(カイトのピンチ)
「カイト! カイト!」
涙声のアンナの、悲痛な叫び。
再び、大好きな人が失われていく悪夢。彼の両肩に手を乗せる。
「動かすな! 触るんじゃない!」
クロエに一喝されて、アンナは動きを止め、うな垂れる。
(どうした? 何があったんだ?)
クロエは冷静に状況を分析する。眼球だけを激しく動かして、現状を把握するのに努める。目線を丘の上に向ける。
「エィ! ヤァ! タァー!」
敵の四つ足に攻撃を加えているミーシャ。既に胴体部分は失われて、四つの足だけが空しく立っているだけだった。
その足を、『少女戦闘服』を着る彼女が蹴飛ばして次々と押し倒す。
「アンナが火炎魔法で黒こげにした瞬間、アイツは自分で爆発したな」
四つ足は破裂した時に、自分の体の一部分を周囲にまき散らしたのだった。
多くは、アンナの結界にはじき飛ばされて、道ばたの地面に突き刺さる。
クロエも自分の足元に転がる物体を拾い上げる。彼女の装備する『炎の鎧』にぶつかり、地面に落ちたのだった。
「これは、小さな刃だ。相手に敵わぬと判断して、自爆し周囲を傷つけるやっかいな敵だ」
アンナの結界の隙間と、カイトの身を覆う『賢者の法衣』をすり抜けて、重傷を負わせたのだった。
「兄ちゃんの仇を取ってやったぜ! ムハハ」
ピンク色のフリフリドレスを着る大盗賊のミーシャは、四つ足を目茶苦茶に破壊し尽くしていた。
転がる頭部に足を乗せて、踏みつぶす。
「このモンスターは、お金も経験値も寄こさヘンのやな。ケチくさいヤツや!」
ケッ――そう毒づいてつぶれた頭を蹴飛ばした。
ボムッ!
「わ、ひゃあー」
その頭部が爆発し、這々の体で逃げ出すミーシャだった。
「カイト! しっかり!」
「カイト君の腹部には、コイツが埋まっているかも知れん。その摘出が最優先だ」
クロエは、アンナに向けて10センチメータルほどの小さな刃を見せる。銀色の物体が、太陽光でキラリと光った。
「やってみる。アタシなら出来る」
真剣な表情で、カイトの前に両膝を突いて向き直るアンナだった。彼女の張りがあって形の良いバストの先が天を指し示す。
「重篤な状況です。脈拍と呼吸の回数が少なくなり、血圧も体温も低い状況です。大規模な出血の原因を止めないと、このままではカイト君が――」
――死んでしまう!
マリーの声が掠れていた。
だが、その言葉は、アンナの前では言えないマリーだった。王宮壊滅時の生き残りアナスタシア殿下は、家族の全員を失っていたのだ。
新しい家族であるカイト。彼を死なせてしまったら、アンナの心はポッキリと折れてしまうだろう。
マリーは『大神官』の能力で、カイトのバイタルサインを読み取るが、状況は一向に好転しない。
彼女の足元にカイトの流す血液が広がり、血だまりを作っていた。
何てことでしょう――マリーは思う。困難と考えられた校外実習の目標は、簡単にクリア出来た。こんなことになるんだったら――ノンビリ温泉など浸からずに、とっとと学園に戻っていれば良かった。
今は、撤退もままならない。カイトは、転移魔法で動かすのも危険な状態だ。
「物体透視!」
アンナは目をつむったまま、カイトのお腹に右手の平をかざす。この場合は視力は関係無い。カイトの体内を透視して、脳内にイメージを投影させる。そうして、異物を探し出すのだ。
アンナの動かしていた手が止まる。
「物質、転移!」
叫び、目を開けるアンナ。
カラン、カラン――金属音が二つして、アンナの膝元に血だらけの刃が二つ転がる。
「う……」
カイトが痛みで顔をしかめていた。どうにか、痛覚だけは残っているらしい。
二つの刃が、カイトの重要な臓器を傷つけていたのだ。
「兄ちゃん!」
カイトは声を聞いた。懐かしいこの声。
(アイ? なのか)
目を開くカイト。
空が見えた。ゆっくりと流れる白い雲。
暖かい日差しと、涼やかな風。
緑豊かな草木が、風と共に揺れる。
(ここは、ボクの生まれたガリラヤ村だ)
カイトは上半身を起こす。再び目に焼き付けるかのように、ゆっくりと風景を見つめる。
「兄ちゃん。ヤッパリ、そこにいたか」
走り寄るアイの顔は、カイトそっくりなので思わず笑いそうになる。
「兄ちゃんは、つらいことがあると、この場所で泣いていたからな」
アイも横に腰掛ける。
十五歳に成長した双子の妹。男の子にしか見えない顔。
(泣いてなんて、ないよ)
そう喋ったつもりだったが、声が出ていない。
「兄ちゃんさ。ステイタスカードをいじって、女になっただろ! だから、私の方は男の姿になっちゃたんだよ! どう責任を取ってくれる! 股間に変なのぶら下げちゃってさ、あー気持ち悪いったらありゃしない」
アイの格好は、今まで見たことも無い姿だった。
緑と白のチェック柄のシャツ。めくった袖からは、ヤッパリたくましくない細くて白い腕がのぞいていた。
ズボンは、藍色に染め上げられている変テコなデザインであった。所々に破れが見られるが、当て布もされていない。こっちも裾を折り上げている。
靴底の厚い、白いゴムの色が目に眩しい。
(父さんは、どうしているの?)
そう聞きたいが、意思の疎通が叶わない。アイの言葉は分かるのに、カイトの方は声が出ないのだ。
仕方無く、笑顔を作る。
「何が、おかしいんだよ!」
アイが頬を膨らませて怒る。
(アイは、元気なんだな)
理由はないけど、確信する。
「兄ちゃん、会えてよかった。もう、二度と会えないかと思っていたんだ。会えたら、いっぱい話をしようと決めていたんだ。ねぇねぇ知ってる? 大陸の外には未知の大きな世界が広がっていて、色んな不思議なことが起こるんだ。父さんと一緒に大変な毎日だったけど、面白いことの方が多かった。兄ちゃんも来ないかい? 母さんの墓があるんだ」
いつものアイだった。自分の主張を一方的に捲し立てるのだ。
(父さんは、無事なんだな。そして、母さんのお墓か……それは、どこ?)
「カイト! しっかり!」
声がした。
場面が変わっていた。先ほどまでは、故郷のガリラヤの、村はずれの丘だった。今は、見たこともない場所。
アイも消えていた。風景が滲んでいた。ぼやけて、ハッキリとしない。
(ここは、どこなんだろう。暗くて寒いや)
自分の肩を抱く。
大切な誰か。
アイや、父さんや、母さん。その誰もが大切だけど、それよりももっともっと愛する存在。
顔を忘れてしまった。
大切な人、大切な仲間。
(行かなきゃ……)
立ち上がろうとした――けど、動けなかった。
◆◇◆




