(クロエの回想)
――入学式当日、午後六時三十分。
王立学園高等部女子寮、食堂。
明日より、王立学園高等部のほとんどの生徒は土日の休日に入る。
そのため、王都内や近郊都市に実家のある生徒たちは両親の元に帰っていた。移動魔法が使える上級生が何人かの後輩生徒を引率し、寮の中庭からジャンプする。その後、各都市のブロック毎に整理してある広い公園などに着地する。
寮に戻る場合は、その逆だ。
移動魔法が原因で、過去に起こった悲しい事故。その過ちを繰り返さない、安全第一の処置なのだ。
ちなみに、この大陸ティマイオスでは、交通機関の中心は運河を移動する一本マストの帆船と、馬車であった。
しかし、運ぶ人員や荷物の量は限られる。帆船も、運河で二艘がすれ違える大きさしか幅がない。
外洋に出られる、三本以上のマストを持つ大型船の建造は法律で禁止されている。
太古には、海に面した海洋都市を繋ぐ船の便があったが、凶悪な海中モンスターの出現により、現在は中止されている。
馬車も大きくても、三頭立てが限度である。道路の整備がそこまで行きとどいていないのが原因だ。都市部では路面に石が敷き詰められているが、少しでも外れると土が剥き出しのままの未舗装の道路が大半だった。
ニコラエヴァ王家が大陸全土に整備した、国家道路でもこの有様である。
そのため、安易で安価な移動魔法が重宝される。しかし、一度に移動できる距離も10キロメータルが限度であるので、広大な大陸を縦横無尽に動けるわけでは無かった。
それに移動魔法は、生身の体で飛び上がり空中を移動するので、悪天候時には使用が制限されている。
人々は空を見上げ、自由に飛ぶ鳥を憧れの眼で眺める。
――いつか、空を飛びたい。
人々の願い。
気球や飛行船も、過去に製作されていたこともあったが、四千年前の伝説の『アナスタシア』女王が禁止した。
それらは『錬金術』の禁忌に触れるために、『錬金術禁止法』の法律が適用されて徹底的に断罪されたのだ。
今では、気球や飛行船の製作技術の伝承は絶えてしまっていた。
さて、話を学園高等部女子寮の食堂に戻そうか。
学園高等部女子生徒たちの、寮の食事施設。
学園大講堂の二階にある大食堂とは大きさは比べものにはならないが、高等部の女子生徒が食事をするには十分なスペースが確保されている。一度に二百人は座れる広さだ。
今は夕食時であるが、三分の一ほどしか埋まっていない食堂席。
クロエは明日の武闘大会の剣術部門に出場するために、寮に残っている。もっとも、長期休暇であっても実家に帰ることは無い。とある目的の為に、二年は故郷に帰っていない。
とある目的――彼女はまだ、周囲には話していない。それも、追い追い語られる事になる。
クロエ・ブルゴーは孤高の戦士だ。
クロエの周囲に、生徒は誰も寄ってこない。制服姿の大柄な少女。女子の可愛らしさが強調された学園高等部の制服は、いささか愛くるし過ぎるのだ。
その彼女は、誰も来るなオーラを全方位に向けて放っている。
元来、一人で居ることを好むクロエは、この状況には満足していた。
食堂隅のテーブル席に、一人で腰掛ける。入口と配膳場所から一番外れた位置。食堂全体が見渡せていて、落ち着く場所。この位置取りのクロエには、他の女子生徒の誰しもが近寄ろうとはしなかった。
「人は苦手だ、特に女の子は……」
そう小さく言って、熱々の鉄板に向けて勢いよくフォークをブッ刺す。血の滴っているステーキを持ち上げ、豪快にかぶりつく。
菜食主義者のマリー・アレンが見たら、卒倒するだろうな――クロエは、そんな事を考えていた。
(それに、アンナ・ニコラだ。毎度毎度、食えない娘だな。勇者と血縁? 全く似ていないし、人種からして違うぞ。そして、あの少年。あんなヒョロヒョロのモヤシで勇者がつとまるのか? オレが一から鍛えてやろう。それに……)
「あの勇者は、父のことを知っている!」
ドン! と、食堂のテーブルを強く叩き、この場所に居た全員が注目する。
クロエの方は、コップの水がこぼれてしまったので、テーブルにあったフキンでいそいそと拭いていた。大きな体を小さく折り畳んだ、みっともない姿だった。
勇猛果敢な大戦士さまのクロエなのだが、時々天然ボケをやらかすので、周囲が注意して見ていないと危なっかしい存在である。
自分のミスが外に知られていないかと、辺りをキョロキョロと見渡すクロエ。食堂に居合わせた全員が、目を逸らしてやる優しさをみせる。
「あのー、クロエ・マルゴーさま。お食事ご一緒して、宜しいですか?」
空気の読めない一人の少女が、クロエの直ぐ左側の席に腰掛ける。クロエには何度か話をしたことのある、見覚えのある顔だった。だが、名前を思い出せない。
「ああ」
気の無い返事をして、食事に戻る。大皿に大盛りになった、ミートソースのスパゲッティを一気にズズズ――と啜り、皿を空にする。
クロエは左側をチラチラと見ながら、デザートのスイカを大きな口でかぶりつく。
少女の名前を、大脳皮質の記憶野から必死に探るが、脳筋の彼女には無理な話であった。まあ、新一年生であるので仕方無いか――自分を納得させるクロエ。
「覚えておいでですか? 中等部の時に誕生日プレゼントに髪留めを渡したマーガレット・ミッチャーです。無事に高等部に進学できて、魔法Aクラスに配属になりました。授業では中々お会いできませんが、高等部の寮に移動したので、寮生代表のクロエさまにご挨拶にうかがいました」
金髪ツインテールの美少女は一気に喋った後に、魚のフライを小さく切ってタルタルソースに付け、小さな口に運んでいた。その後、ニッコリと微笑んできた。
主食もポテトフライだけだった。大きなトレイに小さく盛られた料理たち……全てが小作りで、チマチマチマチマしていた。
(あー鬱陶しい!)
全てを放り出したくなったクロエ。
そういえば髪留めは貰ったが、一度も使用していないな――思い出す。
「ああ、マーガレットさんね。何のご用事?」
ぶっきらぼうに尋ねる。いや、乱暴な口調だった。
「はい、私の父はブランランドに領地を持つ、ベンジャミン・ミッチャー子爵です。ご存じでしょうか?」
クロエの言葉を無視し、ペラペラと自分の事を喋り出すマーガレット。
(ああ、女の子は苦手だ……)
八分の一にカットされたスイカを、パキンと手で割って皮の白い部分まで食べて行く。お喋りな女子には、ウンザリだった。




