六
「もう、陽が暮れちまったみてえだな。とりあえず、今日済ませなきゃならねえ仕事は片付いた。腹も減ったし、飯でも食おうか」
「ありがたい。実は、午ごろから何も食ってなくて」
オーウェンは部屋の隅から小さな卓を持ってきて、部屋の中央に据えた。それからいくつかの皿と箸、それと碗を卓に載せた。
「酒、飲めるか?」
「故郷では、酒が飲み水の代わりみたいなもんだった。好きだぜ、酒は。いろんな地方の酒が飲めるのが、旅のいいところだな」
「ウチでは、職業柄、いろんな酒が飲める。商売で取り扱っている以上、酒の味は知っていないといけないからな。飲めねえなんて言ったら、張り倒すところだったぜ」
オーウェンが椀に酒を注いだ。それから奥の部屋へ行き、食事を持ってきた。
卓を挟んで、質素ではあるが、邂逅を叙する晩餐がはじまった。オーウェンは、食事の時はあまり言葉を発さなかった。が、その沈黙は苦痛ではなかった。食事の拍子が、なにかオーウェンの持つ命の旋律のようなものが聞こえてくるかのようで、むしろ心地よかった。オーウェンは口に少量の食物を運び、ゆっくりと呑み込むと、決まって酒で口内を洗うのだった。
卓上が空になると、椀に酒を注ぎ、満足そうに煙草を咥えた。
「うまかったか?」
「とても」
「そうか。この飯に慣れねえと、これから先苦労するぜ。毎日こんな食いものばかりだからな」
「オーウェンは、ずっとここで働いているのか?」
「もう、五年になるのかな」
「ここへは、どうしてやってきたの?」
「祖国で、ちょっとあってな。もうそこに住んでいられなくなったから、逃げてきたってわけさ」
「みんな、いろいろあるんだな」
「おまえはどうなんだ、新九郎?」
「俺は、アカデメイアに入りたくて、ここまで来たんだ」
「熱心だな。それで、どうだったんだ?」
「入れなかったから、虎之助を頼ったってわけ」
「だろうな。俺は魔術は使えねえが、それでも、アカデメイアに入るってことがなにを意味するかくらいは、知っているぜ」
「俺は、知らなかったよ。だから入れなかったのかな」
オーウェンが、席を立った。壁際にある棚のひとつのところへ行って、幾重にもたたまれた紙を持ってきて、卓の上に拡げた。
この大地の、日昇の地図だった。
「ここが、いま俺たちがいる州、神州だ」
地図上の境界を指でなぞりながら、オーウェンが言う。
「ここが、おまえの故郷、幽山だな。そういえばおまえ、故郷からどうやってきたんだ?」
幽山は神州まで、州をみっつ跨いでいる。直線距離でも遠いが、人の足で歩くと、山を越えたりするので、体感ではずっと遠い。
「そうだな、馬を乗り継いだり、歩いたり、あとはスカイエルクを借りたり」
「へえ、スカイエルク」
日昇原生の馬に、海の向こうから持ってきた、鹿に似たアークエルクという動物を交配し、つくり出した生き物である。姿かたちは馬に似ているものの、馬よりも幅が狭く、頭から角が背中側に向かって湾曲して生えている。そして馬よりも疾く走れるのだ。ただ、横幅がない分狭く、乗り心地は悪い。
日昇は、もともと閉鎖的な国だった。それが徐々に変わっていき、こうして外来の人や物が行き交うようになってから、かなりの時が経っている。老人たちに昔の話を聞くと、その実感はより深くなるのだ。老人たちは、自分たちの世代が若いころはどれほど苦労をしたか、という話しかせず、外来の物品が入ってきたことを忌み嫌っているらしい。
「故郷、どんなとこだ?」
「山奥だから、聚落の周りはどこまで行っても、草花と樹木しかないよ。でも、いいところだった。山頂からの景色はよかったし、川は綺麗だった。獣や鳥もいっぱい住んでたしさ。俺の家から一里ほど山に入ったところに、切り立った崖があるんだが、そこからの眺めが最高でさ。オーウェンや虎之助にも見せてやりたいぜ」
「いいな、それ」
「オーウェンの故郷は?」
「そうだな、おまえの故郷ほどではないと思うが、まあまあ田舎だと思うぜ。山も近かったし、牛や羊は放牧されていた」
「そうなのか」
「そこは、のんびりした時の流れだった気がする。いま思うと、俺がほんとうに欲しかったのは、そういう静かで平和な暮らしだったのかもな。当時はそんな田舎くささが嫌だったのと、刺激が欲しかったので、家を飛び出しちまったけど、それは間違いだったとわかるのは、間違った道を、しばらく歩いた後なんだよな」
「むずかしいなあ」
「おまえも、じきにわかるさ。いや、わからされる時がくるのかな」
「そういえば、虎之助の故郷はどこなんだろう」
「さあ。そういえば詳しく聞いたことはないな。神州の出身じゃないことは確かだが」
「今度、聞いてみるかな」
少し、肌寒くなってきた。どうやら気がつかぬうちに、夜になっていたらしい。
「もう、お開きにするか」
オーウェンが言った。卓の上の物を片付け、手燭を持って、ふたりで上の階に上がった。
「ここが、おまえの部屋だ」
六畳ほどの、部屋だった。畳が敷いてあるが、壁際の方は黒ずんでいる。蜘蛛の巣もところどころ張られていて、よほど長い間放置されていたとみえる。
「ひと部屋全部、使っていいのかい」
「構わん。どうせもともと使ってなかった部屋だ。壊さない限り、好きにしていいぜ」
「オーウェンは、どこに寝ているんだ?」
「俺は地下を使っている。なにかわからないことがあれば、聞きにこい」
そう言ってオーウェンは階を降っていった。
部屋の中を、視線を巡らせた。今日からここが、俺の部屋だ。そう思うと、愛着も湧いてくるものだ。
今度、虎之助の故郷の話も訊いてみよう。それだけ考えて、横になった。