薄幸転生侍女の立場
「違います!」
ぺしんっと私の近くを鞭がしなる。侍女として仕えるようになるまでに覚えることが山程あって、何より私の身体が着いていかない。
ここへ来て一週間。少しずつ付いてきたはずの体力もマナーレッスンの前では見る影もない。つらい。
三十分練習するだけで足がぷるぷるし、姿勢が保てなくなる。そうするとさっきみたいに鞭が飛んでくる。こわい。
「姫様はもうこんなことはとっくに出来るようになっていますよ!」
多分、この指導係の女性は私のことが嫌いなんだと思う。言葉の端から滲み出る嫌悪が、私を見るその眼が、何よりの証拠だろう。
「何度言ったらわかるんです!?」
「いっ!?」
ついに、その鞭が私を捉える。久方ぶりに感じたその慣れた痛みに、私は当たったところを押さえる。
「一度で出来ないからそうなるんですよ!」
何故か誇らしげにそう言い放った指導係に、私は酷い諦めを覚えた。
ああ、何処に行ってもこういうヤツは存在するのだと。
「その目はなんです!?」
そんな私が気に入らなかったのか、もう一度鞭を振るう指導係の人。私は避けることも、身を庇うこともせず、ただ突っ立ってそれを受けた。
服が裂ける。皮膚の裂ける感覚。ああ、この程度なら大したことないと客観的に受け止めれば、指導係の人はとても気持ち悪いものを見るような目で、私を見る。
「何をしているのです?」
と練習場のホールに響く声に、私は振り向く。
「お母様」
何も、私は侍女を目指すからと言って養女になった事実が消えた訳ではない。私は変わらず、一応第二王女なのだ。
「その穢らわしい口で王妃様をお呼びするんじゃありません!」
とまた打たれるのは摂理であるか。
「…………何をしているのです?」
一切の抵抗をしない私と、一方的に鞭で叱る大人とでは、お母様の目に映る印象はきっと私の思う通りだろう。
そっと私の傍に寄り、肩を抱いてくれる。
「貴女にサラの教育をお願いしたのは失敗だったようね。今から外れて頂戴」
とても静かな声で、お母様は目の前の指導係は引導を渡す。
何故か私を睨む指導係を無視してお母様は私の手を引き、練習場のホールを後にした。
「サラ、ごめんなさい」
ホールを出て暫く歩き、人気のない場所でお母様は私にそう謝る。
「謝らないでください、お母様。あの方の反応が一般的だと、わかっています」
俯くお母様の手を取り、悪いのは自分だと告げる。
隔離されていたとはいえ、私は隣国の王女だった。そんな存在が今度は大国の王女になるなど、昔ながらの人間には理解出来ないことだろう。
「サラ……」
そう開き直った私に、お母様は何故かとても悲しそうな目をした。そして真っ白な髪を優しい手付きで撫でてくれる。
「お母様?」
何故そんな顔で私を見るのだろうか。
まるで私ではない誰かを通して見ているようだ。
「サラ。貴女の教育係、わたくしが受け持ちましょう」
そして、お母様自ら教育係を申し出てくれた。
「…………よろしいのですか?」
王妃であるお母様は忙しい。それなのに私なんかに時間を割いてくれるなんて女神か。
「ええ」
先程までの悲しそうな顔はなくなって、お母様はとても美しく微笑んだ。
「お母様。よろしくお願いします」
一歩離れ、私はお母様に指導を乞うことにした。こうして私は新たな教育係を付けて頂くことになりました。
…………お母様がホールに近付いてきていたから大人しく鞭で打たれたのは、秘密です。
「いい?サラ。ここの花とこの花とこの植物が姉のカトリーナが好きなものよ。覚えておきなさい」
「はい、お母様」
ぱっと見一緒にしか見えない花を、懸命に覚えようと努力する。因みに最後のなんか可愛らしいサボテンみたいな植物も記憶しておく。
いや、もう歩いただけで忘れそうだ。
「暫くは庭園の植物を覚えながら体力作りをしましょう」
というお母様の指導方針の元、私は庭園を散歩しつつ数百種類、下手したら数千種類あるだろう植物を主にお姉様、お母様が好きなものから覚えていくという教育が始まった。
既に半分忘れかけているが、これはそもそも前世でも全く興味がなかったジャンルだったから覚えが悪いのも致し方ない。努力あるのみ。
「サラ、これはなんだっけ?」
「お姉様が好きなお花です」
「そうね、名前は?」
「…………い、いのせんか?」
「良く覚えてたわね。そう、イノセンカ。カトリーナが一番好きな花よ」
何回か繰り返していれば、お姉様とお母様が好きだという花は覚えられた。他は全く見分けが付かないけれど。
「そろそろ戻りましょうか」
「はい」
数時間の散歩を終え、収穫はお姉様とお母様の好きな花を覚えただけという怪しい幸先。
視界をカラフルに埋めつくす植物の数々を無事に覚えられるのかと若干気が遠くなり、私は考えないことにした。
「サラ。カトリーナが会いたいって行ってたから会わせようと思うの」
「はい、私もお姉様に会えるのを楽しみにしていました」
「そう。それなら、夕食後に会ってみましょうか」
「はい!」
漸くお姉様との対面だ。多分私が寝込んでいる間に来てくれたのがお姉様だと思うけど、それでも意識があるうちに会うのは初めてだから心が踊る。
前世の私の姉は糞みたいな存在だったけど、こんな女神が育てた娘様ならとても仲良くしたい。私の将来の就職先だし(未定)。
「サラ!!わたしカトリーナ!よろしくね!!」
さて、とても美味しい夕食を食べ終えた私を抱擁で出迎えるのは、多分お姉様だ。
「お姉様?」
「そうよ!」
陛下譲りの美しい銀髪とお母様譲りの澄んだ新緑の双眸。顔立ちはお母様の血が強いのか優しげな目元で、桜色の唇が可愛らしい。
「ずっと妹が欲しかったのよ~」
すりすりすりとまるでペットか何かの扱いな気がしないでもないけれど、なんだか微笑ましいのでされるがままになる。
「カトリーナ、その辺になさい」
思いの外強かったお姉様の抱擁に息が出来なくて、意識が飛び掛けていたのを見かねたお母様から制止が入る。
「ご、ごめんサラ!」
ぱっと離れ、ぺたぺたと私に異状がないかを確認するお姉様。微笑ましい。
「カトリーナ。貴女ももう八つになるのだから、もう少し落ち着いて行動なさい。人前では完璧なのに何故身内の前だとそんなになってしまうのですか」
お姉様は私の三つ上だったらしい。成る程、通りで目線が高いと思った。私が小さいだけではなかったんだな。
そしてお母様から叱られたお姉様はつーんと口を尖らせて、ぷいっと私の後ろに隠れた。何故だ。
「カトリーナ!」
当然お姉様よりずっと小さい私に隠れられる訳もなく、お母様に引き摺り出されていた。
「いいじゃない、妹の前くらい!」
それでもお姉様には未だ反省の色が見えない。あかんお姉様、お母様の目が釣り上がってるよ。
「カトリーナ!!」
「おかあさま!」
お母様と私が声を上げたタイミングは一緒だった。それでもお母様はさっきの般若の顔をしまい、私を見つめる。
「お母様、私もお姉様とお話したいです。だめですか?」
無垢な幼女の眼差し!
これにはお母様にも効いたようで、はあ、と大きな溜め息を吐いてからお茶の支度をするようお母様付きの侍女に指示を始めた。
「カトリーナ。貴女は後でお説教ですからね」
しかし、釘を刺すことは忘れなかったお母様。大袈裟なくらい肩が跳ねていたお姉様だったけど、なんだか嬉しそうにも見えるのできっと問題はないでしょう。
「ねえサラ、どうして私の侍女になるの?」
「陛下……お父様の下で働きたいからです」
茶席が整い、お母様とお姉様の真似をして私も紅茶を飲んでみる。めっちゃ美味しい。
そんな風に和んでいた私へお姉様が至極当然に疑問に思うであろうことを問い掛けたので、私は目的を話す。
「どうしてお父様の下で働きたいの?」
「…………何故でしょうね?」
クッキーへ手を伸ばし、お姉様が頬張る。お母様にはしたないと怒られる。そしてふて腐れたように私へ質問する。
苦笑いを浮かべつつ私は首を傾げ、その問いには答えを持たないから適当にはぐらかす。
お姉様は納得してるようなしていないような曖昧な顔で私を見つめるも、私が何も言わないからか諦めたように次のクッキーを頬張る。
お母様も諦めていた。
楽しい話題にはならないと察したお姉様がその話題に触れることは以降なく、その後は少女らしい話題に切り替わって行く。
「公爵家のエミリーと遊ぶのはね、とても楽しいのよ!サラも今度一緒に遊びましょう?」
私が誰だか把握しやすいように何処の家の令嬢なのかを教えてくれるお姉様の気遣いは天性だろうか。
「サラ?」
そんな的外れなことを考えていればお姉様に顔を覗かれていた。
「サラはとても綺麗な金の眼ね!お日様みたいな色をしているわ」
そして何故か、自国では忌み嫌われていた目の色を褒められた。こうやって話が飛び飛びになるのは少女らしい。気遣いは恐らく、天性のものなのだろう。
「わたしはねえ、お母様の色なの!サラはどちらに似たのかな?」
多分、こうやって悪気なく聞いてくるのも、彼女が事情を知らないから。はて、それなら私の扱いは一体何処まで伝わっているのだろうか。
「カトリーナ、そんな勢いで聞いていたらサラも答えられないわよ」
再び考えごとをして押し黙った私に、お母様が救いの手を差し伸べてくれた。
そんなお母様へぶうぶう反論するお姉様だから、結局この話は流れる。
私はどちら似でもないからこそ隔離されていたんだとは八歳の少女には告げられない。ちょっと大人の事情が重すぎる。
「サラ!今日は一緒に寝ましょ!」
「良いわね、それ」
お母様とやり合って満足したのか、お姉様が唐突な提案を持ち出した。それに何故か、お母様も便乗した。
「決まりね!お風呂が終わったらサラの部屋に来るから!」
じゃあねーと風のように去っていったお姉様。お風呂は一緒の浴場であるから一緒に行けば良いような気がしたけど、そもそも私は一緒に入れない身体だった。
「サラは部屋のお風呂にしましょうね」
「はい」
お母様はそうなんでもないように言うけど、やっぱり目はとても悲しそうだ。
私はそれに気が付かないフリをして、一人でお風呂に入ることにした。
ここへ来た初日に使い方を教えてもらったから、これくらいなら一人で出来ると我を通して一人にしてもらっている。
私に侍女は存在しないから、入れてもらうとなると空いているメイドさんに手伝ってもらうことになる。女将さんの時に思ってしまったが、それは毎回私の背中を晒さなければならない訳で、私としてはその度に哀れまれるような目で見られるのが嫌なのだ。
お母様はそんな私を察してか一人で入れるようにとメイドさんに言付けてくれている。ありがたや。
身体を湯に沈められる幸せに浸り、きちんと温まってから出る。
髪を乾かすような器具は存在しないから、これはメイドさんに手伝ってもらってパタパタタオルで水分を吸収してもらう。あとは自然乾燥。
「サラ!」
私と同じような状態のお姉様がやって来た。
「カトリーナ、走らないの」
その後に、お母様も来てくれる。三人、大小あるものの同じ姿がおかしくて、わたしは笑う。
「サラ、笑ってた方が可愛いよ」
「そうね、サラは笑顔が似合うわ」
と、褒めちぎられた。私はそれを受け流す術を持たなかったので、ベッドに、逃げることにする。
そしてそれから眠るまでの時間、とても楽しい一時を過ごしたのだった。