薄幸転生侍女と真白の花
「おはようございますサラセリーカ様。少しは顔色、良くなられました……ね?」
「はい、おはようございますアーノルド卿。支度しますね」
入室し、既に起きている私を発見した卿が違和感を覚える前に背を向け、誤魔化すように既に終わっていた身支度をもう一度行う。
「陛下から言付けを賜っております。起床後、軽く食事を取ってから執務室へと来るように、とのことです」
カーテンを開け、私へ視線を配らないようにしてくれている卿に頷き間もなく届けられるであろう昼食を食すために再びソファへと移動。
直にテーブルへと並べられた軽食をアーノルド卿と食し、部屋を出て陛下のいらっしゃる執務室へと向かう。
「おはようサラ、おいで」
「おはようございます陛下、只今」
ノックの後、入室の許可と共に挨拶のお言葉で出迎えて下さった陛下へ礼を取り、お言葉の通りに椅子へと腰掛ける陛下のお傍へと寄る。
「サラ。枯れない花を知っているか?」
「……申し訳ありません、勉強不足です」
「気にすることはない。御伽噺程度の、一般の者には馴染みのない現象故にその花を取り上げた本も少ないからな」
綺麗に整理された机の上、とても興味の惹かれる花について話しながら、恐らくそれについて書かれていると思われる本を一冊開かれる陛下。
「これだ。真白の花弁が美しい花で、一定の地域にしか咲くことのない花。特殊な性質故に摘んでも暫く枯れない花として元より観賞用としての希少価値も高いが、とある方法を使うと永遠に枯れることのない花になる……サラ?」
「サラセリーカ様?」
陛下が開かれたそのページ、そこに描かれるその花を、私はただ見ていた。
『ラッディ、と呼ばれる花です。この辺りにしか咲かないのですが真白の花弁がとても美しく、こうして摘んでも暫くは枯れないことから観賞用としても、贈り物としても好まれる花なのです』
『大体一月、持ちます。一月経てば萎れてしまうのですが、それを復活させる方法もあるんです。……ふふ、それは一月後に一緒にやってみましょう』
『ごめんなさい……ごめんなさい、わたしの……』
あの真白が塗り潰されていったときのように、視界は滲む。
黒く、赤く、朽ちてこびりつく消えない色。垂れる銀、昏い眼、冷えた身体。
一瞬にして駆け巡る過去は、隠せても未だなかったことには出来ないその記憶は、いつだってそこで途切れている。
跡形もなく消えた彼女の躯も、痕跡すらなくなった地下牢も、怯えるようにこちらを見つめていた看守達の眼の理由すら、わからないまま。
「サラ」
「……へいか?」
「ううん、僕だよ」
ああ夢かと目を開けたその先、ぼやけても耀く顔を覗き込んだ赤い目とかち合う。
「サラは本当に陛下が好きだね。僕が陛下に見えるの?」
「……見えた」
霞む視界を鮮明にするためにぱしぱしと目を何度か瞬き、軽口を叩くイルには素直に頷く。
陛下、ソル、イルはみんな赤に属する眼の色だけれど、それぞれ違う彩度に彩られているから眼だけ見たとしてと間違わない自信がある。
しかし、願望を表すようなタイミングで反射的に出たその方。
何と恐れ多い欲を持っているのかと溜め息を吐きながらイルを見れば、久し振りに会う彼は少しだけ背が伸びている気がした。
「サラのパーティ以来だね、会うの。いつもはカトリーナが僕を呼んでくれるけど最近は彼女も自分のパーティで忙しないみたいだから、中々来れなくってね」
水差しから注ぐ水、綺麗な弧を描きながら注いでくれた水を受け取り喉を潤せば、はっとしてイルを振り返る。
「待って、私そもそもなんで自室にいるの?」
「倒れたんだって」
『うむ』
意識を失う前の記憶によれば、私はお姉様へプレゼントを渡すために陛下のお力を借りて製作をする予定だった。
しかし、そのプレゼントというのがラッディと呼ばれる純白の花で、それが描かれていた本を見つめていたらここにいた。
『いきなりばたーんと倒れてあの護衛が大層焦っていたぞ。危うく主を地面に付けるところだったな』
「……陛下へ謝罪した後、卿にも謝罪しよう」
「で、さっきまでアーノルドもいたんだけど今は陛下に呼び出されて留守。代わりに僕が呼ばれてサラが丁度起きたってとこ」
淡々と語られるその後のことに深い溜め息を吐き状況を吞み込んだ私はベッドから下りるべく布団を捲る。
「何処に行くの?」
「……ソファ」
「そっか、それなら良いんだけど」
陛下とアーノルド卿へ謝罪しに行く、という言葉は受け入れてくれなさそうなイルの顔を見て、私は行く先をすぐ傍のソファに変更。
そうしてイルと二人久し振りに談笑をしていれば、静かに扉が開いて音一つなく卿が入室してソファに座る私を見つけた。
「サラセリーカ様、お目覚めでしたか」
「はい、ご迷惑をお掛けしました」
「そのようなこと仰らないでください、主の調子が悪いことに気が付けなかった私の失態です」
近くへ来てくれる卿の傍に私も寄り、迷惑を掛けたことを謝罪すれば逆に畏まられてしまう。
「……体調が優れなかった訳では、ないのですが」
このまま倒れた理由を話さなければ卿は一人で自分を戒めてしまうだろうと考え、私はぽつりとそう口にする。
「では……あの花に、何か?」
夢見が悪かったとはいえ、休息は取った。睡眠不足でも、栄養不足でもないならば思い当たる節は一つしかなくて、私は卿の問いに無言で返事を示す。
「花って?」
「こちらでございます」
「ラッディ?……ああ、うん、もう良いよ」
訳を知る卿と違って何も知らないイルが疑問を提示すれば、卿は何処からか先程見た本を取り出して私に見えないようにそのページを開く。
サウシェツゥラには咲かず、近場で咲くのは隣国のナウェルがあった場所。
恐らくそれを知るイルはその事実だけで事態を察し、私にもその先を問うことはなかった。
「……乳母が、摘んで来てくれたことのある花なの」
だから私は敢えて、その先を口にした。
「わたしの、誕生日に。元々枯れにくい花だけど、とある方法を使えばずっと咲き続ける花だと言って……地下に、飾ってくれたのよ」
この生い立ちを、隠したい訳でも晒したい訳でもない。
ならば毎回このように曖昧にしていた結果二人に気を遣わせてしまうくらいならば伝えておいた方が良いだろうと思って述べた言葉は、案外震えていた。
「……枯れてしまった、けれどね?」
乳母が亡くなったことは、態々言うことではない。だからそう濁して二人に伝えたのだが、何故か二人は堪えるように私を見ている。
「そんな悲しそうな顔で繕ったって意味がないよ、サラ」
歪む赤い眼が、私を見つめる。
その中に移る自分をぼうっと見つめ返して、悲しいのだろうかと首を傾げる。
だって、感情が乱れていたってそれが妖精さん達に伝わらないようにちゃんと力のコントロールは出来ているし、何より涙は流れない。
悲しい、で使う感情はきっとあのときに全て置いてきてしまったから、もう、残っていないはずなのだ。
「……僕は、戻るよ。またね、サラ」
「うん、また」
イルの言葉に何も返せないままずっと佇んでいれば、ふっと視線を逸らして部屋を出ていく姿。
「アーノルド卿」
「はい、サラセリーカ様」
イルが消えて行った扉の向こうを眺め続けて、そのまま卿を呼ぶ。
流石というべきか、もう既にいつも通りの声音で答えてくれるを卿を見上げればすぐ傍に控えて傅くその背。
「お墓参りに、行きたいです」
「承知致しました」
そして唐突もない要望にさえ彼は頷き、私の手を取った。




