(カイト、漏らす?)
――『アナスタシア』陵墓、地下一階。
「見てみ、出口……。いいや、新しい部屋への入口や」
四つん這いの大盗賊ミーシャ・フリードルは立ち止まり、進む先を指差す。薄暗い狭い通路の先から、明るい青白い光が差していた。
やっと見えて来た希望の光。しかし、距離的には50メータルは離れている。
ポフッ――またしても、ミーシャのお尻に顔を突っ込む勇者カイト・アーベル。
「す、すみません!」
「な、なんや。やっぱり、ウチのお尻に興味津々なんや。遠慮せんでエエで、今度は直接お尻のツルツル素肌に触ってもエエんやで」
「いや、触りませんよ」
「ツマランのう」
「いや、前が詰まってます。進んで下さい」
「ウチの冗談を解さないとは、堅物やな。勇者なんやから、もちょっと砕けてもエエやんか。パーティーの仲間と親睦を深めるんやで」
「これが、ボクの生きる道です」
カイトは横を向く。
「まー、しゃーないかな。おお、やっとや、広い場所に出られそうや」
ミーシャは、新たな部屋の入口に顔をのぞかせる。
「は、早くして下さい。ここ、ヤッパリ寒いですよ」
カイトは腕を抱いて震える。真冬のような寒さで、吐く息も白くなる。
そして――。
(あ、オシッコ……漏れちゃいそうだ。でも、女の子になったから、どこですればいいんだろ。どうすればいいんだろ)
学園の女子制服を着るカイトは、剥き出しの足を震わせる。
小さな頃、双子の妹の放尿シーンを目撃していたから、しゃがんでするのは知っている。だからこそ男の子みたいに、そこら辺で済ませるわけにもいかないと理解している。
「よいしょ――っと」
通路の床に手を掛けて、新しい部屋へと入っていくミーシャ。通路は次の部屋では、高い場所にあるらしい。
「ふえー」
カイトは首を突っ込んで、部屋の内部を見る。
明るい部屋だった。広さは、50メータル四方ある。天井の高さも10メータルもある。通路から部屋の床まで6メータルの高さで、目がくらむ。
「うっしゃ、えんしょ」
ミーシャはどこからかロープを出して、その先を通路の壁にくっつけている。そして、大きな部屋の床へとロープを垂らし降りていく。大盗賊だけあって、手際がよい。
太くて頼もしい縄。
そういえば、このロープはアンナを縛り上げた物だ――カイトは気が付く。
「ぼ、ボクはどうすれば?」
「そいつにつかまって、降りてきーな!」
身軽なミーシャは、床まで2メータルの位置まであっという間に移動し、そして飛び降りる。
(た、高いよ。それに、こんなに怖いとチビリそうだ)
カイトは下を見て固まる。
決して高所恐怖症ではないが、手を滑らせて落ちれば大怪我必須の高さだ。身に迫るリアルな恐怖を感じて震える。
「ええい!」
目をつむりロープを掴む。足で部屋の壁を探り出し、ゆっくりと降りていく。
「兄ちゃん! スカートの中、丸見えやで」
下から見上げていたミーシャは、言った後にニタニタと笑う。
「ヤン!」
女の声が自分の口から出て、カイトは驚いた。恥ずかしくなり、右手でスカートを覆う。
「あ!」
下からのミーシャの声。
「あーーーー!!!!」
落下していくカイトの悲鳴。
「むぎゃ!」
今度も、カイトのお尻に潰されるミーシャ。
「け、怪我なかった」
カイトは立ち上がる。奇跡的に痛みもなく無傷である。
やっと気が付いたのか、足元で瀕死の状況のミーシャをようやく見る。
「ひ、酷いやな」
顔を上げて、カイトのお尻をペロン――下から上へと撫であげる手。
「ヒャッ! やめて下さいよ!」
「なんや、そういう声聞くと完全に女の子やないか。こういう子を、イジメたくなるんや、ウチはな」
ニヤニヤと含みのある笑顔を浮かべ、立ち上がる。
「こ、この部屋はいったい何なんです?」
カイトは顔を上げ、部屋の中央に鎮座している大きな装置を指差す。
「魔法リアクターやな」
「魔法……リアクター?」
カイトには、始めて聞く言葉だった。チンプンカンプンである。
「魔法を原動力として、反応を起こす装置やな」
「反応? ここで、何が起こっているんです?」
小首を傾げ、尋ねる姿は完全に女の子だった。
「そやな、まずはこの寒さから説明しよか。あ、アチコチ触るんやナイ! 白いのは霜やで。直接手で触ると、皮膚が貼り付いて剥がれなくなるんやで!」
興味深そうに装置に伸ばしていたカイトの右手が、引っ込む。
「簡単に原理を説明するとやな。この湖にうんざりするほどある水を電気分解して、水素と酸素に分けるんや。酸素の方は、この遺跡内に供給される。姉ちゃんらが、遺跡を守護するモンスターを倒したやろ。そのモンスターも、生きるためには呼吸する。そのために必要な酸素を作り出す装置が、ソレや」
アゴで魔法リアクターを示すミーシャ。使用目的が良く分からない、配管などが無数に走っている。
「電気って、あのカミナリと同じですよね。バチバチ、ドカーンとなるヤツ」
両手を拡げてみせるカイト。動作はアンナと一緒である。
「そや、まあ原理は複雑なんやで。魔法リアクターは、一度稼働を始めると無限に高温になり続ける。それで水を沸騰させて、その時発生する水蒸気を使ってな、電気発生装置を動かすんや。起こった電気で水を分解すると、水素と酸素の二つの気体に分かれる。電気の残りで、この遺跡の照明や様々な仕掛けを動かしとる。電気を使って、光りを出したり機械を動かしたりするのは、実験室のレベルでは行われているんや。けどな、こんなに大規模に使っているのを見たのは、ここが始めてや」
興奮を隠さずに語るミーシャ。部屋一杯に広がっている、大規模で複雑な装置を見上げていた。
「ここの照明は、学園にある魔法照明とは違うんですか?」
「ウン。魔法照明を使うには、魔力をつかえる人間が時々補充せんとならんからな。この遺跡みたいに無人で放置するには、こんな装置が必要なんやな」
「で、水素と酸素……って、何なんです?」
「は? そこから説明せな、ならんのか。中学で習うやろ」
「学校には行ったことがありません」
「ホンマか?」
「ホンマでっす」
ミーシャの方言に、少し引っ張られそうになるカイト。
「ま、こういった技術の研究はな、四千年前の『アナスタシア』女王が禁忌にしたんや。魔法科学のレベルは、当時が最高潮やった。今は、その絞りカスしか残ってヘン。あ、そやったな。酸素は、人や動物やモンスターが呼吸するのに必要な気体や。物が燃えるときも必要になる。水素は、気体の中で一番軽い物質やん。袋に詰めると、プカプカ空中に浮かぶんやで。ま、燃えやすいのが欠点や」
「え? 水素は燃えやすくて、酸素は燃えるときに必要なんですよね。その二つを一緒にしたらまずいんじゃ……」
カイトは、二つの気体の危険な組み合わせを指摘する。地頭は良いので、その辺は簡単に理解する。
「ウン。やから、水素を気体から液体に変換して、魔法リアクターの冷却水を冷やす冷媒に使うんや」
「冷媒……はあ……」
カイトにはさっぱりピーマンな内容であった。
「この部屋が寒いのと、この霜は、液体水素がパイプの中を循環している証拠や。ま、液体に変えているから、直ぐにはドカンとはいかない、つー算段や」
ミーシャは、パイプの低い位置にこびり付いていた霜をブーツで蹴飛ばして落とす。
「でも、この部屋に入りましたけど、上の階には脱出出来ないですよ」
カイトは、根本的な問題が解決されていないことを指摘する。
「ああ、この場所を作ったからには、作った人間も外にでなならん。おう、こっち来てみいな。ハシゴがあるで」
大規模な反応装置の後ろに回り込んだミーシャは、装置の足場から天井に伸びる連絡橋を発見する。
「これで、上に昇れますね」
カイトは見上げる。
フシューと装置から吹き出す白煙。急に近辺の気温が下がってくる。反応装置が発する、唸るような音も大きくなる。
「上で、なにやらドンパチやってるんやろか?」
ミーシャがしゃべる度に、吐く息が白い。
「さ、寒いですね。あ、あの……おトイレとか、ないんですかね」
その場で足踏みをしながら、周囲を見渡すカイト。
「その辺ですればいいヤン。ウチが見張っておいてやるで」
ミーシャは、床に刻まれている排水溝を指差す。漏れ出た冷却水や、溶けた霜をもう一度回収するための溝だ。
「いや、見ないでいいです。それに……」
(女の子になったから、しゃがんでしなくちゃ。でも、お尻が剥き出しだ)
カイトは下腹部を右手で押さえてモジモジとする。
本格的にやばくなってきた。でも、羞恥心が邪魔をする。
(も、漏れちゃう!)
ええい! ままよ! パンツを降ろし、この場にしゃがみ込んでの放尿を覚悟した。ミーシャにお尻が丸見えになるが、この際構っていられない。
「あ!」
上を見てミーシャが叫んだ。
「何です!?」
やや、怒り気味に語るカイト。もう、限界だ。限界ギリギリ。ギリギリチョップ!
朝食時に、旅館のお茶を飲み過ぎていたのを後悔する。初の冒険だったので、緊張を紛らわせるためだった。
「トイレ、あるで!」
その言葉に、カイトは上を向く。
天井には矢印と共に、学校や公共機関でよく見かける青と赤の男女のマーク。トイレのピクトグラムが掲示してあった。
――『アナスタシア』陵墓、一階部分。
(ふぅ……間に合った。間に合ったけど、大切な何かを失ったな)
遺跡内部の女子トイレ。
手を洗いながら白いハンカチを口で噛むカイト。鏡に映る自分を見て、完全に女の子だったのにも、愕然とした。
双子の妹のアイは、こんな風に成長しているのだろうか?
「兄ちゃん長かったな。色色と不思議やったろ、あれやこれやが。ニハハ」
ニヤニヤと下品な笑顔を顔に貼り付かせているミーシャ。
「女の子の体に、慣れてないだけです!」
ハンカチを胸ポケットに戻し、プイと横を向く。
「そうやって女の弱い部分を覚えて、兄ちゃんは女たらしになるんやな」
「なりません! あ、それよりも、ここのトイレは凄いですよ。便器に腰掛けようと思ったら、蓋がひとりでに開いてくるし、立ち上がったら自動で水が流れるし」
カイトは興奮した顔で、ミーシャに向く。
「うん? うーん? うん?」
ミーシャはカイトから視線を外し、トイレの壁をコンコンと叩く。軽い音が返ってくる。
「どうかしましたか? 先を急ぎましょう。この先の扉から一階の場所に戻れそうです」
「そやな。杞憂なら、いいけどな」
(このトイレに使われてる材質は、この大陸……いや、この世界の物質やアラヘン。この遺跡が作られたかなり後になって、設置された場所やな)
鋭い視線で、部屋の中を見る。
「いきますよ」
トイレのドアを勢いよく開けて、一階部分に出る。
この場所は、最初に入った部屋の階段横に存在していた。回り込むと最初の階段に出る。
「まってーな」
ミーシャはカイトを追いかける。
◆◇◆




