出発
「俺も一緒に行っていいか?」
かき氷を頬張りながら灰花さんが挙手をした。
「学校に何か用事でもあったのか?だったら俺の手伝いなんて気にしねえで行けば良かったのに」
「いや、別に用があるって訳じゃねえんだけど、ただ、文化祭に向けてスロワが張り切っててさ。高校生活最後の夏休みは部活に専念したいんだって…」
「気にはなってたんだ。彼女とデートにも行かず連日徹夜で俺の原稿に付き合ってくれてたから…お前ら喧嘩でもしたのかと…」
「する訳ねえだろ!する訳ねえけど、夏休み入ってから一度も顔合わせてない……会いたい…」
「泣くなよ」
「灰花君って彼女いたんだ」
「いる。とびっきりかわいい自慢の彼女がいる」
「ホモだって聞いてたんだけど」
「あらぬ誤解だ!!」
くるも灰花さんの事をホモと呼んでいた気がする。そういういじられ方なのだろうか。
「隆弘も行くだろ?」
「いや、俺は原稿が……」
隆弘さんが口籠る。本当に漫画を描く事がすきなんだなあ。
「夏休みといえど今日は平日だから、うまくいけば校長先生と会えるんじゃないか?」
「原稿も大事だが気分転換も大事だよな」
隆弘さんの表情がキリッと引き締まった。
「くずはさんも行きましょうよ!」
「行きません」
即答され灰花さんは肩を落とした。
くずは先輩はプリンかき氷を5杯完食したばかりだというのに冷蔵庫からプリンを取り出している。ラベルも何も貼られていない、手作りのようだ。
ちらりと見えた冷蔵庫の中身の半分以上が様々な種類のプリンで占領されていた。どれだけプリンがすきなんだよ。
「外、暑いじゃないですか」
ごもっともな理由だった。
私だって好き好んであんな茹だるような暑さの中に身を投じたくない。葛城家内は冷房がよく効いているから快適に過ごせているが、今年の夏は酷暑で、地獄の釜蓋が開いたような暑さが容赦なく日本列島を襲っていた。
地球温暖化だよ!ヒートアイランドだよ!
「くず兄来ないの…?」
お兄さんと離れたくないのだろうか。ブラコンも大変だな。
「いってらっしゃい」
そう言って、くずは先輩はプリンを一掬い口に運んだ。
「そうと決まれば!」
ヨシノは待ちきれないと全身で訴えながら、使い終わった食器をガチャガチャとキッチンの流し台に持って行く。
「すぐにでも出発だよ!」
◇
支度を整え、いざ花神楽高校へと葛城家の玄関を開けると覚悟していた通りむわっとした身体にまとわりつくような嫌な熱気が私達の身体に襲いかかった。
蝉の声がやかましい。
花神楽高校への道も分からないというのにヨシノは一人先々進み、もうメゾン・ド・リリーの敷地から外に出ていた。落ち着きのない奴。
どう進めばいいのか分からない事に気付いたのかきょろきょろ辺りを見回していたヨシノは、ある方向に視線を向けたままぴたりと動きを止めた。
どうしたのだろう。
「………ヴァレンちゃん」
ヨシノがぽつりと呟いた。
追い付いて、ヨシノの視線を辿った先。
もう一人の同級生、ヴァレンタインがそこにいた。
人待ちをしているのか、塀に背中を預け本を開いている。
名前を呼ばれてこちらに気付いたようだ。「こんにちは」と挨拶をしてくれた。
「よ、デートの待ち合わせか?」
隆弘さんが声を掛ける。
「ち、違います…!」
「どうせツァオを待ってるんだろ?」
「そうですけど」
「デートじゃねえか」
「違います!」
私が覚えているヴァレンタインはとてもおとなしくて、隆弘さんのようなワイルドタイプと気さくに話せるような子じゃなかったんだけど。意外だ。
ヴァレンタインの姿を視界に捉え暫く固まっていたヨシノはぷるぷる震え出し、次の瞬間弾けたように歓喜の声を上げた。
「ヴァレンちゃんだヴァレンちゃんだヴァレンちゃんだ!!」
嬉しくてたまらないとでも言いたげに目を爛々と輝かせ、勢いよくヴァレンタインに抱きついた。
「久しぶり久しぶり久しぶりー!何々もしかしてヴァレンちゃんもこのアパートに住んでるの?」
「う、うん」
「え!って事はくるちゃんってばヴァレンちゃんと同じアパートに住んでるの?!いいな!俺も引っ越しちゃおっかな!懐かしいな!変わってないね!ねえ、頬擦りしていい?」
「よ、よくない…」
「んんん残念!そうだねえねえあのね!今から花神楽高校に行くんだけどヴァレンちゃんも一緒に行かない?!」
「えっと、ごめん。折角だけど、今から図書館に行く約束があって…」
「誰と?もしかして友達?ヴァレンちゃん友達なんか出来ちゃったの?!凄いね!大進歩だね!おめでとう!」
隆弘さんもデートか?とヴァレンタインに聞いていた。ニヤニヤとしていたので冗談だったのだろうけど、親しい友達が出来たというのは事実のようだ。あのヴァレンタインに、ねえ。
「じゃあ同窓会においでよ!夜からなんだけどね、俺達が通ってた小学校で同窓会しようって計画立ててるんだ!ケーキも花火もあるんだよ!」
「ご、ごめん。夜は、父さんとごはん食べる事になってて」
ああ、あの親馬鹿をこじらせた父親か。授業参観の日でもないのに小学校にやって来て、教師達に厳重注意を受けている所を見掛けた事が何度かある。
「そっか。お父さんとの約束だったらしょうがないねー」
残念、と先程までのハイテンションが嘘のようにしょんもり呟いて、ようやくヴァレンタインを腕の中から解放する。見ている方が暑苦しいからくっつくなよもう。
「楽しんできてね」
そう言ってヨシノはヴァレンタインに手を振った。
直後、ヨシノにソバットを食らわせヴァレンタインの腕を掴み引き摺って行く黒髪の男性がいたのだけれど、彼がヴァレンタインの友達だったのだろうか。
◇
花神楽へ向かう途中、赤信号にも関わらずヨシノが進もうとしていたので灰花さんが首根っこを掴んで止めてくれた。
「危ないぞ」
「そうだぜ。いくら一見車通りがないっつってもな、いつ何時車が突っ込んでくるか分からねえんだぞ」
隆弘さんが斉賀さんを横目で見ながらヨシノに注意する。斉賀さんがその視線に気づき、えっへんと腰に手を当てて胸を張った。
「僕は常日頃安全運転をこころがけているよ!」
「どうだか」
くるが隆弘さんの脛に蹴りを入れた。
「いっ…!なにしやがる!」
「今斉賀さんの運転を悪く言っただろ」
「本当の事を言っただけだろうがよ!」
隆弘さんとくるが睨み合う。
「ほらほら二人共、こんな所で睨み合ってたら目立つっスよ」
「「ホモは黙ってろ!!!!」」
「ホモじゃないってば!」
うろちょろ防止のためか、がっしりと灰花さんに首根っこを掴まれたままのヨシノは別段振りほどこうともせず、おとなしく赤信号をじっと見つめている。
「でもさ、ことわざにもあるでしょ。赤信号、皆で渡ったら怖くない!」
「ないよ」
ユウが溜息をつきながらヨシノの頭を小突いた。