五
沈みかけた陽が、ふたりの影を長く伸ばしていた。
急ぎ足で、人の少なくなった通りを歩いていた。目的の場所は、街から少し外れたところにあるらしい。先導する虎之助の足取りから考えると、なるべく日暮れ前には到着したいのだろう。
目的地に到着したのは、地平に陽が半分呑まれたところだった。
一軒の小屋があった。すぐそばに大きな街道が四通していて、眼に入るものはいっぱいの田畠と点在する家や樹木、そして遠くに段丘が見えた。故郷ほどではないが、深い新緑が萌える光景を見ていると、なにか安堵するような気分が湧き上がってくる。
故郷では、もっと田畠があり、穿ったような谷間に聚落があるため、四方は山肌で景観は一辺倒だった。
「ここか、虎之助?」
新九郎が訊ねた。
「少しボロいが、文句言えた立場じゃねえだろ。入るぜ」
虎之助が、ゆっくりと扉を押した。
木の香りと酒の香り、それから大量の煙が、部屋に入ったふたりを迎えた。
「よう」
部屋の奥の、長い卓の向こうにいた男が、声をあげた。
「珍しいな、おまえがここに来るのは」
「温かい心のこもった歓迎、涙が出そうだぜ」
薄暗い部屋だった。部屋の両脇は大きな樽が隙間なく積み上げられている。そのせいでいやに狭く感じるが、部屋自体はそれほど狭くないようだ。
「元気か、調子はどうだ?」
「まあまあだ。おまえは、虎?」
「ちょっとした面倒事に巻き込まれちゃいるが、いつも通りだな」
虎之助は男に近づいていって、挨拶をした。
「そいつは?」
男が顔をあげ、虎之助の肩越しにこちらに視線を向けた。
「なんというか、貸しがあってな。説明すると長くなるが、今朝会ったばかりなんだ」
「わかった。要するに、いつものことってわけだ。そうやって面倒事に巻き込まれるたびに銭がもらえるなら、おまえは今頃貴族にでもなっているだろうな」
「そりゃいい。そうなったら、おまえに立派な家のひとつでも買ってやるよ。それより、いまなにしてた?」
「新たに、酒が入った。古いやつと新しいやつで、棚の中の入れ替えをやっていたところだ」
「そうか。上、空いてるんだろう?」
「ああ」
「そこのやつ、新九郎っていうんだが、上に住まわせてやってくれねえか。こき使ってくれていいからよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
新九郎が割って入ると、ふたりが振り向いた。
「話が勝手に進んでるようだけど、どういうことか説明してくれないか。さっきから俺だけ置いてきぼりじゃないか」
「おまえ、住むところ探してたじゃねえか」
「それが、ここ?」
「そうだ。おまえ銭も持ってねえから、タダで住まわせてやる。その代わり、ここの手伝いをやるんだ。オーウェンは、以前から人手が欲しいって言ってたからな」
「そりゃ構わないけど、ここは何するところ?」
「食糧とか、雑貨とかが、いろんな荷物が各地から運ばれてくる。それを整理管理して、再び地方に送るんだ。重労働だぜ。おまえ、耐えられるのか」
男が言った。全容を見ると、壮年の男だった。隆起した筋肉と、見るからに堅そうな皮膚、それに鋭い目つきがいかにも狷介そうな印象を与えた。
「東条新九郎です。よろしく」
「おまえ、どこから来た?」
「幽山から」
「へえ、随分遠くから来たんだな」
「なんでも、アカデメイア目当てではるばるやってきたらしいぜ。新九郎、こいつは、オーウェン・デンバース。俺の古馴染みだ」
「海の向こうから、来たのですか」
「別に、珍しくもあるまい」
「ま、田舎者だからな」
「この街じゃ、道端の石ころより異国人の方が多いぜ。確かに俺は移民で、おまえは神州人だ。だがな、それをおまえたちにとやかく言われる筋合いはないぜ」
「べつに、そこまで言ってないけど」
「あまり突っかかってやるなよ、オーウェン。右も左もわからないんだ。優しくしてやってくれ」
「苛めてるわけじゃないさ。ただ、神州人はいつも、自分たちが一番みたいな態度をとるからな」
「そんなんだから、こうして郊外でしか生きていけないんだぜ」
「ほっとけ」
オーウェンが、懐からなにか取り出した。それを口に咥えて火を点けた。
「それ、気になってたんだけど、なんだい?」
「煙草だ、知らんのか?」
「ここへ来て、初めて見たよ」
「そうか、幽山には、煙草もねえんだな。まずは、この州について教えることからはじめねえとな」
「じゃ、あとは頼んだぜ、オーウェン」
虎之助は、そう言うと扉に手を当て、外に出て行った。
「オーウェンさん、どうも、これからよろしくお願いします」
「オーウェンでいい。気を遣う必要なんざどこにもないんだからな。しかし、覚悟しておけ。三日も経てば、俺に対する態度もガラッと変わるだろうよ」
言いながら、オーウェンは煙を吹いた。煙はしばらくオーウェンの顔の周囲をたゆたい、やがて消えていった。