(墓守の街)
――午後三時二十六分。
ミヨイ湖畔の街、タミアラ近郊。
ドスン!
大きな音がして、四人は着地した。毎度の事だった。転移魔法の難点は、目的地への到着時にある。同時に、防御上の最大の弱点となる。
(何だろ、懐かしい感じ)
カイトは出現した場所を見渡した。
「こ、ここは――どこなのですか?」
薄暗い場所、マリーは顔を上げて様子を伺う。
「馬小屋よ」
「え?」
アンナの声にカイトは抜けた声を出す。
「馬、居ないよ」
「居ないから、転移場所に選んだんでしょ。アンタはバカなの!」
アンナはチョッと頼りない、弟勇者を叱る。
「何か、匂いますね」
鼻を摘むマリーの鼻声。
「まあ、馬小屋だからね」
当然だとの、アンナの声。暗がりで、苦笑いを浮かべていた。
「早くどいてくれないか、嫌な予感しかしない。いや、嫌な感触が背中からお尻にかけて広範囲に渡ってあるんだが……」
三人の下敷きになっていたクロエが、苦情の声を上げる。
クロエの背中の下で、ネチョネチョとなんともいえない不快な音を立てていた。
「ご、ごめんなさい。でも、何処に立ったら? 暗くて様子が分からないのです」
マリーは、カイトを後ろから抱き抱えるような体勢になっていた。カイトの背中に、マリーの豊満なおっぱいが当たっていた。
「明かりを点けようか?」
指の先から小さな炎を出しているアンナ。
「やめてよ、姉ちゃん! 馬小屋は、燃えるモノで一杯だよ」
大声をあげて抗議するカイト。ほんの少し見えるだけでも、馬の寝床にする干し藁や、エサの干し草がたくさん積んであった。
何でも燃やしてしまうアンナ。
過去にも、カイトの制服を焦がされたし、色色と大切な品を燃やされた恨みもある。
お年頃のカイトも、女性の裸の載った本を持っていたりするが、目の前で灰にされた。
その時の、高笑いを浮かべるアンナの姿。単なる美術作品集であったが、台無しにされた。
「エエイ! もう、ガマンならん!」
そう言って無理矢理と立ち上がるクロエ。
「「「え?」」」
ベチョ、ベチョ、ベチョ。
三人の声と、嫌な音が同時に響く。
「もうー、臭い臭いですわ! この匂いを何とかしてください、アンナさん!」
バン!
――と、馬小屋の扉を開けて外に駆け出すマリー。
彼女は、制服の胸の部分を馬の糞で汚していた。
板を打ち付けているだけの粗末な扉。隙間から、外の光りが漏れていたので、それを頼りに真っ直ぐと進んだのだ。
扉を開け、外に飛び出たマリー。
「ああ、もう! 馬の糞だらけの将来の女王さまも、どうかと思うわよ」
アンナは取り乱しているマリーの足を、拘束魔法でからめ取る。
見えない紐が出現し、マリーの両足首に絡みつく。
「べちゃ」
情けない音と共に、マリーは水たまりに顔面を突っ込んでいた。馬小屋の外では、雨が降っていたのだ。
「むー」
顔を上げた彼女は、泥で顔面が真っ黒色だった。
「あはははは、あきゃきゃきゃきゃ」
手を叩き大笑いするアンナ。笑いながら外に出る。
「ね、姉ちゃん、笑っちゃ……会長さんに、し、失礼だよ」
「そう言う勇者さまは頬が引き吊って、今にも笑い出しそうだぞ」
クロエが指摘し、カイトは頭を掻く。その二人は外に出て、天を仰ぐ。灰色の雲が広がっていて、シトシトと雨が降り続いていた。
――その時。
バシャ!!
馬小屋の前のデコボコ道を、屋根の上にたくさんの荷物を積んだ幌馬車が、高スピードで駆け抜けていく。馬車の車輪は水たまりの泥水を大量に跳ね上げて、立っている三人を泥だらけにする。
「ざまあみろ――ですわ。おほほ。人を笑った天罰ですのよ!」
泥で真っ黒の顔を上げてマリーは言った。白い歯を見せて笑う。
ベシャ!
馬車を追いかける数頭の馬。その一頭が、ヒヅメで泥水を掻き上げて、マリーの顔に掛ける。
「ハイヤ! ハッ!」
カウボーイ・ハットを被る、馬上の男たちはあっという間に駆け抜け、見えなくなった。
「プッ、ペッ! 泥が口の中に入りましたわ。ジャリジャリします。ペッ!」
泥だらけのまま、立ち上がるマリー。王立学園高等部の制服は、ドロドロのベチャベチャの台無しにされていた。
「き、着替えは、無いよな」
頭から泥水を被ったクロエは、馬の糞だらけの自分のナップサックを見る。手荷物も一泊分しか持ってきていない。下着の替え程度だ。
「姉ちゃん、アレ! 馬車が落としていったよ」
カイトが指差す先、道路脇の草むらには布張りの高そうなトランクが落ちていた。
馬車での旅行者が使う、大きくて頑丈なトランクだった。
先ほどの幌馬車は、荷物が過積載気味だった。幌の内部も人や荷物で満載の様子だし、ロープで荷物を固定してあったが、悪路ゆえ移動の最中に結び目が緩んだのであろう。
「そういえば、何か様子がおかしかったですわね。いやに、慌てた様子でしたし」
マリーは馬車と馬の向かった方向を見る。
灰色の雲の下、大きな湖が見える。これが目的のミヨイ湖なのだ。
綺麗な円形をしている。これで観光客も誘致しているのだ。
「馬車の御者も、追う馬上の男たちも、顔付きはお世辞にも良いとは言えなかったな」
クロエが言った。抜群の動体視力で、高速移動をする人物の顔を識別していた。
「あの街に関係あるのかな」
と、カイト。緩やかに下っている道。丘の上に立って、遠くを指差していた。
湖畔に、大きな街が見える。雨は小降りになっていているが、霧の掛かる街。
「あれが、タミアラよ」
アンナが指差す。
「随分と、遠いな」
クロエが言うのも無理は無い。馬小屋のある場所から、街までは2キロメータル以上の距離がある。
「タミアラに直接、転移したんじゃないんですの!?」
泥だらけのマリーが抗議する。綺麗な顔に付いた大量の泥と糞を手でぬぐい、地面に振り落とす。
「いやだからさ、行った事のある場所にしか転移できないのよ。この街は、ノーマークだったからさ。この馬小屋近辺しか、マーキングしてない」
アンナは答える。
カイトの家の地下室に大陸国家ティマイオスの全図が掲げてあり、アンナは自分の行った場所にバツ印を付けていた。
しかしそれだけを見ても、以前のカイトにはさっぱりピーマンであった。何の印なのか、理解出来ないのであった。
アンナは、大陸の主要な都市ほぼ全てに足を運んでいた。
「それよりも、着替えようよ。何か無いの、ジャージとか?」
カイトは他の三人を見る。ブンブンと首を振る勇者のパーティーメンバー。
最初の冒険は、のっけからつまずいてしまっていた。
着る服が無いので、出かける事も出来ないでいた。
「アラ、着替えならあるわよ」
雨はほとんど止んでいた。馬車の落とし物のトランクを開けて、何かないか漁っていたアンナが、目ざとく見つけ出したのだ。
「よろしいのですの? 他人さまの落とし物ですわよ」
マリーが注意する。
「まあ、借りるだけなら良いだろ。それにティマイオスの統一道路交通法でも、水たまりの水を跳ね上げて歩行者を汚した場合は、馬車側に損害賠償の責任が生じるからな」
クロエが説明する。
法的にも根拠を得て、罪悪感の薄まる一同。
「アソコの小屋で着替えようか。幸い雨も上がってるし、裏には井戸があるから汚れた服を洗濯するとよい」
アンナが指差した先には、今にも崩れそうな掘っ立て小屋があった。彼女は、この辺りの事情にも詳しそうだった。
このボロ小屋は、アンナとアンドレで買い取っていたのだ。
もしもの時の、緊急待避のセーフハウスが大陸全土に用意してある。
アンナとアンドレは、王宮から避難したときに着ていた服やアクセサリを、お金に換えていた。
アンナの着用したシルク製のパジャマは高く買い取ってもらい、アンナやアンドレの変装用の服を購入し、馬を借りるお金にした。
特に、アンナが頭にしていた象牙製の白カチューシャは、高額で買い取りされて、アンナやアンドレの活動資金の原資になっていた。
アンナの五歳の誕生日に、母のアレクサンドラ女王から直接にプレゼントされた品。いつか、買い戻そうと考えている思い出の宝物。
――午後三時五十三分。
タミアラ近郊、掘っ立て小屋。
「えぇー!! これを着るのぉー!」
カイトの不満の声。粗末な小屋のため、外にまで漏れ聞こえて来る。
「洗濯は終わったぞ。今は晴れ渡っているから、軒下に干していれば明日の朝には乾くだろう」
パンパンと手を叩き、ブラジャーとパンツ姿でクロエが入って来た。飾りのない純白の下着だ。動きやすいように配慮されたデザインの実用的な肌着。
カイトは、クロエのあられも無い姿を真正面に見てしまい、思わず顔を逸らしていた。
しかしクロエは、父親のアンドレに似て働き者の娘なのだ。
「いいじゃない。多分、似合うよん」
パンツ一丁で立ちすくむカイトの困った顔を見て、下着の上にタオルを巻いているアンナは、嗜虐的な笑顔を顔に貼り付かせていた。




