第十八話:俺のプライドはズタズタだ
午後十一時、トミー達は署で世間話をしながら書類をまとめていた。最近はサウスブロンクス暴動事件を最後に目立った事件は起こっておらず、不気味なほど街は平和となっていた。
「さてそろそろ昼か……へへっ。署長はどっかに行った事だし、アレを飲むとするか」
周りに署長がいない事を確認すると、トミーはこそこそと部屋の隅に置かれている冷蔵庫へ寄った。中を開け、素早くそこから一本のボトルを取り出す。どうやら酒のようだ。エリオットはその様子を見て「署長が居なくなるとすぐこれだ」と、ため息を吐きながら呟いた。
「うるせえなあ。別に一杯くらいいいだろ。毎度の事だが、署長にはナイショにな」
トミーはエリオットの顔を見上げながらボトルのフタを開けた。エリオットは引きつった笑みを浮かべながら見返す。そして再び辺りを見回し、署長がいない事を確認した時だった。
「あら、ドン・ペリニヨンじゃない。勤務中なのに随分良いものを飲んでるのね」
いつの間に近づいていたのだろうか。トミーが驚いて振り向くと、目の前に金髪の女性が立っていたのだ。
息を呑むような美人だった。透けるような白い肌に、背中までスラっと伸びた金髪のロングヘア。そして詰め物でも入れているのではないかと疑いたい程の巨乳。身震いするほどの性的魅力をトミーは感じた。
それにしても長年の戦闘経験を積み、人一倍の洞察力と察知力をもっているトミーに全く気づかれずに接近してくるとは、この女は何者なのだろうか。
「……なんだい美人の姉ちゃん。ここは民間人が勝手に入っていいような場所じゃないぜ?」
「いいやトミー。彼女は民間人ではないぞ」
気がつけば真横は署長が立っていた。それも険しい目つきでトミーを睨んでいる。
「げっ……署長までいつの間に」
「勤務中に高級ワインとは感心しないなトミー。まあ話は後だ。彼女を紹介しよう、今日からここで勤める事となる、サーシャ・グレチャニノフだ」
「新人? それに名前からしてロシア人か。なら初めからそう言えばよかったのによ」
さりげなくトミーはボトルを冷蔵庫へ入れようとした。当然見逃される訳もなく「それは没収だ」と署長が呟き、ボトルは取り上げられる。するとトミーは、まるで吊り下げていた糸が切れたかのように床に手をついた。
「相当ショックのようね……呆れた。噂には聞いていたけど、こんなのが街の大物達と対峙して生き抜いてきたなんて思えないわ」
「そう言うなサーシャ。こんな楽天的なヤツだが、腕は確かだぞ」
「ふぅん……なら、確かめさせてもらってもいいかしら?」
サーシャはそう呟き、床に俯いているトミーの正面にしゃがんだ。それに気づいたトミーは顔を上げ、サーシャと目を合わせる。
「ねえトミー。私と模擬戦をする気はない?」
「模擬戦?」
「えぇ。もし貴方が勝ったら、さっき取り上げられたドン・ペリニヨンよりも美味しいお酒をご馳走するわ」
模擬戦。それは警察や特殊部隊の訓練の一環であり、ペイント弾を使用した銃による実戦を想定した訓練である。いわばサバイバルゲームに似たゲームでもあり、人気の高い訓練だった。
「いいのかい……俺は物を賭けられると手加減出来ねえんだ。身体中ペイント弾でヌルヌルになっちまうぜ?」
「結構よ、私は負けないから。不安なら相棒のエリオットさんとチームを組んでもいいのよ?」
サーシャは完全にトミーを見下していた。
ニューヨーク最強の警察官と言われたほどの実力者であるトミーのプライドはズタズタだ。トミーは軽く舌打ちをして立ち上がり、血走った目で彼女を見つめた。
「よほど腕に自信があるようじゃねえか……そこまで言われちゃ何が何でも勝ちたくなるな。おいエリオット、俺と組め!」
「えっ。いやしかしー」
「構わないわ。二人いっぺんにかかってきなさい」
「……本当にいいのか。どうなってもしらないぞ」
「決まりね。それじゃあ今度の模擬戦で貴方達の実力を見せてもらうわ。構わないわよね、署長?」
「別に構わんが……やり過ぎないでくれよ」
署長が言うと、サーシャは「それじゃあまた後日ね」と言い、先ほどまで何事も無かったかのように仕事をし始めた。
トミー達の実力を承知している上でのあの発言。どうやら相当腕に自信があるらしい。心の底から熱くなるトミー。しかし逆に、エリオットは冷静になっていた。
先ほど署長が発言した「やり過ぎないでくれよ」という言い方に何か引っかかる。どうやら署長は彼女について何か知っているらしい。彼女は一体何者なのだろうか。美しい美貌の裏では何かを隠しているに違いない。
エリオットはそう直感し、後日の模擬戦ではじっくりと彼女の行動に目を張るよう心がける事にした。