花神楽:保健室
花神楽高校はコンクリート校舎だった。覚悟はしていたけどあつい。
外よりは幾分かマシだけれどあっつい。
「ヨシノ、どこ見に行きたいとかねえのか?」
隆弘さんが頬をつたう汗を拭いながら、ここに来たいと言い出した張本人に問う。
「んにゃ、特にないよ」
「じゃ、その辺適当に回るか」
用務員室を避けるように隆弘さんが左側に歩を進めようとした時、「あ」と灰花さんが声を零した。
「この階1年教室だろ。ヨシノ、くるさんの教室とか見てくか?」
言い終るのとほぼ同時に脇腹をくるに殴打され灰花さんが膝をついて崩れる。
「いいね!行きたい!」
ヨシノが教室に一歩でも足を踏み入れようものならその瞬間後ろから刺殺しかねない殺意を込めてくるがヨシノを睨みつける。この子本当怖い。
「どの教室?案内してよ、くるちゃん!」
「死ね」
「ケチ!」
「あ?」
いつのまにかくるの左手には鋏が握られていた。やはり袖の中に入れていたのは鋏か。どこに収納してるんだよ。今それを取り出してどうするつもりだよ!
ユウが二人の間に割って入り宥めようと頑張っている。その勇気に心の中で拍手を送りながら私は巻き添えにならないように下がった。
ユウが何か言う度にくるの表情が険しくなっていく。何を言っても無駄というか、逆効果なんだろう。
そんな一触即発な空気を切り裂く甲高い声が一階に響いた。
「西野おおおおおおおおお!!!!!!!」
声がした方に視線を向けると金髪のお姉さんが渡り廊下からこちらに猛ダッシュで駆けてくる。大きなお胸がたゆんたゆん揺れている。な、なんだあのサイズは!メロンでも詰めてるのか?!
「ナイスタイミングだ西野!助けてほしい、お前の力が必要なんだ!」
金髪のお姉さんが隆弘さんの腕をぐいぐい引っ張り、やってきた渡り廊下の向こう側に連れて行こうとする。
「ちょ、いきなりどうした!何があった!落ち着け!」
腕を引っ張る金髪お姉さんの手を振りほどき、隆弘さんは金髪お姉さんの両肩を掴んで目線を合わせて問うた。
確かに"助けて"とは穏やかじゃない。
金髪お姉さんは乱れた息を整える事もなく、隆弘さんに切羽詰った表情を向ける。
「原稿手伝って!!!!」
隆弘さんが金髪お姉さんの頭頂部にチョップを叩き込んだ。
「いったあ!何すんの!」
「大袈裟なんだよ!」
「大袈裟じゃねえよ大問題だろ!このままじゃ入稿間に合わないんだよ!早期入稿で30%割引サービス!狙わない手はないじゃんー!」
「スケジュール管理が出来ないアンタが悪い」
「はいはい私の自業自得でございますー!ほら手伝ってよどうせ暇……ん?その子達誰?」
金髪お姉さんがこちらを訝しそうに見ている。
げ、と漏らした灰花さんの顔には”やばい”と書いてあった。
もしかして、花神楽高校の教員なのだろうか?
「ぐら校の、生徒じゃないね…?」
金髪お姉さんが口元に手を当て、じろじろと注視する。
「校長先生、これは」
灰花さんが私達を後ろに隠すように前に出る。
ん?
校長先生?
校長先生?!
「アンタ達の連れなの?」
先程までのドタバタした姿が嘘のように、校長先生が真剣な表情に変わった。
「すみません!夏休みだからってわざわざ都内から友達が花神楽に遊びに来てくれたんス!花神楽高校を見たいって言うもんだから、つい!軽率でした!」
灰花さんが頭を下げた。
言ってる事は嘘じゃないけれど、そんなの嘘じゃないか。
私達は無理矢理くるの引っ越先に押しかけたんだ。無理矢理家にあがって居続けて、花神楽高校に行きたいと我儘を言ったんだ。灰花さん達はそんな我儘を許してくれただけなのに頭なんか下げないでよ!頭を下げるべきは私達だよ!迷惑ばかりかけてるって分かってた事じゃないか!なのに気にするなと笑うこの人達に私達は甘えて!
見つかるなんて最悪だ。
突然押しかけた今日知り合ったばかりの私達を庇ってくれる灰花さんの顔が見られない。何も言えない。自分が恥ずかしい。
「アンタ達」
ああ、私達のせいで隆弘さんも灰花さんも怒られてしまう。内申に響いたりするのだろうか。どうしよう。
「内緒にしてあげるから、原稿手伝って」
隆弘さんが校長先生の頭頂部にチョップを叩き込んだ。
◇
校長先生に「原稿を手伝わないと花神楽高校への侵入罪で現行犯逮捕する」と脅されてしまい、私達は校長先生の原稿とやらを手伝う事になってしまった。
「それが教師のする事かよ!」
隆弘さんが猛抗議していたが「お黙り!」と一喝されていた。
隆弘さんに助けを求めていたし、原稿とは漫画の原稿の事だろうか。
足早に渡り廊下を進んで別館に移る。校長先生が迷わず開けた扉の室名札には保健室と書かれていた。
保健室?
「早く!一分一秒無駄に出来ないの!」
校長先生が皆を保健室に押し込める。
目の前にあるテーブルの上には原稿用紙やスクリーントーン、作画セット等が乱雑に置かれていた。床には栄養ドリンクの瓶やら紙やらが散らばっている。いかにも漫画家の修羅場現場である。
清潔なイメージの保健室からは想像出来ない有様だ。
室内はクーラーがよくきいていた。
そうか。保健室は他の教室に比べ外から中は見えないし、エアコンもついている。だから保健室で作業してるのか!大人ってずるい!
「おい、花子、そいつらどうした?」
職員用デスクで作業していた眼帯で白衣の男性が、どやどやと保健室に入ってきた私達を見て困惑の声をあげた。保健室の先生だろうか。椅子から立ち上がり、校長先生に近付く。
「助っ人よん」
「助っ人って…うちの生徒じゃない子もいるみたいだが」
「だから助っ人だってば!」
「おい深夜センセー…なんでこいつ保健室で原稿なんかしてんだよ」
「いや、それは…。花子が暑くて集中できないって言って、どうしてもって…」
「暑いなんて皆一緒だろ!アンタがしっかりしなくてどうする!っつーか仕事させろよ!校長!お前も何平日の真昼間から堂々と原稿してんだ!」
「締切前に仕事なんか出来るか!!」
校長先生が踏ん反り返る。この人本当に校長先生なのだろうか。
「まさかアンタまで手伝ってるんじゃないだろうな」
「頼まれはしたけどそこまではしないさ」
「いいもん西野達に手伝ってもらうもーん!深夜は仲間に入れてやんない!」
深夜先生から校長先生はぷいっと視線をそらし、テーブルの上に散らばった原稿を集め始めた。隆弘さんと深夜先生が同時に溜息をつく。
「原稿に向かってると思ったら突然奇声をあげて出て行っちまったんだ。校長室から突然飛び出すなんてよく見かけるから放っておいたんだが、そうか。お前が見つけてくれたんだな」
「見つけたというか。見つかっちまったっつーか」
「?」
「こっちの話だ」
◇
「くるちゃんもおいでよー」
ヨシノが廊下に向かって手招きしている。
見るとくるが廊下の壁にもたれかかっていた。
「行かない」
「なんでー?こっち涼しいよ?漫画描くお手伝いも出来るんだって!貴重な体験だよー?」
「原稿の仕上げ作業なら俺が教えますよ!任せて下さい!」
「ホモに教えてもらう事なんざ何もねえ!」
そういえばくるは共同作業とか嫌いだったな。組分けをしたところでいつも教室から出て行ってしまうので先生を困らせていたっけ。
「僕も外で待ってよっと」
そう言って保健室から出てきた斉賀さんを訝しげにくるが見る。
「なんで」
「ん?だってほら、僕って不器用らしいから。戦力になれそうもないなって」
あはは、と斉賀さんが頭をかきながら笑う。
「消しゴムかけなら斉賀でも出来る!」
パイプ椅子を保健室の奥から人数分出してきて、無駄のない動きでテーブルに沿って置きながら隆弘さんが斉賀さんを呼んだ。
「ありがとう。でも、そういう作業をした事がない僕が手伝うのは効率悪くなるだけだよ」
「俺達だって漫画描いた事ないよ?」
「ヨシノ君達は折角花神楽まで来たんだから、巡ってきた機会に甘えて挑戦させてもらったらいいと思うんだ」
「分かった分かった、口論してる時間はねえんだ。斉賀はくるとそこでおとなしく待ってろ!20分で片を付ける!」
「頑張って」
こくりと力強く頷いてから、隆弘さんは保健室の扉を閉めた。
◇
「…なんで」
「ん?さっきも言ったでしょ?僕、不器用らしいから」
「らしいじゃなくてその通りだと思うけど…じゃなくて!俺に変な気遣うなよ!」
「遣ってるつもりはないんだけど…そうだね、僕がくる君に気を遣ってここにいるんだと言うのなら、今度は君が僕に気を遣う番だ」
「は?」
「君一人を廊下に待たせるのは忍びないから気を遣ってここに留まる事にしたものの、今から20分間も暇なんだよ」
「だから何だよ」
「だから、そんな僕を気遣って、僕の話相手になってよ。これでおあいこでしょ」
「……なにそれ」