薄幸転生侍女の旅路9
厩舎で馬を繋ぎ、少し待っててと声を掛けた悪戯卿。
ソルもここに置いていった方が良いかと尋ねてみれば、部屋まで連れて行っても問題ないとの返答に腕へと抱え込む。
「ラッセ伯爵はアーノルド卿のご家族でいらっしゃる?」
「はい、育て親です」
「なるほど」
こちらへ、と歩きだした彼の横に並んで伯爵との関係、そして屋敷までの道程の最中で見える建物の説明を受けつつ移動すれば立派な扉の前にやって来た。
「こちらが本館になります。この時間父は訓練場にいると思いますので客間にご案内してから呼んできますね」
「あ、それなら着いて行っても?」
玄関の扉を開け、誰もいない吹き抜けのホールでそう告げられる。部屋をお借りする立場なのだから自分が出向きたいと主張すれば、一瞬卿の顔が曇り努めて冷静な声が返ってくる。
どうかお部屋でお待ちいただけませんかと理由を教えられることなくやんわり拒絶されるが、彼の表情的に私のことを慮ってだと察する。
ラッセ伯爵に嫌われているのかと考えるも、そうであればそもそも卿は宿泊先にここを選ばないと知っているからその線は排除。となれば訓練場という場所に問題があると思う、そう思考が辿り着いたところでふと、以前城の訓練場で出会った騎士団長のことを思い出した。
「騎士の方は貴族がお嫌いですか?それとも、私が?」
通された客間で一息吐き、伯爵へ挨拶に行ってくると背を向けた卿へ疑問を投げ掛ける。答えの返ってこない沈黙がそれを肯定して、私は一人納得した。
「申し訳ありません」
ラッセ伯爵に仕える騎士達が私を嫌うことに彼は関係ない。しかしこうなることを見据えられなかったことを悔いているんだろうなとは当たりを付け、気にしていないと卿を見送った。
『主、大丈夫か?』
「うん」
陛下やお母様、お姉様お兄様達を別として、自分が歓迎される存在ではないことなどとうに知っている。今は第二皇女であっても元は戦争を吹っ掛けてきたナウェルの王女である。
陛下がどのような根回しをして私を迎え入れてくださったとしてもそれだけは決して消えることはなく、エミリーのときと同じようなことはこれからも起きるのであろうとは理解している。
「早く侍女になってお姉様にお仕えしたい」
『主……』
自分の生きる導として、価値を示すための言葉は切実過ぎたようでソルがごしごしと頭を腕に擦り付けてくる。
『逃げたくなったらいつでも言えよ主。我が何処にだって連れて行ってやるから』
「心強いねそれは」
求めるものは皇女としての地位にあるけれど、それはいつか失うもの。もしも私が本当にサウシェツゥラの王女だったらなんて考えるのは意味のない話だ。
死んでいた自分に与えられている今は過剰なもの、これが本来正しい形なのだと思わなければならないのに何故か少しだけ憂鬱になった。
『ほら主、座れ。あやつが帰ってきたときにとても申し訳なさそうな顔されるぞ』
「うん」
そんな私の心情を共有し、感情を知っているソルは何食わぬ顔をしてソファへと誘導する。気遣う言葉よりも手っ取り早く動かす言葉を知っている友は得難い存在であるなあなんて逸れたことを考えながら浅く腰を据えた。
「戻って来ないね」
『そうだな』
もっふもっふと毛玉を忙しなく撫でまくりアーノルド卿を待つこと暫し。
一向に帰ってこない存在にちょっと不安になってくる。
何かトラブルでもあったのだろうかなんて心配を余所に扉がノックされ、私の返事を待つことはなくそれをは降り注いだ。
『主!』
知らない誰かを出迎えようとソファを立ったところで、ばしゃっと掛けられたのはただの水。汚水でもなんでもなくただの水であるが、それは明らかに害意を持ったものだと理解するのに時間はいらない。
「汚いナウェルの虫が。どうやって陛下に取り入ったのかは知らないがここはお前のいていい場所じゃない」
滴る水滴と浴びせられる罵声、とても懐かしいような気がしてしまう対応にぼうっとしていると、それを怯えと捉えられたのか知らない誰かはヒートアップして私を罵り始める。
「穢れた国の穢れた娘が神聖なる城に住み着きやがって。お前なんぞ野晒しに石を投げ付けられて生きて行くのが全うだろうが!」
『主!!』
知らず知らずのうちに下がる額に伝わった衝撃と、水とは異なるぬるい何か。腕から飛び出して目の前の人間に飛び掛かろうとしたソルを抑え込み、暴れ出しそうな妖精達を宥めて、自分の心も落ち着かせる。
「何も言わねえってことは俺の言ってることが正しいってわかってんだろ?なあ!何とか言えよナウェルのお姫様よお!!」
大丈夫、大丈夫と無言で自分に言い聞かせていたのが気に食わなかったのか、襟元を掴まれて強制的に上を向かされる。
「お前らのせいでどれだけの人間が死んだと思ってやがる!それを一人何食わぬ顔してのうのうと生きてるなんて恥ずかしくないのか!?ああ!!?」
荒い気性を表したかのような赤い髪と眼。怒りに燃えているらしい彼を目の前にしながら、何処か他人事のようにその矛先を受け入れる。
大丈夫、こんなことは慣れている。心を殺して感情を殺して静かにしていれば直に収まると知っているから、私は何も言うことなくただただ眺める。
「このっ……!」
まあ、それが気に入らなかったのだろう。というかそもそも存在自体が許容出来たものではないのだろう。
「サラセリーカ様!」
開けっ放しの扉から駆けて来た卿が見たのは、無抵抗に殴られたずぶ濡れの姿だろうか。ああなんか騒ぎが大きくなりそうだなあなんて放心気味に思いながら、取り押さえられ連れて行かれた人間を見送った。




