(アンナの挑戦)
「「「「「「「「キシャーア!!!!!!!!」」」」」」」」
講堂南側の高い位置にある明かり取り用の大窓。そこから、伝説の水竜『ヤマタノオロチ』が、それぞれ八つの顔をのぞかせていた。
モンスターの大きなうなり声で、窓ガラスがバリバリと振動していた。
凶悪な巨大な形相。それを認めた生徒・教師たちは、体を逃すようにして仰け反っていた。
太古の伝説を元にした宗教画、壁画。それにそっくりであった。
頭には二本の角があり、赤く光る大きな目が講堂内の人物を見つめている。大きく開いた口からは、おそろしく尖った牙が光っている。
全身は金色のウロコに覆われて、太陽光をキラキラと反射していた。
神話内だけの想像上のモンスターと考えられたので、その出現に立ち会った皆は、息を飲む。
(ピーちゃんさんが!)
(ここで、伝説の水竜が意味を持つのか!)
マリーとクロエの二人は立ち上がる。
「キャー!」
一人の女生徒が悲鳴を上げて気絶し、椅子の上にグッタリと倒れ込む。
高等部のこの生徒は、十三年前の海洋都市『エナリオス』の生き残りの少女なのだ。強大なモンスターを目撃して卒倒していた。
生徒たちが、一斉に席から立ち上がる。このままパニックになって、出口に殺到したならば、大勢の負傷者が出てしまう。
「拘束魔法!」
壇上のアンナは、大げさに右手を上げてみせた。彼女ほどの実力を持つ魔法使いならば、詠唱も大きな動作も必要ないのに――だ。
「ハッ!」
この場所に居る全員が驚く。白く光る拘束の輪。全員が束縛の光りの縄に捕らえられていた。胸の回りと、両手・両足を締め上げている。
この場所には千人以上もの人々がいる。その各人を一人一人捕らえる拘束魔法。それを駆使したアンナに向けて、驚愕の表情を向ける。
「で、殿下! アナスタシア殿下! たとえ王族であっても、このような強引な処置には承伏しかねます!」
先ほど異論を唱えた男性教師が声を上げる。
彼は、教皇庁から派遣されている大戦士であった。学園内でのマリーの警護と、パトリシア・アレン枢機卿への報告の役目があるのだった。
教皇派の教師。ハッキリ言って間諜なのであった。
彼は、必死に拘束魔法の緊縛を解こうとしていた。
しかし、暴れるほど逆に締め付けられていく、大魔導師アンナの強力魔法であった。
ドタン!
白目を剥き口から泡を吹いて、その男性教師が昏倒する。
無理に拘束魔法を外そうとして、それが首に掛かっていた。体を弓なりにして、ビクビクと講堂の床の上で跳ねていた。
(マズイ!)
「拘束解除!」
アンナは慌てて壇上の端まで走り、上げたままの右手を下げる。そうして、この場の全員に掛けた魔法を解いていた。
男性教師はグッタリと大人しくなったが、隣の大賢者である女性教師が介抱し、無事であると皆に告げていた。
「皆さん、ゴメンなさい。このように驚かせたり、怖がらせたりするつもりは無かったのです――」
アンナは演壇に戻り、ペコリと全員に頭を下げた。
「――ワタクシも手荒な真似はしたくはありません。先ほど申しましたように、ご家族やご親族に国会議員がいらっしゃらない生徒の方々は、解放する用意は出来ています。直ちに臨時国会を召集して、ワタクシの女王即位を承諾してくだされば、その後、人質となった生徒さんも順次解放いたします」
アンナは少し取り乱していた。語尾が震えていたのだった。その点に、マリーとクロエの二人だけが気が付く。
そう――これは、現政権に対するクーデターなのだ。
その決起が、ここティマイオス王立学園の大講堂で行われたのだった。
「アンナさま! いいえ、アナスタシア殿下! 私の父親、ベンジャミン・ミッチャー子爵は、元老院の議員であります。父は今、教皇派議員ですが、元は旧・王族派に属しておりました。このような脅迫行為を実行しなくても、王家の直系の姫さまが名乗りを上げたのなら、喜んで女王即位への賛成票を投じるでしょう!」
勇気を振り絞り、小柄な体から大きな声を出すマーガレット・ミッチャー。大好きなアンナが王族であったという事実に、興奮していた。
その訴えを聞いて、会場の各所から拍手が沸き上がる。
やがて大きな波となり、会場中が包まれる。
「私も、殿下の味方です! 教皇派の議員たちの圧政には、不満を持つ庶民も多いのです! アレクサンドラ女王陛下が不正蓄財をしていたとか、魔法による人体実験をしていたなどの、センセーショナルでスキャンダラスな話題が散発的に巻き起こりましたが、ここにいる多くの生徒・教師は、そんな事などは信じていないのです!」
一人の小柄な女生徒が、演壇前に駆けつけて熱弁を奮う。
「アナタは、始めて見るお顔ですね」
アンナはその女子生徒に対し、優しい言葉を掛ける。制服からして、中等部の生徒だと分かる。
どことなくクロエに似た風貌。褐色の地肌に黒い長い髪の毛。そして、目を引くのは彼女が右目にしている黒い眼帯であった。
眼病治療の為の白い眼帯ではない。右目に何らかの障害を抱えていることが伺える。
「オマエは、サラ! サラじゃないか!」
クロエが立ち上がり、女生徒の前に立つ。
「どなたですの?」
マリーも近寄り、クロエに聞く。
「私は、サラ・ザラスシュトラ! 中等部の三年で、生徒会長をしています。そちらのクロエ・ブルゴー姉さまの従妹なのです」
細身で小柄な少女はクロエを指差した。ただしこの子は、胸はデカイ。
「従妹? こんな可愛い子が? そういえばアンドレからそんな話を聞いたかも。ねえ、クロちゃん?」
アンナが顔を向ける。
「ああサラは、父アンドレの実兄、アランの一人娘なのだ。伯父のアランは、赤色人の宗教家ザラスシュトラ家に婿養子に入った。サラは今、十五歳で、本来は高等部の一年の年齢なのだが、十三年前の海洋都市『エナレオス』滅亡の場所に居た。その時にサラの祖父母と共に被害を受け、彼女一人が生き残った。その時に右目を失う大怪我をして、その影響か、中等部二年の時に一年間休学したのだ」
クロエの説明を受け、目の前のサラはコクリと肯いていた。
赤色人の宗教家トップでもあった、彼女の母方の祖父母。偶然訪れた海洋都市で、偶然に襲来した『黒龍』に襲われた。そして、偶然にもサラだけが生き残った。
果たして、全てが偶然だったのか?
「私、サラ・ザラスシュトラはアナスタシア殿下に従います。両親は赤色人の代表をやってます。私たち赤色人はニコラエヴァ王家に忠誠を誓ってはいるが、教皇派を認めたわけでは断じてない!」
熱弁を奮うサラ。椅子の上で介抱されている教皇派の男性教師を横目でにらんでいた。彼は、慌てて視線を逸らす。
彼女の存在はカリスマ性をおびており、中等部の生徒たちから熱い視線を向けられている。
「あの…………わたくし…………」
マリーは戸惑う。サラは彼女に対しても、敵意を剥き出しにしている。噛みつかん勢いで、今度はマリーに怒りの形相を向ける。
国民から評判の悪いマイケル大公と、更に評判の悪いパトリシア・アレン枢機卿――二人の娘であるマリーは微妙な立場にあった。
教皇は国民からの信頼が厚いが、最近は公の場所に姿を現していない。
百五十歳を超えた高齢のチャールズ十三世には、健康不安が囁かれている。こうした間にも、実の娘のパトリシアが実権を握りつつあった。
マリーも女王の座を狙っていると、周囲からは思われており、アンナとは完全にライバル関係にあるのだった。
「自分の気持ちを、正直に素直に言うんだ」
困り果てているマリーを、後ろから支えてやるクロエ。彼女はマリーの本心を知っている。
「あの、アンナさん……いいえ、アナスタシア殿下。わたくしにも発言の機会を与えて下さい!」
アンナの前に歩み出て、熱い気持ちをぶつけるマリー。
「うん、いいわ。どうぞ」
演台の上に置いてある通信魔法のアイテム。それを取り外し、マリーに渡すアンナだった。
その時も、アイテムが拾った反響音が鳴る。
「皆さん、聞いて下さい! わたくしも次期女王の座は、アナスタシア殿下がふさわしいと思います。母の考えていることには、娘のわたくしも賛成できないことが多くあります。ここで、アナスタシア殿下が、名乗りを上げたことは、現政権へのクーデターであると確信します。しかし、わたくしマリー・アレンはティマイオス王立学園高等部生徒会長として、ここにいる王女殿下を支持します。殿下ほどの適任者が、他にいらっしゃるでしょうか? わたしたちの通う王立学園の創設者は、四千年前の伝説の女王『アナスタシア』さまです。つまり、歴代の王家の支援を受けている我々生徒一同は、ニコラエヴァ王家への忠誠を第一義に誓うべき存在なのです! 皆さま、ここは学園に残って、故郷のご家族を説得されてはどうでしょうか? わたくしはこの校外実習の冒険で『大神官』という『超級職業』に進化しました。この職業の特殊能力には、通信魔法を遠距離の相手に同時に多数送ることが可能です。故郷のご家族と瞬時に連絡が出来るのです。どうか、アナスタシア殿下が女王の王冠を頭に頂くその日まで、ご協力下さい」
普段とは違う高ぶった表情のマリー。彼女は頭を深く下げる。
長々と喋り、魔法アイテムを持つ左手が、プルプルと震えていた。緊張し、力を込めて持ちすぎていたからだ。
「マリー生徒会長! 私たち生徒会のメンバー全員も協力します。通信魔法の使える魔法使いたちが、サポートしますわ」
生徒会の副会長が歩み出して言った。彼女の後ろには他のメンバーが従っていた。
副会長のナデシコ・アオイは、マリーとは対立関係にあった。過去の生徒会長選挙において、接戦を演じた仲だった。
ナデシコは、黒髪のショートカットに銀縁眼鏡。典型的な黄色人らしく、低い鼻と奧二重の細い目が特徴であった。
彼女は多少のわだかまりを抱えているために、マリーとの共同行動は控えているのだった。
だから、昼食時のマリーはボッチなのだ。
その副会長以下の書記や会計の生徒会メンバーも、マリーに協力を申し出ていた。
アンナやカイトを生徒会に必死に誘ったマリーの目的は、孤立している現在の状況を打破したかったのもある。
「マリー、マイクを貸してくれ。寮生代表であるワタシもアナスタシア殿下に協力するぞ! 生徒が一丸となって、盛り立てるんだ。幸いこの学園は、自主独立をモットーとしているため、首都ティマイオスとは関係なく自立した存在になっている。この場所は、災害時には避難所にもなっている堅牢な作りと、豊富な水食料を蓄えている。その気になれば一ヶ月は籠城が可能だ。マリー・アレンを中心とした生徒会は、政治家への説得工作担当。そしてワタシ、クロエ・ブルゴーを中心とした寮自治会は、学園の警護を担当しよう!」
「おー!!!!!」
クロエの熱のある声。右手を突き上げると、生徒全員が従っていた。
◆◇◆




