(マリヤの初恋)
――午後零時五十五分。
王立学園大食堂、特別席。
「あら、アナタ。ソーセージ、嫌いなの?」
食堂にいる千人近い全員が、同じメニューを食している。しかし、菜食主義者であるマリーは肉類が食べられないで困っていた。ようやく食べられる味のないマッシュポテトをフォークの背で潰し、小さな口に運んでいた所だった。
マリーの信じる宗教上では、食事から得られる快楽も否定されている。だから、食卓に並ぶ様様な調味料も使えないのだ。提供されたままの味で、我慢する。
そんなマリーではあったが、大好きな牛乳プリンが登場したときには、脳天を突き抜けるような甘露な感覚に、溺れてしまうのだった。
そこに聞いてくるのは、アンナに変装した姉のマリヤである。
「ア、ハイ……」
「じゃあ、私が食べちゃうね。エヘヘ」
テーブルから身を乗り出して、マリーのトレイに載ったソーセージをブッツリ――左手のフォークで刺して、自分の口に運ぶマリヤだった。
(アレ? 姉ちゃんて、こんなに胸が大きかったっけ?)
もう一本のソーセージを取るためにマリヤの上半身が伸びる。その胸の部分が、カイトの顔の正面に来る。
制服の茶色いブレザーの隙間からのぞく白いシャツ。それを押し出している素肌の部分の面積が、普段より多いのだ。
開放的で活発なアンナであるが、こういった身だしなみには普段から気を使っているのだった。
そうして、姉のオッパイの成長具合に並並ならない関心を寄せているカイトは、違いを見破っていた。
(パット入れてる?)
「何? 私の制服に何か付いてるの?」
カイトの粘るような視線を感じたのか、席に座ったマリヤは彼の眼前に顔を近づける。
「ハッ! ア! イヤッ!」
先ほど、鼻先を舐められた出来事を思い出して取り乱す。キスする時は、あのくらい顔が近づくのだった。彼女の熱い吐息を思い出す。胸がドキドキする。
「えへへ、変なの」
そう言ったマリヤは、ミーシャがしていた様にコッペパンにナイフを使って縦に切り込みを入れ、ソーセージを挟み、ほうれん草を押し込み、卓上のケチャップを持ち出す。
ブ、ブファ、ファ!
残量が少なかったケチャップ容器。大きな音を立てて周囲に赤い調味料をまき散らしていた。
大食堂特別席のテーブルの白いテーブルクロス。その上に真っ赤な目立つ印を残していた。
(うわ!)
カイトは驚いた。
その一滴が、マリヤの胸元を汚していた。白シャツに、赤い一点が眩しい。
「あらら。君、舐めてくれる? ケチャップが勿体ないわ」
そう言ってブレザーの上のボタンを一つ外して、カイトに迫っていた。大きな胸が迫り出してきそうな勢いだった。これは、マリヤなりのジョークなのだ。
「私が拭きます。で……、いいえ、アンナさま」
マリヤの背後に立っていた中等部の制服を着るサラ・ザラスシュトラは、グレーのスカートのポケットからフリル付きのハンカチを取り出す。自分の方にマリヤの体を向けさせて、丁寧に拭き取ってやる。
シャツの胸の部分の下にサラの指が入れられて、その上からハンカチで叩くのであったが――。
「あはは、くすぐったいよ」
マリヤはモジモジと身をよじる。
「オ、オイ……」
小声で、クロエがマリーを右肘で突いていた。
「あ、ハイ。あ、アンナさん。あんまり自由奔放にされますと、周囲の生徒のめ、迷惑となりますわ」
腰を浮かしてマリヤの所業を注意する。彼女の大きな胸がダランと垂れ下がっていた。
「え! 私、イケナイ事をしたの? 私が悪いの!?」
大きく見開かれるマリヤの目。綺麗な青い瞳がキラキラと光り、それが食堂の高窓からの陽光を受けて、ウルウルと乱反射を始める。
タップリと目に貯められた涙が、やがて堰を切って流れ出す。
大きな涙滴が、頬を何度も何度も伝って流れる。
(ああ、泣かしてしまったか)
様子を伺っていたクロエは自分の額に手を当てて、困っていた。頭を振るとポニーテールにした赤い髪の毛が一緒に揺れる。
「え? え?」
(わたくしの所為ですの?)
マリーは、周囲の非難するような目線が自分に向くのを感じ、慌てる。
そうして、不満げに両頬を膨らませていた。最終的な悪者にされるのは、決まってマリーの役目だったからだ。
「悪いのは姉ちゃんだろ! こんなに、テーブルまで汚しちゃって! いつもと様子が違っているよ。妙に、はしゃぎ過ぎているし……何かボクに隠し事をしてるでしょ」
ポコンとマリヤの頭を軽く叩いたカイトは、立ち上がって特別席のテーブル上にあった布巾で、散らばったケチャップを拭き取っていた。
白のテーブルクロスは表面が撥水加工されているので、雑巾で簡単に汚れが落ちるのだ。
「ご、ゴメンなさい」
涙は止まり、ペコリとカイトに頭を下げるマリヤだった。
「うん。分かってくれればいいよ」
カイトは座り、マリヤの頬を流れた涙の跡を、拭ってやる。
――テーブル上を拭いた、その雑巾で……。
(な!)
カイトの無礼な振る舞いに、マリヤの背後に立つサラは、制服のスカートの下に隠していたザラスシュトラ家の家宝――『神聖ナイフ』を取り出して構える。
「えへへ、好き♪」
何を考えているのか、マリヤは隣の席のカイトにもたれ掛かり、彼の腕に頬を擦りつけていた。
「な、何してるのさ、姉ちゃん!」
カイトは慌てるが、こうやって愛情表現を直接的に表す彼女に、ときめいていたりもする。
「好き、好き! サラちゃんよりも大好きよ」
後ろに向いて、固まっている中等部の聖戦士に向けて仲良し具合を見せつける。
(は! 殿下! あんまりです! 私を弄んでいる!)
サラの心は散り散りに乱れてしまっていた。マリヤは片目をつむってアッカンベーをしてみせる。
「ニャアー、兄ちゃんも大変やな」
一人外れた位置で今までの様子を見ていたミーシャは、他人事の様子で感想を述べる。
まあ、本当に他人であるが。
「そうですわね。姉弟の仲の良さを見せつけるのはよいですが、時と場所をわきまえるようにね」
食事を終えた副会長のナデシコ・アオイは、そう言ってトレイを両手で持って立ち上がる。
感心の無い様なフリをして、特別席を後にする。
「待って下さい、副会長!」
ナデシコの後ろに付き従う、書記と会計の女生徒二人。何とも存在感の乏しい二人であった。食事の最中も、ずっと無言であったのだ。
「バイバイねー」
マリヤは何事も無かったかのように、退席した三人に向けて右手を上げてプラプラと振っていた。
「殿下、食事の時間はここまでです。十三時には寮の三○七号室に戻ります」
マリヤの耳元に口を近づけて、小声で忠告をするサラであった。
「うひゃ、くすぐったいよサラちゃん。うーんと、十三時……?」
マリヤは顔を上げて、大食堂の入口付近の壁上に掲げてある時計を見る。
中身は七歳の幼女であるので、十二時間制のアナログ時計を前にして戸惑っていた。
「失礼しました。午後一時で、御座います」
サラは注釈を入れる。
「うん、分かったわ」
時計の長針と短針の位置を目で追っていたマリヤは、小さく肯いていた。
「サラちゃんは、お昼はいいの?」
「私は、アン殿下に頂いたサンドイッチで満足しています」
「そうなんだ」
「ハイ、そうです」
小声で交わされる会話。
「オレたちも早めに切り上げよう」
「ええ」
クロエの言葉に同意するマリーではあったが、自分のトレイの上を見ると料理の多くが残されたままであった。
ほうれん草のみは食したが、より分けたベーコンが残り、マッシュポテトも味わいが淡泊であったので半分も食べていない。
パンも一口食しただけだった。
これからの困難な任務を思うと、食事が喉を通らないのだった。
「残しちゃダメよ! 全部食べ終わるまで、お部屋に戻ってはいけません!」
マリヤは、自分の即席のホットドッグを口に放り込んで、モシャモシャと食べながらマリーに強く注意する。パンパンと両手を叩いて、手に付いたパンくずを払う。
母や姉たちからいつも注意されていたこと。国民の税金で日日の生活を営む王族は、決して食べ物を粗末に扱うような事はしないのだ。
「あ、ハイ」
マリーは困り果てる。食べ物を無駄にはしたくはないが、今日はどうにも食欲が湧かないのだった。
「ボクが食べますよ。今日は量が少なかったから、物足りないんです」
既にパンを二個食べているカイトだったが、笑顔をマリーに向ける。
「ええ、カイト君。ありがとうね」
そう言ってトレイごと彼に手渡す。
(ヤッパリ、素敵ですわ。わたくしの勇者さま)
マリーは両目をハートマークにしていた。
「オーイ! 早くして!」
特別席からの階段を降りるマリヤは、後ろを向いてマリーを急かしていた。
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