信仰の力を貰いながらも他人事と割り切り対応してこなかった。アテナ自身が賢士の母を認識した事は無いが、同じ世界に住まう神が放置していたと考えると胸が痛くなる。

「賢士は二人を責めたりしないよ。絶対…」

 ルシファーは、魔王らしくない性格をしている。父である初代のルシファーから受けた支配者教育を無視し、魔界に相応しくない優しさと温もりを持ち続けている。王となる為に戦闘行為は多々行ったが、戦いに負けた者には恩情を掛け、本人の意思次第では家臣に引き入れる事もあった。それ故に、賢士の母を許す事は出来ないと大声で叫べる。

「母の愛…きっと欲しかった。でも、貰えなかった……」

 タイタンは心優しい巨人。その反面、恐ろしい巨人。巨人界全ての住宅を作る大工としての側面がある一方、戦争中はありとあらゆる構造物を破壊する暴力的な一面を持っていた。勿論、自分勝手に振る舞った結果ではないが、重大な結果を招いた事を常に後悔している。

「賢士と一緒に盟約を完全なモノにしよう。平和な世界を定着させて、賢士の母が起こした虐待が過ちだったと胸を張れる世界に変えよう…」

 ティターニアの意見に反対する者はいない。戦争が横行する世界では、同じ虐待が起きてもおかしくない。虐待が間違っていると言える説得力の為にも平和が必要。

 この場の主は間違いなく賢士であり、この場の安定は賢士以外に齎せない。これは優秀である根拠と言っても差し支えない。過去の賢士の母が未来を知る事が出来たなら……誰もがそう考えた。

「…皆、実は気になっている事があるんだ」

 唐突に話題を変えたルシファーは、戸籍謄本を皆の前に差し出す。名前すら記入されていない全ての欄が空白の…。

「これは賢士の母の戸籍謄本だよ。見ての通り、何も記載されていない。念の為、賢士の父に成りすまして妻というキーワードで受け取った。役所の者も首を傾げていた」

 不透明になった母の存在。賢士の存在がある以上、居なかったという事は有り得ない。しかし、様々な調査を行っていたルシファーだったが賢士の母を認識をする事は出来ず、真聖の泉で露呈した真実が無かったら父親だけの家庭だと思っていた。

「他にも、呪いの発症時期に疑問がある。母から虐待を受けてから今に至るまで、一度も発症していなかったのに、何故、獣人界での昏睡がきっかけになったのか。竜界でも昏睡状態には至っている。だが、竜界では発症しなかった。昏睡の期間を一応疑ったけど、呪いに昇華させたのが記憶ではなく体の記録なら、無意識の環境があればいつでも発症した筈。そう考えると何かきっかけがあったと考えた方が納得出来る」

 王達が騒めく中、三姉妹が声を揃える。

「もしかして、マゼル!」

 ルシファーは、確信を持てないのか自信無さげに頷く。

「可能性は高い。僕が賢士の異変を感じたのは、マゼルの一件の後。マゼルが関わっているかは不明だけど、何か知っている可能性は高い」

 賢士の父が引き受けた時と明らかに違ったマゼルの対応。実際の過程は賢士の父しか知らないが、自ら押し付けた屋敷を返せといきなり語気を強めるのはマゼルである事を想定してもおかしい。何らかの異変があって、その上で屋敷返還に舵を切ったと考えられる。

「だったら話は早い」

 激しい怒りを抑えられないアテナは、戦争に赴くような武装で部屋を出て行く。

 マゼルに対して良い感情を持っていない王達だが、怒りに任せて押し掛けても良い返答が返ってくるとは思っていない。怒りに任せるアテナを止める為に後を追う。



 かつての盟約の館。現、マゼルの邸宅。

 アテナは扉を槍で叩く。

「マゼル! 出てきなさい!」

 屋敷の中は静まり返っている。窓から中を窺うと、電気が煌々とついている。

 追い付いた王達は、アテナが強硬な姿勢を取らないか不安。だが、扉を激しく叩く以外何かする気配がない。

 一応の冷静を保っている事を確認できたティアマトも参戦。

「居留守は止めろ! 儂らは聞かねばならん事がある!」

 然程力を入れていなかったのだが、ティアマトが叩いた瞬間扉が壊れる。

 微妙な雰囲気の中、視線がティアマトに集中。しかし、壊れた扉が直ぐに再生した事で注目は扉に。

「ルシファー…これって…」

 何かに気付いたティターニアは、光の茨で扉の取手に触れる。光の茨はバチンと弾かれ、先端が黒く焦げている。

「やっぱり。これは、魔術で作られた結界」

「魔力?」

 翼を生やしたルシファーが収束した魔力をぶつける。

 すると、扉は壊れるでもなく透明になって消える。

「マゼルが魔力を使える訳がない。おいら、一度も素養を嗅いだ事無い」

「俺も、そう思う。マゼル、賢士と同じ」

 フェンリルの鼻は、非常に高い察知能力を有している。タイタンの直感は、100%の地震預言を熟せる優秀さ。二人が魔力が無いと感じたのならほぼ間違いない。となると、マゼルの裏に何者かが潜んでいる事が確定。

 嫌な予感に警戒しながら屋敷の中に入る。

 しかし、人の気配を全く感じない。その代わりに異様な冷たさを感じる。

「……おかしい。この感覚は人間界のものじゃない…」

 ルシファーの腕に鳥肌が立っている。普通の存在なら何とも思わないが、鳥肌が立っているのは魔王。それだけで異常な空間だと認識できる。


「これはこれは、無礼な参上ですな…」


 暗い階段を下りてくる鈍重な足音、喉が枯れた乾いた声。その二つに王達は覚えがった。しかし、その覚えが指し示す人物はこの世に居る筈の無い人物。

「まさか…どうして?」

 王達の動揺を見て、下りてくる存在は含みを持たせ笑う。

「驚くのも当然ですな。私が生きているなど有り得ないでしょうからな」

 暗闇から露わになる白髪の老人。赤い宝玉を付けた杖を剣のように腰に差し、腕には首筋まで伸びる黒いタトゥーが刻まれている。羽織っている白いローブには、所々に呪文が羅列されている。しかし、老人にしては体格が良い。

「ハドル・ヘムロード!」

「賢士に何をした!」

 驚き反応できないルシファーを横切り、ティアマトとフェンリルが襲い掛かる。ハドルに対して悪い感情は無いが、この状況で現れた居ない筈の存在というだけで直感が危険視。先制攻撃を選ばずにはいられなかった。

「血気盛んですな。少しは話で解決を図る努力をすべきですな」

 ハドルが杖を翳すと、室内にも拘わらず雷が降り注ぐ。回避し逃げるフェンリルとティアマトを執拗に追い、直撃すると性質を変えて大爆発する。爆発の影響で屋敷の半分が崩壊するが、魔力で直ぐに元通り。被弾したティアマトとフェンリルは気絶。

「だったら話して、賢士に何をしたのか?」

 アテナの質問に、ハドルは何故か悲しみの表情と笑顔を交互に浮かべる。

「何故私を犯人と思ったのか些か気になりますな。だが、間違っていないな。理由は、邪魔になった事と可哀想だったからですな。親の愛情を受けられず死ぬ事を望まれた。このまま生きていても植え付けられた絶望は晴れない。ですから、呪いによって幕を下ろせるようにしたのですな」

 今の発言でハドルが呪いのきっかけを作った事が判明。しかし、賢士と接点を持っていない。密かに遭遇した可能性もあるが、賢士にはリームとの契約がある。呪いの起動を邪魔できる上に、場合によってはハドルを打倒する力がある。呪いを起動できるとしたらマゼルぐらい危機感を感じない存在である必要がある。

「…僕にとって賢士は最も大事な存在。プライドを捨ててでも問う…どうすれば賢士を救える?」

 ルシファーは、怒りに逆らいながらハドルの前に跪く。

「これはこれは、魔王が頭を垂れるのですな。では、その気概に応えてあげましょうな。由縁はどうあれ、敷井賢士の呪いは自身が構築したもの。故に、解消する為には根源主たる本人を殺すしかないですな。望みを叶えても、幾ら他者より優れている証拠を残せても、結局は結末を引き延ばすだけ。彼が苦しむなら殺して差し上げるのが宜しいですな」

「確かに呪いの起源は賢士にある。だけど、呪いの起動はお前の仕業だ! 方法を全く知らない訳があるか!」

「そうですな…あるにはありますな。しかし、教えるとでも思いますかな? 不肖の子孫を葬る者が?」

 エントランスの床が持ち上がり、床下に埋められたマゼルの死体が浮かび上がる。不思議な事に、死体は既にミイラ化している。

「マゼル…もしかして、既に?」

「察しの通りですな。不肖の子孫は、当主の座に就く事無く殺しましたな」

「賢士に呪いをかけたのはお前だったのか?」

「それは違いますな。彼女がマゼルに化けて接触した、それが答えですな」

 マゼルが埋まっていた床下から誰かが幽霊のように浮かび上がってくる。

 全身に暗闇を纏った女性。全容は窺い知れないが、顔だけはハッキリ見える。40代前後の人間の女性。不気味な笑みを浮かべ、王達を流し見て溜息を吐く。

「彼女は変装の名人でして、どんな存在にでも化ける事が可能ですな」

 女性の顔はコロコロ変わる。どれが本物なのか、そもそも本物があるのかそれすら分からない。驚く王達の反応に応じて変化の度合いを強める。弄ぶように…。

「協力者まで…初めから賢士を貶めるつもりだったの?」

 ティターニアの質問に、女性が真剣な顔を変え答える。40代前後の顔から若い20代女性の顔に変わりながら。

「…不出来な子は要らない。でも、利用できるなら利用しないと。敷井賢士という人間は逆境に逆らう力が強い。盟約を知り、王達を知り、変えたい意志に触れれば自ずから厄介事に足を踏み入れる。母の言葉に抗う為に」

 怒りで我を忘れそうなティターニアの代わりに、ルシファーが問う。ルシファーは怒りを超えて別の領域に感情を踏み入れている。

「何が目的で利用した?」

 ハドルが困った顔で答える。

「盟約破壊の為ですな。彼なら盟約を粉砕できると思いましてな。しかし、彼は我々の予想の逆の意味で大活躍。手を引かせる手段として呪いを発動した訳ですな」

「……盟約を作ったのはお前だ! それが何故?」

 ルシファーの怒りは既に限界。何とか押し堪えて質問を続ける。

「盟約の真の目的は、世界の進展ですな。平和を掲げ盟約を結んだのは栄華に満ちた繁栄の為。ですが、平和ではどうしても進展に繋がらない。そこで再び闘争の世界に戻す事にしたのですな。しかも、以前より苛烈で深刻な戦いに…」

「何故、進展を望む?」

「誰も見た事の無い至高の世界を創り、王として君臨する! 私は根っからの王、望みもまた王らしい権力なのですな」

 ヘムロード家は王の血筋。しかし、ハドルがそこの事を一度も口に出した事は無い。もし口に出していたら王達は信用していなかった。王権を振りかざす者に平和は作れない事を体験談として知っている。

「権力欲しさの為に…賢士を…」

 莫大な魔力がルシファーに収束していく。極地に至った怒りは制御を忘れて膨れ上がっていく。

「もう話は必要ない。後悔するが良い…」

 魔力の奔流が屋敷を飲み込み全てを破壊する。しかし、ハドルと女性は影響を受けていない。それどころか、ルシファーの魔力がハドルの吸収されている。

「なな、な。これは旨い! 最高の魔力ですな!」

 魔王の力を吸収するには相応の器が必要。紛い間違っても人間には不可能。

「させるものか!」

 覚醒したティアマトが巨竜に変化し、最大出力の火球を放つ。

 だが…。


「恨みは晴らさせてもらう!」


 突如空より飛来したのは、バハムート。

 ティアマトの火球を羽ばたきで押し返す。

「バハムート!」

 炎に包まれるティアマトは、炎を吸い自身のエネルギーに変える。

「ティアマト、次代の竜王はもういい。これからは破壊の竜王となって世界を混沌に堕としてやる!」

 炎を放ち屋敷周辺の森を焼き払う。

 アテナが光りを放ち炎を掻き消すが、延焼速度が速くて追い付かない。タイタンが巨大化して岩石を投げるが、バハムートの炎に溶かされ一瞬で消える。ティターニアは、光の茨で森の再生を促すが延焼速度を完全に抑える事が出来ない。

「なな、な。バハムートは我々の思想に賛同した勇志、これからは闘争に導く役目の一端を担うのですな」

 盟約の王は、人間界への干渉を防ぐ為に力の制約を受けている。その為、本来の力が出せず苦戦している。制約を解く方法は盟約の当主の言葉のみ。つまり、賢士が目覚めぬ事には本来の力で蹂躙する事が出来ない。

「世界の王とて制約の中では無力。賢士の為に許せぬ者を蹴散らす事も出来ない…」

 ルシファーは、吸収に抗えず魔力が枯渇。疲れ果てた様子で荒い呼吸を繰り返す。バハムートに翻弄される王達を見つめ、込み上げるのは深い悲しみと諦めに似た絶望。

「賢士…僕達は…」

 項垂れ絶望したルシファーに、ハドルが杖を振りかざし近づく。


「この程度で諦めるのか?」


 ルシファーの耳に賢士の声が聞こえる。

 顔を上げると、迫るハドルの背後に杖を突く賢士の姿を発見。

「賢士!」

 枯渇した筈の魔力が溢れ、吸収される事無くハドルを弾き飛ばす。

 余程予想外だったのか、倒れたハドルはなかなか起き上がる事が出来ない。

「ま、まさか…制御を超えたのですかな?」

 ルシファーの声に反応して、王達は一斉に注目。対応中のバハムートが目に入らない。賢士のたどたどしい歩みに涙し、賢士のいつもの表情に勇気が溢れてくる。

「フェンリルッ!」

 賢士の声に反応して、気絶していたフェンリルが覚醒。風を切り瞬時に賢士の下に推参。

 嬉しそうに賢士の匂いを必死に嗅ぐ。

「賢士…もう大丈夫なのか?」

「大丈夫? 何言ってるんだ。俺はいつだって大丈夫に決まっているだろ!」

 賢士は呪いに苦しんでいた時の記憶が薄い。三姉妹から聞いてはいるが、いざ心配されても自分の事とは何となく思えない。実感のない自分の事より、目の前に居る老人が気になる。

「それより…ルシファー、あいつは何者だ? ただならない雰囲気だが…」

「あの男は、ハドル・ヘムロード。盟約の館初代当主だよ」

「初代当主…300歳以上? とても人間には思えないな…」

 賢士は、必死に起き上がろうとするハドルを見て、何とも言えない不愉快な感情が湧き起る。昔から知っていて、昔から嫌悪していたような感覚。説明できる言葉は無いが、体を奔る感覚が間違っているとは思えない。

「油断して勝てる相手では無さそうだな…」

 賢士は、フェンリルの背に乗る。

 一瞬驚いたフェンリルだが、賢士が乗りやすいように背中を広くし、掴みやすいようにより毛深くなる。

「バハムート! ちょっとばかり優勢だからって侮っていないか? 盟約の為に戦う勇志がこの程度で敗退するものか!」

 賢士の言葉が響くと、王達の目が変わる。

「賢士…そうだね、僕達は盟約を守ると決めた!」

 ルシファーの背から白と黒の翼が生え、魔力の急上昇で足元の地面が耐えられず漆黒に染まる。

「賢士に捧げよう…真の想いを」

 アテナは神々しい光の衣を纏い、右手に現われた盾でバハムートの炎を無力化。

「私は、賢士の心を守る」

 ティターニアの光に茨が、失われた森を瞬時に復活させる。しかも、簡単に壊れない光のコーティングまで施す。

「俺、賢士の邪魔、許さない!」

 天を突く程の巨体になったタイタン。両手を激しく叩きつけバハムートを蠅のように叩き落とす。あまりの威力にピクピクと痙攣して声も出せず沈黙。

「バハムート…我が主を愚弄した罪は重い!」

 闇を象徴する漆黒の姿に至ったティアマト。深淵のブレスでバハムートを攻撃。必死にもがき抗うが深淵のブレスは容赦なく体を滅ぼしていく。

「フェンリル、ちょっと手伝ってくれ!」

 賢士は倒れるハドルを指差す。

「任せろ!」

 フェンリルは賢士に負担をかけないように走り、ハドルの下へ。賢士が毛を引っ張る様で大方の目的を悟り、鋭い爪でハドルの腹を裂く。避けた腹の奥には臓腑は無い、あるのは真っ暗な闇。起き上がらないように足で踏みつけ、賢士が見やすいように腹を更に裂く。

「やはり人間ではないか。だったら、人間界のルールに則る必要はないな!」

「なな、な。まさか…これ程の統率力を」

「これは統率力じゃない。信頼の力、もしくは絆の力。俺達は短い時間で深く繋がった!」

 天より舞い降りたルシファーが、圧縮した魔力をバドルの避けた腹に叩きつける。ハドルは吸収を試みるが、吸収の可能なレベルではない。魔力が体を内部から破壊していく。賢士は合図を送っていない。合図を送らなくとも、考えを察し行動に移す事が出来る。

 ハドルの危機に、暗闇を纏った女性が賢士に近づく。

「賢士…」

 女性が賢士に顔を見せる。20代の若い女性の顔。

「………お母さん?」

「そうよ。ねぇ、こんな事は止めて一緒においで。これからは一人にしない、もう二度と虐めたりしない。だから…ね」

 女性は賢士の母に変化していた。心の動揺を誘って反撃のチャンスを生み出すつもりのようだ。

 近くに居るルシファーとフェンリルは、女性の思惑を悟り、賢士の反応に不安を感じる。

「は、ははは…こんな場所に居たんだね…僕…僕…」

 子どものような幼い雰囲気を纏って女性に手を伸ばす。二人が察した危機の具現。と、思われたのだが、近づいた瞬間、一気にいつもの賢士に戻る。

「ぶん殴りたくて仕方なかったぞ!」

 賢士の拳が女性の顔面を捉える。

 歪む顔は、老婆のような顔に変化する。

「そ、そんな…母の面影に、拳を…」

「そりゃそうだろ。虐待した母に思い入れなどあるか! 殴りたくて殴りたくて鬱憤が溜まっていた!」

 賢士は何度も何度も殴る。

 女性の顔は、殴るたび違う顔に変化。しかし、非力な賢士の力では大したダメージにはならない。変化が治まり、目付きの鋭い幼い少女の顔になる。

「無礼者!」

 闇が広がり地面がぬかるみ、フェンリルの足が吸い込まれ動けなくなる。

(わたくし)はティターニア! 精霊界の女王! 貴様のような愚民が触れて良い存在ではない!」

 賢士は、森を守るティターニアと見比べる。だが、全くの別人。どちらも幼さがあるが、見知っているティターニアは高校生ぐらい、ここで名乗っているティターニアは小学生ぐらい。体形は、見知っているティターニアは豊満、ここで名乗っているティターニアは…。

「偽物か?」

「無礼者! (わたくし)は正真正銘、ティターニア! 貴様についているのは、愚かな末裔!」

「先代…いや、初代か?」

「……ふん、察しの良い愚か者め!」

 賢士は、ハドルの視線を移す。フェンリルがどんどん沈んでいく中、賢士は冷静に分析。フェンリルも賢士を信じて動揺する事は無い。

「初代ティターニア、お前はいつの時代の女王だ?」

「教えると思っているの? やっぱり愚か者は…」

「…300年どころではないな。戦争が始まった当初…フェンリル、何時だ?」

「2000年前ぐらいだったと思う」

「って事は、初代はもっと前。戦争を画策していた頃の存在か? だったら、平和に納得できる訳がないのは当然か…」

 初代ティターニアの答えを聞く事無く分析していく。しかも正しいのか、聞いていた初代ティターニアは驚いた顔でただただ呆然と聞いている。

 賢士は何かを悟り、初代ティターニアを指差し笑う。

「お前利用されているのか? 何が精霊女王だ。ただの小間使いじゃないか!」

 明らかな心的揺さぶり。初代ティターニア自身も理解している。だが、強すぎるプライドが理解による制御を退け激しい怒りを励起する。

「絶対に殺す!」

 闇の茨で賢士とフェンリルを縛り上げる。

 ぬかるみから体が浮かび上がり、フェンリルの自由が戻る。

「闘争心が隠せないようでは王失格!」

 フェンリルは闇の茨を噛み切り、素早く初代ティターニアを蹴り飛ばす。しかも、体を捻りながら執拗に何度も。背中に乗っている賢士を落とさない見事な体捌き。

「きゃあああああ!」

 吹き飛ぶティターニアを見届け、賢士はハドルに問いかける。

「ハドル・ヘムロード。お前、300年前よりももっと前から生きているだろ? それこそ、六つの世界が戦争を始める前から」

「……なな、な。そんな事まで推察できてしまうとはな…」

「俺じゃなくても冷静なら分かる。プライドの高い初代ティターニアが従うとしたら、余程納得出来る要素が必要だ。300年前に平和を作った者に迎合するとは思えない。白状しろ。お前は2000年より前に戦争を画策した張本人なんだろ?」

 何故、初代当主は突如平和の礎を築こうとしたのか。何故、平和を望む意志が顕在したタイミングで現れたのか。接点がない者が簡単に他世界の王達と会う事など出来ない。可能性があるとしたら一つ、戦争を初めからプロデュースしていた。戦争の何もかもを初めから操作していて、平和への動きも戦争中の出来事の一つとして発生させた。王達との面識はハドルとして以外の顔で既に済ませている。もしくは、ハドル以外の誰かを窓口にしていた。

「なな、な。本当に恐ろしい」

「平和を戦争を激化させる為のブースターとして利用した。本当は平和なんかどうでもいい、世界がどうなっても構わない。お前が欲しかったのは、より高度な戦場、より多くが失われる戦場。違うか?」

「なな、な。なな、なっなっな…嘘が露呈してしまいますな。まさにその通り、私は平和などどうでもいい、私は世界の進展などどうでもいい。欲しいのはより多くの血が流れる戦場ですな…」

 白髪の老人だったハドルが、若々しい青年の姿に変化。腰に差した杖が血の滲んだ剣に変化、腕のタトゥーが蛇のように蠢き腕から零れ落ち、羽織っていた白いローブの呪文が光り、漆黒の鎧に変貌。

「私はハドル・ヘムロード。闘争の血によって生まれた邪悪の化身。人間でありながら世界に干渉でき、人間でありながら異界の王を統べる力を持つ。遥か太古より全ての戦場は私が生み出した!」

 剣でルシファーを払い退け、這いまわる無数の蛇がロープのように縛り上げる。裂けた腹の奥から真っ黒な水が洪水のように溢れ、バハムートを飲み込みそのまま消し去る。

 バハムートの消失に合わせて、王達が賢士の背後に一斉集結。アテナは、呼び出した槍でルシファーを拘束する蛇を消し去る。

「ハドル、人間なのか? 本当に?」

「人間であって人間でない。厳密に自分でも何者か分かりませんな。ただハッキリしているのは、闘争が無ければ生きて行く事が出来ない。闘争は私の食事代わりですな」

 本心か陽動か、ハドルの表情からは判断できない。ポーカーフェイスではなく、コロコロ表情が変化して定まらない。笑顔だったり、悲しそうだったり、怒っていたり。

「敷井賢士。ここまで暴いた報酬として、呪いを解いて差し上げましょうかな? 条件はたった一つ、盟約に関わらない。ただこれだけ。どうですかな?」

「…」

 賢士は三姉妹から呪いの話を聞いている。待っている結末も凡そ理解している。当然、まだ死にたいとは思っていない。出来る事なら生きていたい。

「断る!」

「おや~、命が惜しくないのですかな? それとも、他の方法があるとでも思っているのですかな? 一応ですが、何をしても呪いは解けませんな」

「正直に言えば怖い。まだまだやりたい事があるし、まだまだ生きていたい理由もある。だがそれでも、俺は結んだ絆を断つ事は無い! やりたい事も、生きていたい理由も、限られた有限(いのち)を消費し切る前に実現してみせる!」

 盟約の為、王達の為、なにより誘惑に屈した可能性の上の自分を見返す為、死の恐怖を乗り越えて目的を達成する覚悟を決めた。もはや賢士を止める言葉は無い。

 王達も悲しみを抱えつつも覚悟を決める。

「なな、な。愚かな…宜しい、では覚悟して頂きましょうな。これからは我々が盟約を阻止いたしますな」

 無数の蛇が足下に集まり、現れた漆黒の水溜りに飲み込まれるように消えていく。

 王達が追撃を試みようとするが、賢士がそれを止める。

「盟約の当主、敷井賢士。最後まで選択の余地は残しておきますな。もし、気が変わったらいつでも受け入れますな」

「安心しろ、そんな余地は必要ない。それより、覚悟しろよ。俺に正体を見せた愚かな結末を…」

 笑いながらハドルは消えていく。

 倒れていた初代ティターニアも気が付いたら居なくなっていた。

「賢士…」

 賢士は、ルシファーの声に振り返らない。

 ルシファーは、そっと賢士の肩に触れる。伝わってくるのは、悟られないように抑えていた震え。

「カッコ悪いだろ? あれだけ強がっておきながら…」

 本当は怖くて怖くて仕方がない。覚悟はしても、何時かはと思っていても、いざタイムリミットを告げられるとどうにも抑えられない恐怖に支配される。本当は誘惑に負けそうだった。本当は盟約を裏切ろうとした。信じて戦った皆に会わせる顔が無い。

「そんな事無い!」

 ティターニアは、賢士の背中に抱きつく。

「誰があなたを非難できようか…きっと誰にも出来ない」

 アテナは、盾と槍を捨て右手を繋ぐ。

「儂だって死ぬのは怖い。若返れるなら、何でもするかもしれんな…」

 ティアマトは、鱗を取って左手に握らせる。

「クンクンクン、良い匂い。おいらは賢士の傍に居る。何があっても…」

 匂いを嗅ぐフェンリルは、半泣き状態。

「賢士、死なない。俺達、強い絆」

 タイタンは、大きな手で全員すくい上げる。

 皆の優しさのせいで堪えていた涙が溢れてくる。心配させたくなくて一度も見せないと誓っていた涙。しかし、こうなってしまったからにはどうでも良い。暖かい想いに包まれて思いっきり泣いた。感謝と謝罪と新たな誓いを胸に…。

 泣き終わった時には、死の恐怖は消えていた。

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