七
いやな夢を見た。
全身を汗で濡らし、虎之助は蒲団から跳ね起きた。襟元は、絞れそうなほど汗でびっしょりと濡れていた。
自分が追われる夢だった。見知らぬ人間や、昆虫の大軍、野犬や獣など、徹頭徹尾追い回される夢だった。
蒲団から出て、顔を洗い、水を飲んだ。まだ、落ち着かない、地に足がついてないような心地がいまも続いている。現実と夢想がごっちゃになった感覚に襲われながら、煙草に火を点けた。
煙を吹きながら考える。この夢はなにかの予兆なのか。つまり、予知夢というか、これから起こる出来事を示唆しているのではないか。そう考えた。
窓の隙間から、陽が漏れ入ってきた。もう朝がやってきたらしい。
煙草を消し、再び蒲団に入り、嫌な気分を払拭するように、無理矢理眼を瞑った。
次に眼が醒めたのは、午過ぎだった。頭が痛い。寝すぎたようだ。ぼんやりした頭に鞭打ちながら、蒲団をどけた。
腹に食事を詰め込み、外に出た。何をするでもない。特に予定もない。ただ、なんとなく外に出てみたかった。
しばらく街中をぶらぶらしていると、眼の前を見知った顔が通り過ぎた。
「おい、十蔵じゃないか」
虎之助は声をかけた。十蔵、と呼ばれた人物は、こちらを振り返って、眼を瞠った。
「と、虎之助」
「無事だったのか、おまえ。最後に会ってから連絡もないから、心配していたんだ」
「無事だったか、で済むかよ。酷い目に遭うところだったぜ、まったく。いや、もう充分酷い目に遭ったんだが」
「とにかく話そう。おまえに会いたかったんだ。どこか、飲みにでも行かないか」
「わかった」
ふたりで、近くの飲み屋に向かった。
店に入って席に着くなり、
「喋ったぜ、おまえのこと」
と十蔵は言った。
「洗いざらいしゃべれば、解放してやると言われたんでな。実際、知ってること全部吐き出したら、驚くほどあっさり帰してくれた」
「そうか」
「怒らないんだな」
「そうなる可能性があり得ることは、常に危惧していた。おまえが捕えられたと知ったときは確かに動揺したが、それでも想定の内ではあった」
「そうじゃない。おまえのことをしゃべっちまったってことさ」
「もともと俺の問題である以上、降りかかる苦難は俺のものだ。むしろおまえにも危険な目に遭わせてしまったことの方が、済まないと思っている」
「そこんところは、俺もおまえと同じ気持ちさ。引き受けた以上、ある程度の危険は承知済みだぜ」
「なんとしても、幽気薬を手に入れてみせる。そのためには、多少の犠牲は厭わんぜ」
「なあ、ちょっと確認なんだが」
十蔵が真剣な顔を近づけて言った。
「幽気薬さえあれば、ほんとうに俺のお袋の病気は治るんだろうな」
「……」
「俺はそれだけを心の支えに、多少の汚れた仕事もこなそうと思っているし、だからこうやってめげずにやっているんだぜ。そこのところをはっきりさせてくれないことには」
「おまえの言いたいことはわかっているつもりだ。正直、俺も文献からそういう部分を翻訳したってだけで、絶対にそうなるなんて言えないんだ。しかし、命を賭けている。プリミニクスの鍵は、俺の人生を賭けてもいいと思えるほどのものだ。じゃなけりゃ、俺も銭を払ってまでおまえに頼んだりはしないさ。いまのところは確証はないが、信じてくれ、としか言えないんだ」
「そうか、それならいい。その言葉を聞きたかっただけだからな」
「しかし、イレウス教団とはな」
「ビビッてるのか?」
「馬鹿言え。ガメてる幽気薬、全部かっぱらったっていいんだ。問題なのは、教団のやつらがどれほど本気で抵抗するのかってことさ」
「幽気薬は、そんなに高価なのか?」
「もちろん、値は張る。だが、それだけが理由だとは到底思えないんだよな」
「と、言うと?」
「高価なものを盗もうと忍び入った賊を見つけたので、そいつを捕えて訊問する。それはいい。だが、目的を確かめた後、本人を逃がすだろうか。そいつが誰かに頼まれて仕出かしたという話を聞き、その真偽の詮索もせぬまま、解放するだろうか」
「なるほど。それで教団の本意も、高価な品物を盗まれたくないなどというケチな理由じゃないと推測できるってわけだ」
「仮にも、この街でも三指に入る大型ギルドだ。そんなしみったれた理由で動いているとは、どうも思えん」
「考えすぎだ、と言いたいところだが、なんだか俺もそんな気がしてきた」
「お互い肚を据えなきゃならんだろうよ。覚悟しておこうぜ」
「一度乗った船、降ろす気はねえってことだな」
十蔵が、笑いながらそう言った。
軽く飯を食って、酒を流し込んでから、店を出た。
店を出てすぐ、十蔵と別れた。別れ際、とにかく目立たないようにするということ、そしてギルドの警戒を煽らないように自重するということをしっかり話し合った。
朝見たいやな夢のことを、思い出した。なにか不快な予感に苛まれる心地が、いつまでも虎之助の思考に纏わりついていた。