「オタク再訪」<エンドリア物語外伝68>
雨の日が3日続いた。
暗かった空が嘘のように晴れ上がった朝、オレは爽やかな気分で店の前を掃除するため扉を開けた。
店の前に横たわっていた人物が、ムクリと起きあがった。
ヘラリと笑顔を浮かべて、オレを見た。
「………開いた……」
オレは扉を閉めた。
両手で開かないように押さえる。
扉がガタガタと音をたてた。
「………開けて……」
「店長?」
後ろからシュデルが怪訝そうに聞いてきた。
「あれがいる」
「あれですか?」
「あれだ、あれ。ムーに飛びかかったドリット工房の若い女の……」
「もしかして、フィリズ・ホルトさんですか?」
「そうだ!そのフィリズがいるんだ」
「フィリズさんなら大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃない!」
変人の中の変人だ。
道具を作るためなら何でもするホルト家の血が、常に全身を回っている。特にヒドいのは脳で、完全に汚染されている。
「大丈夫です。店長、どいてください」
何でもないことのようにオレをどけると、扉を開けた。
「おはようございます、フィリズさん」
フィリズが、のほーんとした笑顔を浮かべた。
「………また、来た……」
「また?おい、シュデル。いま、『また』って言わなかったか?」
「どうぞ、ゆっくりしていってくださいね」
「…………うん」
「案内します」
シュデルが先にたって地下倉庫へ降りる縦穴に方に行った。
しばらくするとシュデルだけ戻っていた。
「倉庫の魔法道具を調べたいそうです」
「いいのか?」
シュデルにとっては家族同然の大切な魔法道具のはずだ。
「フィリズさんはムーさんと違い、道具を大切にされます。絶対に傷つけたり壊したりしません」
強い口調で言った。
種類は違えども道具オタク同士、気が合うのかもしれない。
「道具達も懐いています」
「懐いて………さっき、『また』って言っていたよな。オレのいないときに来たことがあるのか?」
「今日で4回目です。3回とも店長は留守でした」
「その時も倉庫に入れたのか?」
「はい」
「道具を調べるために、わざわざニダウまで来たのか?」
「はい。前回はハニマンさんがいらしたときです。お二人ともとても楽しそうに話していらっしゃいました」
「爺さんがいたとき?」
「店長がリュンハに行かれて留守でした」
爺さんにダマされて、リュンハに捨てられたことがあった。
「鉱山の辺りか?それとも、海で漂っていたあたりか?」
「どちらもだと思います」
「どちらも?」
「3日ほど滞在されましたので」
「どこに?」
「桃海亭に」
「まさか、泊まったりしていないよな?」
「泊まりましたが、何か問題がありましたでしょうか?」
オレは頭を抱えたくなった。
シュデルは常識がない。特殊な環境に置かれたからであり、シュデルに責任はない。だが、ハニマン爺さんがいたのだ。爺さんのことだ。自分が楽しいから、シュデルに『いけないことだ』と、教えなかったのだろう。
「男だけの家に若い女性を泊めてはいけない。覚えておけ」
「なぜでしょうか?」
この手のことはシュデルを納得させようと説明すると、矛盾が生じる。
だから、オレは決まった言葉を口にする。
「この世のルールだ」
「わかりました。店長、よろしければ、この世のルールについてもうひとつ教えていただきたいことがあるのですが」
「他にも何かあったのか?」
「この世のルールでは、店長のベッドにフィリズさんを眠らせてはいけませんでしょうか?」
「…………いま、なんて言った?」
「フィリズさんを泊めるのに、空いていたベッドが店長のしかなかったので、店長のベッドを使用していただきました」
「ぐぎゃぁーーー!」
「いけなかったでしょうか?」
「それを何で早く言わないんだよ!」
「いけなかったのですね?」
「いけないに決まっているだろ!それより、いけなかったのは、その事実をオレがリュンハから帰ってすぐに伝えなかったことだ」
女の子が寝たベッド。フィリズの中身は変人でも、外見は割と可愛い。
オレのベッドで、スウスウと寝息をたてて丸まっていたかもしれない。
「シーツは洗ったのか?」
「もちろん、洗ったシーツでお休みいただきました」
「そうじゃなくて、フィリズが寝たシーツは交換したのか?」
シュデルが首を傾げた。
「シーツの交換ですか。あの日は忙しくて、午後に交換しようと思っていたのですが、昼過ぎに店長とムーさんは汚れて帰っていらして、疲れているからと泥だだけのまま、すぐにお休みになりました。交換したのは翌日です」
「くそぉーーー、知らなかった」
「なにか問題がありましたでしょうか?」
「知っていたら、知っていたら」
「店長?」
「いや、何でもない。とにかく、フィリズを桃海亭に泊めるな。いいな」
「わかりました」
シュデルがうなずいた。
昼飯を食べようと食堂に行くとフィリズがいた。この家の住人であるかのように、くつろいで昼食のパンとスープを食べている。
「店番をしてきます」
オレの席にパンとスープを置き、シュデルが店に移動した。
オレとフィリズの2人。
オレは椅子に座り、パンをちぎった。
「ほょーーーーーしゅ!」
食堂の扉を開いたムーが叫んだ。
フィリズがいることを知らなかったらしい。
「ムー、飯ができているぞ」
オレは平静を装って言った。
「ご飯しゅ、ご飯しゅ」
ムーが食堂内に一歩足を踏み入れた。
ガシャン!
「ヒィーーーーー!」
ムーが絶叫した。
首輪がはめられいた。
凶暴モンスターにつけるような、分厚い魔法鋼の首輪がムーの首にはまっている。首輪につけられた太い鎖をフィリズがしっかりと握っている。
「………つかまえた……」
フィリズが嬉しそうに言った。
前の訪問で学習していた。
この女、オレの手に余る。
「シュ、シュデルーーー!食堂に来てくれ!」
「どうかしましたか?」
すぐにシュデルが食堂に戻ってきた。
「ムー、ムーが」
フィリズを見たシュデルがため息をついた。
「フィリズさん、ムーさんを捕獲してはいけないと前にいいましたよね?」
「………欲しい……」
「気持ちはわかります。ムーさんは超一流の魔法道具設計者です。フィリズさんの想像を超えたものを生み出す力があります」
フィリズがにまぁ~と笑った。
「………持って帰る」
「ダメです。すぐに首輪を外してください」
「………欲しい…」
首輪をつけたムーが床に転がった。
起きあがろうとしているしているようだが、力が入らないようだ。
「ムー?」
「ムーさん?」
オレとシュデルが近寄った。
ガコン!
ムーの首輪の一部が床に落ちた。数カ所にヒビが入っている。
「………壊れた……」
フィリズが悲しそうに言った。
ムーが立ち上がろうと、もがいた。
オレは残った首輪を引きちぎると、素早くムーを小脇に抱え、2階のムーの部屋に投げ込んだ。
現時点でもっとも安全な場所だ。
食堂に戻るとフィリズが壊れた鎖を握りしめていた。
「………壊れた……」
「フィリズさん、このようなものを作るのは…………」
「……容量不足。どうしよう………」
「フィリズさん、聞いていますか?」
「………これ以上の容量………特殊な魔法鋼………」
ブツブツと呟きながら席につくと、スープを飲み始めた。
シュデルの声は届きそうもない。
シュデルはため息をつくと店に戻った。オレも店に行った。
「あの首輪、なんだったんだ?」
「魔力吸収の首輪です。首輪をつけた者の魔力を一気に吸い取るためのものですが………ムーさんですから」
大陸最大の魔力の持ち主。
容量オーバーで壊れたらしい。
「魔法を使えないようにして、持って帰ろうとしたのだと思います」
「フィリズの奴、何考えているんだよ」
「ムーさんを持ち帰るのはいいのですが、首輪はちょっと」
「オレとしては捕獲しているとわからないなよう、こう、一緒にデートでもしている感じで持ち帰ってくれれば…………」
「ムーさんに、デートは無理かと」
「だったら、魔法道具はどうだ?フェリスは魔法道具制作の専門家だろ。意志を操る魔法道具くらい作れるだろ?」
「作れると思いますが、相手がムーさんです。その後が怖いです」
「そうだよな。ムーのことだから『ボクしゃんの方がすごいの作れるしゅ』とか言って、大陸全土の人間を操る設計図を書きそうだよな」
「はい」
「とにかく、昼飯をすませてくる。話はその後だ」
食堂に戻ったオレが見たのは、ブツブツと呟いているフィリズだった。フェリスの腹はパンパンで、オレとムーの分のパンとスープは消えていた。
「あの、フィリズさん」
「…………魔法鋼の比率を………ダメ……」
空きっ腹を抱えて、オレは店にトボトボと戻っていった。
夕食の席にもフィリズは当然という顔で座っていた。ムーは自室から下りてこなかった。オレとシュデルとフィリズで簡素な夕食をすませた。
フィリズは地下倉庫に行き、オレとシュデルは夕食の片づけを済ませた後、店で明日の商品の配置について相談していた。
「うぎゃぁーーーーーーーー!」
ムーの叫び声に、食堂に飛び込んだ。
「なんだ、それ」
「ムーさん、しっかりしてください。店長、早く」
「ああ」
巨大なネズミ取りにムーがひっかかっていた。罠のアームが落ちて、ムーが挟まれている。
「痛いしゅ、痛いしゅ」
尻が見事にはさまっている。
「このバネかな」
オレがアームをあげると、ムーがゴロゴロとネズミ取りから転がって出た。
「ひどいしゅ!誰しゅ!」
「そりゃ、決まっているだろ」
「愚問です」
尻をさすっているムーが、視線を入り口に向けた。
「……あ……逃がしちゃ……ダメ…」
「ヒィーーーーーー!」
逃げようとしたが、唯一の出入り口にフィリズがいる。
「こんなものに、ひっかかるなよ」
全長2メートルを超える巨大ネズミ取りだ。
「見えなかったしゅ!」
「インビジブル・トラップですね」
「こ、こんど、やったら、は、反撃する、しゅ」
ムーの声が震えている。
フィリズがニターと笑った。
「……あと1回は………やっていいんだ」
ムーが首を横に、ブンブンと振った。
「フィリズさん、その解釈には無理があると思います」
シュデルが怖い声を出した。
フィリズさんが悲しそうな顔をした。
尻をさすっていたムーが、周りを見回して、カマドにかかっていた鍋に
目を留めた。
腹が減っているのだろう。
嬉しそうな顔で鍋の蓋を開けた。
「ぐわぁーーーーーーしゅ!」
鍋の蓋がムーの左手に噛みついていた。蓋から鋭い刃が生えて、ムーの手の甲に刺さっている。
「………捕まえた……」
にまぁ~とフィリズが笑った。
シュデルが柳眉を逆立てた。
指をピンと弾いた。
蓋ががムーを吐き出した。
「痛いしゅ、痛いしゅ」
傷口から血が流れている。オレはテーブルにあったナプキンで強く傷口を押さえた。
「シュデル!」
「わかっています。こちらは僕がやります。店長は先生のところに」
オレはムーをつれ、コンティ医師の元に急いだ。
「………だって……」
オレがムーを連れて店に戻ってくると、フィリズは床の上に座っていた。涙目だった。
ムーの怪我は軽く、左手の神経にも骨にも異常はなかった。傷を縫って、包帯を巻いてもらった。
ムーは買ってきたミートパイ10個とオレンジジュースと一緒に部屋に投げ込んだ。罠に連続してかかり、疲れたようだから、食い終わったらすぐに寝るだろう。
「…シュデル……ひどい………」
「ムーさんを捕獲しないという約束です」
フィリズがうつむいた。
「………欲しい……」
オレはシュデルの肩をたたいた。
「明朝まで、倉庫から出ないようしろ」
「わかりました。フィリズさん、行きますよ」
シュデルの後をトボトボとついて行った。
地下倉庫からシュデルはすぐに戻ってきた。
「道具達に見張らせていますから大丈夫です」
「道具がフィリズの味方をして、逃がしたりしないのか?」
「道具のほとんどがフィリズさんを気に入っていますが、それとこれは別です」
シュデルが断言した。
オレは声を潜めた。
「ムーが復讐に燃えている」
「ムーさんですから、そうだと思います」
「ムーは何をすると思う?」
「店長はどう思います?」
「”あれ”だろうな?」
「やはり、”あれ”ですか?」
「問題は”あれ”の内容だ。シュデルの道具の力で”あれ”の内容をつかめないか?」
「内容をつかむことはできるかもしれませんが、”あれ”が何であるのかは僕の道具達の力では無理です」
「そうだよなぁ」
シュデルの道具は優れているが、万能ではない。
「他の復讐方法は考えられないか?」
「ムーさんはフィリズさんの道具制作の腕を高く評価しています。召喚獣や魔法でフィリズさんを傷つけるようなことは絶対にしないと思います」
腕も知識も超一流。人間としては欠点山積。
目的のためには手段を選ばない。
「ムーとフィリズ、似ているよなぁ」
「はい」
「フィリズがいる間、ムーは部屋から出てこないだろ。餌はしっかり投げ込んでおいてくれ」
「わかりました」
「水も忘れずにな」
「はい」
オレは2階をみあげた。
フィリズがいなくなるまで、ムーがおとなしくしていることをオレは祈った。
フィリズはキケール商店街の裏手にある旅館に宿泊した。毎日、早朝から夜中まで地下倉庫で魔法道具の調査をしているようだった。飯の時間になると、当然の顔で桃海亭の食堂でパンとスープを食べていた。
「まだ、帰らないのか?」
フィリズが来訪して1週間。オレはついにしびれを切らした。
「店長」
「なんだ?」
「フィリズさんに帰ってもらえる方法があるなら教えてください」
「ドリット工房に手紙を書いて、迎えに来てもらえ」
「もう書きました。そうしたら、これが来ました」
シュデルがカウンターの下から出した便せんを広げた。
差出人はドリット工房。フィリズの好きにさせて欲しい。食費はあとで請求してくれ、という内容が簡潔に書かれていた。
「ドリット工房も苦労していそうだな」
「はい」
手紙をシュデルに返した。受け取ったシュデルが何か言いたげだ。
「オレだって、帰そうとした」
「何をされたのです」
「ロイドさんのところに頼みに行った」
前にロイドさんが力づくでフィリズからムーをとりあげた。その後、ドリット工房に強制送還してくれた。
「それでロイドさんは?」
「オレより先にドリット工房から手紙が来ていた。今回は遠くから見守って欲しいと頼まれたそうだ」
シュデルががっくりと肩を落とした。
「他にもしたぞ」
「それで」
シュデルが顔を上げた。
「あれを使った」
店の隅に立てかけてある大きなザルを指した。
「まさか、魔法道具を置いて、棒でつっかえ棒をしたザルを置いた、とかいいませんよね?」
オレは重々しくうなずいた。
「そんなことでフィリズさんが………」
「捕まった」
「捕まりましたか」
「昨日、シュデルが買い物に行っている間に試してみた。リュウさんから借りた変わった魔法時計を置いたら、簡単に捕まえられた。捕まえるのは簡単だったが、そのあとザルから出てこないで魔法時計をずっと調べていた。分解されると困るので、ザルを持ち上げて、時計を取り上げたら、泣いて喚いてオレの足にしがみついて大変だった」
「店長」
シュデルの視線に非難が含まれている。
「なんだよ」
「信じられない悪手です」
「そうかもしれないけれど、やってみないとわからないだろ」
「そうですが」
「オレが留守の間に来たときは、どうやって帰ったんだ?」
「最初の2回は別の用事で近くに来たとき立ち寄っただけです。最後のはハニマンさんに言いくるめられまして、笑顔で帰りました」
「あの爺さん、何を言ったんだ?」
「僕は店にいて、聞いていませんでした」
階段を何かが転がり落ちる音がした。
住居から店に入る扉が開き、怪しげなものが店内に転がり込んだ。
「…………ムーか?」
ムーとはよく旅をする。状況によっては10日間くらい風呂に入れないこともある。だから、汚れているムーは見慣れている。
「ムーさんですよね?」
「決まってるしゅ!」
ショッキングピンクの物体が起きあがった。
髪は油でべとべと。服も油や汗ジミで汚れているが、ムーらしい。
「ようやくできたしゅ!」
手に紙束を持っている。
「わかった。それはオレが預かるから、とりあえず、風呂に入ってこい」
「あの女、どこにいるしゅ」
マルマルと太ったムーが店内をキョロキョロと見回した。
丸い。
パツパツの肉の塊ではなく、ポヨポヨの白っぽいものがピンクの布をまとっている感じだ。
「何を食わせたんだ」
「食事はムーさんの部屋のドアを開けて放り込んだのですが、ソーセージとかスープを投げると汚れそうでしたので、パンとか、ビスケットとか、容器に入れた水やジュースです」
「糖分だけを与えると、ああなるのか」
ムーが顔を動かすたびに、頬がプルプルとふるえている。
「どこしゅ!あの女はどこしゅ!」
「落ち着け。とりあえず、その紙束をオレに渡してだな」
「あの女に渡すしゅ!」
分厚い紙束の一番上だけは、何が書かれているか見える。
オレとシュデルの予想通り、何かの設計図だ。
「シュデル」
「はい」
シュデルがムーを刺激しないよう足を忍ばせて扉に向かった。
ここにフィリズを来させるわけにはいかない。あの設計図が何かわからないのだ。フィリズに渡して、魔法道具として完成させるわけにはいかない。
扉から出ようとしたシュデルが何かに押されるように店に戻された。シュデルを押しているのはフィリズで、目をカッと見開いている。
「フィリズさん、倉庫に戻りましょう」
「………匂う……設計図………」
「フィリズさん!」
「…………あった……」
ムーの手にある紙束を見つけた。
「待った!」
「待ってください!」
胸を反らしたムーがフィリズに近づいた。
「金貨200枚しゅ」
「払う……」
「ほいしゅ」
フィリズの手に紙束が渡った。
オレとシュデルの制止は完全に無視。
「お風呂に入ってくるしゅ」
ムーは軽い足取りで店を出ていった。
「フィリズさん?」
シュデルが声をかけたが、フィリズは微動だにせず、紙束の一番上をジッと見ている。
「大丈夫ですか?」
シュデルの声は届いていないようだ。
いきなり、にへらぁ~と笑った。ヨダレが口角からダラダラと流れている。目は完全にいっている。
「店長」
「ダメだな」
「ダメですね」
紙束を取り上げたいが、取り上げたらどうなるかわからない。
「こうなったら、最終手段で行く」
「でも、店長」
「わかっている。この代償は高くつくが、放って置くわけにはいかないだろ」
オレはカウンターの下から、魔法の棒を出した。わずかな魔力で先端から火が出る。
「頼む」
「わかりました」
棒を受け取ったシュデルが、フィリズにそっと近づいた。棒を紙束に近づける。
バキッ!
棒が折れていた。
「………今度……やったら………」
狂気の目をしたフィリズが親指をクイッと下に向けた。
「可哀想に………」
折れた棒をシュデルが抱きしめた。
戦意喪失。戦線離脱。
シュデルはショックでしばらく動けないだろう。
オレはひとり、店を出た。
最後の手段というより、使いたくなかった手段だ。
それでも、紙束の設計図の内容がわからない以上、使うしかない。
身を削るような冷たい風が吹いている道を、オレは目的に向かった。
「例の設計図を解析した」
魔法協会本部災害対策室のガレス・スモールウッドさんが言った。
オレが駆け込んだ先は魔法協会エンドリア支部。設置してあるホットラインでスモールウッドさんに緊急連絡してもらった。
その結果、魔法協会から派遣された魔術師達によって、フィリズから設計図が取り上げられた。魔法協会も配慮して女性の魔術師を送ってくれたのだが、フィリズの抵抗がすごくて、魔法協会の魔術師達のローブはボロボロになった。
フィリズはずっと泣き通しで、ドリット工房の人が迎えに来るとおとなしく帰った。
ムーは風呂の後、スープを山のように飲んで、部屋に戻り、いまも出てこない。
魔法協会が設計図を持ち去って2日目の今日、解析の結果が出たとスモールウッドさんが桃海亭にやってきた。食堂でシュデルの入れたお茶を飲んでから報告を始めた。
「断言はできないのだが【時切りの棺】らしい」
「へっ?」
「ホルトさんが作った魔法道具の風呂の【時切りの棺】ですか?」
シュデルが確認した。
「いや、正真正銘の【時切りの棺】だ。中に入って蓋を閉じると、時間が凍結される。未来に一方通行のタイムマシンだ」
「本当に【時切りの棺】なんですか?」
伝説の天才魔術師ホルトが作った棺ですら、本当に【時切り】ができるのか疑われていたのだ。いきなり【時切りの棺】ができましたと言われても、信じられる方がおかしい。
「断言できない。わかるところから想像すると【時切りの棺】らしい」
「もしかして、解析ではなく、想像ですか?」
「仕方ないだろう。魔法協会の魔法道具研究部門ではわからないところだらけらしい」
「有名な工房に協力を頼まなかったのですか。ドリット工房とか」
世界最高峰の工房だ。魔法協会が持っていない知識やノウハウも持っているはずだ。
「協力を断られた。設計図はドリット工房所属のフィリズ・ホルトのものなのだから、早く渡せ。という姿勢だ」
「金貨200枚は?」
「我々が押さえている。ムーに渡ると契約が成立してしまう。そうなると設計図はフィリズ・ホルトのものになる。もし【時切りの棺】ならば、大変なことだ」
オレは首を傾げた。
シュデルも首を傾げた。
「スモールウッドさん」
「なんだ」
「もし【時切りの棺】だと、何が大変なのですか?」
「決まっているだろ。それは」
スモールウッドさんが言葉に詰まった。
「【時切りの棺】はすごい発明だと思いますが、あってもなくても、あまり関係ないかと」
シュデルもうなずいた。
「重病の方が未来の医療を期待して入られるくらいしか考えられません」
「成功していると断言できないのですから、最初に入る人間が簡単にでるとも思えないです」
「入ったら、すごく苦しむかもしれません」
「それにあの紙束から厚さからすると、高度な技術と長い製作期間が必要なんじゃないですか?設計図に魔法協会でもわからないところもあるくらいなら、完成するかわかりませんよ」
スモールウッドさんが黙った。
オレたちの言外の要求をスモールウッドさんはわかっている。
金貨200枚。
早くよこしやがれ。
同時に【時切りの棺】についても考えている。
「………わかった。あの設計図、金貨200枚で魔法協会が買おう」
「フィリズ・ホルトとの契約が先です」
「ドリット工房には、こちらから交渉する」
「わかりました。話がついたら連絡してください」
1週間後、フィリズ・ホルトから魔法協会が設計図を買い取るということで話が付いたと連絡があった。ムーに金貨200枚が支払われたが、桃海亭ではなく、ペトリ家の方に渡された。
いつの日か、お菓子となって、ムーの腹に消えることになるのだろう。
「スモールウッドさん、気づいていないのでしょうか?」
連絡が聞いたシュデルが、心配そうに言った。
「気づいていたら、違う契約をしただろ」
「フィリズさんは、ホルトの子孫なのに………」
魔法道具を一気に進化をさせたと言われる天才魔法道具制作者ホルト。
その血族で、骨の髄まで道具制作オタクのフィリズ・ホルト。
「オレたちが心配してもどうにもならないだろ。結果はそのうちわかるだろう」
結果は3ヶ月後に出た。
オレたちの予想通り、フィリズ・ホルトはムーが設計した【時切り棺】を完成させた。食べず、寝ず、で完成時にフィリズ・ホルトは、ガリガリのボロボロの状態だったらしい。
そのことを聞いて、ムーは両手を挙げて「ざまあみろしゅ!」と喜んでいた。オレとシュデルで「復讐になっていないだろ」「僕はフィリズに幸せな時間をプレゼントしただけだと思います」とムーに教えてやった。ムーはムスッした表情になり、腕組みをすると自分の部屋に戻っていった。
完成を知ったスモールウッドさんから桃海亭に問い合わせがあった。「どうしてこうなったのか」と。オレは「ドリット工房に聞いてください」と答えた。ドリット工房に問い合わせたスモールウッドさんは答えを聞いてオレたちに非はないことを納得してくれた。
オレもシュデルもムーと暮らしているから予想できた。
「天才って、恐ろしいよな」
「フィリズさんの集中力は、常人離れしていますから」
魔法協会が桃海亭に到着するまでの間、フィリズは設計図を読んでいた。その間に全部記憶したのだ。取り上げられて泣いたのは、設計図が大切だったからだ。
魔法協会は契約の仕方を間違ったのだ。
契約には【時切りの棺】を作らないという条項を入れておかなければいけなかったのだ。
それから、さらに1ヶ月経ったある日。ガガさんからの情報で、フィリズが緊急入院したことを知った。フィリズの姿を見ていないことに気づいた同僚が、フィリズの工房をのぞいてみると餓死寸前のフィリズが倒れていた。手には複雑なギミック多用した奇妙な鏡を握っていた。
フィリズはガリガリにやせ細った状態で、意識も半分無いらしい。それでも、うわごとで『……たりない……一枚…たりない』と言い続けているらしい。
「おい、送ってやれよ」
オレは、一枚抜いた設計図を送った犯人に言った。
2週間ほど前、ムーが分厚い小包を郵便配達所に持って行くのを見た。小包の差出人の記載する場所には何も書いていなかったので、不思議に思って覚えていた。
「なんのことかわからないしゅ」
晴れ晴れした顔のムーが、ペロペロキャンディをうまそうにナメていた。