(龍の間)
――遺跡二階、龍の間。
「うーん。この像に、扉を開く何かの仕掛けがあるはずなのよ」
アンナは部屋の守護者のレリーフ像を前にして、腰に両手を当てて眺める。
おどろおどろしい、ヤマタノオロチの姿。伝説を元にした想像上の動物であるのだが、息づくような生々しさがそこにはあった。
これは彫刻家の仕業なのか?
それとも、実物が埋められてでもいるのか?
「ヤマタノオロチには、八個の頭があるのでしょう。それじゃあ、七股じゃないのでしょうか?」
マリーは、一番下の位置にある龍の頭に手を伸ばす。
「だから、触るんじゃない! 気を付けろと言ってるだろ!」
クロエに真後ろから叫ばれて、ビクリと両肩を上げるマリー。
「く、クロエさんも、モノの言い方というのがあるんじゃないでしょうか。わたくしも細心の注意を払ってますし……」
振り向いたマリーは頬を膨らませ、プイと横を向く。
「細心の注意と言っても、オマエはアチコチ不用意に手を伸ばしすぎだ!」
クロエも止めない。
(わぁお! 険悪な雰囲気になってきたよね)
アンナは、ニシシと笑う。二人からは見えないように立つ位置を右に移動し、レリーフ端の前に出る。
「オマエとは何ですか! そんな乱暴な言葉は取り消して下さい!」
クロエに向いて、激しい口調になる。頭二つは身長の大きな相手に、ムキになるマリー。彼女には珍しい行動だった。
「ツバが掛かる掛かる。顔が近い近い」
クロエは、こめかみに血管を浮かべ――マリーの左の肩口をドン――と押す。マリーは体のバランスを崩し、ヨヨヨ――とレリーフ像の龍の頭に手を付いた。
「こ、今度は暴力に訴えるのですか! コレだから乱暴で気の短い赤色人は……」
そこまで言ってから、ヤバイ――そんな顔をするマリーだった。
「これは、人種差別の発言と受け取っても良いのだな。所詮、オマエもそちら側の人間だったのか。青色人と白色人は、何かと言ってはオレたち赤色人と黄色人を見下しているからな」
クロエは悲しげな表情を浮かべ、マリーの顔を見た。そうして、万事他人事――アンナの横顔を眺める。
「すみません、言いすぎました。そのような意味では無いのです。気を悪くされたのなら、先ほどの発言は取り消します」
マリーはペコリと頭を下げる。真摯なる謝罪の態度だった。
「オレも過激な言葉を浴びせてすまなかったな。学園内でのオマエの公平な態度や行いを知っている」
クロエも、怒り心頭だった自分の態度を改める。
この場所に来て、二人ともが普段の自分を見失っていた。
「ね、その龍の頭。ソイツだけ、両目の部分に穴が開いてない?」
冷静なアンナの言葉。彼女は、レリーフ像の観察を怠らなかった。マリーが手を付く、龍の頭部を指差す。
「そ、そうですわね。ここに何かを入れるのでしょうか? 指とか……」
マリーは右手の人差し指と中指とを、龍の左右の目にそれぞれを差し入れる。本当に、丁度良い幅だったのだ。
「バカ! 不用意な!」
「バカとは何ですか!」
クロエとマリーの二人が、再び罵り合う。
「ねぇ、気を付けて!」
アンナは叫んだ。そう言いながらも一人だけ転移魔法を繰り出し、部屋の中空に浮かぶ。落とし穴に対抗する策だった。
空中で右手の人差し指をピンと立てる。
ゴゴゴゴゴ!
凄まじい振動が襲い、壁のレリーフ像の中央の切れ目が、ゆっくりと左右に開いていく。
「罠は無いのだな?」
クロエは部屋を見渡す。落とし穴や自動攻撃のトラップなどは作動していない。
「ええ、でも開いた先から何が襲ってくるか分かりません! 防御魔法、『真理の盾』展開!」
マリーは叫び、三人のそれぞれの前に魔法の盾を出現させる。透明な『真理の盾』は、部屋の照明を受けてキラキラと光る。横1メータル、高さ1・5メータルの大きさで、邪悪な相手の物理攻撃を跳ね返すのだ。
「ま、仲間思いの良い子たちだわさ」
一人で逃げる気でマンマンだったアンナは、スタッ――床に着地する。
「さて、龍が出るか、蛇が出るか、それとも鬼かしら。見届けましょうね」
アンナは腰に両手を当てて、これからの三人の行く末を見つめる。
「ピ、ピィー!」
何モノかが、開く扉の隙間からコチラの部屋へと侵入して来る。扉は三十センチメータルだけ開いて、そこで停止していた。
いや、物体は――飛び出して来たと言っても良い。三人は、それぞれが身構える。遺跡を守護する魔物なのだろうか。
「ピ、ピピピィー!」
ソイツは威嚇の声を出す。
「ひ、ヒィー!」
マリーは目をつむり、床にうずくまって悲鳴をあげる。
ドン! グチャ!
派手な音がして、魔物はマリーの作る『真理の盾』にぶつかった。そのまま遺跡の固い床の上に落ちる。
「ピ、ピ……」
鳴き声を立てて、小さな魔物は気絶した。
「コイツは、ゼリー・モンスターだな」
クロエは、気絶した情けない魔物をヒョイと持ち上げる。
水滴型の頭の先端を摘み上げていた。大きさは全長50センチメータル程度。透明な青色の物体。気絶したためか、両目はグルグルと渦を作っている。
「ぜ、ゼリー・モンスターですか、驚かせないで下さい。ゼリー・モンスターは、魔物の中でも小物中の小物。こんな非力なわたくしでも、ひのきの棒で――エィ! エィ!と倒せる相手です」
立ち上がったマリーは、こん棒で魔物を殴る動作をする。強力な敵の出現を想定していたが、思わぬひ弱な相手の登場に気が抜けていた。
「ピーちゃん?」
アンナは近づいて、魔物をよく見る。額の部分にバッテンの傷跡が残っていた。過去に王宮で、姉のマリヤと一緒に出会った――あの魔物にそっくりなのだ。
「コイツには羽があるな。タダのゼリー・モンスターではない。亜種で、珍種だ」
クロエは魔物の頭の横にある羽を指で摘んで、開いてみせる。
アンナは更に顔を近づけ、注目する。
小さな羽なので、これで飛んで浮かべるはずは無いのだった。物理法則に反している。
「ヤッパリ、ピーちゃんでチュね。ねぇ、起きなチャいピーちゃん。どうチて、こんな場所に居るのかチら、らららららぁー?」
赤ちゃん言葉を発するアンナ。
マリーとクロエに顔をのぞき込まれて、彼女は顔を赤くする。
「アンナさん。どうしたんですか、熱でもあるのですか? 治癒魔法を使いましょうか」
マリーは心配そうに近寄り、アンナの額に手を当てる。
「そうだ、そうだ。学園一番の天才児がどうしたのだ?」
クロエは、ぶら下げていたゼリー・モンスターを胸に抱える。ピーちゃんはいまだに気を失っている。
「いや、昔に出会ったモンスターにそっくりで、その当時を思い出したのよ! いいでしょ! アタシが何をしようが、二人には迷惑は掛けていないからさ!」
珍しく取り乱すアンナ。額を汗で濡らして、真っ赤な顔で否定する姿は、愛らしかった。
「昔に出会ったって、何年前ですの? よく見ると、この子は愛嬌があって可愛らしい顔をしてますわ。例えると、そう――カイト君の女体化後の……」
マリーが頭に浮かべる姿は?
地下隧道のカイトが、今頃くしゃみしてるだろうよ――アンナは、そんなことを考える。
「昔、昔の話、十一年前の事。王宮…………の、近くでね」
アンナは最後の言葉尻を濁す。さすがに王宮の敷地内で出会ったとは言えなかった。
「おや? アンナ・ニコラ生徒代表は、カイト君と同じく黄色人の村の出身ではなかったかな?」
鎧姿のクロエが聞く。そのクロエからゼリー・モンスターを受け取り、胸に抱くマリーだった。
「そうですわ、おかしいですわね。色色と矛盾点がありますわ」
マリーの、アンナに向ける疑惑の目。
その時。
「ピ? ピー! ピピピ♪」
ゼリー・モンスターがやっと目を開ける。クロエの硬い鎧の枕から、マリーの柔らかい二つの山に感触が変わる。その寝心地を確かめるように、体を動かすゼリー・モンスター。
マリーが言うように、カイトにどことなく似ているつぶらな瞳――アンナは真正面からピーちゃんの顔を見つめる。
「ねぇ、アンタは、アノ時のピーちゃんなのかい?」
ピーちゃんの頬の辺りを摘んで、ビローンと広げるアンナ。
「ピピピ」
当のモンスターは、嫌がってぐずっていた。
「モンスターの生態は不明な点が多い。自然な状態で、何年生きるかさえも分かっていない。何を食べるのか、知能がどの程度なのか。実際の所、研究がそこまで追いついていないのが事実だ。研究する前に、多くのモンスターたちが問答無用に駆逐されていったからな」
クロエの言葉を受けて、アンナは微笑む。モンスター研究の第一人者を目指していた、亡くなった姉。その、マリヤの顔を思い出す。
「ピピピ、ピピピピピ、ピピ」
突如、マリーの胸から飛び立って、扉の開いた隙間へと入って行くピーちゃん。
三十センチメータル開いた状態で止まっている暗い空間。進路は漆黒の闇だ。
「え? 付いてこいって?」
アンナは扉の向こうへと語りかける。
「ピピ!」
ピーちゃんの返答。
「アンナさんは、ピーちゃんさんの言葉が分かりますの?」
「そんなワケないじゃない! 適当に答えているだけ。それよりも先に進んでみましょ!」
アンナは体を横にして、細い隙間に入る。
「チョッと、チョッとまって下さいな、アンナさん!」
マリーも入るが、大きな胸が障害となる。
「え…………と」
彼女は自分のおっぱいを、両手で押しつぶして、次の部屋への侵入に成功した。
実に、柔らかい。
実に、弾力に富んでいる。
「オイ! 待ってくれよ」
クロエも通行を試みる。
「ガチャン!」
『炎の鎧』がつかえて通れない。通れるはずもない。
「仕方ないな、『炎の鎧』装備解除!」
クロエが言うと、ブルゴー家の家宝は白く光って部品ごとに分解される。そして、右手に持ったステイタスカードへと吸い込まれて行く。
学園の制服姿になるクロエ。
「お、コレなら入れるな……。お? おおお?」
鎧の装備を解けば、隙間を通過できると考えた。しかし、彼女の大きな胸囲がつかえる事になる。
「し、しまった。ぬ、抜けないぞ。お、オーイ! マリーに、アンナ! た、助けてくれぇー! た、タスケテ」
だが、体は抜けてくれない。前にも進めず、後ろにも戻れない。進退きわまっていた。
「チョッと、ピーちゃんさん!?」
マリーの声。
奧の部屋の中で、何がおこっているのか?
「クソ……人力で、この扉が動くものか……」
クロエは出せる力で、思いっきり扉を開こうとする。
ゴゴゴ。
手応えがあった。
「開きそうだ」
あとは、自動的に開いていく。
ゴゴゴ、ゴゴゴ、ゴゴゴゴゴ。
扉がすんなりと開き、次の間に魔法照明が点る。広い部屋だった。今度は50メータル四方の広さがあり、高さも10メータルある。
この遺跡の全体像を考えると、一番大きな部屋かも知れない。
「何だ、あれは!」
クロエが指さした先、そこには彫刻があった。部屋の中心地点に存在している。
「人間の手でしょうか?」
マリーが今度も不用意に手を伸ばす。白い大理石から伸びているのは、2メータルほどの黒い人間の腕の形であった。
いや、彫刻であると信じたい。照明を浴びて黒光りしているので、生身の本物の腕ではないだろう。
二本の腕が床から生えているようにさえ見える。それが、ヘビのように絡みつき合っていて、長い指の手が天井を目指している印象だ。
「ピーちゃん、コレは?」
「ピー、ピピピ」
「十本の指に、それぞれ指輪がはまっていた?」
「ピピ」
アンナとモンスターの会話。
アンナは一人の男の姿を思い浮かべる。ティマイオス王立学園の学園長ブルカ・マルカの両手には、全ての指に指輪が飾られていた。
大盗賊のミーシャ・フリードルが強奪を試みた品だ。彼女が国宝モノと言っていたが、この遺跡に眠っていた品なのだ、間違いはない。
「気持ち悪い指ですわ。現実の人の指のよう」
マリーは恐る恐る触る。
「オイ!」
クロエが言葉を発した――が、遅かった。




