(プロローグ・カイトの村)
ようやく、主人公が登場します。
――ガリラヤ村。
マタイ村より更に西へ20キロメータルの距離にある、辺境も辺境の小さな村。村はずれの小さな山を越えれば、モンスターの出現する険しい山脈地帯が広がっている。
トントントン♪ コンコンコン♪
小気味よいリズムで音が響く。ド田舎のガリラヤ村のこれまたはずれもはずれ、低い山の麓の小さな広場。その場所に、二軒の家が寄り添うように並んで立っていた。
その一方の屋根の上から、カナヅチを振るう音が聞こえてくる。
「お父さん! 新しい人が引っ越ししてくるって、本当なんだね」
家の下から屋根の父に向けて大声で尋ねるのは息子のカイト・アーベルだった。
まだ五歳の少年は、興味深そうに父親の仕事を見つめる。
カイトは、田舎の子らしく素朴な顔立ちをしている。黒い髪の毛に黒い瞳。黄色人だが、黄色い肌と言うよりは白色人に近い色の白さだった。
服装も素朴だった。白い襟付きのシャツに、茶色い半ズボンをはいている。
「えいやぁさ! こらさ! ほいさ!」
反対に、カイトの双子の妹アイは落ちていた木の枝で近くの雑草をなぎ払おうとしていた。チャンバラごっこをしているのだ。女の子なのだが、勇ましい事この上ない。
双子であるので、顔かたちはカイトにそっくりだ。少し伸びた髪の毛を、頭の横で縛っている。カイトよりも少し赤みがかった頬と唇。それだけが兄妹の違いなのだった。
同じ服を着用しているので、初見の者には区別が難しい。
「おーい、アイ! そこの板を上にあげてくれないか」
父親が下に向けて叫ぶ。首に巻いたタオルで額の汗を拭う。父は、黒髪に黒い瞳で、多少日焼けをしていた。無精髭のある精悍な顔つきだが、若い頃はさぞかし男前で、女性にもてたであろうと想像に難くない。
「うん、いいよ! そいじゃ、瞬間移動!」
アイは元気よく返事をして、地面に綺麗にそろえてあった木板の束に、小さな左手を乗せる。板は忽然と、音もなく消えていた。
――ガン! ゴツン!
「あ、あいたたた! アイ! 魔法を使うときは気を付けなさいと、いつも言っているだろう」
父親の頭上に、木板がバラバラと落ちてきたのだ。
「ほえー」
その様子を感心して眺めるカイト。同じ双子なのに、アイは既に様々な魔法を使いこなしていた。父親も、そんなアイを便利に思ってか色々と連れ回している。
旅行と言っては、二三日留守にする。一人で留守番するのにも慣れたカイトは、サバイバル能力にも長けてきた。
旅行の後には、大陸全土の珍品をお土産と称して持ってくる。怖い顔の仮面や、伝説のモンスターの置物。食べ物以外はノー・サンキュウな、カイトであった。
ま、食べ物も、変わった品が多くて顔をしかめることが多かった。矢鱈に臭い魚の干物や、しょっぱすぎる肉の塩漬け。何の魚やら動物だか分からないので、カイトは辟易とした表情で食べていた。
「ゴメンね、父ちゃん」
妹は屋根の上に移動魔法で現れる。地面から瞬時に飛び上がり、眼前から消えた。カイトは毎度の事ながらビックリしていた。
妹は空へと飛び上がり、屋根の上に着地する。
そのアイは、散らばった板を魔法を使って真っ直ぐに揃えて並べる。
「アイ、板のそっち側を押さえておいてくれないか」
父親は何事も無かったかのように、娘に仕事を手伝わせていた。
二人の息もピッタリだ。
「父ちゃん、ここに誰が住むの?」
アイの質問に、釘を打ち付ける手を止める父。カナヅチを右肩に担ぐ。
「ああ、父さんの昔の知り合いの親子でね。まーあ、なんだ、色々とあってな……。この村に来ることになったんだ」
言い淀む父親。左手で頭を掻く。多少、生え際がM字に上がってきているが、量の多い髪の毛であった。
「ねー父さん、その子供って何歳なのー?」
下からの息子の問いかけを無視して、隣家の雨漏りの修理を続ける父。口にくわえていた釘を取りだして、カナヅチを振るって打ち付ける。
カイトの住む家の隣には、昨年までは八十歳になるロベルタ婆さんが一人で住んでいた。しかし、近くの町で商人をしている孫が成功をして、老いた祖母を迎えたのだった。
人が住まなくなって、半年ほど経った家。アチコチが傷み始めたので、修理を行っている。
この家に、父親の知り合いの親子が住むという。
「ねぇー父さん。知り合いって、どんな関係?」
カイトは再び問う。
「父ちゃん。この板は、こっち?」
「ああ、そうだ」
カイトの質問を聞き流して、妹との作業に夢中になっていた。
「チェッ」
カイトは少しむくれて、家の下の雑草を蹴り上げる。父親手作りの、動物の革で作った靴だ。
修理中の小さな家を見上げる。老婆が一人暮らしをしていた家だ。一階建ての木造家屋。屋根裏に物置がある程度の、こぢんまりとした造りだった。
――パカラ、パカラ、パカラ。
遠くから聞こえて来たのは、馬の早足のヒヅメの音。カイトは顔を上げてそちらを見る。白馬が村の外から真っ直ぐに、こちらに向かってきた。
カイトは呆けた顔のまま、馬の行方を見つめる。
「どう、どうー」
鞍にまたがる男が手綱を引くと、真っ白な馬は向きを変えて急停止する。駿馬の筋肉質なお尻が見えていた。
白い尻尾がパンパンと揺れている。
「ど、どう!」
男は、馬の皮下脂肪の少ないあばら骨の浮いた腹を蹴る。そうすると、カイトの目の前で、馬は方向を変えた。
馬上の人間は背後に太陽を背負い、丁度逆光となる。シルエットからも、馬にまたがる人間は大男であることが、カイトにも分かる。
「おじさんが、お父さんの知り合い? 引っ越してきた人?」
カイトは、眩しくて顔に手をかざし、鞍上の人物に声を掛けた。
「やあ、キミはカイトくんかい? 大きくなったねぇー。おじさんのことを覚えていないかな? まあ、いないよね。ずっと昔、赤ちゃんの頃に出会っていたんだよ。わたしの名前は、アンドレ・ブルー。お父さんとは、昔からの腐れ縁でね」
低くてたくましい声だった。
アンドレは馬からさっそうと降り、二三歩踏み出してから、少年の前でかがみ込む。五歳のカイトの目線と同じになる。大柄で褐色の肌の人物に少し驚き、少年は半歩身を引いた。
アンドレは、長い赤毛を頭の後ろで縛っている。アゴ先が割れていて、珍しそうに見る。そんな人間は、カイトの住むガリラヤ村には存在しないのだ。
カイトには、出会ったという記憶が無い。
初対面の人間に対して緊張もする。
アンドレ・ブルーが着る白いシャツと茶色いズボン。サイズがあってないのか、ピチピチで体に貼り付いていた。長い手足が服からのぞいていて、男の体の大きさが分かる。
「よう、アンドレ! 久しぶりだな!」
「ああ、久しいな」
音もなく、屋根の上から父親が地面に降り立った。魔法? カイトが考える前に、旧知の間柄の二人は、親交を温め合う。
しゃがんでいたアンドレは立ち上がり、父親をガッチリと力強く抱きしめていた。
アンドレは、父親よりも20センチメータルも身長が高い。そんな大男の登場に、カイトはとまどってもいた。
「ねぇ、アンドレ。アタシはどうすれば良いの? 馬術は習っていないから、この馬を従えるべき術を知らないわ」
鞍の上から声がして、カイトは驚いてそちらを見た。馬は少し動いて、子供の顔に太陽光線が当たる。
――子供とは、女の子だった。
同年代の可愛らしい女の子を初めて見て、カイトは顔を赤くする。ちなみに、双子の妹のアイは、女の子の概念からは除外される。彼の上では、ノーノー、ノー・カウントだ。
繰り返すが、アイの姿形は本当にカイトにそっくりで、瓜二つなのだ。初対面の人物は、ボサボサの髪のアイを、決して女の子だとは思わないだろう。
馬上の少女は、金色の前髪を頭の上でちょんまげにしてまとめていた。可愛らしくて広いおでこがのぞいている。
「姫さま、今降ろします」
アンドレに両脇を抱えられ、馬から丁重に地面に降ろされた。
カイトは、少女の美しい宝石のような青い瞳に魅了されていた。その瞳が近づいて来る。
「ひめ……?」
思わず言葉を漏らしてしまうカイト。
「アタシは、アン……、アンナ・ニコラ。今日よりワケあって、アナタの家の隣に父と住むことになったわ、よろしくね」
カイトが考えようとする前に、少女は握手を求めて来た。
「よ、ヨロ……」
彼も手を出し、ヨロシクと返そうとした。しかし言い出す前に、アンナが手を強く握り、喋り出す。
小さくて、柔らかで、温かくて、スベスベだった。
「あ、アナタ……今、アタシとアンドレの名字が違っていて、変だと思ったでしょ。ええ、アタシとアンドレ・ブルーは、正真正銘の血の繋がりのない親子の関係よ。三年前に協議離婚したアタシの母親は、酒場の飲んだくれの男に惚れられて再婚したの。でも、暴力に耐えきれずに母は逃げ出して、飲んだくれの男とアタシが残された。その後、そいつに岡惚れしていた酒場の娘が、ウチに上がり込んできたの。でも、飲んだくれの男は借金を抱えて逃げていってしまうわ。そうして、酒場の娘は幼馴染みの――人の良い――アンドレに頼ったのだけど、飲んだくれの男の居場所が分かった途端、酒場の娘はアタシを置いて追いかけていった。ええ、ええええ。アタシとアンドレは、ただの他人だけど。世間体があるから親子と名乗っているの。男やもめのアラサー男が、アタシみたいな美少女を連れ回すのは犯罪行為でしょ。男の沽券に関わるから、偽装親子を演じているの。ね、納得した?」
「う、うーん? うん……。うん? う……ん」
アンナに押し切られるような形で、無理矢理と納得させられる。その時には「姫」の単語は、すっかりと頭の外に追いやられていた。
カイトはアンナの姿を見る。村娘のような素朴な生地を使った地味目な服を着ているが、そこはかとなく漂って来る気品と自信のオーラ。白くて飾り気のないワンピースを着て、植物で染めた赤いスカーフを首に巻いているが、上品な振る舞いをしていた。白い健康的な歯を見せて笑ってきたので、カイトも対抗する。彼の口の右下には、虫歯で欠けた跡があった。
「おーいアイ! 降りてきなさい!」
「ほーい!」
父に呼ばれ、移動魔法を使い屋根からビューンと移動してきた。移動軌跡は放物線を描き、音もなく地面に立つカイトの妹。
「す、凄いわね。その年齢で移動魔法が使えるんだ」
アンナは感心した表情でアイを見ていた。やっぱり――みんなアイの方に関心が向くんだ。
カイトはつまらなくなり、父とアンドレの再会の方を眺める。
「よージョー。お前、少しお腹が出てきたんじゃないか? 剣術の鍛錬を怠っているだろ。今、戦えば、わたしの方が勝つんじゃないかな?」
「何を言う、アンドレ! 娘の相手をしていて、中々に鍛えられているぞ。なんなら今すぐでも手合わせするか!」
「そうだなっ!」
「ジョー?」
カイトは、父親をそう呼ぶアンドレを不思議そうに見る。アンドレは、護身用に腰のベルトの後ろに差していた大ぶりのナイフを抜いて構える。
独特の構え方だった。右手に持ったナイフは引いたままで、何も持たない左手の方を父に突きだして向けていた。
「武器は……。ま、これでいいか」
周囲を見渡していた父親が地面から取り上げたのは、先ほどまでアイがチャンバラに使っていた木の枝だった。
「そいつは町の道具屋で3ゴールドで買った、『ひのきの棒』なのかい? ジョー」
アンドレの持つナイフの刃が太陽光できらめく。カイトはまぶしくて顔を覆う。
「こいつは、王家に伝わる由緒正しき聖剣だよ。何とかカリバーとか、言ってだな」
父は木の枝を、ヒュンとアンドレの顔の前で振って見せる。
ニカっと笑い、白い歯を見せる。
「王家?」
アンナの意志の強い、太い右眉が上がった。
「アイ! ヤメなさい!」
「アンナさま! おやめ下さい!」
互いに構え合う二人が、それぞれの後ろに向けて叫ぶ。
ボン!
大きな音がして、カイトは目を丸くする。父親の持っていた木の枝が、突然に音を上げて燃え始めたのだ。あっという間に燃え尽きて白い灰になる。
アンナの顔を見る。右眉をあげて、こめかみに血管を浮かべた彼女。その右人差し指の先では、小さな炎が揺らめいていた。
火炎魔法を使用したのだ――と、カイトは知る。アイも火炎魔法が使えるが、カマドの火をおこせる程度だった。
その次に、家の上方に視線を移すカイト。さっきまで隣にいた妹が、屋根の上に魔法を使って移動していた。
アイの頭上では、木の板が空中に浮かび、ナイフを構えるアンドレを、それぞれが真っ直ぐに狙っていた。父親に危害が加わりそうになったら、アンドレに板をぶつけるつもりなのだ。
「アイ!」
父に再び呼びかけられて、アイが右手を降ろす。板はゆっくりと屋根の上で整列し束になり、降りていく。
「アン……ナ、さま。二人は久しぶりの再開で、じゃれ合っているのです。本気で争うつもりはありません」
アンドレは右手に持ったナイフを腰の鞘に収める。そして、血の繋がらない娘に膝を付いて恭順の姿勢を見せていた。
「アンナさま……って」
娘に対して「さま」付けで呼んでいる。
ニセモノの親子を演じているはずだが、明らかにアンナが主人でアンドレが従者であると、五歳のカイトでも気が付いた。
先ほども、「姫」とまで呼んでいた。
「凄いわねアナタ!」
屋根の上。背後から声がして、アイは驚愕の表情で振向く。そして、飛び退いた。
「移動……いいえ、これは転移魔法ね!」
アイは、背後に瞬間的に移動してきたアンナをキツイ目で睨みつける。自分よりも上手な魔法を使ってくる相手に警戒をする。
「「やめなさい!」」
大人二人が同時に叫ぶ。屋根の上で魔法合戦が行われると思ったのだ。せっかく修繕した家と、カイト家族のねぐらまでもが全焼してしまう危機なのだ。
「あんたこそ、やるね。父ちゃんから聞いたよ、これは大魔法……」
アイの口を優しく右手で塞ぐアンナ。
「秘密よ秘密。女は謎の部分が多い方が、魅力的――そう、父上が言ってたわ」
アンナは笑う。「父上」の部分ではアンドレの方を向かなかった。離婚して別れたという本当の父親のことを思い出しているのだろうか――カイトは屋根の上の二人を見て、そう思った。
「二人共、降りてきなさい」
父親が呼び、アイとアンナはそれぞれ魔法を使いカイトの前に立った。
「さあ、さあ、お二人さま。今度こそ仲直りの握手を……」
大柄のアンドレは身をかがめ、二人の少女の手を握らせ合う。
「よよよ、ヨロシク!」
と、アイ。彼女も同年代の女子との付き合い方を知らない。
「こちらこそ、ね! ね!」
「うーん、ぐぐぐぐ」
「こちらこそ、負けるものか、ムムムムム
対抗心剥き出しの二人は手を握り、力合戦をする。
――そうやって、カイトの家の隣に変な親子がやってきたのだった。
◆◇◆