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翔陽伝  作者: South.K.Mackenzie
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翔陽伝

 肩がぶつかった。

 大して人通りが多いわけでもない。道が狭いわけでもない。振り返ると、ぶつかった者も同時に振り返った。

「これはどうも、すみません。余所見していたもので」

 若い男だった。人懐っこい笑顔で、気まずそうに言った。齢は自分と同じくらいだろうか。どこか場慣れしていないというか、挙動不審な感じのする男だった。

「チッ、気をつけろ」

 吐き捨てるように言って、その場を去ろうとすると、

「あ、それは」

 男がこちらを凝視していた。視線は、こちらの胸を射ている。

「それ、アカデメイアの紋章ですよね。すごいな、初めて見た」

 好奇の眼でじろじろと全身を見詰められた。

「おまえ、何もんだ。この街の人間じゃねえな?」

「そうそう。アカデメイアに入学したくて、田舎から出てきたんですよ。この街、とても大きいですね」

 にこにこと笑いながら、男は答えた。

 不思議な男だった。隙だらけで、一見すると間の抜けたような印象を受けるが、いざ向き合ってみると、圧倒されるような気を放ってくる。

 関ると面倒なことになりそうなので、男が捲し立てるように話しかけてくるのをよそに、その場を立ち去った。

 アカデメイアね。虎之助とらのすけは、耳をそばだてねば聞こえぬほどの声で小さく呟いた。

 この国、いやこの世界は、魔法や魔術といったものと、常に関わり合っている。それらが有史以来、人々の生活を救けるところは、人々が眼に入れる、街道を咲くツツジやカエデと同じように、当然のものとして浸透していた。

 アカデメイアとは、その魔法を遣うもの、すなわち、魔導士を教育指導していく施設である。

 いまどきアカデメイア入学などと、酔狂なものだ。と虎之助は思った。あそこは古い格式に囚われ続け、いつまでも新しいやり方を取り入れようとせず、その固陋ころうさだけが凝り固まって、時代に置き去りにされたのだ。いまとなっては権威こそあれど、ほとんど形骸化けいがいかした廃墟であると言っていい。

 街の広場に出た。陽は沈みかけていて、そこここに濃い影が伸び、人気のまばらな広場は、昼間とはまた違った顔を見せている。

「よう、こっちだ」

 広場の端の方から声がした。端の方は茂みが道を隠すように生えている。茂みの奥の小路に行くと、男が立っていた。

「例のあれ、手に入ったのか?」

「いや、まだだ。なんとか努力しているんだが、上手くいかなくて。一筋縄ではいかないんだ。わかってくれ」

「まあ、すんなり手に入るとは思ってないが」

 煙草に火を点け、大きく息をした。

「なあ、なんだってそんな物騒な物を手に入れたがる?」

幽気薬ゆうきやくのことか?」

 男が小さく頷いた。

「確かに、ありゃあ魔力は強大だろう。だが、それだけにかなりヤバい代物でもある。おまえがなんのために手に入れたがっているのかは訊かねえが、それでも忠告はしておこう、と思ってよ」

「そりゃ、お気遣いどうも」

 大きく息を吐いた。薄い煙が勢いよく吹き出され、宙に消えていった。

 アカデメイアでは、落ちこぼれのようなものだった。

 卒業したわけではない。先刻出逢った見知らぬ男が羨んでいた紋章は、アカデメイアに籍を置いていたら誰でももらえるもので、目立って珍妙なのではないのだ。

 アカデメイアの授業は、退屈だった。やっていることは、基礎と実践の繰り返しで、決して教科書の定めたのりを越えることはない、毒にも薬にもならないようなものだ。

 そうやって斜に構えていると、次第に仲の良かった者とも疎遠になり、周囲から浮いていった。いつのまにか、授業に出ることも稀になっていた。苦痛はなかった。もともと、独りが好きな性質なのだ。群れでの生活に適していないという自覚は、常にあった。

 憂さを晴らすかのように、熱心に外出した。アカデメイアの授業を抜け出し、古い遺跡廻りをしている時に見つけたものだけが、当時の自分の心を大きく揺さぶり、いまも心でおきのように燃えている。

 古い書物だった。それだけにページがところどころ破れている。なにより見たことのない解読不能な文字が羅列しているところが興味を惹いた。

 アカデメイアに戻り、図書館に入り浸って、かれたように文字の解読に傾注けいちゅうした。やっとの思いで解読したのは『プリミニクスの鍵』と言われるアーティファクトと、それに関する一説だった。

 一瞬で、心を鷲掴みされた。自分が求め続けていたもの。それも容易に手に入らないものを、これは与えてくれる可能性があったのだ。砂漠で水を欲するように、焦れるほどに欲していたものを提示してくれているそれが、虎之助の心を惹きつけずにやまないのは当然のことであった。にわかに雲間から陽光が射した心地がしたのを、いまでも鮮明に思い出す。

「とにかく」

 もう根元まで短くなった煙草を吸いながら、

「幽気薬を手に入れるためには、やれることはやってもらうぜ」

「しかし、ほんとうなんだろうな。幽気薬を手に入れたら、ほんとうにお袋は具合がよくなるんだろうな」

「間違いない。俺を信じろ」

 この男の母親は病弱で、常に青白い顔をしている。幽気薬を手に入れれば『プリミニクスの鍵』が完成し、それはすべての願いを聞き入れてくれるのだ、ということを話した。つまり、母親の躰の不調を改善させるという餌を撒いたのだ。そういう餌を用意できるほどには、自分も智慧が回るらしい。

「わかっている。わかっているさ」

 男は、自分に言い聞かせるようにして呟いた。

 風が、温かかった。その風に溶けるようにして、煙草の煙が宙を舞って消えた。

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