(プロローグ・王宮の破滅)
◆◇◆
「本当に戦闘が行われているのかい? 外はこんなにも静かなのに」
山高帽を被ったニコル・ニコラエヴァ・ハノーヴァー公は、中庭に面したバルコニーに出る。この露台は、女王が国民と唯一触れ合う場所だった。年が変わった初頭には、家族全員が出て手を振るのだった。
ニコルは白い大理石製の手すりまで寄って、身を乗り出す。先ほどまで遠くに待避していた小鳥たちが、隣に立つ大聖堂に戻ってきていた。今はこちらの方が安全だと判断したのだろう。
「ええ、見えない戦いが繰り広げられています。ここが正念場」
妻の女王アレクサンドラ・ニコラエヴァは苦悶の表情を浮かべていた。通信魔法からの戦況報告は、かんばしくなかった。
『女王様! 黒龍が浮き上がってきて、水面まで浮上しました、背中に大きな穴がたくさん! 二列並んだ十六個の穴から、報告書にあったトビウオが飛び立ちました!』
主任魔法使い、大魔法使いブルカ・マルカ男爵からの通信であった。
ドーン!!
王宮を囲う城壁。その外側で大規模な爆発音が聞こえ、炎と煙とが立ち上っていた。
この場所は、魔法防具『エメレオン』の結界の外にある。
「うひゃあ……」
手すりから身を乗り出して見物していたニコル公は、帽子を押さえる。結界で守られてはいるが、熱を含んだ爆風を感じ、思わず身を引く。
――その時だった。
バサッ! バサッ! バサッ!
大きな羽ばたきの音。黒き怪鳥がバルコニーの手すりにとまる。
「こ、これは『魔法カラス』……? 見てごらんアレク、羽が二枚に足が三本、目が四つもある化け物だ」
ニコラ公は五歩ほど後ろに下がり、執務室に立つ妻にアレクと愛称で呼びかける。『魔法カラス』の羽を広げた大きさは2メータルあり、男性の彼も恐怖を覚えたのだ。
「立ち去りなさい魔物よ!」
女王アレクサンドラは叫び、ステイタスカードを胸の前に構える。攻撃魔法の準備なのだ。大切な夫に危害を加えるようなら、瞬時に消し炭に変えるほどの火炎魔法を用意した。
『オマエハ、シヌ』
『魔法カラス』が黒くて大きなくちばしを開くと、人の声が聞こえてきた。四つの漆黒の瞳にはニコル公の姿がそれぞれ映っていた。魚眼レンズの映像のように大きく歪んだ姿だ。
『オマエタチハ、シヌ』
再び聞こえたときには、その瞳に女王を映し出していた。
『女王様! 黒龍から再びトビウオが! 今度は宮殿の方角へと真っ直ぐに向かって行きました! 数、多数! 早く、待避を!』
通信魔法の相手の、悲鳴にも近い声。
「いえ、王宮を、王都を守るのが女王のつとめ。『エメレオン』の防御能力を極限にまで高めます!」
再びステイタスカードを胸の前に出す。カードが光り、伝説の防具も呼応して明滅を始める。
ドン、ドン、ドーン!
立て続けに起こる爆発音。結界により、『黒龍』から飛来する『トビウオ』の攻撃を防いでいたのだ。
「あ、ああん?」
妻にしがみついていたニコル公は、安心しその手を離す。そして、バルコニーの手すりにとまっていた『魔法カラス』を見たが、既に飛び立って消えた後だった。
「大丈夫ですか、あなた?」
「あ、ああ、ああ大丈夫だ。しかし、猛烈な音だったね。それを防ぐとは、さすが伝説の防具だ。ま、夫の私もエッチすぎて正視に耐えないが……」
顔を両手で覆い、指の間から妻の顔を見る。結婚した当時と、変わらぬ美しさを保っている。
「あの『魔法カラス』は、どこから侵入したのでしょうか? 『エメレオン』の強大な結界能力には、魔物は一切近づけないはずです」
厳しい顔のまま、おっぱいを露わにした女王は、夫の顔を見る。
「だから、最初に言っただろ『魔法カラス』が王宮の結界を破って侵入したと」
「過去に魔物が結界に触れたときは、王宮の城壁の外で黒こげにされました。それなのに、執務室の露台にまで近づくとは……まさか!」
女王はそう言って、バルコニーの外に身を乗り出して様子をうかがう。
『女王! 敵を手引きした者の正体が……ガガガ……ガ』
そう言った大魔法使いブルカ・マルカ男爵の通信報告が途切れる。
『ブルカ! どうしました、ブルカ! 返事を……』
通信魔法で呼びかけるが、応答はない。
「アレク! あれを!」
ニコル公が空を指差す。宮殿に向けて真っ直ぐと飛来する『トビウオ』の姿を認めた。
黒龍が『エメレオン』の魔法結界と物理結界の内側に出現したことを意味する。
『トビウオ』は全長6メータルほどの長さで、翼を拡げた姿は3メータル足らずの大きさだ。それが物体に衝突すると、爆発し大きな炎を立ち上らせるのだ。
「あれが、海洋都市『エナリオス』を滅亡に追い込んだと聞く、閃光と業火の魔法兵器の一つ。近接結界、最大!」
女王は再びステイタスカードを掴み叫ぶ。防具『エメレオン』の二重に張られる結界の能力を最大限に発揮させる。
半径10メータルの球形の結界が女王と夫の周りに張られる。他の従者や警護兵たちは、ニコラエ宮殿の地下へと待避を完了していた。
「アレク、私がそばにいてあげるよ。本当は、甘えん坊で泣き虫のアレクサンドラの事を、励ますことが出来るのは私だけだ。学園の初等科で始めて会ったときから、キミの事が好きだったんだ。私はつくづく幸せな男だった。初恋の女の子と、結婚出来たんだからな」
そう言って、妻の左手を優しく握る。
「そうだったの? あなた、好きになったのはわたくしの方が先だと思ってました。幼馴染み同士が、付き合って結婚して、幸せな一生でした。ああ、神よ、どうか子供たちをお守り下さい。彼女たちと彼が『ティマイオス』の希望です」
二人の真上で、閃光が起こる。そして爆音。熱を伴った強烈な衝撃波が、王宮の城壁内に立つ建物をなぎ倒していった。