(敵の増援)
「アンナさん! カイト君の呼吸が!」
マリーの悲鳴にも近い声。
「カイト君。しっかりしろ!」
クロエは彼の鼻の部分に耳を近づける。息をしていなかった。彼女はすぐに、心臓マッサージと人工呼吸に移る。緊急の救命措置法は、学園の一年生の授業で習っているのだ。
「カイト……」
アンナの絶望。何も出来ずに、うなだれている。
その時だ。
「何や! いっぱい、いっぱい来たで!」
天空を指し示すミーシャの指。小さくて細い指だ。まるで赤ちゃんの様にプニプニしている。
「あの空、いっぱいに……」
マリーはカイトの治療を続けながら、東の方角に顔を上げる。
空と同じ水色の体表。そんな怪鳥が轟音を巻き上げて、この場所に向かって来ていた。
数を確認出来ただけで、五十はあった。
麦畑を襲うイナゴの群れのように、低空に密集している。
「敵の増援なの? こんな時に限って!」
アンナは苛立ちの表情で立ち上がる。
「まて、どうするんだ」
カイトへの心臓マッサージ中のクロエが、アンナの顔を見上げる。
「二人は、カイトをお願い。ミーシャ! 三人を守れるかしら、敵からの攻撃を防いで欲しいの、アタシからの頼みを聞いてくれる?」
「あ、ああ、エエで。ウチの戦闘能力は、たかが知れとるがな」
「いいの。アタシが打ち漏らした敵だけで、事足りると思うわ」
ソレだけを言って、アンナは転移魔法を使い、消えた。
「『火柱の盾』展開! これで、正面からの敵の進撃は防げるだろう」
クロエは立ち上がる。『炎の鎧』から発する炎の柱を、並べて出現させて、防御の盾とするのだ。相手からの物理・魔法の攻撃を、炎の盾ではじき返す。
鉄壁とはいかないが、漏れた敵はミーシャに任す事にする。
クロエは額の汗をぬぐう。
今まで掛かりっきりだったカイトの顔に、赤みが差していた。ゆっくりと胸が上下しているので、呼吸を再開しているのだ。クロエの役目は救命処置から、パーティーの防御へと移っていた。
カイトは生命の危機を脱したが、意識は戻っていない。
「傷がふさがって来ました。カイト君の快方まで、あと少しです」
真剣な表情のマリーの言葉。
彼女の尽力で、内臓の傷を塞ぐことが出来、出血は収まっていた。体表の傷口を完治できれば、マリーの治療は完了だ。
「空力魔法! 『真空地帯』」
上空150メータルの敵の鼻先に出現したアンナは、攻撃魔法を使う。右手を振りおろし、強烈なつむじ風を巻き起こす。
空飛ぶ水色の怪鳥の鼻先に強風を起こし、ソイツの右翼を切り落とした。
奇っ怪な敵である。怪鳥と表現したが、鳥でないのは明白である。体の表面の固さからして、生物でないと判断出来る。ボンヤリとだが、太陽光を反射していた。
両翼を広げた幅は20メータルほどの大きさだ。高さも7メータルもある。
翼と形容したが、両端の上で高速回転する羽がある。それが円運動する力で下向きに風を起こし、揚力を得ているのだ。
ガクン!
先頭を高速で移動している敵の一匹は、片翼を失って失速する。そのまま落下していき、怪鳥の群れから脱落していった。
ボン!
地表に激突し、炎と黒煙を上げる。
それを見下ろし、笑みを浮かべるアンナ。その間、彼女の身体は自由落下を続けていた。
ビュウビュウと、彼女の耳元で聞こえる風切り音。
シュン!
アンナは次なる獲物の前に出現する。
転移魔法は、移動する先の正確な空間座標を頭に描かねばならない。距離が遠くなればなるほど、その正確さが重要となる。しかし、視認が可能な場合には適当に見当を付けて、その場所へと転移するのだ。
「敵が多いわね。一つ一つ対処してらんない! 『剣の舞』」
アンナは凍結魔法を使い、瞬時に数百もの氷の剣を空中に出現させた。
通常時は、これらが垂直に落下して真下の敵をズタズタに引き裂くのであるが、今回の敵は高速で移動している。
「空力魔法! 『霧氷の舞』」
右手と左手をクロスさせ、それぞれの腕を振り上げる。
風を巻き起こし、氷の剣の切っ先を敵の正面に向ける。
高速で移動している敵の群れは、自分たちの方から氷の剣にぶつかることになる。
ガ、ガガガ――剣の多くは敵の体表を覆う堅牢な装甲に弾かれる。
「チッ」
アンナは舌打ちする。この攻撃では、相手に大きなダメージを与えることが出来ないのだった。
「足止めにもならないか! な!」
アンナは次なる敵の前に出現し、驚く。
彼女の放った氷の剣が水色の怪鳥の正面に激突していた。太陽光を反射するその正面構造物。そこを破壊して、怪物の体内がのぞいていた。
「人間……?」
怪鳥の先頭部分に人が乗っていたのだ。
目が合った――気がした。
見たことも無い、深緑色の上下がツナギの作業服を着ていた。頭には防護用の小さめの同色のカブトを被っている。
相手は太陽光除けの黒めがねをしていて、視線などは確認出来ない。だが、アンナの顔を見て、それから剥き出しの胸に視線の先が移動したのを実感する。
内部の人間は、口を開けて何事か叫んでいた。
だが、風切り音と怪鳥の発する爆音で、何も判別出来ない。
急に、怪鳥の移動速度が遅くなる。天を向いていた黒い羽。
着陸をする時の、鈍重なアホウドリのように大きな翼をねじり、羽の向きをゆっくりと変えている。
「ナニ?」
一緒に並行移動していたアンナは首を捻る。旅をする渡り鳥の群れかのように、一斉に同じ動作をしているからだ。
「ねぇ! マリー聞こえる?」
「ヒッ!」
突然に、耳元からアンナの声がして驚くマリーだった。
「何ビクついているの? 単なる通信魔法よ。『大神官』になったアナタなら、利用可能でしょ」
「ええ、ハッキリと聞こえます。通信魔法のアイテムが無くても、クリアな交信が可能になりましたのね」
「前置きはイイわ! カイトの具合はどう? 敵の一団が着地をして、そちらに迫っている。今こそ、首飾りの機能を使うのよ」
「カイト君の状態は、安定していますが……え?」
マリーは横たわるカイトの顔を見た。安らかな顔で眠っている。危機は脱していた。
「じゃ、ヨロシク!」
そこで、アンナからの通信が途切れる。
ボン、ボーン!
遠くで巻き起こる爆発音。そこでアンナが戦闘を再開したのだ。
「首飾り……。これは、人間やモンスターにしか作用しませんのよね」
マリーは自分の胸の上で転がる『幻影の霧』の首飾りを見る。ブツブツと独り言をしゃべりながら、アンナの言葉の意味を考える。
「クロエさん! 作戦があります」
マリーの膝を枕にしているカイトの状態は、安定してきた。ゆっくりと草むらに彼の頭を置いて、新たな敵の進撃に備えるクロエに駆け寄り耳打ちする。彼女は大きな得物である『ミョルニル・ハンマー』を右肩に抱えた。
「作戦?」
「ええ」
マリーは『幻影の霧』の青い宝石を両手で包み込み、呪文の詠唱を始める。
◆◇◆
「さあて、開けた場所に出たわね。いよいよアタシも、リミッター解除よ。今までは遺跡を壊すワケには、いかなかったからね」
アンナは自分を囲む、敵の群れを見る。
先ほどの短角黒毛牛がズラリ並び、彼女の周囲に密集し、包囲していた。
数は数百――圧倒的な戦力差であった。戦闘の数理モデルを持ち出すまでもなく、いくら強力魔法が使えるといっても、アンナの方は数秒で沈黙させられる事だろう。
「相変わらずに、キモイ動きね」
それぞれの敵の個体が体の向きを変え、一斉にアンナに狙いを向ける。
「『エメレオン』防御結界!」
アンナは叫び、自分の周囲3メータルに球形の結界を作り出す。
バババ、バババ、バババ――彼女を囲う前方の敵が、一斉に攻撃を開始する。
しかし、結界内のアンナには届きそうもなかった。
「ふぁ~、退屈。まあ、これでもしばらくはアタシの方に気が向いているでしょうね」
欠伸をした彼女は、両手を自分の頭の後ろに回す。
横目でチラリと、カイトたちを残してきた方向を見る。
そこには、新たなるアホウドリの一団が到着していた。
その、お尻の部分から大挙して現れる短角黒毛牛の集団。
「ま、そうもいかないか。じゃあ、いきますかぁ!」
アンナはクビをコキコキとひねり、右手を突き出す。その方向は、カイトたちの居る場所だ。
「『浄化の光り』! なぎ払え!」
腰を少し落とし、突きだした右手の先の結界を解く。
カッ!
強烈な光りがアンナの右手から発せられる。
直径30センチメータル程の光条。
それが一直線にカイトたちの正面付近に達し、途中の敵の体を貫いていた。
そのまま、ゆっくりと体を左側に回転させていく。高さ1メータル程を保ち、ゆっくりと移動している。
アンナが体を向ける先から、彼女を包囲している多くの敵が駆逐されていく。
体が一回転を終えた。そのころには、結界に加えられていた攻撃が止んでいた。
シュン――アンナ言うところの短角黒毛牛は四本足の部分を残し、体のほとんどを蒸発させていた。
半径100メータル内に存在した敵が、全てなぎ払われている。
牛を横に開いてのバーベキューをイメージしたアンナだったが、『浄化の光り』の威力が強力すぎて、思ったよりも相手を破壊尽くしていた。
「何? 手応えが無いわね」
戦闘をしたとの実感がない。アンナは自分の右手を見て、そう言った。
「さて、カイトたちはどうしたかしら?」
◆◇◆




