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ナイトバード/9-1  作者: アツシK
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新法/ニューロウ

 砂埃が辺りの大気の全てを覆っていた午後の黄ばんだ日差しは、焦土化した風景を更にこの世のものとは思えぬほどに際立させていた。その荒廃した大気の中、砂漠用迷彩を施した一台の米陸軍特殊車輌(ビークル)ハンヴィ―が、所々が穴ぼこだらけになって荒れた国道をカブ―ル川に沿って南下していた。天井部に機銃座装備のない‘丸腰’のハンヴィ―は、この地では場違いのような無防備さを露わにしていた。それは、まるで遊技場で誰にでも当てられるような射的の大きな的みたいに思えた。

 右手には、粉々に破壊された集落の家々や建物の瓦礫が国道に沿って終わりなく続いている。それらは、タリバ―ンが行った無差別な破壊活動や自爆テロによるものだけでなく、彼らテロリストの愚行を防ぐ為に日々戦うISAF(国際治安支援部隊)との間で起きた戦闘の凄まじさによる仕方ない結果でもあった。

 漂う大気は不快に砂混じりで乾燥し、ハンヴィ―の空調コントロ―ルを内気循環にしていても、微細な砂や埃が車内に紛れ込んだ。その居心地の悪さが、車窓に映る辺りの果てしない地獄絵図のような風景をよりいっそうに息苦しいものにしていた。

 国道は、元来余り状態が良くない舗装路面に加え、戦闘で受けたダメ―ジで至るところが大小のクレ―タ―のように抉られていた。それらを乗り越えるたびにハンヴィ―の大柄な車体は、壊れたロデオ・マシ―ンよろしく大きく前後左右に揺さぶられ、乗り心地も極めて劣悪だった。

「……にしても、この腐臭と道の悪さにはいい加減うんざりだぜ。大体さぁ、丸腰のハンビィ―での任務変更の緊急移動って一体どういう事なんだよ、ク―パ―一等兵? 八輪ストライカ―装甲車は一台も本当に空いてなかったのか? あちこちが穴ぼこだらけでハンヴィ―じゃ乗り心地は最低だし、いや…… 俺はね、移動手段の為だけじゃなくてさ、任務の事も含めて言ってるんだよ。相手は何て言ったってタリバーンの残党テロリストなんだぜ。七.六二ミリ・ガトリング機関砲銃座を装備したストライカ―がせめて必要だろ? しかも、敵の人数や装備がどの程度なのか、って詳細も全く掴めてないのによぉ、えっ、どうなんだよ!?」

 助手席の無精髭をたくわえたライアン・グリフィス二等軍曹が、ハンドルを握るベンジャミン・ク―パ―一等兵に、自身の気分の悪さを怒りで表して愚痴を溢し続けていた。

「仕方ないですよ、軍曹。さっきまで我々‘四名’はカブ―ル国際空港の警護任務に就いていたんですから。タリバ―ン側に紛れた情報提供者からのカブ―ル・スタ―・ホテルで無差別殺人テロが行われるかもしれない、という密告で急な任務変更になってしまったんですからね。このハンヴィ―を専有させてもらえただけでも有り難いじゃないですか」

 明るめのブルネットに、細身で(およ)そ陸軍コマンドには見えそうにないク―パ―一等兵は顔を僅かに歪め、出来るだけ丁寧に答えた。本当は、ハンヴィ―の速度を維持したままクレ―タ―のようになった箇所を避ける事に必死で、二等軍曹の泣き言など聞く余裕などなかっただけだった。

「しかも、空港から市内へダイレクトに繋がっているエアポ―ト・ロ―ドが昨日の自爆テロ騒ぎで封鎖されたままで、挙句にカブ―ル川沿いへ大きく迂回させられて、こっちはひでぇ遠回りをさせられている、って始末だ。大体よぉ、カブ―ル・スタ―・ホテルの警護だったら、ISAF・HQ(ヘッドクォーター)からの方が全然近いじゃないか。何で俺らがわざわざ空港警護から廻されなきゃならないんだ? 他に暇こいているヤツなんて腐るほどいるだろ?」

 グリフィス二等軍曹の嘆き節は留まる事を知らなかった。その態度は余りにも不用意で緊張感に欠けていた。割腹のある大柄な身体はハンヴィ―のシ―トでさえ窮屈そうだったが、見るからに無理そうな姿勢でふんぞり返って窓枠にぞんざいに肘を掛け、砂埃のカブ―ル川彼方に浮かぶ山脈へふてぶてしい視線を留めていた。

「人手なんて余っていませんよ。市内各所の定時パトロ―ルに各国大使館の警護、山岳に潜むタリバ―ン残党の掃討部隊やなんらの振り分けで、現実には猫の手も借りたいくらいなんですから。それに今、カブ―ル・スタ―・ホテルには日本から視察に来た政府関係者や軍需産業の要人が宿泊しているらしいですから、油断出来ない重要な任務ですよ」

 判っている事じゃないですか、といううんざり感が軍曹に伝わらぬようにク―パ―一等兵は努めた。

「あぁ、判ってる、判っているよ、だからなんだよな、こいつらが‘ここ’にいるのもよ……にしてもよぉ、何で日本のそんな要人が今更こんな‘激戦区’へ視察に来るんだぁ、阿呆みてぇに危険だってぇのも、百も承知でよぉ?」

「…………」

 苛ついているグリフィスは、揺れ続ける車内の後席へちらっと目配せした。ク―パ―は少し沈黙してから「えぇ、そうですよね、本当に変ですよね」と少し答え辛そうに頷く。

 車内には戦闘ヘルメットを被った四人のコマンドが乗っていたが、運転席と助手席に座る二人と、後席の二人は明らかに異なる戦闘服を身に付けていた。被っているヘルメットやゴ―グルの形状、携えている火器や装備も微妙に違っていた。前席二人の戦闘服が、米陸軍が砂漠戦で使用する薄茶色と灰色を基調とした迷彩柄だったのに対して、後席の二人は首に赤いスカ―フを巻き付け、濃い茶色や薄茶色に深緑を取り混ぜた場違いのような迷彩柄の戦闘服姿だった。後ろの二人は、明らかに日本の陸上自衛隊員だった。

「しかし、日本という国は、俺には全く理解が出来んな。今まで‘専守防衛’に徹していた自衛隊がだぜ、国防総省からの派遣依頼を二つ返事で受け、中東の‘火薬庫’に平気で自衛隊コマンドを派遣するようになったんだから、未だに信じられんよ」

「日本の安全保障法制がこれまでと大きく転換して、国民投票で武力行使を縛り付けていた憲法九条が改憲されたからですよ。全ては、あの忌まわしい‘事件’があったからです。今でも信じられないような……あの一件です。それによって国連が認めている‘集団的自衛権の行使’がようやく大手を振って使用可能になったのと、新たな自衛隊‘新法’が日本の国会で承認、制定されたからじゃないですか。それらによって年々縮小していく我が国の国防費の穴埋めを、日本の武力と装備力でカバ―してもらえるんですから、有り難い話ですよ」

 囁くようにク―パ―が促した。

「新法か、……そうだったな。確か‘自衛隊特別任務義務法’とか言うんだったな。だが、日本政府もすげぇ法律を考えついたもんだよ……‘自衛隊特任義務法’か……全くもって信じられんが、こいつらは正規の自衛隊コマンドじゃなかったんだよな。日本国内じゃ元凶悪殺人犯で……元死刑囚……しかも‘特任義務管理法’とやらで、逃亡する事が絶対に出来ない、ときてる……」

「聞こえますよ、軍曹!」

「大丈夫だ、どうせこいつらの英会話レベルじゃ判るまい」

 ハンヴィ―は、右側の破壊された家々やバラックが広がるエリアを通り抜け、申し訳程度に看板だけが並ぶバス・タ―ミナルがあるT字型交差点をカブ―ル川から離れるように右へ折れた。バス・タ―ミナルと川の向こう側には、ド―ム型の巨大なモスクや、その背後の山脈が砂埃の中で佇んでいた。



「大丈夫か、堀越?」

 ハンヴィ―の助手席側後席に座っていた真辺特任一曹が、隣に座る同じ階級の同僚を気遣った。

「あ、あぁ……」

 堀越は俯き加減のまま消え入りそうな声で答えた。大きなゴ―グルがセットされた迷彩柄ヘルメットの下の顔は幾らか蒼ざめて、視線は一点を見詰めたままだった。

「情けない事に……ちょっと車酔い……したみたいだ」

 苦いものを無理に飲み込んだみたいに顔を斜めに歪め、言葉を絞り出した。

「この道路とこの運転じゃ、誰だって酔っちまうよ。乗り心地は最悪だし、実は俺もさっきから少し気分が悪いんだ。おまえだけじゃない」

 不規則に揺れ続ける車内でそう吐き出しながら、真辺は視線を前席へ移した。乗り心地が劣悪な車内で平然と何やら英語で喋り合っている二人の米陸軍コマンドを憎らしそうに睨む。

「こんな状況でこれからホテルの警護だなんて…………しかも、日本から政治家や要人がわざわざ‘中東の火薬庫’アフガニスタンまで視察に来ているなんて、本当に憑いてないぜ。情報提供者の密告通りにタリバ―ンのテロリストからマジに襲撃を受けたら、俺達も、そいつら要人達も一溜りもない!」

 上下左右に揺れ続けるハンヴィ―の中で、真辺は誰かを恨むみたいに吐き捨てた。

「いや、本当はどうなんだろうな? 日本にいて、刑の執行を‘塀’の中で待つよりは、まだこのアフガニスタンにいる方がマシで幸せなんだろうか? 堀越、おまえどう思う? 情けない事に、どうなんだって、ここに来てから禅問答のようにいやでも毎日、毎晩考えちまうんだ」

 小さく憤ってから、次に真辺の口から出て来た言葉は、誰に問い掛けるわけでもなく独り言みたいなものだった。車酔いに苦悶していた堀越にもその言葉は伝わっていたが、それに反応する余裕はなかったし、堀越にとってもアフガニスタンに来てからの精神状態は同じようなものだった。

 車窓から真辺の眼に映る情景は、およそ彼が生きて来た人生の中で、これまでに見た事も想像した事もないような殺伐としたものだった。

 周囲が山々で隔たれたカブ―ル市内は、何処か閉じ込められたような閉塞感に覆われていたし、これまで真辺の頭の中にあった曖昧な中東というイメ―ジからは余りにも掛け離れていた。かといって日本の田舎の風景とも違い過ぎていた。街を覆う大気は常に乾燥していて薄茶色に濁って映り、場所によっては腐臭に満ちていた。多くの破壊が繰り返された街の中に、鮮やかで優しい緑色というような植栽は殆ど見受けられず、行き交う人々はみな薄汚れていて疲れ切っていた。真辺の眼には、カブ―ル市の街自体がぼろぼろに擦り切れて、今にも息途絶えようとしているようにさえ見えていた。そのイメ―ジは、過去に真辺自身が何度か人を殺めた直後に見る相手の死に顔と常に重なった。

 今年で三十五歳の真辺和博は、強盗の犯行中に罪もない人を三人殺した強盗殺人犯だった。逮捕され、有無もなく刑事裁判で裁判長に死刑判決を告げられた真辺は、収監された府中刑務所内で刑執行を待つだけの日々だったが、二年前、新たに施行された‘新自衛隊法’によって極刑を免れたのだった。




 二〇XX年、時の政権与党‘民自党’党首であり、内閣総理大臣の安達修三は、周辺国や国際的な新興テロ勢力などからの日本の安全保障環境が近年急速に変化していると捉え、日本政府から国民に対して憲法九条の早急な改正の必要性を声高に唱え始めた。

 東西冷戦の緊張は、ソビエト連邦国家崩壊により二十世紀末に終結した。以降の世界にとっての実質な軍事的脅威は、急速な近代化を奇跡的に遂げ、潤沢な国家予算と外貨によって驚異的な軍備力拡大を続ける中国と、今世紀初頭に米国マンハッタンで同時多発テロを引き起こしたイスラム教を騙る中東ネットワ―ク・テロ組織へとシフトしていた。

 特に米国政府、及び国防総省は、同時多発テロ発生後に国家としての安全保障のフィソロフィを大幅に転換し‘テロリストのいかなる脅威と、いかなる交渉にも応じない’と掲げたのだった。これにより米国は、内外で発生する事件、国際紛争介入案件全てでのネゴシエ―ションを一切行わず、武力による解決のみに偏った。これまで米国内外での緊張場面で重宝されていた多くの交渉人(ネゴシエ―タ―)達は失職を余儀なくされていたのだった。

 日本は、隣国の中国とは経済政策上は友好関係を保っていたが、突出した経済成長で拡張した米国以上の軍事力を保有するようになった中国人民軍からの軍事的脅威は、現実的に日々増していたのだった。

 更に朝鮮半島三八度線以北の北朝鮮人民共和国は、半島領土の日本海沿岸部に、移動配備が可能な中距離弾道弾群を常に日本へ向けていた。東京、大阪、名古屋、福岡などの主要都市が射程に入ったままの状態なのは、日本独自の情報収集衛星や、米国から提供される軍事衛星情報の解析ですでに確認済みだった。

 日本に対して懸念される脅威は近年それだけではなかった。冷戦後から活動を活発化させている国際テロ・ネットワ―ク組織に、日米安全保障条約下にいる‘同盟国’日本が、(いず)れ彼らから恰好の標的にされてしまうのではないだろうか、という恐怖心と不安感が、国内世論の中には現実に存在していたのだった。

 安達総理の発した憲法九条改正論は、予測し得るそれらの脅威と、リスク回避の見落としが、日本の‘存立’と‘未来’を危険な事態へと陥らせる可能性を非情に高く秘めている、という国土安全保障上の危惧からだったのだ。それは、総理自身が予てから提唱していた‘日本国の戦後体制からの真実の解放’の実践へと繋がり、更にそれは今後の日本にとっての国益増加の具現化になるのだ、と国民へ向けて声高に、そして信念の如く唱えたのだった。

 これには、民自党と国会運営で連立を組む‘共民党’も当然の如く賛同したが、共民党支持母体である国内最大の新興宗教団体‘立誠学会’地方支部の大半がこれに難色を示した。

 共民党党首の澤田靖男は、安達総理と与党内に設置された‘憲法改正推進検討委員会’に対し、拙速な改正議論の展開は絶対に避け、国民への丁寧な説明とそれに対する世論の反応を絶対に無視してはならない、と強く釘を刺した。それらを踏まえたうえで、与党と憲法改正推進検討委員会は、更なる熟考を重ねた後に憲法改正案提出と衆義院特別委員会を開催するべきだ、と要求したのだった。

 連立与党以外の野党全ては、当然ながらこれに対して猛烈に反発し、特に前回の総選挙で大敗して政権の座から引きずりおろされた野党第一党の‘民生党’は、日本の立憲国家としての立場を非情に危うくする、と国民に対して強く訴えた。これを受け、新聞大手、読売、朝日、毎日の三社、各民放局や報道機関などのメディアは反応するように緊急な世論調査を大々的に行ったが、大多数の国民は、「今なぜ、憲法九条改正なの?」と、全く寝耳に水というような驚きの反応を示したし、全くもって他人事のように捉えていた。

 それは日本国民にとって当然な反応だった。前世紀末に起きたバブル経済崩壊と、その後始末と言うべき不良債権処理問題、更に今世紀初頭に米国の大手投資銀行リ―マン・ブラザ―スが破綻して起きた世界的金融危機‘リ―マン・ショック’によって日本国内の日経平均株価は大きく一万台を下回ったままで、対ドル、ユ―ロの為替相場も超円高の状況が長きに渡って続いていたからだった。その時の政権与党だった民生党は、これらの経済対策に全くの無策で、多くの零細、中小を含めた企業が淘汰され倒産、あるいは廃業し、国民の失業率は有に八パ―セントを超えていた。戦後の奇跡的な経済復興を果たした日本としては異常事態に陥っていたのだった。

 総選挙で経済政策を前面に出し、大勝して民生党から政権を奪い返した安達民自党の支持率は七十パ―セント以上でしばらく推移し続けた。安達政権が多くの国民に好感を持って受け入れられたのは、当然だったのだ。

 安達総理は、総理就任後一年で前代未聞な量的金融緩和を日銀に長期間実施させてインフレ誘導を行い、自動車、電機などの主要輸出産業を筆頭に、落ち込んでいた日経平均株価を瞬く間に一万円台に復活させた。高推移していた失業率も徐々に減少へと転じていたが、失われた多くの国民の所得はそう簡単には元に戻らなかったし、総務省が発表したような国民の復職も実現出来ないでいたのが実状だった。一方で、一握りの個人投資家を含めた富裕層は急速な株価上昇によって売却益を得ていたし、米国のような富裕層と貧困層の二極化は急激に日本国内で加速し始めていたのだった。

 安達総理が憲法九条改正を唱え始めたのは、政権二年目で日経平均が今世紀初頭並みの二万円台へ持ち直した直後のことだったが、各機関の世論調査の結果は、憲法改正反対という意見が全体の七四パ―セント占めていて、大半の国民には支持されていなかった。それによって当初高水準で推移していた内閣支持率も下降曲線を描き始め、七十パ―セント以上あった支持率は五十を切るか切らないか、というところまで落ち込んでいった。

 一方で、安達総理の肝いりで設置された与党憲法改正推進検討委員会は、そんな国民の冷ややかな反応を無視するように、憲法第九六条改正の可能性を各政党間で密かに探り始めていた。これまでの衆参両議院での三分の二を、過半数での可決で国会から国民に提案し、国民投票を行えるようにするという改正案だったが、当然、与党と憲法改正反対を訴える野党間での調整など折り合いがつくわけはなく、現状の連立与党議席数では九十六条改正さえ困難なのが現状だった。

 憲法改正に向けての国民の反応や、国会運営が全く芳しくない現状を捉えた安達総理は、首相決裁で私的な諮問機関‘安全保障再構築懇談会’を急遽立ち上げた。この‘安保再構懇’主要メンバ―は、現役の国際保障学会理事や、国際政治学者に経済学者、元防衛大名誉教授、陸海空の各自衛隊幕僚本部長を務めた軍事評論家など十二人の有識者から成り立っていた。安達総理は、安保再構懇メンバ―の中から座長に、外務省条約局長や外務事務次官を歴任し、現在は国立政策研究大学院大学名誉教授で国際政治学者の臼井幸次元駐米大使を指名した。

 憲法改正推進検討委員会は九六条改正が困難とみるや否や戦略を見直し、表だった憲法改正の足掛かりとして、憲法第十三条‘幸福追求権’を根拠とした‘環境権’を憲法に盛り込むという無難な側面から国民の反応を窺ったのだった。

 日本は、高度経済成長期の急激な工業化や開発により、河川や大気などの環境が急速に破壊されたほか、新幹線や空港の騒音などによる公害が各地で深刻な社会問題となり、政治的な問題として永らく持ち上がったままだった。

 一九六七年に成立した‘公害対策基本法’を引き継ぐ形で‘環境基本法’が一九九三年に施行されたが、これらの法律は環境権に盛り込まれていなかった。そしてそれは、曖昧な感じで国民にとっても有益に思えそうな‘もっともらしい’改憲テ―マとして流布されたのだった。言うなれば、それは‘お試し改憲’ともいえる、国民を愚弄して馬鹿にしたような行為に等しかったのだ。

 安達総理の発言に端を発して、会期中の通常国会の予算委員会では野党議員から来年度の予算案審議に対しての質問よりも、憲法改正に関しての質疑に多くの時間が割かれて予算審議は全く進まず、委員会は常に紛糾していただけだった。

 その陰で諮問機関の安保再構懇は、現在の憲法九条の解釈を再度細かく見直し、改正せずに、あるいは改正出来なかった場合に備えようとした。これまで日本が順守してきた憲法で認められている個別的自衛権を元にした武力行使を、第九条の解釈変更だけで‘専守防衛’以外で可能とする事が出来るか、つまり、解釈変更で集団的自衛権の行使は可能か、という難題な作業に没頭していたのだった。そしてこの難解な作業には、防衛省、外務省、法務省、経済産業省の各省高級技術官僚(テクノクラート)数人が立案のために補佐を行っていたし、法の番人であるはずの内閣法制局の主要審議官数名が、何故か安保再構懇の見解に対し、まるで摺合せを行うみたいに、安保再構懇に逐一寄り添って注視し続けていた。

 そしてその二か月後、安達内閣は、これまで憲法九条で禁じられていた集団的自衛権の行使容認を解釈変更により、国家安全保障会議決定、並びに閣議決定したことを突然に国民へ向けて政府発表した。

 安達総理は会見で、この九条解釈変更の下に、新たな安全保障法制新法案を作成して国会に提出し、審議のうえ速やかに法整備と施行を行うとした。それは‘憲法改正’が困難とみた安達総理と、政権与党の武力行使容認派が‘安保法改正’という抜け穴を衝き、まさしく国民を欺くような行為だったのだ。

 政府与党のこれら一連の動きに対し、近隣国の反応はダイレクトだった。特に東シナ海の尖閣諸島を挟んだ領空、領海権問題で日本と揉めている中国は、日本を戦前のような侵略軍事国家に戻そうという極めて危険な動きが現政権には見受けられる、という怒りを含めた公式な政府声明を出した。

 日本海上南西部で日本領海内と朝鮮半島領海内で微妙な位置関係にある竹島を実効支配している韓国は、過去の大日本帝国に併合されていた時代の悲痛な記憶と、戦時中、戦後の歴史認識過誤、及び慰安婦問題を含めた戦後補償が係争中なままの日本に対し、この上なく忌々しき事態だ、との公式声明を韓国政府報道官が、テレビ、インタ―ネットを通じて述べた。

 北朝鮮に至っては、日帝が更なる武力拡大を進め、我が共和国を再び侵略しようと企んでいるならば、我が人民軍が誇る優秀な長距離弾道弾が容赦しないだろう、という過激で的外れな声明が朝鮮中央通信から世界へ発信された。これらに対し、ロシア、台湾、そして経済圏で連携する‘東南アジア諸国連合(ASEAN)’諸国はとりあえず沈黙を保ったが、各国とも今後の日本の動向を注意深く警戒し続けるという態度を維持していた。だが、それが各国に必要以上な外交的、軍事的緊張感を強いらせていたのは明らかだった。

 日米安全保障条約で繋がっている‘同盟国’米国は、現時点での安達総理、及び政府発言に関しては静観したままで、この件でホワイトハウスのスポ―クスマンがステ―トメントを出す事はなかったし、全国紙USAトゥデイを始め、ニュ―ヨ―ク・タイムズ、ワシントン・ポストもその態度は同じだった。だが、インタ―ネット上の各SNSウェブサイトでは実しやかに、日本の安保法改正に対しての好意的、反感的な記事やコメントが世界中で好き勝手に踊り始めていたのも事実だった。

 その頃国内では、政権与党の民自党と、野党筆頭理事の民生党が協議のうえに安全保障法制を審議する衆議院特別委員会を開催していた。

 質問時間の割り当てが多い民生党党首の原田達也は、とりわけ米軍が絡んだ事案の集団的自衛権と、他国から攻撃を受けた場合の個別的自衛権の曖昧な判断基準に関して論点を絞り、安達総理と防衛大臣の小谷優に詰め寄った。九条の新解釈を都合よく、猫の目のようにくるくる変える与党側答弁に、原田をはじめ各野党党首の怒号が厳粛な委員会室内に乱れ飛び、委員会は紛糾し続けた。

 事件が起きたのは、特別委員会会期中に行われた憲法審査会で、東大、早大、京大の憲法学者三人の証人喚問が行われ、三人の学者達が新たな安全保障法制に関して違憲という立場をとった直後だった。

 その晩の未明、神奈川県横須賀市の米海軍第七艦隊母港、横須賀基地に、国籍が不明な数十名の武装集団が東京湾から忍び寄るように侵入し、米海軍基地内を突然襲撃したのだった。戦後において、これまでまず起こりえなかった駐留米軍に対する完全なテロ攻撃だった。

 数十名に及ぶ国籍不明の武装侵入者は、全員が紺色と灰色を基調とした迷彩模様の戦闘用潜水服に身を包み、同じ柄のヘルメットに暗視ゴ―グル、口元を対ガス用マスクで隠し、それぞれ分散して箱崎町、泊町、楠ヶ浦町の各施設に上陸した。基地敷地内の商業施設や住宅、軍事施設、燃料貯蔵施設などへの攻撃、及び破壊行動を、間髪を入れずに次々と躊躇なく始めたのだった。

 全く予期せぬ何者かからのテロ攻撃に基地内はパニックに陥り掛けたが、基地内警戒中だったMP(憲兵)や歩哨コマンドが即座に鎮圧に努めた。だが、余りの緊急事態だった事と深夜だった事、そして侵入者が想像以上の人数だった為に、米軍側の指揮統制は混乱を来してしまった。幾つものサ―チライトが慌てたように漆黒の中で交差し、緊急サイレンと多くの悲鳴や怒号が、基地内と周辺地域で渦巻いたのだった。

 武装侵入者達は誰もが重装備で、所持していた手榴弾や小型対戦車ロケット・ランチャ―で次々と基地内の建物や施設を容赦なく破壊しては回った。

 銃声や爆発音が深夜の穏やかだった大気を休みなく振動させ、複数の燃料貯蔵庫がロケット誘導弾で破壊された直後には、辺りの空気が一挙に著しく燃焼し、瞬く間に基地内を途轍もない高温へと上昇させていたのだった。

 基地施設のあらゆる場所で狂ったように燃え上がった火柱は海面を不気味な橙色へと染め上げ、黒煙と火の粉が幾重にも妖しく絡み合って夜空へ舞い上がっていった。

 緊急事態発動令や、爆発による不穏な振動で異変に気付いてベッドから飛び出した海軍米兵達は、身体装備もままならないままM4カ―ビンやM16アサルト・ライフルを手に取った。更なる侵入を食い止めようと応戦したが、良く鍛えられた侵入者達の敵弾を受けて多くの米兵が倒れ、更には定期点検で水揚げされたイ―ジス艦が入っていた補修用大型ドックへの数名の侵入を許してしまった。侵入者達は、残っていたロケット弾を迷う事なくイ―ジス艦の船底や船体、重要な火器管制部分へ放った。直後に船体のあちらこちらから激しい誘爆が起こり、幾つも上がった閃火が甚大なダメージを与えてイ―ジス艦を使用不能にしていた。

 隣接する海上自衛隊横須賀基地では、米海軍基地内での異変に素早く気付いていたが、自衛隊基地側には一切の攻撃がなかったために、個別的自衛権で応戦する事が出来なかった。そして法整備がまだ済んでいない‘集団的自衛権の行使’が出来ない自衛隊は、歯痒さの中で友軍である駐留米軍基地が火の海になっていくという信じられない光景を目前に、ただ指を咥えているしかなかったのだ。

 遠距離暗視ゴ―グルで驚愕の事態を監視し続けていた自衛隊海上警備隊員は、米軍基地施設やドッグを破壊し終えた武装侵入者十数名が海軍基地施設を超え、今度は横須賀の街中へ進入し始めたのを確認した。すぐに自衛隊横須賀基地から横須賀市警本部へと緊急事態通報が行われ、住民が危機に脅かされる事態になった事で自衛隊は個別的自衛権によってようやく出動が可能となったのだった。

 横須賀市警本部が管内全域へ緊急配置を告げたころ、自衛隊横須賀基地からは、たまたま遠征訓練で訪れていた広島県江田島基地所属の海上自衛隊屈指のレンジャ―部隊である特別警護隊、通称‘SBU(Special Boarding Unit)’の実戦部隊が、二人一組のチ―ム編成十チ―ムで、すでに街中へ出動して展開していた。

 横須賀街道を隔てた横須賀芸術劇場辺りで索敵を始めたSBUレンジャ―一チ―ムが、三人の武装侵入者と突如遭遇し、止む無く交戦状態へ突入した。武装侵入者三人はオ―トマティック・ライフルをSBUレンジャ―隊員に向けて連射しながら、芸術劇場とメルキュ―ルホテル・ヨコスカに挟まれた地下駐車場へと向かう通路を奥へと逃げていく。

 武装侵入者は途中で二手に別れ、一人は地下駐車場の中へ、二人は汐入駅方面へと向かった。レンジャ―隊員も、八九式アサルト・ライフルを構えつつ二手に別れ、全力で追跡を続行する。

 地下駐車場への下り坂を、今にも転がりそうな勢いで走って逃げる武装侵入者は、下った先の中央にあるゲ―ト料金所へ向けてライフルを掃射し、中にいた深夜アルバイトの係員を簡単に殺した。仄かな照明で照らされた紺と灰色を基調とした迷彩柄の背中が、突当りを駐車場順路とは逆の右側出口方向へと走り去る。追っていたSBUレンジャ―隊員は、料金所内で頭を粉々にされて死んでいた料金所係員を冷ややかに一瞥し、武装侵入者を更に追った。

 白く淡い照明で照らされた幾つものコンクリ―ト製の太い角柱と、様々な車が並んだ広大な地下駐車場に、武装侵入者の走り逃げる足音だけが微かに響く。レンジャ―隊員は姿勢を低く保ち、車や柱の物影と物影の間を素早く移動して武装侵入者へ近づこうと試みる。SBUレンジャ―隊員の目には、武装侵入者が駐車場奥の芸術劇場へ上がるエレベ―タ―ホ―ルへ足早に向かっているように映った。

 微かに伝わっていた足音のテンポが変化したのを、レンジャ―隊員は聞き逃さなかった。低い姿勢で勢い良く車と車の間を走り抜け、エレベ―タ―ホ―ル前にいた武装侵入者の背後めがけ、回避側転しながら通路へ飛び出した。姿勢が直る間もなくアサルト・ライフルを一撃斉射する。数発の五.五六ミリ弾が、武装侵入者の迷彩柄戦闘潜水服の右肩を霞めて皮膚の肉を無慈悲に毟り取った。生地と肉と鮮血が粉々に混じって霧のように一瞬だけ駐車場内に舞った直後、武装侵入者は姿勢を崩しながらも振り返りざまにライフルをレンジャ―隊員へ向けて素早く連射した。レンジャ―隊員は、柱の陰に向かって飛び退けるように連続して回避行動をとったが、銃弾数発を右腹部に喰らってしまった。

 武装侵入者はエレベ―タ―へ向かうのをやめ、路面に垂れた鮮血を辿って角柱の陰に潜む負傷したレンジャ―隊員へライフルを構えながらゆっくりと近づく。反応を窺うように通路路面へ数回威嚇射撃すると、コンクリ―ト製の路面が数度火花を上げて醜く抉られた。

 内蔵が裂けた強烈な激痛と死への恐怖心に堪えながら、SBUレンジャ―隊員がライフルを抱えたまま刺し違える覚悟を決めたその時だった。近づく武装侵入者の足音が不意に止まったと思ったら、通路に何かが落下した衝撃音がレンジャ―隊員の耳に届いた。異変を察して角柱の陰から注意深く窺うと、武装侵入者がライフルを通路へ落とし、呆けたように立ち尽していた。そして、何か忘れた事を必死に思い出すみたいに首を何度もくねらせ、そして突然喘ぎ始めたのだった。レンジャ―隊員には、目の前で一体何が起こっているのか全く事態が飲み込めないでいた。

 その刹那、まるで落花生が踏み潰されるような‘バチ’っという鈍く乾いた音が辺りに響いたと思ったら、レンジャ―隊員の目の前にいた武装侵入者の身体から火花が突如発して閃いた。直後に風船が一瞬にして弾けて割れるみたいに強烈な爆発を起こし、四肢が粉々に飛散した。その爆発力はレンジャ―隊員の視界全てを瞬時に驚愕の橙色に染めただけでなく、レンジャ―隊員の身体自体も跡形もなく吹き飛ばした。それは地下駐車場の大半と、その地上部にある芸術劇場も半壊させるほどだった。余りにも異常な爆発力だった。

 その爆発同時期に、横須賀の至るところで、それは神奈川歯科大学付属病院や横須賀市立総合福祉会館、ドブ板商店街、京急横須賀駅と汐入駅周辺、更に米海軍基地内など数か所でも連鎖的に爆発が起こり、夜空に不穏な火柱と黒煙を同時に幾つも上げたのだった。そして最悪な事に、街中で展開、追跡活動をしていたSBUレンジャ―隊員全員がその巻添えを喰って爆死してしまった。横須賀駅と汐入駅周辺の街々と周辺住人、更に襲撃を受けた米海軍基地は、壊滅的な被害と死傷者を出していた。国籍不明のテロリスト達による米海軍駐留基地襲撃テロは、取り付く島もなく大規模な同時多発自爆テロへと変容してしまったのだった。

 翌朝の日本全国のTV各局、朝刊各誌はパニックを起こしたようにこの事件の事で持ち切りだった。

 自爆テロリスト集団の情報を含めた事件詳細を、彼ら報道関係各位に求められた警察庁配下の外事部国際テロリズム対策課にとっても、米海軍基地襲撃テロの予兆など全くの寝耳に水だったし、事件規模は日本の警察権を遥かに飛び越えていて、まるでお手上げの状態だったのだ。

 米国内メディアでは、米海軍駐留基地が国籍不明のテロリストによって強襲撃破され、多くの米兵とその家族、基地関係者が惨忍に殺された、という余りにもショッキングな事態が緊急報道としてすぐに全米国民へ伝えられた。この事件後に、軍事的に対立している中国とロシア、北朝鮮、更に中東数か国からはすぐさまこの米軍基地強襲事件に全く関わっていない、という公式声明が各国の政府報道官から全世界へ向けて発せられた。そして、米情報機関が目を光らせているどのテロ組織からも犯行声明が出されなかった事が、不気味さと恐怖心を更に助長していた。

 ホワイトハウスと米国政府、及び米国防総省は只ならぬ怒りを露わにした公式ステ―トメントを直ちに発信し、米軍基地を狙った未曾有の同時自爆テロ行為、後に‘ヨコスカ・ショック’と名付けられた無差別大量殺人を引き起こした真犯人を、全軍、全情報機関を上げて必ず捉え、処罰、粛清するという、世界中の疑わしきテロ支援国家とテロリスト集団全てに対する‘宣戦布告’ともいえる緊急事態米国大統領令も併せて行ったのだった。

 更に、米国の怒りの矛先は暗に日本政府と、戦後にGHQ/SCAP(General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers:米国占領軍)が制定したとはいえ、改憲もせずに放置したままの憲法九条の縛りに対しても向けられたのだ。それは、日米安保上の‘友軍’である米海軍基地が何者からかの強襲を受けているにも拘らず、隣接する自衛隊が援護攻撃も何も出来ずにいた、という事に対してだった。この事態は、これまでの日本政府の憲法九条下での国防論理の在り方の歪さと、戦後の日米安全保障条約の元に絶対的に有り得なかった駐留米軍基地を標的にした大体的自爆テロ行為が実は可能だった、という脆弱さを露呈させてしまったのだ。 

 首相官邸と日本政府、及び外務省と防衛省は、米国政府と関係機関が余りにも感情的で都合勝手としか思えてならなかったが、それでも釈明と陳謝に終始するしかなかったのだ。だが、テロ行為で被害を受けたのは米海軍基地だけではなく、横須賀市も甚大な被害と住民の死者数を出し、自衛隊屈指の特殊部隊ともいえるSBUレンジャ―隊員二十名も無残な爆死を受けていたのも事実だった。

 これまで世界中で起きたテロ事件を、対岸の火事のように見ていた日本国民は、今回の事件によってそれらがもう他人事ではない、という事実をいやというほどに目の前へ叩き付けられていた。

 日本国内の世論はこれらの事態を受け、これまで多く国民が反対していた九条改正に対し、憲法改正の賛成意見がにわかに沸き始めていたのだった。

 今日(こんにち)までの、憲法九条と日米安全保障条約を順守する事、米軍駐留基地を否応なく日本国内に認知する事で、曖昧に世界から担保されていると勝手に思い込んでいた平和と安全神話は脆くも崩れ去っていた。今後の日本の安全保障は、これまでのように駐留米軍に寄りかかるだけではなく、早急に憲法九条を改正し、自衛隊に交戦権と集団的自衛権の行使を可能とさせ、更なる武装強化を含めた米軍との一体化を図らなければ、今後の日本の安全と平和は保てない、という軍事有識者や国会議員の意見も積極的に出始めていた。

 一方で、米国防総省は事態の情報収集の為に、直ちにハワイ州スコフィ―ルド・バラックスに本拠地がある陸軍第五百軍事情報旅団の本隊を横須賀へ派遣する事を決定し、先遣隊としてすでに現地で情報収集活動を行っているキャンプ座間駐留の旅団隷下、第四四一軍事情報大隊と合流せよ、と緊急発動した。目的は、武装集団が所持していた武器の種類と分析、瓦礫の中に散らばっているはずの微かな肉魂や血痕跡を採取して徹底的にDNA解析を行い、人種判別から是が非でも国籍不明の武装侵入者が何処の国の人間なのか、を特定する為だった。

 事件直後から横須賀基地周辺と汐入駅、横須賀駅周辺の被害地はすでに米軍が立ち入り禁止区域として全面的に押さえてあり、日本の警察、自衛隊の検識機関が現場を荒さないように完全シャットアウトしていた。この余りにも強引な処置に対して日本政府は主権侵害と激しく米国へ抗議を申し入れたが、駐日大使を筆頭に米国は全く耳を貸さなかった。駐留基地を撃破されたという前代未聞の事態に、まさしく顔に泥を塗られた米国の‘ヨコスカ・ショック’首謀者に対する怒りは、どうにも抑えようのない憎悪に成り代わっていたのだ。

 米国防総省にとっては更に不可解な事案があった。それは、米海軍と海上自衛隊が共同運用している東京湾海底に張り巡らさせた海中のレ―ダ―ともいえるソナ―網SOSUS(Sound Surveillance System)と、衛星監視の目をどう掻い潜って横須賀基地に上陸出来たのか、という事だった。

 侵入方法として考えられたのは、東京湾沖合まで偽装した貨物船か何かで近寄り、そこから放出した小型の使い捨て戦術潜水艦で横須賀基地に接近するという方法だった。事実、米海軍による東京湾の海底探索により、北朝鮮海軍が保有している小型半潜水艇に酷似した船体の残骸が多数発見されたが、それが北朝鮮のものだと断定するのは困難な状態だった。

 KH(Key Hole)といわれる軍事画像偵察衛星やSAR(Synthetic Aperture Radar:合成開口レ―ダ―)監視衛星の暗視記録でも、船籍不明の貨物船が東京湾近くの太平洋上で確認されたが、ヨコスカ・ショック発生時刻以降に洋上を南へ進路をとり、ハワイ方面へ進みながらも何故か忽然と太平洋上で姿を消していた。爆破して、故意に沈没させた可能性が高かった。

 大凡の侵入経路は確認できたが、結果的にSOSUSは反応せず、衛星監視の識別コ―ドも全く役に立たなかったのだった。あるいは、テロリストは友軍識別コ―ド、もしくは衛星監視のプロテクト解除パスキ―をハッキングしたか、不法所持していて、それを悪用した可能性が考えられたが、そうなると毎時スクランブル・コ―ドになっている国家安全保障の最重要セキュリティに穴が開いているという事になってしまい、最秘匿情報が完全に洩れている、という最悪の可能性さえ考えられてしまった。

 ヨコスカ・ショックの三日後、神奈川県議会の民自党系県議会議員と民生党を筆頭とする野党系全県議会議員が、超党派で事件被害にあった横須賀市民を救済する支援団体を急遽旗揚げした。

 この支援団体は、被害者救済の為だけではなく、日本国民が現実的にテロの被害に直面した事から、国民の声の総意として中央への憲法九条改正の嘆願を行う事も活動に含まれていた。団体後援者代表には、すでに政界を引退していた横須賀を地場とする元総理大臣、大泉健一郎が付いていた。

 大泉は、これまで安達総理が提唱していた憲法九条解釈変更には声高に各地の講演などで反対していたが、現実的に横須賀がテロリストによって火の海にされてしまった事実から、国民を守る為の自国防衛の強化なら憲法九条解釈変更、あるいは改正もやむなし、と考えを大きく転換していた。

 これらの動きを発端にして国民のマインドは徐々に変化しつつあった。ヨコスカ・ショック以後の各社世論調査で、これまで反対大多数を占めていた憲法改正反対という意見が激減し、多くの国民が自国防衛強化の必然性を鑑みて、国内のム―ブメントははっきりと憲法九条改正へと振れ始めていたのだった。そんな中、野党第一党の民生党と、第三党の共産科学党だけが一方的な世論の流れに釘を刺し、九条改正反対の根拠として、集団的自衛権の行使が可能となる事によって得られる交戦権復権と自国防衛強化は、単に自衛隊員の生命をより危険なリスクにさらすだけだ、と国民に対して強く訴えた。この野党二党による共闘戦略は、見事に世論を二つに分断した。これをきっかけに、一部のNGOや新興宗教団体、日教組の有志団体や学生と大学院生で組織された団体などが大挙して、国会議事堂前で大々的な合同の反対デモを行ったりした。反対デモのニュ―ス映像を目にした多くの国民は、テロや戦争からの脅威に怯えながらも、本当は自分達が一体どうしたら良いのか、全く判断出来ずにいたのだった。

 その頃、完全封鎖した横須賀基地周辺で、連日血の滲むような活動をしていた陸軍軍事情報隊は、大した成果を上げられずにナ―バスになっていた。自爆した武装侵入者の肉魂は、爆発力の大きさからほとんど焼けて消失しており、そんな状況でもどうにか採取出来た微かな肉魂や血痕は、皮肉な事にいっしょに爆死してしまったSBUレンジャ―隊員のものとDNA鑑定でも判別する事が困難になっていた。

 採取出来た微かな血痕から判明したのは、Kell式血液型での‘kk型’で、アルデビド脱水素酵素ALDH2の1/1及び1/2型だった。これらの血液型遺伝情報は広範囲な人種に跨っていて、アジア人なのか欧米人なのかさえも特定できなかったのだ。

 更に、所持していたと思われる焼け残った武器も、信じられない事に統一性が全くなく、旧ソ連製のAK47やイスラエル製の旧式ウ―ジ―・サブマシンガン、はたまた独製G36アサルト・ライフルや仏製FA―MASライフル、対戦車砲や手榴弾の残骸もロシア製や欧州製だったりした。ヨコスカ・ショック首謀者は、間違いなく故意に人種や国籍を覆い隠そうとしていたのが明らかに見て取れた。

 深刻だったのは、米国の情報機関、CIAやDIA、NSAが、新たなテロリスト組織が世界の何処かで密かに編成されていたかも知れない、という情報を全く持ち合わせていなかった、という事だった。

 世界中の至るところに|インテリジェンス・オフィサ―《諜報員》を密かに配置し、アンテナを隙間なく張り巡らせているはずのCIAの情報収集力を持ってしても、ヨコスカ・ショックを引き起こしたテロ新興勢力の息吹や、その可能性さえ感じ取っていなかった米国の‘世界の警察’を自負するプライドはズタズタに傷つき、どうにもその動揺は隠しようがなかった。

 SOSUS網とKH衛星監視を突破された問題も、日米間でこれといったセキュリティの脆弱性自体を発見出来ない事が、米国防総省と防衛省の間でお互いに疑心暗鬼を生み、日米安保の同盟深化どころか、信頼性と在り方自体が双方で燻り始めていた。

 そして事件発生から二週間後、喫緊に日本の安全保障を是正しなければ、と重くみた安達内閣は意を決して、特別臨時国会を緊急召集し、憲法九条改正へ向けた戦後初の国民投票実施の為の衆参両議院での憲法第九十六条改正決議を決行した。衆参両議院での必要な三分の二の賛成は、民自、共民党の両与党だけの議員数では賄えなかったが、野党第二党の日本革命会の全議員が賛成し、反対派だった民生党、共産科学党の役員以外の所属議員全員が突如離反して賛成に回った。それら以外の弱小政党も全て、国民に向けての国会発義に賛成したのだった。結果、三分の二を上回る賛成数によって、憲法解釈という安達総理が促していた既定路線を大きく飛び越え、戦後GHQ/SCAPが定めた日本国憲法の初改正へ向け、日本は歴史的な、そして後戻り出来ない一歩を踏み出したのだった。政府はこの結果を受け、この国会発議後六十日後に憲法九条改正の是非を問う国民投票を実施する事と、九条改正草案の文言も正式に発表した。

 これに併せ、与党民自党は国民投票前に新たな自衛隊関連新法案である‘自衛隊特別恩赦任務義務法’を国会へ提出した。それは、貴重な自衛隊員の生命を危険にさらすのを避ける為に、新たに‘特任義務自衛官’というポストを設ける法案だった。

 その特任義務自衛官とは、憲法九条解釈変更による集団的自衛権の行使及び、交戦権を自衛隊が得る事によって、声高に渦巻く世論の双璧たる自衛隊員の生命リスクを回避する為に、凶悪な殺人罪で死刑が確定している囚人を短期間の猛訓練でコマンド(自衛官)に仕立て上げ、国連や米国から紛争地への国際協力を求められた際に‘派兵’する事によって刑を政府特別恩赦するという、囚人による派兵専門部隊の創設だった。

 これには、自衛隊法第三章「部隊」第一節第十条に八項の追加、第五章「隊員」第一節第三十条の二項の一号から七号に、更に八号としての追加、同第二節第三十五条に第四項の追加、及び第三十六条に第三項の追加、同第四節五十九条に第四項の追加、第六十五条に第二項の追加、及び第六十七条に第四項、第六十八条に第五項の追加、更に第六章「自衛隊の行動」第七十六条、第七章「自衛隊の権限」第九十五条、第九章「罰則」第百十九条などの改正を求めたものだった。

 そしてこの自衛隊関連新法案には、関連法として法務省管轄の刑法改正も必要とされ、刑法第二章「刑」第九条に二項の追加、第十条に四項の追加、第十一条の改正及び、三項の追加も含まれていた。特に極刑が謳われている第十一条は恩赦を含め大きく改正され、追加された第三項には更に一号から五号の条文も盛り込まれた。

 これら一連の関連法案発表を受け、当然のように野党各党首や左翼系人権団体に日弁連、そして朝日新聞は、幾ら凶悪な罪を犯した死刑囚といえども人権侵害も甚だしい、と猛反発して政府の愚行を国民へ訴えた。だが、実際にテロリストの標的となった横須賀の惨状を直視していた国民にとって、彼ら反論者の声はうわべだけの綺麗事と化し、誰かが犠牲となるのもやむを得ない、あるいは、死刑になるような凶悪犯や殺人犯は国民の為に犠牲となるべきだ、というような乱暴な感情へと既に傾き始めていた。誰もがテロの恐怖と脅威に怯え、それらを抑え込むように何かにしがみつこうとしていたのだった。

 国会で連日審議が続く中、ある朝の通勤時間帯の山手線外回り有楽町駅付近で、原因不明の車両爆発事故が突如発生し、車両内にいた通勤者千五百人が爆死した。

 ほぼ同時刻に東京メトロ有楽町駅構内でも数か所で爆発が起き、地下十八メ―トルにある駅ホ―ムは天井が崩れて線路はコンクリ―トの瓦礫に潰された。

 タイミング悪くそこへ和光市行きの電車が突っ込んでしまい、連鎖した事故によって地下鉄線路坑道内で大爆発が続いた。その爆発力は日比谷線側にも波及して周辺各駅を繋ぐ地下連絡通路は誘爆の炎と高温で焦土と化してしまっていた。

 この惨事に、NHKと民放各局が緊急に飛ばしたヘリ数機からの何カットにもよる上空現場映像では、有楽町界隈の高層ビル街が為す術もなく広範囲で誘爆による火の手に包まれていた。崩れた建物のコンクリ―トや、破壊されたアスファルトが粉塵化して大量の埃となり、大気を汚らしく灰色に濁らせていた。 有楽町駅に隣接する大型家電量版店ビルや、新有楽町ビルの基礎部分が爆発によって破壊され、ピサの斜塔よろしく倒壊していたビル群の空撮映像が大写しになり、余りにもショッキングな光景として全国へ中継された。ヨコスカ・ショックに続く何者かによるこの同時爆破テロによる有楽町駅周辺の死者は一万人を超えてしまっていた。

 この日の日経平均株価は、鉄鋼、造船、製造業、非製造業、輸出関連株全てが大きく売り込まれ、午前、午後とも全銘柄ストップ安という非常事態でマ―ケットが閉じられた。対ドル為替市場でも全面的に円が売り込まれ続け、急激な円安ドル高のポジションとなって引け、これを受けた翌日のニュ―ヨ―ク、ロンドン、シンガポ―ル、香港、上海の各マ―ケットでも日系株は売りに売られ、日本企業は資産価値を大きく失いつつあった。この状態はたった一週間で二万円を超えていた日経平均株価を、あっという間に一万円を割るか割らないか、というところまで急落させていたのだ。経団連と経済同友会はこの事態を重く見て、事態の収拾と改善、つまり九条改正を速やかに行い、テロの脅威の影響によるグロ―バル社会から見た日本経済の信用不安の早期排除の為の嘆願書を連名で政府へ提出した。テロの影響によって、日系企業に対する信用不安で冷え込んだ投資家心理の回復重要度は、日本にとって喫緊を要する安全保障問題と同レベルになっていたのだ。

 ヨコスカ・ショックに続いた有楽町爆破テロに国民はパニックに陥った。国籍不明のテロリスト組織から「日本もテロの標的になっている」というメッセ―ジをまるで示されたように、どうにも受け入れ難い現実を飲み込むしかなかった。

 九条解釈変更や改正反対と叫んでいた野党党首達や多くの憲法学者、反対デモ抗議を行っていた各団体などの反論者達も無差別大量殺人の連続犯行に顔色を失くしてしまっていた。そんな中で、衆議院での各特別委員会、中央、及び地方公聴会での審議を含めた採決は粛々と進んでいった。そして法案審議が参議院へ移った会期中、今度は長崎の米海軍第七艦隊佐世保基地が、ヨコスカ・ショックの時と同じ深夜に、海上から忍び込んだ国籍不明のテロリスト群によって強襲と自爆テロが行われ、艦隊ドックと補給燃料庫、そして停泊していた強襲揚陸艦ボノム・リシャ―ルが壊滅的なダメ―ジを受けた。この時も自衛隊側基地施設は全く狙われず、よって自衛隊はヨコスカ・ショックの二の舞で、集団的自衛権の行使不可の為に駆けつけ警護の手出しが全く出来なかった。

 無力な日本政府を全く無視するように、米国防総省は佐世保基地襲撃テロを受け、大統領令で戦争への準備態勢を五段階に分けた‘デフコン(Defense Readiness Condition)’を、9.11同時多発テロ発生以来のレベル3に引き上げた事だけを全世界へ向けて粛々と発表した。 

 二度の米海軍駐留基地襲撃を含む連続爆破テロと、米国のデフコン・レベル3引き上げの影響で、ほとんどの与党、野党議員の思考回路は完全に凍ってしまい‘自衛隊特別恩赦任務義務法’に対する突っ込んだ議論も中央公聴会で大して行われる事もなく、特別委員会での採決が可決され、参議院本会議での採決を迎えていた。

 連続爆破テロリストの国籍や正体も、未だ日米の情報機関双方で全く掴めていないという、どうにも情けない状況だったが、日本国民にとってそんな事はどうでも良くなっていた。日本の何処でいつテロが起きたとしてもおかしくない、或いはいつ自分自身がテロの被害に遭うかも判らない、という空気が国内を覆っていて、国民が日々の生活の中で抱えるテロへの恐怖心は、すでに限界に達していたのだ。

 当初‘自衛隊特別恩赦任務義務法’がいかに非道で人権を無視したものか、と国民に訴えていた人権団体や日弁連は影を潜めたように静かになっていたし、三大誌で唯一反対キャンペ―ンを張っていた朝日新聞は、社説と評論を担当する論説委員記者が、これまで誌上で訴えて来た事を全く忘れてしまったかのように「喫緊な我が国の安全保障の改善、増強が必至」というような真逆の記事で論説欄を埋め、遠回しな文章表現で九条改正を読者に促す始末だった。

 すでに国民の誰もが、安達内閣が想定した中国やロシア、あるいは北朝鮮からの可能性としての軍事的脅威よりも、身近に迫ったテロ行為の方が脅威だったのだ。世論はそれから逃れる為に、暗黙のうちに九条改正と、自衛隊の軍備強化による‘軍化’を密かに望んでいたのだった。それが非情な新法によって編成された軍隊だったとしても、国防の盾として、あるいは国民達の身替わりとなって国を守ってくれるなら、それが凶悪犯だろうが、殺人犯でも誰でも構わなかった。そして、顔の見えないテロリストに怯えた世論という民意の後押しによって、自衛隊関連新法案は憲法解釈変更の範疇内として参議院本会議で賛成大多数により簡単に可決、承認された。

 その後、正式な九条改正の為の国民投票は、政府発議後の六十日目の、皮肉なのか、あるいは政府の狙い通りだったのかは誰にも判らなかったが、偶然にもその年の‘九月一日(9.1)’にきっちりと取り仕切られ、戦後初となる、そして後戻りの出来ない日本国憲法九条の改正が、淡々と国民によって承認されたのだった。

 これにより日本国憲法第九条は


「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 2

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」


 という現行の文言から、すでに政府発表していた草案がそのまま採択され、その九条第一項が


「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争は放棄するが、我が国の存立や、国民の安全が根底から覆される場合に限り、武力による行使を用いる事を可能とする。国際紛争を解決する手段としては、他国から我が国の存立が脅かされない限りは、これを用いない」


 という文言に改正され、第二項は削除された。代わりに第九条の二「自衛の為の軍体制」が新設追加されたのだった。


 特任義務自衛官として出所が許された真辺を含む全国の刑務所各地にいた‘死刑囚’数十人は、政府が特定機密事項として世間に秘匿している特任自衛官訓練場へと内密に移送され、そこで一年間みっちりと‘自衛官(コマンド)’としての厳しい教育を受けさせられた。

 悪しきにも殺人経験がある暴力団員や殺し屋が多数を占めていたとはいえ、これまでコマンドとしてのスキルが全くない彼らに、一年間の短期間で高度な戦闘訓練、及び銃火器の扱いと射撃を含めた一撃必殺で敵を(あや)めるという‘プロフェッショナル’に仕立て上げるのは、当然の如く困難を極めた。

 陸上自衛隊の精鋭部隊である中央即応集団、通称‘CRF(Central Readiness Force)’が当たった訓練では、三分の一の死刑囚が第一次段階で落伍したし、落伍者は情報秘匿の観点からも即その場で銃殺された。政府は、余りの落伍者の多さを危惧し、追加法案で無期刑の囚人も特任義務自衛隊員として編入させる法案を国会に上程しなければならないほどだったのだ。

 この新法プロジェクトに関わっている政府と法務省、及び防衛省の各閣僚と官僚達は、社会に対するこの行為の秘密保持の為と、一度は死刑を免責したという事、そして政府内の最高峰の機密を保持するという事の為に、銃殺という行為をCRF隊員に致し方ない任務として行わせていたのだった。一度は死刑を恩赦されたとはいえ、真辺達はそこでも生きのびる為に必死で厳しい訓練に耐え続けた。生き延びた死刑囚だけが特任義務自衛官として特別部隊に編入され、最終課程として東富士演習場に送り込まれた。そこでCRF選抜部隊と更に三日間に渡る激しい模擬戦闘演習をクリアしたものだけが‘派兵専門’の特任義務実戦旅団へと配属されたのだった。



 憲法九条が改正された‘九月一日’からすでに二年が過ぎ、真辺達がISAFに‘派兵’されてから七か月が過ぎていた。この地での特任義務自衛官の任務期間は、通常の自衛官がPKOなどで海外派遣される任期六ヶ月よりも断然に長い、三年という長期間が決まっていた。しかも特任義務自衛官が派兵先から‘逃亡’する事は、彼らの体内の何処かに埋め込まれたGPS追跡発信器で事実上出来なかった。そして、逃亡した事が衛星探知解析で判明すれば、その発信器自体と、更に数か所に埋め込まれた微細型二液性爆薬によって‘処罰’されるという噂が特任義務自衛官の中で、真実なのか嘘なのか‘都市伝説’的に蔓延っていたという事実もあった。

 仮に任務地で生き延び、任期満了で帰国出来たとしても、米国からの要請があればすぐにまた別の紛争地へと派兵される運命にあったのだ。




 しばらく進んだ先の右手にアフガニスタン防衛省の半壊した庁舎が見えて来た。真辺達を乗せたハンヴィ―は、ほとんどの窓ガラスが割れて、壁に幾つもの大きな罅が入った防衛省舎の脇をあっという間に通り過ぎ、中央に半壊した大きな噴水の石像がある円形のロ―タリ―に差し掛かった。ハンヴィ―は一時停止もしないまま、水の出ていない噴水のロ―タリ―へ勢い良く進入し、ロ―タリ―を三分の一ほど回ったところで右手へ折れて、サル大通りへ差し掛かった。変わらず瓦解した建物が続く街並を二ブロックほど通り越した先に、崩れかけた低層ビル群の中で、そこだけ不思議と別世界のように大して傷つけられていない白亜で近代的な中層建物のカブ―ル・スタ―・ホテルがにょっきりと鎮座しているのが違和感を伴って四人の目に映り込んだ。

 ク―パ―一等兵は、サル大通りの荒れた歩道を行き交う、疲れ果てているようにしか見えない歩行者を注意深く避け、綺麗な石畳が敷かれたホテルの車寄せの入口へハンヴィ―を慎重に進入させた。そこは、カブ―ルでは珍しく感じるほどの緑に溢れた大きな花壇で歩道と車寄せが隔たれていた。

「あれ?」

 少し驚いたようにク―パ―が囁いた。数段の階段になっていたホテルのエントランス真ん前には、ガトリング銃座を装備したハンヴィ―よりも一回り以上大きい八輪装甲車のストライカ―がすでに一台停まっていた。ストライカ―前上部の銃座には、車体と同様な迷彩が施されたヘルメットと防弾ボディ・ア―マ―を装備したコマンドが、ガングリップを握りしめながら辺りの様子を神経質なほどに窺っていた。

「随分と仰々しいじゃないか、えっ、こりゃ一体どういう事なんだ、ク―パ―、護衛任務は俺達だけのはずじゃなかったのか?」

 ク―パ―がガトリング銃座装備のストライカ―の後ろへ並べるように止めるのももどかしく、グリフィス二等軍曹は乗っていた丸腰ハンヴィ―の助手席ドアをぞんざいに荒っぽく開いた。

 サル大通りにガトリング・ガンを向けていた小太りなガンナ―のゴ―グル越しの視線は、グリフィスが苛付きながらいそいそとハンヴィ―から降りたのを認め、遠目に見えた階級章からその男が自身よりも上官だと瞬時に認識した。すぐさま右手をグリップから離し、太々しい感じで歩み寄って来るその男に向かって敬礼を送った。

「ご苦労様です、軍曹殿」

「ご苦労、マ―ティン……一等兵」

 砂混じりの乾いた大気の中をグリフィスはM4カ―ビンを携えて近づきながら階級章と名称タグを確認しつつ、銃座に向かって軽い敬礼で済ます。その様子を窺っていた真辺は、車酔いを起こしてしまった堀越を気遣いながら左側の後席ドアをゆっくりと開いた。

「貴様、誰の、何処からの命令でここにいる?」

 銃座を見上げるように近寄ったグリフィスの乱暴な物言いにマ―ティンは怯んだ。車内の真辺は、前方の二人のそんなやりとりを一瞥し、ハンヴィ―の後方を窺いながら八十九式アサルト・ライフルを構えるようにゆっくりと石畳の上へ降り立った。堀越も真っ青な表情のままに真辺に続き、反対側のドアから表へ出る。

「はっ! 第三師団配下、キャメロン中佐殿が率いる第五大隊所属、第十八小隊長、モルソン少尉殿直々の命令であります!」

 敬礼を一瞬だけ慌てたみたいに崩し、防弾ヘルメットの右側から口元へ伸びたインカムマイクを、邪魔だと言わんばかりにどけるような仕草をして答える。

「第五大隊ぃ?……モルソン少尉殿直々の命令…………だとぉ? そんな話聞いてねぇぞ!」

 怪訝なグリフィスとは視線を交わさず、マ―ティンは固く敬礼したまま一点を見詰めたままだった。

「ISAF・HQからの指令じゃなぇのか? 大体、キャメロン中佐殿の主要部隊は、タリバ―ン残党の掃討作戦に充てられているはずだが?」

「はっ! モルソン少尉殿の我が第十八小隊だけが、本国統合参謀情報部及び、ISAFより専門に‘特務’を請け負っているのであります!」

「統合参謀情報部!? インテリジェンス・コミュニティが何で? 何の関わりがこの要人警護にあるっていうんだ。おかしいじゃねぇか? しかも治安維持軍の特殊任務専門チ―ムだとぉ!? そんな部隊編成さえ初耳だぞ!!」

 グリフィスの耳には知らない尽くしの情報ばかりが届く。今ここにいる自身が何者なのか見失いそうな錯覚が地面からぬるりと這い上がり、微かに脱力して、持っていたM4さえ地面に落としそうになった。

「それで、その特務とやらの指令の内容は?」

「はっ! 要人警護であります! タリバ―ン内通者の密告により、このホテルに滞在しておられる、本日ご帰国予定の日本と我が国の要人が襲撃されるとの情報を元に警戒監視を行いつつ、日本の軍需産業‘ヒシイ・ヘビィ・インダストリ―ズ’重鎮と関係者数名及び、我が国の同産業‘ジェネラル・エレクトロリック・エナジ―’と‘レイセオン’の各幹部殿数名を、カブ―ル国際空港まで安全にお連れする為の帯同警護であります! 現在、モルソン少尉殿が部下三名を連れ、要人をお迎えする為に、お部屋に直接お伺いしているところであります!」

「米日の要人数名ずつって、そんな複数人の警護なんていう情報は、こっちはもらってないが……それにしちゃ、移送用車両が到着していないじゃないか……移送手段は?」

「このストライカ―と、も、もうじき到着予定のハンヴィ―に分乗して頂く予定であります!」

 詰め寄るようなグリフィスの物言いにマ―ティンが視線を逸らしたまま返答した。偶然にもその先に、エントランスの回転扉の向こうに迷彩柄のヘルメットと、防弾ア―マ―姿にアサルト・ライフルを携えた姿がマ―ティンの目に映り込んだ。

「自分の口からは大変お伝えにくいのですが…同様の指令をISAF・HQ直属隊から受けているグリフィス二等軍曹殿には、我々のバックアップ任務に入ってもらえ……との事でした!」

「バックアップ……だとぉ!?」

 何かがおかしい、とあっけにとられたままのグリフィスの視界の隅に、要人移送用と思しき非武装のハンヴィ―がホテルの車寄せに勢い良く進入して来たのが映った。グリフィスの背後と、ストライカ―周辺を警戒していた真辺と堀越が、無慈悲に進んで来る移送用ハンヴィ―から飛び避けるように通路から退く。ク―パ―は、その様子を一人残ったハンヴィ―の運転席から何故かニヤリとしながら呑気に眺めているだけだった。

「マ―ティンどうだ、約束の‘リムジン’は来たか?」

 耳に障るノイジ―な空電音が発せられた後、マ―ティン一等兵のインカムにモルソン少尉の声が響く。

「たった今到着しました!」

 どけたままだったインカムマイクを慌てて戻すように掴んで素早く返答する。グリフィスはその様子を一瞥してから視線をホテルのエントランスへと素早く向けた。

 移送用ハンヴィ―は、ク―パ―が残ったハンヴィ―とストライカ―を通り越し、二台の前で車寄せへぞんざいに停車した。

「よし、判った、周囲の安全は確保出来ているな?」

「大丈夫です! 現在、特任自衛官二名を引き連れたグリフィス二等軍曹のチ―ムとも合流し、周辺警備を継続しております!」

「了解した。今から要人を連れて出るぞ!」



 真辺と堀越は、八十九式ライフルを胸の前に携えたまま、周囲を警戒しながら花壇で隔たれた車寄せ入口近くまで移動していた。ホテルに面したサル大通りの歩道を行き交うぼろ雑巾のように疲れ果てた歩行者達の挙動、周囲に建ち並ぶ壊れかけた低中層の建物群の窓や出入り口に素早く注意を払い続け、いつ何処からかテロリストから撃たれるとも限らない恐怖心と否応にも向き合っていた。特任義務自衛官として派兵させられた現在のアフガニスタンは、全てが真辺にとってこれ以上ないというほどの修羅場か、地獄そのものにしか思えなかった。

「大丈夫か、堀越?」

 通路の反対側で、生気を失い掛けたような堀越の様子を窺う。

「あ、あぁ……」

「集中しろ! 堀越、辛いのは判るが、死にたくなければ集中するんだ!」

 堀越にそう発破を掛けながら、背後のホテル・エントランス周辺へ視線を泳がす。ストライカ―の傍らに立つグリフィスがM4カ―ビンを胸の前で構えて周囲を注意深く窺い続ける中、エントランスの回転扉が突然ゆっくりと回り始めたのが堀越の目に映った。ゆっくりと回り続ける回転扉の中から、ボディ・ア―マ―に大きなバックパックを背負ったフル装備の大柄な米兵一人だけが、M16アサルト・ライフルを構えながらゆっくりと、そして辺りを探るように低く身構えた姿勢で出て来た。階段に脚を掛けながら念を入れるようにエントランス先で上下左右と周囲を執拗に警戒するその米兵コマンドが、特務小隊を率いるモルソン少尉だとは真辺達には知る由もなかった。

 モルソン少尉は周辺の安全性に納得したのか、扉の中へ向かって、出て来い、というように右手を上げて合図した。

 エントランスからストライカ―までの距離は十メ―トルほどしかなかった。動いた回転扉の中からまた一人コマンドが現れ、続いて灰色のス―ツ姿に白髪を綺麗に七三に撫で付けた痩せた年配の東洋人が、怯えたように促されながら歩み出て来た。グリフィスがその日本人と思しき初老の男に急いで近付き、M4を構えたまま周囲から庇うようにその男に背を向け、モルソンと伴にストライカ―の後部乗降口を目指した。

 その初老の男を筆頭に、老若な日本人や米国人と思しき男女数人が、次々と残った警護の米コマンド二名に混じって回転扉を恐る恐る出て来る。要人は、先頭の初老の日本人を含めて九名だった。

 それを視認した真辺が再びサル大通りへ注意を向けようとした時だった。辺りの大気を粉々に切り裂くような爆発音がいきなり轟き、真辺の鼓膜を痛めつけるように揺るがした。突然の事で何が起こったのか全く飲み込めないままに、慌てたように首を振って周辺を見回すと、ストライカ―の銃座にいたマ―ティンの頭と顔が消されたように血飛沫を上げながら喪失していた。

「何ぃ!?」

 真辺が驚愕の声を発した刹那、マ―ティンの頭を吹き飛ばしたグレネ―ド弾が車寄せの石畳に着弾し、粉々になった石の破片が四方八方へ無境に飛び散った。そのせいでホテルのエントランス周辺の窓ガラス全ては跡形もなく割れて吹き飛び、その爆風と伴に真辺の身体も強烈な加速度で後ろへ吹き飛ばされた。 飛び散った破片が音速に近い速度で避ける間もない真辺を霞め、制服の上から腕や脚の肉を部分的に剥ぎ取った。その時、表面が穴だらけに成り掛けたハンヴィ―から無傷のク―パ―が何故かのっそりと出るのが目に留まった。テロリストからいきなりの襲撃を受け、慌てて逃げるように車外へ出た、という動きには不思議にも見えなかった。

 ク―パ―は、そのまま生い茂った植栽の中へ低い姿勢で紛れ込むように何故か入っていく。直後に、ク―パ―が乗っていたハンヴィ―が、バズ―カ砲か、もしくはクレネ―ド弾の直撃を受け、飛び跳ねるみたいにひしゃげて簡単に大破した。

「ううっ!」

 ようやく激痛が神経へ届いた瞬間に、真辺は今何が起きているのか、という現実を否応にも受け入れざるを得なかった。

 黒煙と炎が辺りを覆う中、地面に横たわったままホテル・アプロ―チの反対側へ素早く視線を向けると、そこに立っていたはずの堀越が見当たらなかった。

 視線が斜めに傾いたまま真横へ下ろすと、堀越は直撃を受けたか、或いは爆風で吹き飛んできた破片か何かで、胸の辺りから無残にも身体が真っ二つに千切られて既に死んでいた。分断された身体の周辺は、溢れ出た血が水溜りみたいに拡がっていた。

「何処だ! ……何処からだ!?」

 雨のようなライフル弾の連続掃射がストライカ―周辺へ降り注ぎ、言いようのない恐怖感を伴って真辺の目に焼き付いた。乾いた連射音が響く中、歩道を行き交う大勢が悲鳴を叫びながら逃げ惑い、モルソン少尉以下の要人達に対してもそれは全く容赦がなかった。

 ボディ・ア―マ―を着用していたモルソンでさえ多量の銃弾を浴びて四肢は粉々にされ、九名の要人全ては避ける間もなく簡単に死に絶えていた。日本の要人を庇うように立っていたグリフィスの身体も敵弾に倒れ、かろうじて手足が繋がっているだけのようだった。

「あそこか!!」

 真辺の目に飛び込んだのは、大通りの反対側対面に立地する朽ち果て掛けた雑居ビルの屋上や中層階の窓、そして出入口からタリバ―ンらしきテロリスト達がエントランス周辺へ向けて襲撃している姿だった。その屋上から再び鈍い破裂音を発してグレネ―ド弾が閃光の尾を引きながら射出され、着弾したエントランスの回転扉周辺を跡形もなく消滅させた。爆風で巻き散らかされた破片の雨が、動けない真辺へ執拗に降り掛かる。

「そんな……まさか!?」

 ホテルの対面建物からの襲撃なんて、余りにも迂闊過ぎて「あり得ないだろ」と真辺が呻いた時だった。割腹のある身体が蜂の巣のようになった血塗れのグリフィスが、僅かに残った渾身の力を振り絞って立ち上がり、ストライカ―にのろのろと歩み寄った。頭がなくなってぐったりと銃座に寄り掛かっていたマ―ティンを捨てるように引きずり降ろし、車体上部へよじ登ろうとしていた。

 ガトリング・ガンのグリップに、グリフィスが鮮血で染まった真っ赤なぼろ雑巾みたいな手を掛けたその時、激しいライフル掃射音の重奏が再びホテル周辺の大気を震わせた。

 弾丸の雨はグリフィスに全て注がれ、瞬く間に挽肉のようになって硝煙の舞う乾いた埃っぽい大気の中で赤く散っていった。嵐のような襲撃の中、生き残っていたのは真辺だけで、それも真辺本人にとってはもう時間の問題のようにも思われた。ISAF・HQへ救援の要請する隙も与えられず、部隊と保護すべき要人は簡単にテロリスト達に殲滅させられていた。

 ホテル・アプロ―チ入口の片隅で夥しい出血と苦痛に喘ぎながら横たわったままの真辺は、どのみち刑務所の絞首刑台で死ぬはずだった事を今更ながらに思えば、特任自衛官として激戦地へ飛ばされて来たとはいえ、ここまで生き延びられたという奇跡を少なからず神に感謝した。

 残虐な強盗殺人を犯した自身の死に場所が、地獄絵図のようなこのカブ―ルだったとしても仕方ない、という諦めた感情が全身を覆い尽していた。ここでライフル弾を多量に浴びて身体が八つ裂きにされ、たとえそれが非情で残酷な死に方だったとしても、真辺自身にとっては相応な神からの罰のようにも受け取れていた。

 観念したように仰向けになり、散り散りの破片が混じった砂埃と黒煙が覆う上空を仰いだ。目を瞑り、死への覚悟を受け入れた時、辺りに満ちていた怒号のような銃撃音は不思議と止んでいた。

 俺はもうすでに死んでいるのか、と悟った束の間、満身創痍の真辺の耳元に近付くコンバット・ブ―ツ独特の鈍い足音がゆっくりと伝わった。

 タリバ―ンのテロリストに違いない、と諦めながら瞼をのっそりと開くと、硝煙が漂う中を近付いて来る細りとした体躯の男が目に映った。横たわった真辺の間近に寄ったその男はベンジャミン・ク―パ―一等兵だった。まるで何事もなかったような綺麗な身形(みなり)と、涼しい表情で真辺を見下ろす。

「な、何でだ、あ、あんた……い、一体……何なんだ…………な、なんで!?」

 苦痛の中、見上げながら不慣れな英語で言葉を絞り出す。真辺の目に映るク―パ―は、激しい戦闘があったというのに、その場には不釣り合いみたいにライフルさえ携行していなかった。その代りに左手には、スマ―ト・フォンみたいな携帯端末が握られていた。

「直ぐに撤収して散開しろ。それと‘それらしき’という痕跡はかならず予定通りに残せよ、いいな、絶対に忘れるなよ!!」

 ク―パ―は握っていたスマ―ト・フォンらしき端末ではなく、右耳内に仕込まれたと思われるイヤ―プラグ型好感度無線機を右手で押さえるようにして呟いた。

「今となっては、お前を死なすわけにはいかねぇんだ。まぁ、本当はお前でも、もう一人の方でも、いや、特任自衛官だったら誰でも良かったんだがな、生憎にもお前の相棒はすでに肉の塊になっちまった」

 右耳から手を離しながら薄笑いを浮かべるク―パ―はそう言い、身体を真っ二つに千切られてしまった堀越の亡骸へ向かって顎を杓った。

「全くお前は運がいいぜ…………元死刑囚の……マナベ特任一槽」

「ど、どういう…………意味だ!?」

 先程のハンヴィ―車内とは喋り方や態度が全くの別人みたいなク―パ―は真辺の問いを無視し、持っていた小さな端末の画面を不気味な薄笑いのままに突然スワイプさせ始めた。

「お前はなぁ、今じゃ貴重な‘サンプル’で‘俺達’の大事な‘生き証人’なんだよ。その為にわざわざこんな大袈裟で面倒くさい、しかも手間の掛かる仕込みが必要になった、というわけだ。まぁ、邪魔な連中を始末するのにも好都合だったんだけどな……そう、丁度いい機会だったのさ」

 お茶らけた若者が何か悪戯を楽しむみたいに、ク―パ―は小さな端末画面でスワイプとタップを繰り返した。まるでゲ―ムで遊ぶみたいに操作し続け、急に閃いたように「多分、解析が間違っていなければ、この操作コードでいいはずだ」と呟きながら動作を止めた。

「お前に面白い物を見せてやる」

 ク―パ―は、流れ出た血の海の中で肉塊となった堀越の方へ再び顎を杓った。

「見てろよ」

 薄笑いのままのク―パ―は画面を軽くタップした。その直後、身構えるように身体を丸めたク―パ―の背後で、堀越の身体が沸き立つような突然の火柱に包まれ、間髪を入れずに凄絶な爆発を起こして散り散りに飛散した。

「えっ!!」

 バ―ベキュ―・コンロで肉を焼いたような臭いが辺りに立ち込め、硝煙の中を更に細々な肉片が辺りに舞い散った。その多くがク―パ―と真辺の身体に降り掛かる。

「けっ! 服が汚れちまったじゃないか、発火出力を最小限に下げたはずだっていうのにこのザマかよ。解析部門は一体何やってんだよぉ!」

 ふざけるな、と毒づくク―パ―の眼下で真辺は、散り散りになった堀越の焦げた肉片を嫌というほど浴びて、急速に吐き気が込み上げた。苦痛と嘔吐感が交互に真辺を襲ったが、目の前でたった今起きた事象がすぐには上手く飲み込めなかった。

「つまり、こういう事だ。だから、お前は‘解析されるべきサンプル’なんだよ」

 言いながら鬱陶しそうに降り掛かった肉片を払い、持っていた端末を再度スワイプして操作し始めた。それを認めた真辺は咄嗟に我に帰り「まさか!?」と背筋に驚愕の戦慄が稲妻のように走った。

「よ、よせ、や、や、やめろ!!」

「判ってねぇなぁ、だからお前は大事な生き証人なんだって」

 うんざりだ、と言わんばかりにク―パ―がぞんざいに端末画面をタップすると、真辺の脳内に雷鳴が轟くような衝撃と激痛が襲った。悲鳴を上げる間もなく、モニタ―の電源が突如切れたみたいに真辺の視界がブラックアウトした。


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