一番槍 権之助 ①
時は戦国ーーー
恐怖による震えか、雨の寒さによる震えか、何れにしても武者震いではないのは確かである。
土砂降りの雨の中で下方を睨みつけ震えているこの男。名を権之助と申す者。弱冠20歳でボサボサに伸ばした髭が特徴的な小柄な男だ。
権之助は小国の一兵卒である。そんな権之助に今、人生最大の転機が訪れている。
つい先日、この小国に2万もの大軍が押し寄せるとの知らせが入った。しかし、権之助が仕えているこの国の大名は大軍が間近まで来ていても一向に動かない。
そして遂にあと半日ほどで国に大軍が押し寄せる事となった。
権之助は自分の悲運を恨んだ。
16の頃に元服してからというもの、いつか戦で大きな槍働きをすると胸に秘めつつも、この年までいくさに出ることなくのうのうと生きて来た。
権之助が悲運だったのは
戦の経験が無かったこと、大軍に攻められたこと、そして殿様が世間で有名なバカ殿様だった事
人間50年……とはよく言ったものだ。自分はまだ20歳。まだまだ人生は続くものだと思っていたが、終わりというのは実に呆気なく来るものである。
だが、権之助は実に幸運でもあった。
大軍が押し寄せる中、大広間にて重臣達が頭を悩ませどうにかして生き残る道を探していた。その中に唯一生存ではなく勝利を目指していた男がいた。
稀代のバカ殿様である。
こんな状況にも関わらずニヤリと笑いながら何かを待っているように膝を人差し指で叩いている。
そんな姿を見て、行ってもたっても居られなくなったのか1人の重臣が口を開く
「殿!今すぐ配下に降ると使者を出しましょう!御家を護ることが先決です!」
すると続くように口々に重臣達が声を上げる
「いや、篭城すべきです!嵐が止むのを待つようにじっと耐えるのです!」
「何を申すか!武士であるなら正面から突っ込み華々しく散るべきである!」
家臣達の様々な意見に「はぁ」と溜息を一つつき、バカ殿は呟いた。
「戦ちゅーのはやる前から勝敗は決まっとるもんだ。」
「まわし(準備)はもう終わっとる。後は待つだけだがや」
バカ殿の目は死んでいなかった。
所変わって兵舎では、バカ殿の考えを知ってか知らずか、権之助が涙を流しながら具足を付けていた。するとバカ殿の下足番件、馬洗い係である藤吉郎が声をかけてきた。
「お前さん何しとるがね?」
「き……きまっとろう!戦の準備じゃ!」
「戦?お前さん2万の大軍相手に1人で戦う気かね?」
「1人?」
「うちの兵士は幾ら頑張っても集まるのはせいぜい二千。戦になんてまずならん」
「じゃあ1人でも突っ込んだる。俺は大軍に1人で勇敢に向かっていった英雄として名前を残すんじゃ!」
権之助は涙をボタボタと落としながら槍を待つ。
藤吉郎は権之助のそんな考えに呆れていた
(こいつ本当に阿呆じゃな)
(俺ら名を知られてないような一兵卒など、逃げたってバレはせんのに、泣きながら戦支度をしとる……たかが、5年ほどの付き合いで国にも城主にも、思い入れなどあるまい)
そんな時、藤吉郎の頭に妙案が浮かんだ。
「権之助、もしも戦となった時は飛びっきりの馬をお前にやる」
「!?」
「あぁ、この城内で1番戦う準備が出来とるのはお前じゃ」
「そんな奴が思いっきり翔られる様にいい馬に乗るのは当たり前だでね」
藤吉郎の話を聞いて権之助は驚きが隠せない。
「けど、勝手に馬なんて乗ったら馬の世話役のお前の首が……」
「そん時はそん時じゃ。むしろお前が活躍すれば、お前に馬を渡した俺も褒められるってもんよ」
「藤吉郎……」
「ありがとう……俺絶対に!」
「あ〜あ〜皆まで言うな」
(笑っちまうからよ)
藤吉郎は権之助に馬を渡す約束をした。藤吉郎には1つの思惑があった。
(これで奴の頭には馬に乗れるって刻まれた筈じゃ)
(コイツは大軍が攻めてきた時に、馬に乗って逃げ出すこと必ず考える。)
(たとえ、大軍に1人で向かっていくとしても馬に乗る)
(どの道俺が逃げる時の囮となるって訳よ)
(重臣の柴田様愛馬の栗毛に奴を乗せ、俺は駄馬に乗って逃げる)
(当然皆、栗毛を探すだろう。俺事になんて気づかないでなぁ)
藤吉郎は頭のキレる男であった。権之助囮作戦は藤吉郎がこの国から逃げ出すプランのほんの1つ。しかし、幾多の作戦を考えておくのが成功に繋がると藤吉郎は確信していた。
しかしこの馬を渡すという約束。これが権之助の幸運の一つ目である。そんな事は藤吉郎は愚か権之助本人も考えてはいなかった。