二
「これ、なんです?」
新九郎が訊ねると、店主は物憂そうにこちらを一瞥した。
「……」
聞こえなかったのか、と新九郎が訝り、もう一度訪ねようとしたとき、
「樫の葉だよ、それは」
店主が神妙な顔をして答えた。
「おまえさん、この街の者じゃねえな?」
「すごいな、なんでわかるんです?」
「樫の葉を知らねえってことは、田舎もんだって公言しているようなものさ。どこから来た?」
「幽山の、奥の方から」
「へえ、たまげたな。あの辺は、田舎っていうより、未開の地って感じだがな」
「自然がいっぱいで、いいところですよ」
「そりゃ、ここよりはそうだろうな」
店主が、再び一瞥した。
「おまえ、なにしにこの街へ?」
「あ、そうそう。アカデメイアに入学しようと思って。おじさん、どこにあるか知りません?」
「アカデメイアだと」
店主は、今度は眼を剥いて新九郎を眺めた。
「本気で言っているのか、おまえ。少なくとも樫の葉の効用を知らんようなやつが、やすやすと入学できるような場所じゃないぜ、あそこは」
「そうなのですか。よくわからないけど、アカデメイアを卒業すれば俸給のいいところに勤められるって聞いたので。家族に楽をさせてあげたいのですよ」
新九郎は、樫の葉を指で摘み、くるくると回しながら言った。
「ねえ、おじさん。これ、なにに使うんです?」
「葉っぱを煎じて、山蜘蛛の体液と塩を混ぜて飲めば、魔力と集中力が増す。それくらい常識だぜ、見習い魔術師よ」
「おじさん、親切なんだなぁ」
「馬鹿野郎。俺はおまえがどこから来て、何者なのかなんぞ知ったこっちゃないが、こっちはひとかどの商人だ。田舎者に対する商売の仕方は、心得ているぜ」
「ほら、やっぱり親切じゃないですか」
手にした葉を棚に戻しながら、新九郎は店主に視線をやった。虚を衝かれたような表情をした店主は、肩をすぼめた。
「さて」
新九郎は店の玄関へ向かうと、
「アカデメイアへは、どう行けばいいのでしょう?」
「ここを出て、右へまっすぐ行って、突き当たりを右へ行け。坂がある。坂を昇ると、大通りにぶつかる。あとは大通りに沿って行くと、看板が出てくる」
「どうも、ありがとう」
店主の言う通りに歩いていくと、アカデメイアの入り口が見えた。
大きな建物だった。荘厳な門があり、その奥に瀟洒な建物がそびえ立つ。門から建物へ続く道は、両脇を桜の樹が並んでいる。
故郷では、その存在そのものが神秘性を持って語られており、それだけにいろいろと逸話が多かった。たとえば、宙に浮いているとか、建物が黄金でできていたりとか、そういった話が多かったが、実際に眼にしてみると、なるほど大きさは見上げるほどであり、荘厳絢爛な装飾がいたるところに施されてはいるものの、新九郎が想像していた外観とは趣を違にしていた。
とはいえ、いままで見たこともない規模の建物に圧倒されつつも、その入り口に向かって一歩を踏み出すと、
「ちょっと、そこのきみ」
声をかけられた。
「アカデメイアの関係者なら、許可証を見せてくれないと」
新九郎は当たりを見回し、それから近くに誰もいないことを確認すると、声のした方を向いて、伺うような表情をした。
「きみだよ、きみ」
壮年の男が、さらに呼びかけてくる。
「許可証、持ってないのかい?」
「あ、実は、生徒ではないのです」
「じゃあ、見学希望者? だとしたら、まずは事務所で書類を記入してもらわないと」
「いえ、見学希望でもなくて、アカデメイアに入学したいのですが」
「へえ。それじゃ、まずは事務所宛てに、推薦状か論文を送ってもらわないと。それは済ませた?」
「いえ、なにも」
「ならば、入学の許可など下りるはずもない。アカデメイアは、探求心と情熱の溢れる者ならば、その熱意を拒むことはないが、しかし探求心と情熱だけはあるが、実力の伴わない者に対しても許容してくれるほど、甘いものではないぞ」
「推薦状、論文?」
「推薦ならば、少なくとも三人の者から、その実力を証明されなければならないし、論文ならば、自分がいままでに打ち込んできたことの成果を見せてもらわねばなるまい」
「故郷では、聚落で一番魔術は巧みでしたよ。それは長老も認めてくれましたし」
「その長老が、どれほどの実力者かわれわれには知りようがない。大事なのは、きみがアカデメイアにどれほどの貢献をするかということと、それからきみがアカデメイアでどれほど成長できるか、ということだ」
「よくわかりません」
「わからぬのなら、たとえアカデメイアに入ったとしても、無駄であろうよ」
「あなたは?」
「わたしは、ただの探求者だよ。このアカデメイアの定義するところのね」
にべもなく断られてしまった。
予想もしていなかった出来事に、面喰らってしまった。
困ったことになった。新九郎は、アカデメイアに入学するつもりで故郷を出てきたのだ。遠く離れた聚落から、それだけを目的にやってきた新九郎にとって、入学を断られたというこのただ一点の事実は、大変な衝撃だった。というのは、もちろん自分の志、夢を無下に断られた悲しみというのもあるが、それよりも切迫した問題は、これから泊まるところがない、ということだった。アカデメイアには、生徒にあてがわれる寮がある。新九郎は、まさか入学を断られると思っていなかったため、今宵の宿の心配など毛ほどもしていなかったのだ。
「さて、どうしたものか」
暮れゆく陽射しが朱に染める街の中で、新九郎はこれからどうするかということに、頭を働かせていた。