薄幸転生侍女と羨望
「サラセリーカ様…………失礼しますね」
とぼとぼ短い足で進んで、一切呼び掛けに応じない私がよっぽど変に映ったのか、アーノルド卿に後ろから抱き上げられて歩行を阻止されるという強行策を取られてしまった。
「どうなされたのですか?」
脇から手を差し込まれ、まるで首元を捕まれて拾われて来た野良猫のようにだらりと垂れる身体は沈黙を貫く。
「庭園の方へ参りましょう。よろしいですか?」
怒る訳でも、諭す訳でもなさそうな卿の声はただ凪いでいた。
そんな彼の提案にうんともすんとも言わない私の沈黙を肯定と取った卿は、腕に私を抱え直して庭園へと運ぶ。
「…………アーノルド卿、背高いですね」
道中、擦れ違う人々から一瞬の突き刺さる視線を受け流す卿の腕から眺める景色は物珍しくて、ただそんな感想が溢れた。
「サラセリーカ様はお会いした頃から少し華奢過ぎますよ。もっとお食事を召し上がられてください」
低く、張りのない私の言葉さえもきっちり拾って、何事もなかったかのように対応してくれるアーノルド卿。
そのまま私が押し黙っても追撃のお小言さえも掛けず、ただ私が望むときだけ言葉を返してくれるその気遣いに申し訳ないと思いながらも私は運ばれ続け、庭園へと踏み入れた。
「……?」
「どうされました?」
一瞬、見間違いかと閉じた瞳は、すぐに開く。それでも、何一つ変わらない己の視界を埋め尽くす不可思議に首を傾げていれば、そんな私を鋭く捕らえた卿が何か辺りに異変があるのかと警戒する。
「……庭園は、いつも通りですか?」
「はい。何一つ、変わってなどいませんよ」
おかしな私の質問を疑うことなく、ただ求められたことを返してくれる卿の答えを聞いて、おかしいのは自分の眼だと悟る。
「サラセリーカ様には何が見えてらっしゃるのですか?」
何か、この眼でしか見えないものを見ているのだろうと察した卿に、何と説明すれば良いのかを迷う。
「草木が……大気が、淡く発光しているんです」
「発光、ですか?」
「はい」
今、自分の眼に映る景色は、いつかイルとかくれんぼをしているときに紛れ込んでしまった際に見たあちら側の景色。
ふわふわ光を帯びて発光する草木の緑色、優しく煌めいて靄のように霞み掛かる大気、それを包み込むように天から差す陽のベール。
いくつもいくつも光の層が重なっているのに、一切目に痛くなくて寧ろ心地好いと感じる程の景色を、どう説明すれば伝わるだろうか。
『説明したって理解出来んだろう。この現象は、精霊に属するモノしか見えないからな』
「……ソル?」
「サラセリーカ様の子ですね」
ひとまず一応大丈夫だと判断したのか、アーノルド卿はいつの間にか傍に来ていたソルの近くへ私を下ろしてくれた。
『主の意志が不安定になって、精霊の力が強くなったせいだろう。よりこちら側に近付いているから、精霊界と人間界を繋ぐここの庭の景色がそう見える』
「……精霊の、ちから?というか精霊界と人間界を繋ぐって一体どういう……」
「サラセリーカ様?」
くああ、と大きな欠伸をして私の足元に寄りながらそう説明してくれたソルの言葉に突っ込みたいことは色々あった。けれど、近くにアーノルド卿がいるのにも関わらず見た目犬のソルに話し掛けるなんてことは出来ない私は今しがたの言葉を誤魔化すように交互に卿とソルを見つめる。
「もしやその犬とは会話が出来るのですか?」
「えっと……」
しかし既にソルヘ問い掛けたことは聞かれていたようで、あっさりとそう尋ねられた。
「あ、大丈夫ですよ。陛下も人語を理解し、意思の疎通が出来る精霊を近くに置いていらっしゃるそうですから」
「え?」
しどろもどろにどう対応するかを迷っていた私へあっけらかんと言い放ったとアーノルド卿は、ぽかんと見上げる私を見て優しく微笑む。
「私には勿論見えてはおりませんが、執務室や自室等では会話をされておりますよ。ご自身もサラセリーカ様と同じように人目があるところでは憚れるようで控えておられますが」
「……陛下、が」
「はい。サラセリーカ様が精霊と聞かれたくないことをお話されているのであれば私は席を外しますし、そうでないのであればお傍に置かせて頂ければと」
そう、諭すように穏やかな声音で寄り添うようにしゃがみ、私と目線を合わせてくれるアーノルド卿の言葉に嘘は見えない。
出会った頃の、薄汚れていた頃の私を知っているが故の憐れみかもしれないけれど。
『……主』
「うん……」
ソルの首元を胸に抱え込んで、ぎゅっと締めれば文句よりも心配の方が強そうな声が聞こえてくる。こくりと頷き、意を決してアーノルド卿へと向き直れば、彼は変わらず柔和な笑みを浮かべて私の言葉を待っていた。
「ここのお庭が、人間界と精霊界を繋ぐ場所なんだそうです。それに加え、今の私は精霊と同化しかけているからこの景色が見えるのだろう、と」
「……同化、ですか?精霊と?」
そんな彼にソルとの会話を説明してみると流石の卿もそれは想像していなかったことのようで、そういえばそもそも精霊紋が眼にあることも伝えていなくて、そうなった仮定も告げていなかったことに気が付いた私は今日までに起きた不思議な出来事をアーノルド卿に話した。
「成る程。イルツヴェット様とかくれんぼをしていたときに初めて迷い込み、私の元へハンカチを届けて下さろうとした際に東西を間違えて幽閉棟の元で瀕死のソルを拾って、助けるために再び中庭で精霊達と触れ合うことに。そうして元気になったイルと獣魔の契約を結ぼうとしたら精霊界へと誘われ、そこで精霊紋を頂く、と。
しかし未だ立場のお決まりにならないサラセリーカ様が精霊紋を刻んではいてはややこしくなるだろうと陛下が瞳に隠蔽の魔術を掛けてくれたものの、精霊界から戻って以来身体に知らない力が流れていて、その力はサラセリーカ様のおこころが乱れたときに強くなる。その状態は、ソル曰く精霊と同化しかけているのだと」
「はい、そんな感じです」
途中かいつまんだものの、おおよその流れとしたは正しいことをおさらいしてくれたアーノルド卿は、自分の中で物事を整理するためか一度口をつぐみ、顎に手を当てて何かを考え込んだ。
「……心当たりがあります。先程もそうでしたが、先日サラセリーカ様にお勉強禁止令のことをお伝えしたとき、確かに貴女様から陛下と近しい感覚を得ました。ほんの小さな違和感で、当初は勘違いかとも思いましたが、精霊に近しい銀狼の血族がこの感覚を精霊の力だと言うのであれば確かなのでしょう」
「陛下と、近しい……」
『ああ。あれは光の女神の祝福を受けて、精霊に好かれやすいからな。そもそも主を見つけたきっかけだって……』
アーノルド卿の言葉を受けてか、ふと何かを思い出したように言葉の途絶えたソルを不審に思って視線を下げれば、その途中には美しい銀髪を靡かせた陛下がいた。
「何をしている?」
「陛下」
長い脚を優雅に運んで、確実に一歩一歩渡り廊下からこちらへ歩み寄ってくる陛下をただじっと見つめながら現状を説明するかどうかを惑う。
「力が乱れた痕跡があるな。何があった?」
私の前に立ち、すっと振り翳られた手は頭の上に乗って優しく左右に動いたその手は、いつものように冷たい。
「……陛下」
慣れた感覚に、体温に、感化されるようにまた消え掛けた感情がずるりと這い上がるから、私はつい内心を吐いてしまう。
「寂しく、なったのかもしれません」
「寂しい?」
ぴたりと手が止め、怪訝そうに見やる陛下の眼差しが後ろめたくて私は視線を落とす。
「サラ?」
「その……わたしには、ないから」
けれども、幼子をあやすように柔い口調で語り掛けてくれる陛下を無下にするのも気が引けてしまって、私はもごもごと口ごもりながら、それを声に出してしまった。
「今も、昔も。……わたしには、何もないし、残らないから」
そうぽつりと溢したわたしは、情けなくなってまた陛下を見れなくなってしまった。
『家族』というものに、憧れがあった。
それは自分が一度も手にしたことのないもので、一番渇望したもの。
周りの人間がその存在を口にする度に、それは一体どんなものなのだろうと想像しては虚しくなって、やり直せると思っていたこの生でもそれは手に入らなかったもの。
だから、最初から何も知らなければきっとそのまんま虚しくなっても割り切れて、生きて行けたと思う。どうせ五つで死ぬ運命だったから。
けれどこの場所に来て、いつだって人に囲まれては微笑むお姉様と、理想を詰め込んだような美しくて優しくてあたたかいお母様を知ってしまった。
そんな綺麗な人達に触れる度に自分が場違いだと思い知るのに、いずれなくしてしまうことを選択した癖に、捨てきれない羨望が強く、残る。
「……」
それならいっそ、あのときあのまま死んでしまえば良かった。
そんな言葉は何とかざりざりした感情と共に呑み込んで、ただ代わりに唇を噛んだ。
「サラ」
鈍く痛む唇と、久方振りに感じた慣れた味に顔をしかめたところで、陛下の手が頬に触れる。
「おいで」
そして目尻を拭うその指が、からりと乾いた風が頬をなぞったとき。
私は、漸く自分が泣いているのだということを知った。
「アーノルド。その犬を連れて部屋に戻っておいてくれ。私はサラと話をしてくる」
「承知しました」
『主』
情けなくも陛下になされるがまま腕に抱えられ、どうしてこんなにも感情のコントロールが効かないのかと頭の片隅で疑問に思う。
急転する感情に疲れながらただ陛下に抱えられて、二人に見送られて私は何処かへと移動した。




