薄幸転生侍女の旅路11
「サラセリーカ様……おはようございます」
「おはようございますアーノルド卿」
翌朝、あの後悶々と考え事をしていたら寝れなくなりその結果私の目の下には立派な隈が出来ていた。
それに気付きつつも昨日のことには触れない卿の顔には、悲しみとも怒りとも取れる表情が浮かぶ。
『童、こんなところもう出るぞ』
「はい。朝食は先程厨房を借りて私が作って参りましたので道すがらでも宜しいですか?」
「大丈夫です」
足元で、未だに怒りが収まらないソルが率先して出立を促し、既に支度を終えている私を確認した卿が首肯する。
見慣れたバスケットを片手に先導する卿に続き、先日訪れたばかりの厩舎へと移動。本来ならばラッセ伯爵への挨拶と見送りがセットでありそうなものだが、昨日の今日なのでなかったことになっている。
そうして静かに誰とも会うことなく厩舎へとやって来て、ずっと私達を運んでくれているお馬さんに挨拶してから荷台に乗り込む。
「昼頃に休憩を挟む予定ですが、先に召し上がっていただいても構いませんからね」
と、卿から朝食兼昼食が入っているバスケットを受け取り幌が掛けられる。
そのまま暫し彼の準備が終わるのを待ち、進みますとの声と同時に馬車は揺れた。
『主』
想定とは大分違った伯爵邸での時間に気を取られていた私をごんと頭突きで呼び戻すソル。
撫でろ、と腹を見せて気を逸らそうとしてくれる好意に甘えてそこに頭を埋める。
『そうじゃないんだが』
相も変わらずハーブっぽい清涼な香りがする毛並みに顔を擦り付けるという奇行をしても、今は優しく受け止めてくれる配慮に感謝しつつもっと大きくなってくれたらもっと寛げるのになあと心の底で思ってみる。
『……はあ』
その結果、荷台を毛並みが埋め尽くすくらいのサイズ感へ変化してくれたソルに背を預けて目を閉じた。
身体に巻き付く銀の尻尾、ぬくぬくとした温かみ。
睡眠とまでは行かずとも昨夜よりもずっと安心出来る環境を作った私が休息を得る間も、馬車は進み続ける。
街と街を繋ぐ街道は陛下が率先して敷設したというのもあって、所々左右に馬車を停めて休憩出来るスペースが設けられている。
夜は休憩を取る商人達が多いのもあって中々場所を見つけることは出来ないし、朝や昼もそれを厭う者達が休んでいることが多い。
しかし夜と違って簡易な休憩を取っている者達も多いから少し待てば場所が空くというサイクルが出来上がっているため、私達も倣ってそう過ごしていた。
高位な者が往来するときは事前に騎士などを送り場所取りしていることもあるのだが、今回の私達は商人という設定であるためそんなことはしていない。
していなかった。
そもそも騎士がいるということはそれなりの身分の者が通ると触れている訳で、それが悪手になることも多々あるからだ。
かなり治安が良いとされるこの界隈でさえ、盗賊等の被害が少ないとは言えない。更に、ナウェルが崩壊してからあの国が抱えていた浮浪者等が国境を越えて移動して来ているという問題も抱えていたから。
「……主、厄介事っぽいぞ」
故にそう、近頃街道では場所取りをする者達が少なくなったという話をパウロさんから聞いていたのを、ソルが結界を張ってそう話し掛けてきたことで思い出した。
「耳塞いでろ」
騒がしい、と感じるが内容までは聞き取れないくらいの距離が離れているけど、五感の優れるソルにはきっちり聞こえてくるようで肉球イヤーマフが装着された。
即ち私に関係する何か、この街道でならナウェルに関する何かであろうと察しは付くものの、今あえてそれに飛び込めるメンタルでもないので大人しく従う。
「面倒な」
呟くソルに止まった馬車。
意外に高性能な肉球のお陰で何かを言い争う雰囲気だけしか悟れないが、据わる赤い眼と冷たい空気から良くないことであるのは確か。
「おお、上手く切り抜けたようだな」
少しの間言い争っていたようだけれど、間もなくして馬車は動き始める。
それからまた暫く走り続け、昼の休憩を迎えた。
『大丈夫か主?』
「うん、まだ平気」
馬車から降りて身体を伸ばし、顔を上げた瞬間に襲ってきた目眩にふらつきながら首肯する。
昨夜の寝不足兼、これまでの疲労。
本来の予定であればラッセ伯爵の屋敷で休息を取り、それ以降は私の様子と相談という流れだった。
思いがけない出迎えに全てが崩れた訳だが、それに柔軟に対応出来ないくらいこの身体は軟弱である。
休息なんていらないと思っていた私よりも卿の方が限界を知っているなんて申し訳ない限りであった。
「サラセリーカ様、お食事を」
「……」
『主』
そして自身の体力値を見誤った結果、夕方頃から体調を崩し始め熱を出して寝込むことになり、与えられた食事も辛うじて親指の爪くらい飲み込めるという弱りっぷりに更に二人を困らせた。
しかし前回の経験からちゃんと薬を持ってきてくれていた卿のお陰で薬は確保され、なんとかそれを飲み込んではソルに包まって眠る。
熱が出る、息が苦しい。でも何処も痛くはない。ただ食欲もない。
風邪にしては随分不思議な症状を併せる現状。
まあ頭痛も吐き気も身体の節々が痛くなることもないのならちょっと息苦しいくらいなんて我慢出来るというもの。
卿が駆け足で次の街へ向かってくれているからそこで休息を取れば自然と治るであろう、と客観視する私を睥睨するソルを撫でながら再び目を閉じるのであった。
『私のお姫様。私のお嬢様。可愛い子、良い子ね』
揺蕩う温もりと、もう失われて久しい優しい声でこれがまた夢だと悟る。
銀の髪、赤い瞳。乳母であった彼女の名前を私は知らない。
彼女の名前を尋ねても教えてはくれなくて、私の名前はと尋ねても悲しそうに微笑んでいたことくらいしか記憶にない。
だけど、物心付いた頃には既に前世のことを思い出していて静かに現状を受け入れていた泣きも騒ぎもしない私のことは本当に可愛がってくれていた。
良い子ね、可愛い子ね……ごめんね、と口癖のように続ける乳母は本当に乳母だったのか。それとも、それ以上の繋がりがあったのかは未だにわからない。
母だったら良いのにとは、何度も思ったけれど。
『ごめんね』
彼女の夢を見る度、懐かしくて温かい過去を思い出す度、最後はこうして赤に埋め尽くされて終わる。
『化け物……!』
でも今日は何故か、続きがあった。
私を抱き留めて息が絶えそうな乳母の胸から抜け出し、彼女を殺した兵士へ手を翳している私へ向けられた言葉。
倒れ込む兵士が綺麗さっぱり闇の中へ消えていくのを見届けた彼は階段を駆け上がって消えていく。
『だめよ。まだ、だめ』
辛うじて息をする乳母が、歩き出そうとした私を止める。
『眠りなさい、可愛い子。まだ、そのときでは……』
強く抱き締められて、がくりと意識を失う私。
その様子を見た乳母も、私に覆い被さるようにして息を引き取った。
そして瞬きの間に彼女の遺体は、姿を消した。
残るのは眠る私と、ゆらゆらと揺蕩う闇だけだったのだ。




