薄幸転生侍女の旅路12
「……あれ、は」
悪い目覚めである。寝込んだときくらい楽しい夢を見せて欲しいものだが、大概は悪夢に魘されている。
しかし今日の夢は随分と不可思議で、だけどもそれが偽りではないと自身で深く理解していた。
「黒い、精霊?」
自覚と共に無意識に吐き出した言葉に、ソルがばっとこちらを見た。
『主。今、なんと?』
震える声と見開かれた眼。そんなはずはないと言いたげな二つの困惑が、自分に向けられている。
「……黒い、精霊。周りにいる妖精さんや精霊さん達とは異なる存在の子を、私は知ってる。あれは……川で見た精霊さん達の気配と、一緒」
ああ、と思い出す。
何処か既視感を覚えたのは、忘れていても知っていたから。長くずっと傍にいてくれた乳母の温もりと地下牢に漂う冷たい空気を。
「闇の精霊を信仰していたナウェル。それは精霊さんを閉じ込めるっていうあの道具から生まれるものなの?」
そうであるのならば、それがどれ程おかしいことなのかは河原で見たソルの様子から察せる。
「ナウェルは、何をしていたの?」
何を、してきたの。
言葉にならない疑問が深い沈黙に変わって、荷台の軋む音と馬車が駆ける音さえも気にならなくなるくらい、自分の鼓動しか聞こえない。
「信仰。恩恵……その全てが都合の良い言葉で、本当は精霊達を無理矢理従わせて力を奪っていたというの?」
何故、陛下がナウェルという国を滅ぼしたのか。
それはずっと頭の片隅に引掛かってはいた。
暴君と呼ばれるような愚ではないし、民から略奪をした訳でもない。
ただナウェルの王城の中にいた人間は、恐らく大多数殺されている。
戦争の結果、王族の血や官に就く貴族の血統が途絶えるのは当然の結末と言えども、一般人と呼べる兵士や使用人までもがその範囲に入っていて、それでも城下に血は流れないというのは疑問だった。
もしその理由が、あの黒い精霊に関するものだったら。
「……精霊は、美しい場所でしか生きられない。けれど何かしらの理由でその場に囚われた精霊は、光を失う。光を失った精霊は本質を見失って、堕ちる」
重い口を開き、淡々と語り始めるソル。
「そう。理から外れ、世界を祝福する存在ではなくなった結果、世界樹へ還れない精霊は傷付いた己を癒すことが出来ずにやがて消滅する。そして新しく、生まれ変わる。世界樹へ戻れない悲しみと、自身をこんな目に合わせた人間への恨みで……黒く、己を染めて」
視界の端で揺らめく妖精達の悲鳴が聞こえる。世界樹に還れないなんて、祝福から外れるなんて、と。
「安心しろ。そなた達は未だ与える存在ではないから例えあの忌々しい道具に囚われ消滅したとしても世界樹に戻ることが出来る。まだ、戻すことが出来る」
妖精とは、赤子のようなものである。世界樹から生まれ人々の祝福を受ける小さき友達。
人々の善意や好意を受けて育つ妖精はいずれその祝福を糧に精霊へと昇華し、今度は祝福を与える存在になる。
与えられたものを返す。返し終えたら世界樹へと戻り妖精として生まれ、また与えられる。
そうして人々と世界樹は共生しているのだと、学んできた。
「……傷付いても、世界樹に戻れば精霊は羽を休めることが出来る。そうして傷が癒えた頃にまた生まれる」
「そうだ」
「じゃあ、還れない精霊は?堕ちた精霊は……」
世界の環に戻れない。それが精霊達にとってどれ程のものなのかはわからないけれど、もし今仮に自分を当てはめるのなら。
「……友を、兄弟を、父母と慕う精霊を。強制的に引き離されて、戻れなくて……かえりたいと、助けを求めるんだ」
「聞こえ、るの?」
「妖精達は聞こえない。まだ光の導きしか知らなくて、その存在に気付けないから。でも、何かおかしいとは感じ取れる。そしてそれがとても悲しいことだとも」
「ソル、は?」
「我は聞こえる。原初の力を預かっている以上、切っても切れぬ悪縁だからな」
苦々しくそう言葉を吐いたソルの赤い目とかち合う。
妖精は聞こえない。ソルは聞こえる。
ならば妖精と共に過ごし、ソルと人生を共有する私は。
「……主は、」
先程は聞こえずにいたが、妖精さん達が何かしらのきっかけを得て堕ちた精霊の声を聞けるようになるのなら、私もいずれは聞こえるようになるのか。
そんな問いは馬車が急停車した衝撃に掻き消され、ソルから身体を離していた私が幌に突っ込みそうになったことにより話が途絶えた。
「ありがとうソル、大丈夫だよ」
「いやすまない」
幌を突き破るくらいの勢いで飛んだ私を辛うじて尻尾で捕まえてくれたソルの功績により、打撲や骨折は免れた。
危うくこのまま飛んでいたら死んでいたかもしれないので素直に感謝したのだが、そもそも私が飛んだことを自責するソル。
最近少々目に見えて過保護過ぎではないか、と一瞬首を傾げたものの、つい先日のこともあるからだと納得した。
「ソル?」
ぱふっ、まふっ、くるり。
肉球で音をシャットアウト、ふかふかのクッションが背中に配備、極めつけにもふもふの尻尾がお腹と下半身を温める。
寝ろ、と言いたげな準備であるが何が起こったのかくらいは説明して欲しい。
勿論それが聞き入れられることはないのだけれど。
「あとでちゃんと話す」
一瞬外された肉球、しかしそれが今出来る最大の誠意であると言わんばかりの口調と眼差し。
しっかり身体を捕縛された上に結界まで張られていては当然なす術はなく渋々目を閉じたが、せめて先程の騒動と何か関係があるのかくらいは聞かせて欲しいと一瞥したところ、首肯は得られた。
私に関係あることなのか、という問いには無言だったから間違いなくそうである確信も得られた。
そうか、ならば尚更一から説明が欲しいところだがいくら問い掛けたところで何も返ってくることはなく、馬車も動き出す気配はない。
妖精さん達の様子から不穏なこと、良くないことであるのは確かだし、それならばいっそ私が出る方が片付くのではと思い始めた頃、ソルが急に殺気立つ。
「ここにあの忌々しい子供がいるのであろう!!」
赤い髪。赤い目。
ソルの肉厚な肉球をすり抜ける程の声量が響く。
「父上も貴様も間違っている!何が尊い御身だ何が姫だ!!アイツは無辜の民を虐殺した国家の末裔だろうが!!!」
正義が、悪意が、劈く。
「何が被害者だ!ナウェルの血筋である以上磔にして見せしめにして殺すのが全うだろうがよ!!」
耳鳴りが止まなくて、何処か遠くで行われているような言い争い。
「主」
傍にいてくれるはずのソルの声でさえ何処か朧で、それでもただ一つ見える深淵が、懐かしい。
「妾腹のあの女の娘だろ!殿下を誑かして反逆を唆した売女に良く似てやがる!!」
もう何一つして意味を持たなくなったソルの肉球を外して、一つ、思い出した。
私に良く似た乳母。母だったら良いのにと思う程に慕った彼女から受け継ぐそれはずっと、そこにあったということを。
「駄目だ!!」
気付けば、そこにいる。
彼等はずっと傍にいて、私もまたずっと、傍にいたということ。
「そうだね、ソル。堕ちた精霊はいつでもそこにいる。ずっと……いてくれていたんだね」
ごめんね、と、今まで見えていなかった……だけれども昔は見えていた彼等に手を伸ばせば、鮮やかにそれは思い起こされた。




