薄幸転生侍女と旅路2
「……ソル?」
「ああ主、我だ」
のびのびと足を伸ばしてストレッチをしているソルを呼べば、確かに反応する。
「これが結界ですか?失われた精霊術にこういった術があるとは知っていましたが、本当にこの目で見ることが出来るとは」
様子の違う、気配も違うソルにただただ戸惑う私と、自分達を囲う半透明の結界をこつこつ叩いては興味深そうにしているアーノルド卿。
「そういう訳だからお前も休め。ほら主、行くぞ」
「う、うん……卿、行きましょう」
「かしこまりました」
心なしか銀色の毛並みが発光しているソルに連れられて私と卿は馬車に乗り込み、互いにケルトを掛けてソファへ横になる。
「おやすみなさいませ、サラセリーカ様」
「おやすみなさい……」
今のソファの配置上、必然的に卿と向かい合いながら眠ることになるためかち合った視線から就寝の挨拶を告げられて、藍色の眼が見えなくなった。
卿と同じ空間で眠るのは私がナウェルから連れられて来て最初に訪れた宿屋以来。つまりあのときも彼は休憩はしているとも寝ずに馬車を駆けさせていたという訳だが、体調を崩し意識がほぼ飛んでいた私はそのことに気が付いていなかった。
「……」
もう発光していないソルを抱き締め、眠る、というより恐らく目を閉じているだけの卿を眺めて思うのは、何故ここまでしてくれるのであろう、ということと、いずれ訪れるその先のこと。
前者に関しては彼が護衛騎士だからと言ってしまえばそれまでだけど、卿の言葉の端々には確かに私を気遣う心がある。
私を嫌う、お城の人間とは違って。
その視線は特にこの間対面した騎士団長さんや、時折擦れ違う筆頭メイド長さんや執事長さん、お城に長く勤めている方に程顕著で、特にお母様とお姉様と同じ空間にいることを不快そうに見られていることが多い。
しかし卿は、薄汚かった私を蹴る訳でも殴る訳でも詰る訳でもなくサウシェツゥラへと連れて来てくれて、かつ陛下のご命令とはいえこうして護衛騎士の任を受け持ってくれている。
それは本当に心の底から、ありがたいと思っている。
もしも卿がいなかったらこんな風にナウェルへ向かうことは出来なかっただろうし、最初の頃に出会った講師のように鬱陶しそうな視線だけでは留まらなかっただろうし、ソルを見つけることもなかっただろうから。
「サラセリーカ様、視線が痛いです。どうかされたのですか?」
じいっと、穴が開きそうなくらい凝視しながら感謝を抱いていれば、それに耐え兼ねる卿が目を開けてやめてくれと遠回しに訴え掛けてきた。
「感謝の念を送っていただけです」
「それにしては随分と長く見られていたような気もしますが?」
「いえ」
「サラセリーカ様?」
眺めていたことを開き直るも、聡い卿にはそれだけではないと勘付かれているようでそれだけでは納得してもらえない。
感謝していることは嘘ではないしそれだけで良いじゃないかと見つめ返すが、反対に逸らされない眼に逃げ道がなくなった。
「……当然のことですけれど、王女ではなくなったらアーノルド卿は傍からいなくなるんだなって、思っていただけです」
こうなったら卿は意地でも見逃してくれないと知っているので、観念した私は思っていたことのもう一つを素直に吐く。
ほう、と困惑とも感嘆とも言えない曖昧な返しに何とも気恥ずかしくなったから、ソルに顔を埋めてその感情から逃れるというのに卿は逃がしてはくれない。
「サラセリーカ様は将来陛下にお仕えするべく手始めにカトリーナ様の侍女になられるとはお伺いしておりましたが、完全に皇籍を消されるのですか?」
「そのつもりです。この間正当な後継者であるお兄様に要らぬ気苦労をお掛けしてしまったことですし、私の存在は何かと厄介で都合の良いモノでしょうから」
もぞもぞと息をするためのスペースをソルの背中で作り、変わることのない目的に首肯。
「しかし、私と離れるのが寂しいと?」
「ええ、そうですよ」
卿にしては珍しく、からかうような口調と言葉に食い気味に噛み付いて答える。気が合い、傍にいても不快ではなく、寧ろ心地好いと思える存在である卿が離れて行ってしまうのは寂しい。
今でさえ先のことを考えてそう思うのだから、数年後にはこの感情はもっと強くなることだろう。
「その割には、サラセリーカ様は私に隠し事が多くはありませんか?」
一体いつからこんな風に考えるようになってしまったのかと諦めの溜め息を吐いて再びソルにぐりぐりしていれば、卿がソファから下りてこちらの来るのを察する。
離れるのが寂しいことと隠し事をするのと一体何が関係あるのだ、と思って顔を上げれば、想像よりも近くにいた卿にびっくりしつつ起き上がって彼を見上げた。
「離れたくないと思ってくださるのなら、それ以上にもっと距離を縮めれば良いだけではないですか?サラセリーカ様がお望みであれば、主従の関係ではなく普通の知り合いとして以降も友好を深めることは可能だと思うのですが」
「皇女でなくなる私に、そんな価値があると?」
膝を折り、目線の高さを同じにしてから心底不可思議そうな顔をして私を見据える卿。
それが偽りの言葉ではないと察せるくらいの付き合いはあるからこそ、自分の零れ落ちた言葉を取り返すように口元を押さえた。
「サラセリーカ様は何故そのように御自身を卑下なさるのでしょう?」
案の定、私の失言に少し眉を寄せる卿。これが卑下でも何でもなくただの事実であると言ったら本当に叱られそうだなあと沈黙を守る。
「貴女は、初めにお会いしたときからそうでしたよね。痩けた身体で私達を見上げる眼に期待なんてものはなくて、抱き上げたときも申し訳なさそうな顔をしていて、無理矢理押し付けるようにしなければ御自身のしたいことすらも口になさらなかった。今はソルがいてくれるお陰か、幾分も言葉にしてくださることも増えたとは思いますが」
逃げたい気配を察しつつも、一切ソルが口を挟むことなく静観している辺り助けを求めることは不可能だと知る私はそのまま卿の言葉を聞く。
「以前、パウロが零しておりました。サラセリーカ様は何かに追われるように……怯えるように、知識を詰め込んでいると」
しかし突然の鋭い指摘にぴくりと指が震え、それを見逃してくれる雰囲気ではないことにただただ息苦しくなりながらも卿は続けた。
「怖いのですか?」
そしてはっきりと、私が絶対に口に出してこなかった感情を当てられて息が詰まる。
「皇女ではなくなり、自分の居場所がなくなることが。必要とされなくなることが怖いから、捨てられないよう優秀であろうとするのですか?皇女ではない、地位を持たない自分では何の価値もないからと?」
アーノルド卿の声は、決して責めるようなものではない。寧ろ傍で寄り添おうとしてくれるような柔らかい、穏やかなもの。
「主」
頑なに沈黙を呈する私に痺れを切らすのはずっと腕の中に納まって様子見をしていたソル。
するりと腕の中から抜け出されて拠り所を失った私を二人はじっと待ってくれているが、私は顔を上げられない。
何のバリケードもなく卿の眼を見たら、何一つの言い訳もなくその言葉を認めてしまったら、心情を吐露するだろうと理解しているから。
「……申し訳ございません、踏み込み過ぎましたね。やはり私は外で休んで参りますね」
卿は何一つ悪くないのに、何も答えない私に罪悪感を覚えて荷台から降りていくがそれを引き留めることも出来ず、俯いたままの私を慰めるようにソルは肉球で頭を叩く。
「主」
泣かないでくれと、頬を鼻で突かれるけれど私は泣いていない。
だから泣いていないと返して、ソルを胸に抱いて横になる。
そうしたら何故か、先程までなかったはずの眠気が一気に襲ってきて、強いそれに抗う手段もなく意識を手放した。
「……おやすみ、主。せめてこの場所でだけでも、安らかな夢を見られるように」




