(家族の肖像)
――『アナスタシア』陵墓、三階奧の部屋。
「これは!」
マリーの声が室内に響く。
部屋の中央に展示されている銀色に光る鎧。町外れの繁盛していない武器屋で飾ってあるかのような、無造作さであった。頭も手も足もない、簡略化されたマネキンの上半身。そこに、ポンと乗せられている。
売れ残りでホコリを被っていないだけ、マシではあるか。
「まさか、こんなにあっさりとお目にかかれるとはな」
クロエが近寄り、鎧に手を触れる。深い鈍色に輝いていて、年代を感じさせる逸品だ。もう一波乱を覚悟したが、これで校外実習の目的を果たしたも同然だった。
「聞いた通りの、その……」
言い淀むマリー。乙女が目にするには、刺激的な形状だった。
鎧を身につける胸の部分が大きく開いている。女性型の黒いマネキンの胸の部分が見える。丁寧にも、丸い穴が二つ並んで開いているのだ。
本来の防具の使い方では、急所が全く守られていない代物だが。
「後ろも、相当なモノだな……」
鎧の背後に回り込んだクロエが絶句する。
装着者のお尻が当たる部分も、無防備に明け放たれている。スタイルの良いマネキンの、臀部の形が露わになる。イヤラシイデザインの防具だ。
「ふーむ。さて、どう持ち帰るかしら?」
アンナは腕を組んで、鎧の真正面に立った。真剣に考える。
「特殊魔法! 装備分析!」
その横でマリーが叫ぶ。『大神官』となった彼女は、未知の道具の分析を行う能力を身につけていた。
「一旦装備して、ステイタスカードに収納してはどうだ」
クロエが二人に言う。
「神秘の防具『エメレオン』を装備出来るのは『大魔法使い』以上の女性だけです。それに……特殊条件が」
マリーの言葉は、そこで止まる。
「特殊条件?」
「ええ、ニコラエヴァ王家の血筋に連なる者だけが、装備出来る資格があるのです」
クロエに聞かれ、マリーは鎧の装備者の条件を読み上げる。装備分析を行う『大賢者』以上の職業の者には、装備の前に文字が現れるのだ。
「王家の血統か」
クロエはそう語ると、マリーと一緒にアンナを見る。
「何々? アタシが装備出来るんじゃ、ないかって? それよりも、アレクサンドラ女王のいとこ、マイケル大公の娘さんの方がふさわしいんじゃないの?」
アンナは慌てる。ここで自分の身分を明かすわけにはいかなかった。マリーに話を振るが、二人の目線はアンナに向けられたままだ。
「こうやって持ち上げて、背負って学園に帰りましょうよ」
アンナは、防具『エメレオン』に両手を触れる。
キュイーン!
激しい金属音が、部屋の中に響く。三人共が耳を押さえ、顔をしかめる。
「オマエヲ、所有者ト認メル」
三人の頭の中に声がした。
――そして。
防具が強烈な光りを発し、部屋の中を照らす。
三人は、それぞれ自分の顔を覆う。直視すると網膜を焼かれるような強い光りだ。
ゴ、ゴトリ――瞬間、防具の裏側にあった部屋の壁の一部が下に落ちる。
50センチメータル四方の大きさで、10センチほどの奥行きの空間が出現する。
そして、光りは収まった。
「何だ? 新たなる罠か?」
クロエが身構えた。ステイタスカードを握りしめ、瞬時に武器を取り出せるように用意していた。
「これは、絵ですわね」
マリーは片手で顔を隠しながら、壁の窪みを指差す。
「!」
凄まじい形相になったアンナが、その壁の窪みまで駆け寄る。大切な防具のことは無視していた。
「どうしました、アンナさん? こ、これは……」
マリーの言葉が終わらないうちに、床に両膝を突くアンナだった。
膝立ちで絵の元に近寄っていく。
「ああ、母さま、父さま。姉さまたちに、アレクセイ……」
アンナはそう言って、両目から滝のように涙を流す。肩を震わせている。
「アンナさん。あなた」
驚くマリーはアンナの肩越しに、絵の真正面に立つ。
「これは……先代のアレクサンドラ女王と、その家族の肖像画だな」
クロエは泣きじゃくるアンナの左肩に、優しく右手を乗せた。
絵には、女王の正式な執務姿である赤いローブを羽織ったアレクサンドラ・ニコラエヴァが描かれていた。執務室の壁、王家の紋章を背にして中央に立つ女王の左隣には、ピンストライプの細身のスーツを小粋に着こなしている夫のニコル・ニコラエヴァ・ハノーヴァーがいる。
彼のトレードマークである、首元の赤い蝶ネクタイが目立っていた。もう一つのシンボルの山高帽を小脇に抱えている。
その左に、長女のオリガ第一王女が王立学園高等部の制服姿で立っている。気品漂う顔立ちは、やっぱりアンナにそっくりであった。長い髪の毛の後ろには、大きな赤いリボンを飾っている。
オリガには珍しい、女の子らしい可愛らしいアクセサリーだった。
女王の右隣には、中等部の制服を着る次女のタチアナ第二王女の姿があった。
彼女は、生まれたばかりの長男のアレクセイ皇太子を胸に抱いていた。
この家族の肖像画は、皇太子の誕生を祝って描かれたのであった。
女王の前で椅子に座るのは、下の方の姉妹の二人だった。
左側に座るのは三女のマリヤ第三王女である。真っ白なワンピースを着て、白い帽子を被る。三つ編みお下げの髪の毛を前側に垂らしているおしゃまさんだ。
右側に座るのは四女のアナスタシア第四王女である。姉のマリヤとお揃いの服を着るが、短い金色の髪の毛には白いカチューシャが光っていた。広いおでこがのぞいている。
仲の良いマリヤとアナスタシアの姉妹は、手を繋いでいる。
そして、肖像画に描かれた全員は、幸せそうな笑顔をたたえていた。
普段は厳しい表情しか見せない女王が、優しげな微笑みを湛えている貴重な絵であった。
優しい表情を、優しいタッチで描かれた油絵だ。
アナスタシア五歳の時の、家族の集合肖像画。
この一年後には、アナスタシア以外の人物は、全員が亡くなってしまう。
「エッ、エッ、エーン。ウワーン」
その絵を壁から取り外し、声を出して泣くアンナの姿。
強く胸に抱く、家族との思い出。
感情の奔流が決壊し、堰を切ったように流れ出す。
マリーとクロエが始めて見る、取り乱すアンナだった。
「アンナさん、あなたはやっぱり……」
「オマエは、そうだったのだな」
二人は、アンナの丸まった背中へ声を掛ける。
「ゴメン、二人を……いいえ、みんなを騙していて。でも、この事はカイトには内緒にしておいて欲しいの。これは、アタシからのお願い。もしもバラしたら、たとえアンタたちでも許さないからね」
アンナは鼻声のまま言う。その時も絵を強く抱いている。
「この絵を、お持ち帰りになられますか? アナスタシア殿下」
マリーは膝を落とし、アンナの背中に優しく手を乗せる。
「で、殿下はヤメテ、恥ずかしいわ。そして、この遺跡から持ち出すのは防具『エメレオン』だけにしましょう。他のお宝を持ち出すと何かの罠が働くかもしれないし。それに、前の部屋のレリーフにあった伝説の水竜『ヤマタノオロチ』が潜んでいるかもしれないよね」
アンナは立ち上がり、絵を元の場所に戻す。涙をぬぐう。
「ピーちゃんさんは、『ヤマタノオロチ』の事を知りませんの?」
「ピピピ?」
マリーに聞かれても、何食わぬ顔して気楽に飛んでいるゼリー・モンスター。
「『ヤマタノオロチ』がもしも現れたら、今の成長した我々でも対処は難しいだろう。体長50メータルを超える巨大モンスターだ。八つの頭、八つの尻尾からそれぞれ違った攻撃を繰り出して来る。巨大な二枚の羽は、竜巻を起こすとも言われている。四千年前の女王『アナスタシア』が、踊り子に化けて眠り薬の入った酒を飲ませ、退治をしたと聞いたな」
クロエはアンナとピーちゃんの顔を見て語る。さぞかし女好きのモンスターだったのだろうが、この遺跡は女性しか入れない。
好色魔物は、立ち入り禁止だ。
「ピー、ピピ」
ピーちゃんは、マリーの元に飛んで行き、その大きな胸の上に着地する。
「あら、ピーちゃんさんは、この場所が良いのですか?」
「ピピ」
肯定の意味であるらしい。
「小さな羽で飛んでいるから、疲れたんでしょ。ま、アタシとクロエさんよりかは、その場所が収まり心地が良いと判断したんでしょね。さあ、ステイタスカード、起動!」
アンナはそう言って、自分のカードを取り出す。
「王立学園高等部女子制服、装着解除!」
アンナが叫ぶと、彼女の着る茶色いブレザーと赤いチェックのスカートが光り、やがてカードへと吸い込まれて行く。
「アンナさん! どどど、どうして脱ぐのですか?」
マリーが叫ぶのは無理もない。白いシャツと、上下の下着姿のアンナを見つめて驚いていた。その上、シャツのボタンを急いで外し、ブラジャーを脱ぐべく背中に両手を回している。
「ああん、こうしないと伝説のエッチな防具『エメレオン』を装着できないのよ。オリガ姉さまが、そうしたように」
ポイ――と、無造作にシャツとブラを床に脱ぎ捨てる。マリーやクロエよりは大きくはないが、形の良いおっぱいが露わになる。だが、隠そうともしない。
「オレは、背中を向けていよう」
クロエは何だか恥ずかしくなる。同性の裸を見るのは、女子寮の風呂で慣れっこだったが、アンナのように堂々とされていると、見ているコッチの方が気恥ずかしいのだ。
「防具『エメレオン』装着!」
アンナが叫ぶと、安置されている銀色の鎧は白く光り、小さな部品に分かれて空中に浮かぶ。
それらが上半身裸のアンナに、次々と装着されていく。
「アン、アーン♪ 何だか恥ずかしい。でも、見られている視線を感じるわ。反対に興奮しちゃう」
赤ら顔のアンナ。羞恥心以外の感覚も、彼女の身体に満たされていく。
「ねねねね、姉ちゃん!」
カイトの声だった。
顔を隠していたマリーは顔を上げて、この部屋の入口を見る。
女子制服を身にまとったカイト。その彼? いいや、彼女は入口で棒立ちになっている。
「よう、カイト。勇者さまは遅れて登場かい? 今回の冒険の目的の防具は、たった今手に入れちゃったよ。これにて、ミッション・コンプリートなのだよ」
堂々と何も隠さず仁王立ちになっている、エッチな鎧姿のアンナ。腰に手を当てて上半身を反る。
「む、胸を隠してよ、姉ちゃん!」
カイトは顔を赤くして、横を向く。
「いいジャン。減るモンじゃナシ」
「へ、減るのは姉ちゃんの方だよ。年頃の女の子なのだから、もう少し自重してよ!」
「ああ、ハイハイ。心配してくれてアリガトさん。でもカイトは、こんなアタシを軽蔑するかい?」
「そ、そんなんじゃないよ……」
カイトは強く目をつむる。幼少期に一緒にお風呂に入って以来、久々に目にしたアンナのピンク色の胸のポッチリ……。
頭を振って、姉の形の良いおっぱいの映像を追い出そうとする。
「わかったよ、カイト。防具『エメレオン』装備解除!」
アンナが叫ぶと、事態はより一層悪化する。
「あ、アンナさん! 胸を、パンツを隠して下さい!」
「ピピピ!」
マリーは慌てて、手でアンナの胸と下半身を隠そうと努める。
「わ! 何だ、コイツ!」
ピーちゃんは、必死にカイトの顔に覆い被さる。
「まあ、早く制服に戻れ」
クロエはシャツとブラを拾い上げてアンナに差し出している。
「ふぅ……ヤレヤレだよ」
「ヤレヤレはコッチの方だよ、姉ちゃん!」
「ピー、ピピ!」
カイトと一緒にピーちゃんも、アンナに向けて抗議の声を上げる。
「アレ? ミーシャさんはどうしました?」
カイトと共に地下に落とされた大盗賊の行方を聞くマリー。
「えーと、途中のお宝の部屋で足止め中ですよ。ボクが先に行こうと言っても、聞いてくれないし」
マリーに対して、努力したが無駄だった――と強調の意味で首を振るカイト。
「まあ、余計なモノを持ち出すと、どんなモンスターが襲ってくるか分からんからな。ステイタスカードに収納できないアイテムなどは、持ち出し不可であろう」
クロエは、カードを取り出す。彼女のカードにはモンスターを倒したときに得た武器とアイテムを登録してあった。
「それよりも、とっとと帰りましょう。何だか疲れちゃったし。タイムリミットは明日、月曜日の朝まで何だから、ゆっくりと温泉でもつかって朝一番で学園まで転移魔法でビューンよ」
アンナは、右手を使った大きな動作で転移魔法の移動を表現する。
――『アナスタシア』陵墓、三階手前の部屋。
「ワハハ! ウチは大金持ちや! うわハハ! このアナスタシア金貨は、骨董的価値も加わって額面の1万ゴールド以上の値が付くでぇ! でもな、オークションに出品するときは市場価値が下がらんように小出しにせーヘンとな」
王家の財宝の山を目の前にして、狂喜乱舞の大盗賊ミーシャ・フリードルの声が聞こえる。
「オイ! 帰るぞ! 今すぐ宿に戻って、ノンビリしたい。今晩の宿の手配もお願いしたいが、大丈夫だろうな?」
クロエは、やや怒鳴りつけるように喋る。一向に耳を貸そうとしないミーシャの黒いタンクトップの背中を引っ張る。
「なんや! 邪魔するなや!」
振り返ったミーシャの姿を見て一同は呆れ返る。頭には女王の王冠を乗せ、首には幾重にも宝石の嵌ったネックレスを下げている。指の全てには立派な指輪。細い両手には腕輪を何重にも重ねている。
黒のホットパンツのポッケからは、アナスタシア金貨がはみ出して転がる。
それが、マリーの足元に達していた。
「分かりやすい拝金主義者の形ですね。物語の序盤でやられてしまう、強突張りの小悪党キャラそのものですわ」
唾棄するかのようなマリーに口調。強欲の化身と化したミーシャを見て、軽蔑の視線を向ける。
「なんや! 何がイカンと言うんや! オマエらが王家の防具を持ち帰る事が出来るのも、みんなウチの情報のお陰やナイか! コイツは正当なる対価や! 誰にも文句は言わせヘンでぇ!」
正に、口角泡を飛ばすとはこの事だった。ミーシャは顔を真っ赤にして、マリーに向けて大声を出す。
「正当なる対価は、金貨一枚が関の山だと思いますわよ。モンスターを倒して得たゴールドで、満足して下さい」
顔に掛かったミーシャの唾液を、フリルの付いた絹のハンカチで拭き取るマリーだった。
そうして、足元の金貨を拾い上げて、大盗賊の鼻先に突き出す。
「ん……あ……」
マリーの冷静な言葉を受け、一旦、頭を冷やすミーシャだった。
「この遺跡には、入った時と出る時で体重に差があった場合には、自動的に攻撃を仕掛けてくる装置があるのよ。アンタもこの遺跡を守護している『ヤマタノオロチ』がまだ出没していないことに気が付いているでしょ? 幾ら『大魔導師』と『大神官』と『聖騎士』のパーティーでも、王家の守護者の水竜には勝てないわ」
アンナはそう言って、マリーの胸にいたゼリー・モンスターのピーちゃんを自分の胸に抱く。
「それは、大丈夫や! ステイタスカードに収納できる『盗賊の袋』に、入るだけの宝をありったけ詰めてな」
「だ、ダメです!」
大きな声を出したのはカイトだった。珍しい彼の主張に、一同は驚く。
「なんでやねん!」
ミーシャは赤い顔で怒鳴る。
「この遺跡は、王家の人々が眠る場所なんでしょ。そんな所にお邪魔しているだけでもバチ当たりなのに、宝物を持ち出すなんて、呪われますよ。祟られますよ」
女の子の姿のカイトは、興奮するミーシャをなだめながら優しく言う。
「何や? バチとか呪いとか祟りとかを信じている口か?」
今度は、呆れるかのような顔になるミーシャ。
「え? 信じてないんですか?」
「カイト君は、迷信やジンクス――そんなオカルトの類を信じているのですか?」
マリーからの冷たい目。
「え? いけないんですか?」
「カイト君が言ったことは、魔法科学の裏付けの無い事柄です。わたくしの信じる宗教では、死んだ人間が魂なる存在に変わる事実は認めます。しかし、その魂が生きている人間を呪ったり、祟ったりするような非科学的な出来事が起こることは認めていないのです。同時に、悪魔や地獄の存在も否定しています。今回は、アンナさんの見解を採用すべきと考えます。わたくしが出会ったモンスターの最強クラスに、短時間で二体にも遭遇してしまったことを思うと、すんなりとこの遺跡から出して貰えるとは考えられません。アンナさんの言うとおりに、王家の宝は残しておくべきです」
マリーはハッキリと自分の意見を述べる。
「そうだな。この遺跡は、歴史資料的な研究価値も高い場所に思える。そもそも、国家予算にも匹敵するような宝物を持ち出してしまうと、国の経済に多大な影響を与えてしまうだろう」
クロエも二人の意見に同調する。
「そやな。まあ、今回は置いとくわ。ウチのテリトリー内やから、いつでも出入り可能や。ま、他の人間は入れヘンやけどな」
諦めたのか、ミーシャは首に掛かったネックレスの束を宝の山に置く。王冠をそっと返す。
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