薄幸転生侍女と旅路6
ざわざわと背が逆立つのは寒さのせいか、それともこの緊迫した雰囲気のせいか。
ただただ不快な悪寒を堪えるためにソルをぎゅっと抱え込んでじっと同じ方向を見続けていたら、木々の先から微かに声が聞こえて来る。
「なあアニキ、本当にその精霊ってやつがいるんですかいな?」
「間違いねえよ、向こうの方で濃い気配がしてるしこいつらも反応してるだろ」
段々と近付いてくる声に耳を澄まして様子を窺えば、茂みの向こうからそれは現れた。
「おっほら、騒がしくなってるだろ?」
「ホントだ」
先程から嫌に寒いのは、この川のせいではないとその二人組を見た瞬間に悟った。
正確には偉そうに話す男が持つ、得体の知れない何かのせいだと。
「使い道は良くわからんのだがな、どうやらこいつらは仲間の近くに行くと助けを求めてこうやってもやもやすんだよ。それに釣られてやって来る精霊だの妖精だのをまた捕まえて、俺らは儲かるって訳」
「成る程っす」
閉じ込めるような四角いガラスの中、中央に黒く光る石が嵌め込まれる何かを掲げ、透明の中を満たす靄がこの悪寒の正体であること。
そしてそれが妖精さん達を怯えさせ、それなのに救いを求めるような声に一歩踏み出してしまう。
「駄目だ主、動くな」
「でも、」
「お前らも。動いては駄目だ、もうすぐあの童が戻って来るからそれまで待て」
波を立てる足を止めるのは他でもない冷静なソル。周囲の妖精さん達も制止し、川辺にいる二人組を睥睨しつつ卿の消えて行った方向を見やった。
「アニキ、何もいなくないっすか?」
「ああ……川の中にいるとか?お前、ちょっと向こうまで行ってこい」
「人使いが荒いっすよホント」
辺りを見回す男達。付近には誰もいないことを確認して戻るかと思いきやしつこく捜索するらしく、その異様な勘の良さは少しずつ私達の元へ近付いてくる。
「何もねえっすよアニキー」
「何かないか?ちょっと空気が違うとか、何かの壁にぶち当たるとか?」
「うーん」
文句を垂れつつも指示を出す男に従う下っ端は一尋程離れたすぐ目の前にいる。
「あっ?」
お利口に虚空を掻く手が着実に近付いてきて、ソルが臨戦態勢を取ったその瞬間に男が目の前から消えた。
「おーい、何してんだ?」
「足が滑ったっす、寒いっす」
「アホ」
どう見ても不自然に、しかし都合良く斜め前にこけたことで横へと移動した男は悪態を吐かれながらも私達を通り過ぎて更に深くまで川を潜っていった。
「アニキ、何もなかったっす」
「どっかいったのか?こいつはなんかゆらゆらしてっけど、それ以外に何もねえからもういっか。人が来ても面倒だしな」
「寒いっす。戻るっす」
川を渡り切り、向こう岸から戻った男の報告を訝しみながらも面倒臭そうに近付いてくる影を確認してからその二人組は去って行った。
「サラセリーカ様?ソル?」
そうして入れ違いになるように戻って来たアーノルド卿。手に魚の尾を持って姿の見えない私達を探す姿が少しだけ面白いが、生憎と予想外の出来事に笑える余裕を持てずにざぶざぶと岸に戻る。
「卿」
「サラセリーカ様。一体何処へ……っ?」
傍に寄り、周囲にあの変な気配がないことを把握してからソルが結界を解く。突然目の前に現れた私達に驚きながら二人して濡れていることに気が付いた卿が慌てて魚を放り出しマントを脱いで肩に掛けてくれるが、身体は既に凍え切っている。
「何があったのですか?」
止まらないくしゃみと咳を繰り返す私の傍に急いで火を熾してくれる卿だが、そもそも事態を全て理解している訳ではないのでその問いには答えられず代わりにソルを見下ろす。
『あとで説明する。とりあえず主の着替えとタオルを持ってこい、風邪を引く』
「わかりました」
『主は服を脱げ、濡れた服は身体を冷やす。ほら、そのマントで目隠し出来るだろ』
成人男性よりも大きな超大型犬サイズになり私のベッドとなっているソルに顎で使われる卿。
もう体調を崩しているような気もするがここでそう言っても仕方がないのでひとまず言う通りに服を脱ぎ、マントの前を合わせて服が到着するのを待つ。
「お待たせしました、こちらを」
「ありがとうございます」
『ほら童、木が足りないぞ』
「はい」
服を受け取り、再びソルに使われて木々の中に消える卿を見送ってから急いで身体を拭いてから着替える。火の近くに寄って手を翳し暖を取って煙を眺めて、ふと思う。
「焚火してたらさっきの人達に見つからない?」
先程、人目を逃れるために川へ入り込んだのにこうして焚火をしていてはまたあいつらがくるのではないかと。
『童がいれば問題ないから気にするな』
「アーノルド卿が?」
『ああ。死にたくない奴なら態々アイツには近付かない』
「ふうん?」
火に当たる私をぐるりと尾で包み、さっきまでの張り詰めた空気は何処へやらの意呑気な欠伸をしたソル。
『童は血の臭いがするからな』
私にはわからないけれど強者同士何か感じるものがあるのだろうかと勝手に納得していれば、更に理解出来ない感覚を語った。
血の臭い。血の臭いとは言葉通りの意味だろうか。
しかし思い返してもそれっぽい何かを感じたことはないし、何なら時折石鹸の香りがするくらいである。
『主にはわからないさ。出来るのなら一生、知らないでいて欲しいしな』
「うん?」
『ほら、童が戻って来たぞ』
悶々と記憶を辿る背後で感慨深くそう呟やかれた言葉にもっと理解が遠ざかるが、誤魔化すように卿の戻りを告げるソル。
「どうかされましたか?」
枝木を片手に帰って来たアーノルド卿に近付き、何かそれらしき臭いがするかと精一杯鼻を働かせてみるが焚火が香るだけで、あと行動を不審に思われるだけだった。
「ソルが、卿は血の臭いがすると言うので。そんなことないのになと」
申し開きを行い、その訳に目を瞬かせた後に卿は小さく微笑む。
「サラセリーカ様はまだ、知らなくて良いことかと。そして出来れば一生、存じぬままでいて欲しいものです」
同じ言葉を返す保護者二人。故にそれが良い感覚ではないのだろうと察すると同時に少し、選択肢が狭まってしまった。
「さ、サラセリーカ様、ソル。お身体が温まったのなら川に入った理由をお聞かせくださいな」
話題を切り上げるように逸らされた話。気を遣って説明をしないというのなら今はこの話を掘り返すべきではないだろうと、私はソルを振り返ってあの二人組について尋ねた。




