薄幸転生侍女と使命
「め?」
赤い彼の眼は、とても綺麗であるけど。
多分そういう意味ではないだろうからひとまずソファから立ち上がり、部屋に備え付けられているドレッサーへと向かう。
「……どうしたんだろうね?」
鏡台に映るのは見慣れた自分の姿。まだまだ不健康そうななりではあるものの、少しだけ子供らしくなってきた顔と体。生国で供物として死んでいく役目を担うことになった真っ白な髪に誰も持たぬ金の眼。全てが見慣れたものであるが、その中に一つだけ見知らぬものがあった。
「精霊紋」
別に少女漫画のヒロインのようにおめめが顔の半分を占めるというような造りはしていないが、ぱっちりと開いた金の眼の中に浮かぶ紋章は平均的な目の大きさである私の顔でも目立った。
女神が持つという一杖と、それを守護するように脇に控える二体の従獣。天空を支配する翼、地を引き裂く爪をそれぞれを表す二体は天空の狭間に棲むというドラゴンと、今はもう絶滅して存在しない銀狼の始祖、フェンリル。
そして瞳に強く滲む赤い色は、生命の象徴。
歴史の本で読んだときはそれなんてファンタジーと強く思ったが、まさかそのファンタジーを自分の身で痛感するなど思うまい。
「うーん……」
ソファに戻り、自分に掛けられていた膝掛けで鏡台を覆う。そうすることで自分の姿が見えなくなり、問題は解決する。
「サラ、何も誤魔化せていないよ」
訳もなく、無駄な行動をイルに咎められた。
「幸い左目だけだし、とりあえずそっちを隠そう」
部屋の棚から救急箱的なものを取り出し、一組の包帯でぐるぐると私の目を隠していくイルの手が妙に手慣れている。
「…………」
「…………」
イルの器用さで、綺麗に巻けているは巻けている。しかし、膝掛けを剥ぎ取られた鏡が映す私の姿に、余りにも問題があった。
「虐待受けてる?」
同年代より小さい体、治りきらない傷の跡、顔の半分を隠す包帯。どう見ても倫理的に問題があるようにしか見えないその姿で城を歩こうものなら良からぬ噂が立つに違いない。
「……」
再び鏡台を封印し、何事もなかったかのように顔の包帯を解いていくイル。巻き直された包帯は何も用を成さずに救急箱へと仕舞われ、救急箱も私の視界から消え去った。
「ジュリエッタ様に……」
「サラ、倒れたと……」
そもそも子供だけで解決策を練ろうとするのがいけない。ここは有識者であるお母様へ頼ろうとイルが言い出したところで、自室の扉が開いた。
「へいか」
この城で最も忙しい人物が扉の横に立つ。イルは先程医者を呼びに行ったと言ったが、自室に現れたのは何故か陛下。問題の渦中である露わになっている眼を、向けていた。
「…………精霊紋か」
後ろ手で扉を閉め、ついでにがちゃりと鍵を掛ける。
「陛下?」
こつこつと近付いてくる陛下を見つめ、自分に翳された手を見上げた。
殴られる、とは思わなかった。当初、頭より上にある手が翳されただけでこの身体はびくりと震え、硬直していた。けれど、毎日のようにお母様が頭を撫で、たまに陛下も時間を作っては私の様子を見に来てくださり、撫でてくれるから。
だから、なんだろうと見上げたその大きな手のひらが淡くに発光しても、ただその様を見届けていた。
「目隠しくらいにはなるだろう」
ほわほわとした温もりが精霊紋を宿す左目に伝わる。ホットアイマスク的な安らぎを覚えたところでその温もりは消えて、陛下の手も降りた。
「見てこい」
本日、陽の目を浴びたり隠されたりを繰り返す鏡台がまた布を払って、私を映す。
「なにもない」
鏡に映る私は、いつも通り。本当にいつも通りの私がそこにいる。つまり、左目に浮かんでいた精霊紋が消えていたのである。
「ひとまず隠しておく。日常で過ごす分にはそれが解けることはないと思うが、精霊達と交遊したり力を使ったりすると解けるから気を付けろ」
「わかりました」
とりあえず普通に過ごしたら消えたままらしい、ということを理解した私は頷く。もう暫くは精霊さん達共会わないだろうし、使い方がわからない力に関しては使い用がないから問題ないでしょう。
「イル、その銀狼を連れてこい」
「はい」
蚊帳の外になりながらもソファの上で成り行きを見守っていた銀狼がイルに抱かれて陛下の元へ連れて行かれる。てっきり触るなと駄々を捏ねるかと思った銀狼だったが、大人しく陛下を見つめていた。
「サラを巻き込むなと伝えろ」
『手遅れだ。わかっているだろう?』
キン、とした耳鳴りに阻まれて、二人の会話は聞こえない。それはイルも同じなようで、銀狼を抱えて陛下の前にいるものの顔が渋い。
『あの子が目覚めないなら、代わりを用意するしかないというのが精霊界の総意だ』
「サラの合意は?どうせ細かいことなど説明していないだろう」
『出来ないの間違いだ。なんにせよ、事が起こらない限りは主に害はない。むしろ、精霊が常に主の身を守っているのだからこれより安全な結界はないと言えよう?』
「…………チッ」
無表情がデフォルトである陛下の顔が苛立っているように見える。何を話しているのかは全くわからないものの、私が精霊紋を持ってしまったことで何か国にとって問題なのかもしれない。そうであれば即座に消え失せる覚悟だし、一旦声が聞こえるようになった陛下の元へ。
「陛下」
「サラ」
「……私は邪魔ですか?」
思いの外、言葉が震えた。言われ続けていた言葉を自分で吐くのは、存外身に堪えるらしい。けれど、もしもそうならば私はここまで良くしてくれた皆に迷惑など掛けたくないから、侍女だって諦めてなんとか下町で生きていくことにする。
「いや、そうではない」
ふるりと首を振る陛下。その言葉が私を思ってなのか陛下にとって本当に造作もないことなのかを探るために、緋の眼を見つめる。
不思議である。イルの眼も、銀狼の眼も、括ってしまえば陛下と同じ赤。でも、陛下の眼は二人よりも強く煌めきを放ち、深い光沢を携えているように見えるのだ。
「本心だ」
ぽん、と乗せられた陛下の手は、先程と違っていつも通り冷たい。いつも、まるで氷のように冷えている理由は今だかつて聞けたことがない。
「心配しなくていい」
「……はい」
お母様に撫でられるのも、最近仲良くなりつつあるメイドさん達に撫でられるのも、好きだ。
でも、一番無造作で無骨に私の頭を覆うこの手が、一番好き。
「お前は、ここにいていい」
だから陛下がそう言うのなら、私は目を閉じる。元は死ぬところを拾われた命。あってないようなこの存在は、陛下のために使うと決めているのだから。




