負けても遊べりゃそれでいい
じゃらじゃら・・。カシャン、カシャンカシャカシャコン・・ピッ、ガコン。
山と山の間を縫うように流れる川に沿って街へと続く国道、それに面したどこにでもあるような郊外型のアミューズメントホール。
『祝』や『リニューアル』と書かれた花輪が並べられ、きらびやかにライトアップされて誘蛾灯のようにお客様を誘う正面入り口・・。
ではなく、併設された立体駐車場に直結する控え目な出入口。そこを出てすぐにある自動販売機の前に、どこにでもいるような青年が一人立っていた。
「疲れたときは甘いもの・・と思って、全く押すことのないココアを選んだのにブラックコーヒーが出てくるとはどういう了見だ、この自販機め・・・・。」
パキッ
やれやれ、といった感じで缶コーヒーの飲み口を開けて甘味の全く無い液体で喉を潤す。
「甘いものが欲しい時にこの苦味は辛いものがあるなあ…。」
ぶつぶつと文句を言いつつも缶を傾けながら、すぐそばにあるゴミ箱と灰皿が一体化した台の前へのそのそと歩いていく。
カコン。
ゴミ箱に缶を捨てて、上着のポケットから煙草の箱を取り出して一本口に加える。
「あれ?ライター?……おっと、ここか。」
チシュッ
ズボンのポケットから取り出したフリント式ライター、ヤスリと発火石が擦れる音が静かに鳴ると、青年の口から煙草の煙がふはーっと吐き出された。
「さて、そんなにやられてないだろうけど確認しとくか。朝出てくる時に二万円だけ入れてきたから・・。」
白い煙の上がる煙草を口に咥えたまま、ズボンの後ろポケットから二つ折りの財布を取り出して中をあらためていく。
「ユーキチさんが一人、ヒデヨくんが二人、細かいのがっと…二百二十三円、ということは・・。」
知人か友人を確認するように紙幣を数え、ポケットの中の貨幣も数え終わる。頭の中で引き算をしている間、財布の中に入っていたコンビニのレシートやポケットの中の紙くずを無造作にゴミ箱に入れていく。
「7777円負け!? ・・オー、フィーバーターイム・・。って、こんな所で大当たり引くとかなんだこれ?」
青年がアミューズメントホールに行く時は、コンビニで買う朝食や自動販売機のコーヒー代も全て勝負の内。最終的に増えている分が勝ち(プラス)、減った分が負け(マイナス)という考え方をしている。
そして計算した結果、一般的に幸運の数字とされているものが四つ並ぶ事になった・・、頭にマイナス(負け)がついていなければだが。
「タイムリーすぎるだろ・・いやまあ、遊べたからいいけど・・。あ~さっきコーヒー買わなきゃ~・・、というか朝の俺はコンビニで何を買ったんだ・・。昼過ぎから雨が降らなければ帰ってたのに・・・・。」
予想外に並んだ数字に、一度はおどけてみた青年だったが、金額以上の何かしらの敗北感がじわじわと込み上げてきて意味の無い葛藤をしていた。
「あぁ! もう仕方ない、負けは負け! 有給初日に負けるとか縁起でもないけど、遊べたから良し!」
心に整理をつけ終わり、役目を終えそうな煙草を灰皿に向かって指でピッと弾いたが、灰皿に嫌われて地面にコロコロと転がった。
「駄目な時はとことん駄目か・・・・帰ろう。」
ジュッ・・。
地面に落ちても煙を上げ続けていた煙草を摘まんで拾い、直接灰皿に入れてバイク置き場へと向かっていった。
さっきまで降っていた雨、それによって濡れているコンクリートの床と靴が触れる度にピタッピタッと水音が鳴る。青年はバイク置き場に一台だけ止まっている原動機付自転車に近づくと、キーを差しこんでメットインを開けてハーフヘルメットを被る、さらにキーをまわしてエンジンをかけた。
トットットットッ・・
原動機付自転車特有の軽いエンジン音、ヘッドライトがバイク置き場の無機質な壁を照らし出す。前に体重をかけてスタンドを外しアクセルを回して帰ろうとしたが、ふと今が何時か気になりアクセルを握っていない左手でスマートフォンを上着から取り出した。
「えーと・・二十二時二十にっ、あっ!!」
時刻を確認したまではよかったが、手が滑ってスマートフォンがつるりと前方に飛び出して宙を舞う。
「ちょっ! 機種変したばっか!!」
落としてなるものかと反射的に左手を目一杯伸ばした事がさらに事態を悪化させた。
ギュルルッ!!
目一杯伸ばした左手に吊られて左半身が前に出る、すると右半身が後ろに引っ張られる形となる。アクセルを握ったままの右手が後ろにいく、すなわち意図せずしてアクセルを回す事になってしまった。
「んがっ! やっべ!!」
普段なら特に慌てる事もないのだが、雨に濡れて摩擦の少なくなったコンクリートの床も手伝って後輪がスリップ、留め具を締め忘れていたヘルメットが頭から外れて視界をゆっくりと覆っていった。
(うわー、立ちごけとかないわー、タイヤ換えとけばよかったー。スマホも原付も傷物になるだろうし、転け方によっちゃあ骨折れるかもしれないし。駄目の上塗りしすぎだろ今日の俺…。)
などと、考えうる事をひとしきり思ってから転倒する体勢になっている青年は異常に気がついた。
(・・・・・・?)
転倒することによって生じる痛みと衝撃がいつまでたってもこない、 頭から外れて視界を妨げているヘルメットが一向に落下する様子がない。
スマートフォンが落ちる音は聞いた?
それよりも大きな音であるはずのエンジンの音は?
体は動かない、声も出ない、音も聞こえない、視界にはヘルメットの内側の黒い布地しか映っていない。
(まさかこれが走馬灯とかいうやつ? ということは、俺・・死ぬの!?)
一般的に走馬灯と言われる現象は、大きな事故等に遭遇した時に脳だけが加速して体が置いてきぼりにされて時間を何倍にも感じる。
そのゆっくりと流れる時間の中で今までの記憶を思い出したりする事であって、必ずしも死に直結しているわけではない。
ゆっくりとでも時間が進んでいれば思った通りの現象だったかもしれない。一度でも体験していれば今の自分の置かれている状況が走馬灯ではないと青年は気が付くことができたかもしれない。
色の無い黒だけの視界がゆらゆらと動き始めるが、それを知覚することは青年にはできなかった。
トンッ。カコンコン! ココンコンコン……
トットットットッ…
スマートフォンが落ちて、ヘルメットがコンクリートの床を弾む。
音が戻ったその場には、今まさに転倒しようとしていた青年の姿だけが無く、原動機付自転車の軽いエンジン音が誰もいなくなった駐車場に響いていた。