着の身着のままの青年と羊飼い
「まさかヒデヨ君一人でここまで爆発するとは驚いた・・。こういうのがあるからいまいちスパッっとやめられないんだよな。」
景品交換カウンターの前で順番待ちをしているほくほく顔の青年、辺りを見回すと今日は皆景気がよかったのか、並んでいる顔ぶれの全てがほくほくとしたものだった。
「今日の晩飯は豪勢に行くぞー、ビールに餃子、焼き飯にチャーシューメン大盛りかな……。」
帰り道で晩御飯を済ませていこうと、中華料理チェーン店のメニューを思い浮かべていると、フードを被った景品交換所の受付係が声をかけてきた。
「あの、お客様?」
「おっとっと、俺の番か。はいこれ。」
いつのまにか自分の番が来ていたことに声をかけられるまで気づかなかったことに少し慌てて、持っていた景品交換数の記されたレシートを手渡した。
「はい、一枚ですね。ところで申し上げにくいのですが、先程交換率の基準が変わりまして景品も新しくなってしまったんです・・。」
フードを目深に被っているせいで顔も表情もわからないが、申し訳なさそうな雰囲気で受付係が急な変更を告げてきた。快適に遊んで快適に大勝した青年は、特に不思議に思うこともなく了承の意を告げる。
「あ、そうなの? 今日は沢山遊ばしてもらったし構わないよ。」
「ありがとうございます。それでは今から景品を出しますので御確認下さい。」
深々と頭を下げた受付係が機械でレシートのバーコードを読み取り、黙々と青年の周りに大きくて白い毛糸玉を並べていく。
「これが新しい景品?結構嵩張るんだけど運んでくれるの?」
「全部で百八頭です。それではまたのご利用お待ちしております。」
青年の質問に答える事なく受付係が再度の来店を促した後、被っているフードが地面に落ちるように消えるとその場に一匹の羊が現れた。
「ちょっとまって、なんで羊?」
『大……ですか!? 大丈夫……か!?』
「メエーーーー!」
受付係だった羊が一声鳴くと、周りに置かれた毛糸玉がもこもこと動き出してどんどんと青年に覆い被さっていく。
「って、あぎゃーーーー。」
叫び声を上げた青年は白い毛糸玉の中に埋もれていった。
『大丈夫ですか?! 起きて下さい!』
黒髪の少女が羊達にもみくちゃにされて気を失っている青年の肩を揺すり、懸命に声をかけている。羊以外の声と肩を揺さぶられる振動で彼は白い悪夢から解放された。
「ぅう~ん、何か恐ろしい夢を見ていた気がするけど、帰りはラーメンセットに決定だ……?」
果たして彼はどこからどこまでが夢だったと思っているのだろうか? 完全に覚醒しきれていない頭の中では中華料理チェーン店に向かうつもりのようだったが、自分を心配そうに覗き込んでいる黒髪の少女と目が合ってドキリとした。
(瞳が赤い・・。)
黒い瞳ばかりの中で生活してきた彼にとって、宝石のガーネットのような暗い赤褐色の瞳で見つめられる事は、今までに感じた事の無い異様な薄気味悪さを与えた。硬直している彼の心情など解らない黒髪に赤い瞳の少女は、目を覚ました青年を見てほっと胸を撫で下ろしてから口を開いた。
『よかった、目が覚めたんですね。どこもお怪我はありませんか?』
赤い瞳を自分とは違う生物を見るようにぼんやりと見つめていた青年は、少女の言葉を聞いてハッと我に返り目を見開いた。
(今の言葉、全く意味が解らなかった。なにかしらの事件に巻き込まれてそこら辺の草原に捨て置かれたぐらいに考えていたけど、まさか違う国・・? いや、からかわれているだけか?)
なにかしらの事件に巻き込まれて草原に捨て置かれるのもかなり深刻な事態だと思われるが、彼は草原を歩いている最中に(人に会えれば今居る場所がどこか解る、そうすれば帰る事ができる)こう思っていた。山の麓に炊煙を見つけてゴールだと言ったのは、人を見つける事ができて帰れたと安心したからだ。
『あの~、聞こえてますか?』
変わらずに理解できない言葉で語りかけてくる少女。からかわれている可能性も捨てきれないので普通に返してみる事にした。
「ひょっとして、からかってます? それと、その赤い瞳はカラーコンタクト・・ですか?」
彼は恐る恐る、疑問に思ったことを率直に自分の言葉で聞いてみた。この後、少女が笑いながら「ゴメンネ」とでも言ってくれれば笑い話で済むはずだった。
『えっと・・、すみません。何を言ってるのかわからないのですが・・。まさか、頭を打ったとかですか?』
期待していた言葉がでるはずもなく、学校でもテレビでも聞いたことの無い言語が少女の口からつらつらと並べられていく。彼は、おろおろとしだす少女となんとか意思の疎通ができないものかと知りうる限りの言語を少女に投げかけていく。
「ハロー? アニョハセヨー、ニーハオ? グーテンモーゲン! ボンジュール・・、ナマステ・・。」
意味の解っている言葉から自分でも意味の解っていない聞いたことがあるだけの言葉を投げかけていく、最初は語気に勢いがあったが段々と自信無さげに弱々しくなっていく。聞いたことの無い言葉を延々と並べ立てる青年を見て、立ち上がった少女が頬に手を当てて何か考え事をしだした。
『打ち所が悪かったのかしら・・どうしよう・・・・。とりあえずおじいちゃんの所に行って相談かしら?』
そんな少女の態度を見て、自分の知りうる言語が一切通じない事を悟った青年は草原を歩いている間に考えていた事を大幅に修正する事になった。まず、夢という選択肢はこれまでの事を考えても楽観的すぎる思考なので除外、なんらかの事件に巻き込まれてどこかの草原に置き去りにされた・・、という非常識な考えに『自分の住んでいた国ではない』が加わり、さらに『言葉での意思疎通不可』までもが加わった。
「やばい、もうどうしたらいいのかわからない・・。いや、待てよ。まだ何かできる事が・・。」
思っていた以上に深刻な事態にスッと頭の血が落ちていき冷静になった青年、考え事をしている少女の正面に立つと『こっちを見て』と身振り手振りでアピールした。何事かと思い顔を向けた少女の赤い瞳の目と青年の黒い瞳の目が合った。少女が自分を見ている事を確認した青年は、ゆっくりと右手を上げて人差し指を自分の胸につけてただ一言だけ「ハル」と、告げた。
着の身着のままの青年「南ハル」、彼が自分の置かれた状況を理解するのはもう少しだけ先のことだった。