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翔陽伝  作者: South.K.Mackenzie
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 牛の周囲を、多数のはえが飛び回っている。

 蠅の群れのうちの一匹が、牛の背中にとまった。牛が物憂ものうそうに尾を振ると、蠅はすっと飛び立った。

「準備できたか、新九郎しんくろう?」

 オーウェンが声をかけてきた。

「おまえ、なにを見ていた?」

「牛を」

「変わったやつだ。飽きないのか?」

「故郷では、牛は人と同じくらいいた。友だちみたいものだから、一緒にいると安心するんだ」

「そういうもんかね。俺の故郷にも牛はいたが、友だちのように話しかけているやつはいなかった」

「準備ならできてるぜ」

「よし、行こうか」

 オーウェンは軽装だった。牛の角に巻かれた手綱のような縄をくと、草の上に伏せていた牛はゆっくりと動き出した。木でできた車に牛を繋げると、小屋から持ってきた商品を次々と車に載せていく。

 小屋での生活も、三日経った。初めて虎之助とらのすけに連れてこられた日の翌日から、オーウェンの仕事を手伝った。外から運ばれてくる一抱えもある木箱を、オーウェンの指示に従って指定の場所に積み上げていく。それから、特定の時間に集荷にやってくる業者のために、出荷する荷物を振り分けていく。オーウェンのやっている仕事は、そういったものだった。

 木箱は、万遍まんべんなく物がぎっしりと詰まっている。入っている荷物によって、その重さは変わってくる。重い物ばかり詰まっている箱を天井に近い棚に載せる時など、体力も精神も酷使こくしした。

「出発だ」

 オーウェンが先導して、牛を曳いて歩き出した。のんびりと牛が後に続き、それを追うように新九郎もついて行く。

 故郷では、重労働もあった。手押し車に米俵を五も十も載せて、山を越えたりもしたのだ。労働の色は違えど、肉体の遣い方は同じである。だから、ちょっとしたコツを掴めば、ぐっとからだの疲労を抑えられるという点でも、共通点はあった。不思議なもので、やっていることは故郷でも変わらないのだ、と考えると、急に肩の力が抜け、自然なかたちで動けるようになった。

「いい天気だな」

 オーウェンが言う。

 雲ひとつない空は、余すことなく陽射しを放つ太陽を、蕭然しゅくぜん鎮座ちんざさせていた。

 日照にあてられた草花や木々の匂いが、新九郎の鼻をたのしませた。それは故郷の土地がかもす香ばしい香りに似ており、同時に新九郎の望郷心をくすぐった。

 道は、地平に吸い込まれるかと錯覚するほどどこまでも続いている。

 予定していた時刻に、最初の荷揚にあげ場所に着いた。そこはオーウェンの小屋に似た構造をしていたが、いくらか拡い。使役している人足も、五人ほどいるのだ。ひとりきりで切り盛りしているオーウェンのところよりも、ずっと繁盛していると言えるだろう。

「景気はいいみたいだな」

「見た通りだよ。おかげ様で、前よりはずっとうまくやっていけている」

「それはあんたの才覚によるものなんじゃないのか」

「時と場所、そして人だな。最近は、つくづくそう思うよ」

「商売も、同じことさ。いや、それよりもずっと、時と場所は大事だな」

「あんたのとこは、どうなんだ、オーウェン」

「まずまずだ」

「あんたは、いつもそうだ」

「いつも、まずまずを求めている。人間、中庸ちゅうようが大事だ。欲張ろうとすると、必ず手痛い失敗を舐める」

「爺いみたいな言い方だな。それより、最近は都や近郊で絹が売れているそうだ。それから、筆と炭。地方、特に聚落しゅうらくでは、薪も需要があるみたいだな」

「今年は、きこりも難儀しているらしいからな。いいことを聞いた」

 半刻ほどで、荷揚げは終わった。

「新しい小間使いか?」

 小屋の頭領らしき男に、声をかけられた。

「まあ、そんなものです」

「若いな。これから、よろしく頼むぜ」

「はい。こちらこそ」

 再び、新九郎一行は出発した。

 途中、不思議な集団を眼にした。五人ほどの人間が、綺麗な隊列をつくって道を往くのだ。それだけなら、特に眼をくものでもなかったが、背後に呪詛の言葉にも似た、怪しげな紋様の縫われた黒い外套がいとうまとい、少しうつむき加減に進行しているのだ。それを全員が同じ格好をしているというのなら、どんなに田舎者であろうとも、いや、田舎者であるからこそ、その特異さに意識を奪われるのかもしれない。

「あれは、ギルドの者たちさ」

 怪訝に思っていると、その気配を察知したのか、オーウェンが説明してくれた。

「ギルド?」

「街や都市での生活をより良いものにするために働く、民間の私的団体だ。大抵の場合、住民にとって有益な行いをするが、すべてがそうではない、ということは覚えておいた方がいい。特に、アカデメイア付近で行動するならな」

「ギルドってのは、いっぱいあるのか?」

「大小を問わず、存在自体は多い。ただ、われわれの生活に影響を及ぼすほどのものは、数えるほどだな」

「それは、例えば州や都市が雇っている役人とは違うくくりりなのか?」

「違う。やつらは自分たちの信念や規約、利益に則って行動している。だから、やつらにとっては正義の行いでも、われわれにとっては迷惑な行為、というのはよくある話だ」

「そんな横暴なことをするやつら、役人の糾弾きゅうだんをうけそうなもんだがなあ」

「もちろん、悪質なものは罰せられる。だが、さっきも言ったが、有益なギルドも多いからな。ギルドの規模が大きければ、それに比例して影響力も大きくなる。そして規模が大きいほど、良い行いをする傾向にあるのさ」

「あれは?」

 五人の群れに指を向けて問うと、オーウェンは渋い顔をし、

「あれはトルクメニス僧院というギルドの者たちだ。ま、さっきの例で言うと、毒にも薬にもならん連中、と言ったところか」

「へえ」

 そういえば、と新九郎は思った。虎之助を襲っていた男たち。あの者たちも、ギルドの者だと言っていた気がする。定かではない記憶を、懸命にさかのぼった。

「行くぞ。今日中にあと二軒廻らなくてはならないからな」

 うながされ、弾かれたように慌てて移動した。

 俯き加減でゆっくりと行進するギルドの群れが、なにか夜のなぎに揺れる柳の枝のような、得体の知れない不気味さを放っていて、それがしっかりと新九郎の印象に残るのであった。

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