(王立学園・入学式)
――午前八時四十分。
女子寮、階段前。
(弟? 弟って、本当に?)
ティマイオス王立学園・高等部の生徒会長マリー・アレンは、納得がいかない表情のまま、入学式が行われる大講堂へと急いでいた。
アンナは金髪碧眼の白色人。カイトの方は、黒髪黒眼の黄色人。二人の間に、血縁関係があるとは決して思えないのだ。両親が再婚した連れ子? どちらかが養子? そんな、考えを巡らせるマリー。
彼女は、後ろをチラチラと見ながら歩みを早める。そのたびに豊かなお胸が揺れていた。
アンナの部屋の天井から突如出現した少年の事を、弟だと紹介された。
そして、生徒手帳に書かれている女子寮の規則を読み上げられた。
「禁則事項、第二項目、その三。女子寮は男子の立ち入りを禁止とする。しかし、生徒の親族のみは可とし、寮長の許可証があれば申請者本人の部屋にのみ立ち入りを許可する」
そうやって、寮長のサイン入りの許可証を自信ありげに見せつけてくるアンナ。
(口惜しい、あー口惜しいったら、口惜しい)
しかし、弟と紹介された彼。ボサボサの黒髪のさえない少年。でもよく見ると、顔のパーツの一つ一つがマリーの好みだったのだ。卵形の輪郭に、犬のように忠義を果たしてくれそうな潤んだ目、少し上を向いている可愛らしい小さな鼻、女の子のように鮮やかな赤い唇。
なんて、可愛いの――マリーは目をハートマークにして、後ろを歩いてくるカイトをチラリと見る。
「あ、ども……」
少年は、額から大量の冷や汗を流す。
(ボクが弟? カイト・ニコラ? 何がなにやら……。いったい、ボクの身に何がおこってるんだろう?)
カイトはアンナの転移魔法によって天井裏に押し込められていたのだ。彼は制服の袖に付いていた蜘蛛の巣を払う。
そして、胸元に開いた小さな焦げ穴を見る。
女子寮のアンナの部屋。そのバスルームに転移したが、誤ってシャワーのレバーを倒してしまい、制服の襟部分を濡らしてしまった。
それを、火炎魔法で乾かそうと言い出すアンナだった。でも、早々に奪い返して正解だと思った。あのままだったら、せっかくの新品の制服が消し炭に変えられていただろう。
焦がされて穴の開いた服。針と糸を取りだして、女子力をアピールするアンナ。彼女は制服の胸ポケットに裁縫セットを入れていたのだが……。
ちなみに、入らないと言っていたのは、制服の穴を繕うための針に、糸が入らなかったのだそうだ。
(アンナ姉ェの裁縫姿なんて、見たことないよ。家事は全てアンドレおじさんがやってたからな)
「ハァ~」
胸に開いた焦げ穴に人差し指を突っ込み、溜息をつく。
そして、顔を上げた正面。そこに見慣れた顔を見て、驚き立ち止まる。
「アレレレレ? これ、アンナ姉ちゃん?」
服の穴に指を入れたまま、階段下の長い廊下の壁に掲げてあった絵を指差す。
確かに、アンナの顔なのだ。
優しげな微笑みを湛えた青い眼の美少女。長い金髪は腰まであり……。
「髪が長い……」
ボソリと言ったカイトに向けて、マリーが口を開く。
「このお方は、先代のアレクサンドラ女王陛下のご長女、オリガ第一王女殿下です。十年前に、生徒会長と、生徒代表と、寮生代表を一人で兼ねられていた才媛。このような優秀な方は、中々現れません。顕彰の意味で、女子寮の目立つ場所に肖像画が飾られました。わたくしも、目標にしている人物なのです」
「へー。十年も前の人なんだ。今は何してるの?」
カイトはアンナに向いた。今度は、彼女が口を開く。
「オリガ王女殿下は、亡くなりました。十年前の王都の危機、破滅を王宮のみで止めたアレクサンドラ女王陛下。その方もろとも、王宮に住まう人々と運命を共にしたのです」
「あ、アンナ姉ちゃん……?」
カイトは戸惑う。いつも、ひょうひょうとしていて陽気な性格のアンナ。その表情が険しかったのだ。
「そうですね。王家の方々は立派な最期でした。侵入した敵を魔法防具で取り込んで、都市破壊兵器からの被害を最小限に抑えたのです。王宮に住む六千の人々の貴い犠牲により、王都ティマイオスの二百万の民は救われたのです」
マリーは大きな胸の前で両手の指を合わせて組み、肖像画の前で祈る。
カイトもそれを真似して祈った。横目でアンナを見る。頭の上で手を組んで、居心地悪そうにしていた。
「アンナさん。祈りましょう」
「そ、そうね」
彼女も、絵に向き手を合わす。握り合う両手に力が込められて震えていた。カイトはそれを目撃して驚く。
「オリガ王女殿下は、学園の試験休みの期間に、たまたま王宮に戻っていたの。そして悲劇に遭遇した。運命は残酷だわ」
言い捨てるアンナ。
「そうですわね。オリガ王女殿下には、三人の妹と、一人の弟がいた。みんな仲良しで、うらやましかったと、父が語ってましたわ。そういえば、第四王女のアナスタシア殿下は、当時六歳。生きていらっしゃったら、アンナさんと同じ年齢でしたわね」
アンナの顔を見るマリー。しかし、アンナの表情は変わらなかった。
「そうね。急ぐわよ、入学式開始の鐘が鳴っているわ」
アンナは急かし、早足で歩いて女子寮の外に出る。
目の前には赤いレンガで作られた、大講堂がそびえていた。そして、隣には三階建ての校舎が幾つも並び、圧倒的な存在感を放っている。
中央校舎に併設されている時計台。その突端の鐘楼で鐘は鳴る。
「へえぇー、凄いね」
大講堂への屋根付きの渡り廊下。
王都ティマイオス全体を見下ろす小高い丘の上に、王立学園は存在していた。
大都会を廊下の縁より初めて目撃して、息を飲むカイト。
「ここに、二百万以上の人々が生活しているのよ」
アンナの言葉。
目の前の広大な盆地に、巨大な円形都市が広がっている。白い石造りの建物が、これでもかと密集していた。
そして、大きく深い運河が街の中心部を、ゆったりと流れていた。そこから伸びる幾筋もの小さな運河が、網の目のように繋がっている。その上を白い帆を張った帆船が、ゆっくりと進んでいる。
街の中心部に目をやる。緑の森の中に、大きな窪地があった。
茶色い地面が剥き出しのままの、半球状の大クレーター。
そこにかつて、王宮が存在したのだ。
今は立ち入り禁止となり、新築された白くて高い壁が周囲を囲っている。
「あそこに、王宮があったんだね」
カイトの言葉に、無言でうなずくアンナ。
「行きますわよ」
立ち止まる二人を即す、マリーだった。
――午前八時五十分。
王立学園、大講堂。
ギギ、ギギギィー。
由緒のある古い建物なので、大講堂入り口の大きな木製扉は音を立てる。
生徒のほとんどが集合していた。遅い到着の三人を振り返って注目する。
「あ、ボクの席」
講堂前方に設置された新入生用の席、一つだけ空いている場所にカイトは腰掛ける。振り返ると、二年生のアンナは講堂後方の左側の最前列に腰掛けていた。右側が三年生たちの座る席であったが、生徒会長のマリーは教師たちの居並ぶ列に着席する。
カイトは孤独感を感じ、少しだけ心細くなる。
「コホン……。皆さん、起立!」
教師の一人が立ち上がり咳払いして、号令を掛ける。
二・三年生は一斉に起立するが、新入生たちはバラバラと、まとまりのない行動をとっていた。
「学園長挨拶」
司会の役割の教員が、式次を告げる。
「ハイ!」
思わぬ元気な返事が講堂の中に響き、カイトも他の新入生と同じく声の方向を向いた。
教師席最前列、一人の男性が立ち上がる。仰々しい黒マントを羽織った人物。金髪碧眼の端整な顔立ちには似合わない、四角い黒縁の眼鏡を掛けていた。
少し長い髪の毛を、オールバックにして固めている。彼はステージに向けて、ゆっくりと歩いて行った。
大陸国家『ティマイオス』の国旗と、ニコラエヴァ家の紋章が、背景に飾られている壇上。学園長はそれに向けて、うやうやしく頭を下げる。
演壇に登る足取りも軽やかな学園長。にこやかな表情で、生徒に向けて右手を上げた。
「着席!」
教員の合図で、一同が座る。今度は揃った動作だった。
学園長は、思ったよりも若いのかも知れない。柔らかな微笑みを湛えてはいるが、意外と厳しいのかも知れない――カイトは居住まいを正し、席に深く腰掛け直す。
演台の後ろに立ち、新入生を見渡す学園長。
「みなさん、入学おめでとう! えー、学園長のブルカ・マルカです。若い諸君らに、長ったらしい挨拶は不要でしょうから、重要な点を極めて簡潔に伝えます。新入生の君らは『ティマイオス』の国家・国民に貢献してもらうために、厳しい授業と訓練を受けてもらいます。授業、寮生活には国家より多額の援助が行われているのです。諸君らは、そのことを肝に銘じておいて欲しい。これは、安心して聞いている二年生・三年生も同様ですよ。不真面目で不謹慎な生徒は、とっとと退学にします。例え大魔法使い・大賢者といえども、例外はありません」
学園長の言葉に、静まりかえる講堂内。
カイトは首を後ろに向けてアンナの様子を見る。厳しい表情をしていた。向き直り、生徒会長のマリーの姿を見る。こちらも姿勢を硬くしている。
大魔法使いと大賢者……二人のことを指しているのだ――カイトは考える。
「まあ、厳しいことを言いましたが、高等部の三年間を楽しく過ごして頂きたい。これで、私の挨拶は終わりです」
「起立! 学園長に礼!」
生徒たちは綺麗な動作で、深くお辞儀をする。
「着席」
カイトは席に座り考える。そもそも自分がこの学園に来ることになった理由。
新たに壇上に生徒会長のマリー・アレンが立ち、新入生歓迎のスピーチを始めていた。
――入学式一ヶ月前の予備試験。
カイトはガリラヤ村近くの街に呼ばれ、身体検査をされた。アンナも付き添って、アンドレおじさんの手作りお弁当を持参する。
ピクニック気分のカイトは、とある天幕の前に整列させられた。
同年代の少年・少女が数多く並んでいて驚く。
黒いテントの中に入ると、レア職業である占い師が水晶玉をのぞいていた。
子供のような小柄な黄色人の女性。
彼女は占い魔法を使い、目の前の人間の未来の職業と到達予想レベルのおおよそを伝える。
カイトを目の前にして、占い師の彼女は首を捻る。彼女の仕事は簡単なのだ。目の前の人物がティマイオス王立学園高等部の入学要項を満たすのか、水晶玉を使い透視し判断するだけだった。
入学を満たす条件とは。
一つ、上級職業が出現した者であること。
二つ、到達予想レベルが30以上の者であること。
三つ、親族に上級職業者で高レベル者がいること。
上級職業とは、通常職業の前に『大』が付く職業の事である。大魔法使いや大賢者、大戦士などがある。上級職業では、使える魔法や、装備できる武器・防具・アイテムに特殊なモノがある。
到達予想レベルも、普通の人物で10前後であるのだが、高レベルになればなるほど、使える魔法の威力が段違いに増して来る。
そして、身内に上級職業者や高レベル者が存在すると、近親者には間違いなく能力が引き継がれるのだった。
そう、魔法能力や戦闘能力は遺伝する。
そして、それは女性に強く表れる特有の遺伝形質があった。
カイトは入学式会場に意識を戻す。後ろの席から見渡すと、男子の生徒は女子の十分の一程度しかいなかった。新入生は全部で二百六十一名。そのうち男子は、二十五名だけだった。
上級生や、教職員の顔ぶれを見ても比率は変わらない。圧倒的な女子の数に、カイトは押しつぶされそうになる。
カイトは、多少――女性恐怖症気味であった。
その原因の多くは、隣に住む一歳年上で、金髪碧眼の幼なじみにあるのだ。
そう、そのアンナ。
予備試験の時、カイトを前にして首を捻る占い師の場所に同席していた。
水晶玉を前にして、占い師は困惑する。カイトの将来の職業も、到達予想レベルも見えていなかったのだ。
カイト自身、入学に合格する要項を満たしているとは思っていなかった。
だが、大魔法使いのレベル50のアンナ・ニコラの弟であることで、辛うじて入学用件をクリアすることになった。
その時に、占い師がアンナに脅迫されていた事を、カイトは知らない。明らかに血が繋がっていない弟なのだが、商売道具の高価な水晶玉を粉々に破壊すると脅された占い師は、渋々と予備試験通過の書類にサインをしたのだった。
だから、不思議だ――カイトは思っていた。
魔法も全く使えないポンコツだし、剣術や格闘術も華奢な女子のアンナにさえ劣っていた。
「アイがいたら……」
カイトは、会場でボソリとつぶやいた。
幼い頃から、高レベルの魔法を使いこなしていた双子の妹。この場にいたら、きっと新入生の一番の成績だったろう――カイトは顔をうつむける。
「……以上です。これにて、わたくしの歓迎スピーチを終えます」
マリーはそう言って、礼をする。大きな胸がタユンと揺れた。茶色のブレザーは、大きな乳房を包み込むかのようなデザインに裁断され、縫製されている。全く持ってけったいで特殊な制服だった。
顔を上げたときに、カイトが浮かない顔をしていたので、マリーは気になっていた。スピーチの最中は、壇上から彼だけを見つめていたのだから。
◆◇◆