(プロローグ・王宮地下の姫たち)
◆◇◆
――王宮、地下第二十三層。
「ねぇ、姉さま。どこまで階段をおりるの? アンは足が痛くなってしまったわ。朝早くに起こされて、髪の毛もボサボサだし、服も着替えてないし」
第四王女アナスタシア・ニコラエヴァは、ランプを掲げ先頭を歩く、第一王女オリガ・ニコラエヴァに向けて、石造りの階段の上から不満の声をあげた。
アンとはアナスタシアのあだ名である。ごく親しい者しか知らない愛称だ。
彼女たちは、女王アレクサンドラ・ニコラエヴァの実の娘なのだ。
大きな円筒形の暗い空間が、上に上にと延々と続いていた。ランプの光に照らされて、姫たち五人の長い影が石壁に写る。
もう一歩も動けないと、靴ずれの出来た小さなカカトを見せるアナスタシア。普段履き慣れていない革靴を素足で履いたためか、皮膚が大きくめくれていた。
母と同じく金髪碧眼のアナスタシアは、クリーム色の寝間着の上に赤いストールを巻いていた。肩口で切りそろえてあるサラサラの金色の髪の毛。髪型を整えるためか、白色のカチューシャをしている。
アナスタシアは、そのまま階段に腰掛ける。
「アン! ならば靴を捨て、裸足になりなさい。『ティマイオス』の王女は――アレクサンドラ・ニコラエヴァの娘たちは――こんな事で音を上げません。わがままを言っている場合ではありません!」
十七歳の長女オリガは後ろを向き、六歳の四女を叱る。
王立学園の制服を着るオリガは、母親そっくりの美貌で、そのまま十代の若さに戻したかのようだった。常に頭の後ろで髪をまとめている母とは違い、腰までの長く真っ直ぐな綺麗な金髪であった。
茶色いブレザーと赤いチェックのスカートの、王立学園高等部の制服。
オリガは今日の朝早く、王立学園の女子寮に戻る予定だった。そのための制服なのだ。
その大きな声に、オリガの直ぐ後ろにいた十四歳の次女・第二王女タチアナは戸惑う。
タチアナの方は、父親のニコル公に顔立ちが似ていた。薄い眉と、軽くウェーブした金髪。父親と同じく、灰色の瞳の色をしていた。彼女は、やや鷲鼻であるのを気にしているが、端整な顔立ちには違いない。
タチアナはピンク色のネグリジェの上に、白いローブを重ねて着ていた。彼女は王立学園の中等部の女子寮に入っているが、学校は明日から開始なので寝間着姿のままだった。
タチアナは眉間に皺を寄せる。
彼女が胸に抱く、まだ一歳の皇太子アレクセイ・ニコラエヴァが大きな声で泣き始めたのだ。
アレクセイの顔立ちも父親似であった。僅かばかりの金髪が、クルクルとカールしている、灰色の瞳の幼児だ。
「お姉さま。マリヤも疲れてしまって、足が棒のようです」
妹のアンの手を強く握る、第三王女のマリヤ・ニコラエヴァ。アンとは一つしか歳が違わない。まだまだ幼い金髪碧眼の子供だった。彼女は長い髪の毛を後ろで一本の三つ編みおさげにしている。白い寝間着の上に、青いカーディガンを羽織った姿。皆の避難が、急であることが良く分かる。
「よいしょ――っと。姫さまたち、ワタシが肩に乗せましょう」
最後尾を守護していたアンドレ・ブルゴー警護隊長。高身長の大戦士ブルゴーは、190センチメータルほどの背丈があった。鎧の肩当て――その高い位置に、アンとマリヤを担ぎ上げる。
「わーい。高い高い! これなら楽ちんね、マリヤ姉さま」
左肩に乗ったアンはそう言って、足をプラプラと振って不要となった靴を脱ぎ捨てる。そうして、右肩に乗ったマリヤを見た。
茶色い小さな革靴は、円筒状の石壁際に配置された螺旋階段をコロコロと転がり、やがて漆黒の闇に消える。最下層に着地した音さえ聞こえて来ない。
階段には手すりや覆いなどは無い。誤って転落すれば、間違いなく死が待っている。
「ゴクリ……」
次女のタチアナは固唾を飲み、少し泣き声の収まった弟のアレクセイを強く抱きしめた。
彼女は、胸に抱く王位継承権第一位の皇太子の顔を見る。女王の子供に男子がいなければ、長女のオリガが次の女王になる予定だった。久方ぶりにニコラエヴァ家に生まれた男の子。母や父以上に喜んだのは、将来の女王就任の重圧に悩んでいたオリガだった。
そうしてタチアナは、そのオリガに向けて呼びかける。
「姉さま、避難を急ぎましょう。まだ半ばを過ぎたところです」
「え、ええ、そうねそうね。みんな、いいかしら? さっきよりも早く走るわよ。ブルゴーもしっかりとついてきてね」
「オリガ殿下、了解しました」
大戦士の低い声が響く。
三人はそれぞれ足を速めていた。