薄幸転生侍女と日常
「エミリー、謝って」
「私は何も悪くないわ!」
「……ごめん、サラ」
「気にしないで、イル」
お姉様が夜半に私の自室に来てから数日後のこと。
いつも通り自室にて侍女になるための勉強をしていたところ、お友達二人の手を引いて部屋に現れたお姉様は、幼馴染であるエミリー嬢と喧嘩を始めた。
「サラに酷いことを言ったんだから謝って!!」
「私は悪くない!!」
「お姉様、私はだいじょ」
「サラは黙ってて!」
当の本人を介すことなくヒートアップする言い争い?は、到底私の手に負えるものではなかった。
「私は特に気にしていないのですが」
一旦静止モードに入って二人の様子を窺うものの、私が口を挟めそうな雰囲気ではない。
「サラ、向こうでお茶でも」
「……そうだね、イル」
同じように蚊帳の外であるイルと顔を見合わせ、私達はひとまず加熱し続ける二人から離れることにした。
「帝王学……こんなに難しいものを読んでいるの?」
生憎とわたしの侍女はまだ決まらないが故に、日替わりで来てくれるメイドさんを呼ぶために室内のベルを鳴らす。
その間、テーブルの近くを通ったイルが積み重なっているうちの一冊を手に取って、首を傾げていた。
「はい、必要なので」
お姉様の傍に仕えるには、様々な知識が必要になる。
これから始まるであろう社交界。政治関係者との会合。慈善活動や留学などもこれから王女として参加しなくてはならないだろう。
それまでに、私は可能な限り様々な知識を詰め込んで、お姉様をサポート出来る立場にいなければならない。
幸い、二十数年生きた記憶があるから基本的なことはスルー出来た。だから、あとは専門的な内容を突き詰められるだけ突き詰めていけばいいだけなのだ。
「でもこれ……」
「お待たせいたしました」
「なあに、イル?」
ノックと共にやってきたメイドさんの声に遮られて、イルの言葉は掻き消される。一応聞き直してみたけれど、二度目はふるふると首を振って誤魔化された。
「お茶にしよう」
さして重要なことではないのだろうと察した私もイルの言葉に頷いてソファに腰掛ける。
「イル。イルは本を読むの?」
「うん、読書は好きだよ。最近だとこの国の建国記を呼んだんだ。翻訳がされていないものだったから少し読むのに手間取ったけど、面白かったよ」
メイドさんが茶菓子を用意している間、特にネタもなかったので安牌なネタを投げ掛けて時間を潰す。
「え、サラも読んだの?」
「うん、私はあの話が好き。ほら、王様が虎を湖に沈めるやつ」
「第三章の始まりのやつだね。僕も好きだよ。それなら、あれもオススメだよ。改変されていない童話集」
「本当?読んでみる」
が、思いの外精神年齢高めのイルとは感覚が近いようで、適当に話していても楽しかった。よくよく考えれば齢七つの少年がどうして翻訳されていない建国記を読んでいるのかとか、それを更にこの国の文字を覚えたばかりの五つになる幼女が読んでいるのとか、突っ込みどころは満載であった。
けれどそのときの私は誰かと対等に話せるのが本当に楽しくて、そんなことは頭から抜けていたのだ。
「サラ」
楽しすぎて、お姉様とエミリー嬢の喧嘩が終わりを迎えていたことに気が付かなかったくらい。
「ほら、エミリー」
「うう……」
傍目、いけないことをした妹をあやすかのように微笑みながらエミリー嬢の肩に手を置くお姉様。しかし、静謐な静けさ宿すその透き通った新緑の瞳が冷えている。
イルとの会話に夢中になり過ぎて気が付かなかったが、エミリー嬢の青い瞳は赤みを帯びている。恐らくあの冷えた目をしているお姉様に泣かされたのだろう。
「ごめん、なさい」
「大丈夫です」
たっぷりとした沈黙の後、風に吹かれて消えそうなか細い声ではあったものの、エミリー嬢は確かにそう言った。
勿論最初から気にしていない私は彼女の言葉を聞き入れ、ソファに座るよう促す。
「……でも、何も感じない訳ではありません」
彼女が紅茶を口に含み、一息吐いたところで、私はきっちり釘を刺す。
「わかってるわ。……その、本当に口が滑っただけだけど、言ってはいけないことだったわ」
クッキーを口に詰め、もごもごと弁明をするエミリー嬢。こうやって自分の過ちを口にして認められるのならばまだ問題ない。そう判断した私はお姉様に笑い掛け、もう本当に大丈夫だ告げる。
「ごめんね、サラ」
それなのにお姉様は、変わらず悲しそうに私に謝る。これは当事者が何かを言っても意味がないと判断した私はぱんっと軽く手を叩き、にっこりと笑う。
「かくれんぼ、しませんか?」
気にしていないということは、言葉より態度で表した方が早い。
昨日の続きだと提案して、私達は中庭へと移動するのだった。
「えーと、誰が探す人?」
「私が」
基礎体力作りのためにお母様と最初にお散歩をしていたこの中庭は、私のお気に入りの場所でもある。
故に、私はみんなが何処に隠れていようとも探し出せる自信があった。
自ら鬼を名乗り出て、一応中庭のここ一区画からは出ないと条件で始める。
「じゃあサラ、お願いね?」
「隠れるわ!」
エミリー嬢と仲良く手を繋いだお姉様が草木に紛れていく。イルは、もういない。
「どーこーでーしょーうー?」
適当な数を数え終えてきょろきょろ辺りを見回しながら結構広い中庭を進んでいく。
「おねーさまー?エミリー嬢ー?イルー?」
成人にとっては腰高くらいの、私達からすれば背丈程度はある整えられた植木の隙間を掻い潜ってただ探す。
「いらっしゃいませんねえ」
はて、と首を傾げながらも進む。ただ進む。しかし何故か、みんなは一人も見つからないのだ。
「…………これは、私が迷子になったのでしょうか?」
足を止め、今仕方通ってきた道を振り返る。勿論、同じ景色が並んでいるだけである。
「なんということでしょう」
空を見上げ、太陽の位置から自分がいる大まかな方向はわかるからひとまず最初の開けた場所を目指すことにした私。
とことこ進みつつみんなを探し、私は歩く。しかし何故か、日差しの向きは変わらないまま。
「…………まさか、妖精の悪戯なんて、言いませんよね?」
ひくりと頬が震えたのは、お伽噺だと思っていたそれが今一番可能性が高いからか。
お城に来た頃、お母様と共に庭園へと続くこの中庭を散歩していた。そしてその間お母様は、私に色々な話を聞かせてくれた。
幼い子に教えるような絵本の物語から、子供に聞かせるような話ではない系統の違う社交界のゴシップまで。ゴシップはまあ、私が聞きたいとせがんだからしてくれたのだけれど。
そしてそんな絵本のお話の中で、こんな物語があるのだ。
サウシェツゥラは、光の女神に愛された国である。
光の女神は穢れを宿さぬ純白の髪と太陽の如き輝きを放つ金の眼を持つ。彼女は万物に愛され、万物を愛す。特にサウシェツゥラ初代の王、カルセインとは仲が良く、彼女はカルセインが愛する国も愛した。
故に、サウシェツゥラは光の女神に祝福された国であり、今も衰退を知ることのない大国である。
そんな大国で極稀に生まれることのある白髪、及び王族が持つことの多い銀髪の人間は光の女神に愛されやすく、総じて精霊や妖精と言った光の女神の眷属に懐かれやすい。
姿は見えずとも彼等はすぐ傍にいる。だから、日々の感謝を忘れてはならない。
そんな、良くある絵本の物語。その話をしてくれたとき、お母様は笑って貴女も一度は妖精の悪戯に会うかもね、なんて言っていたけれど。
「…………今では、ないような」
こんな日常の一角みたいなところでそんな特殊な経験をして良いのか。いや、寧ろ日常の一角の非日常だからそれで良いのか。
なんて困惑していると、くすくすと笑い声が耳元で囁く。
『面白い人間。闇の精霊に好かれているのに、わたし達みたいな色してるわ』
『本当ね。ずっと見てきたけれど、この子本当に不思議』
『なんの糸だろう?ここではない何処かの糸が繋がってるね』
くすくす、くすくすと木霊してはしゃぐ声達。姿は見えないのに、確かにそこにいるんだと感じる気配に、私は呼び掛ける。
「…………あの、妖精さん?」
『あら、なんか呼ばれたわ』
『え?わたし達の声が聞こえるのかしら?』
『まさか。そんな人間、血族以外じゃここ数百年見てないわよ?』
先程のただからかっているような声質とは打って変わって、困惑が滲む妖精達の声。意を決し、私はもう一度呼び掛ける。
「あの、見えてはいません。ただ、皆さんの声は聞こえます」
ぱちん、と何かが弾けるような音がして、もう聞こえなくなった妖精達の声に私はぼうっと虚空を見つめる。
「あ、サラー!見つけた!何処に行ってたの!?」
お姉様に呼ばれて振り向けば、そこは一番最初にいた開けた場所で。
「みんなで探したのよ!?何処にもいなくて焦ったんだから!!」
「サラ、何をしていたの?」
私に何か異常がないかと服をぱたぱたして周りをぐるぐるするお姉様に謝りつつ、イルの質問には曖昧に微笑んで答える。
それで何かを悟ったらしいイルがそれ以上追及してくることはなく、このかくれんぼは始まらないまま終わりを迎えるのだった。