(孤高の大戦士)
――午後三時四十五分。
王立学園女子寮、廊下。
「アンナ姉ちゃん。やっぱり女子寮は緊張するよ」
落ち着かないカイトは、キョロキョロと周囲を見渡す。静かなる女子寮の廊下。時々すれ違う女子生徒を前にして、彼は気を引き締めていた。あくまでも平静を装おうと努めるが、平静ってなんだ――ますます彼の頭の中が混乱していた。
すれ違った女子生徒たちは、決まってヒソヒソ話をする。
学園でも有名人のアンナ・ニコラの弟だという話。そして、カイトが勇者と告げられた話題も、あっという間に学園全体に広がったのだろう。
何か、小っ恥ずかしい。
カイトは体をモジモジとよじる。他人から向けられる視線が、こそばゆい。
「ま、堂々としてなさい、勇者さまよ! 変にキョドると、下着泥棒か、のぞき魔に間違えられるよ。ニヒヒ」
右のホッペを上げて笑うアンナ。ガリラヤ村に帰ったら、もっともっとからかう気が満点だ。
カイトは立ち止まる。女子寮一階の広くて長い廊下。その奥に掲げられた一枚の絵。
その横には階段があり、昇降するときには必ず視界に入るであろう目立つ場所だった。
「やっぱり、姉ちゃんに、そっくりだね」
カイトは絵の正面に立つ。左横のアンナの顔と見比べていた。
理知的で意思の強そうな金色の太い眉。小作りだが高い鼻。上唇よりも少し厚い下唇は、メイクをしていないのに桃色に輝いている。
抜けるように白い肌は、上等な陶器のようであった。
見るからに、アンナにそっくりである。
違いといえば、アンナよりも長い腰までの金髪と、右目の下のホクロぐらいだろうか。
アンナの方は、肌のお手入れを怠っているのか、少しのソバカスが見られる。
「そうね。早く行きましょ」
アンナは先に進もうと、カイトを急かす。
「この人は、オリガ王女殿下だっけ。姉ちゃんは、親戚とかじゃないの?」
純粋な彼の質問。
「よくある顔よ」
アンナは手すりを掴み、階段に左足を乗せる。長年使い込まれた木製の手すりは、飴色になって光っている。
「よくは居ないよ。学園の女の子の顔をいっぱい観察したけど、アンナ姉ちゃんほどの美人はいなかった」
「あらアンタ。入学式初日から、そんなことしていたの? 意外とキモが座っているんだね。学園には、他にも美人さんや可愛い子ちゃんが、たくさんいたでしょ」
アンナは呆れたような顔を、カイトに向ける。
「生徒会長さんは美人だし、マギーは可愛いと思うよ。でも、アンナ姉ちゃんは別格だ」
「な、何言ってるのよアンタ……」
アンナは顔を赤くしてうつむける。カイトの目を真っ直ぐに見られなくなってしまった。階段に乗せた足を降ろす。
(姉ちゃんは、本当は何者なの?)
カイトがずっと聞きたかった事だ。十年前、カイトの前に突然に現れた美少女。その時の驚きは、今も忘れない。
「ありがとうカイト。こうやって、アタシを褒めてくれたのは初めてだね。アンタにそう言われたら、アタシは――」
(ますます、好きになってしまうジャン!)
無言になる二人。しばしの時間の後、アンナはゆっくりと階段を昇り始める。カイトもその背中に続く。
――王立学園女子寮、三階廊下。
「あれ? 誰だろ」
カイトが指差す先。アンナの部屋の三○七号室の扉を背にして、女生徒が立っていた。
女生徒はカイトとアンナを認め、こちらを向いた。
「これはこれは、学園女子寮の寮生代表、三年格闘Aクラスのクロエ・ブルゴーさま」
アンナは立ち止まり、わざとらしく丁重に頭を下げる。寮内では、こうやって猫を被って生活しているのだった。
日頃とは違うアンナの態度に、カイトは目をパチクリさせる。
寮生代表とは、寮で生活する生徒たちの中から投票で選ばれた、生徒自治会の代表である。
常に品行方正であり、寮生からも寮の職員からも慕われる存在。
寮独自の催しもの企画・運営にも携わっており、晩秋に行われる寮祭は、それはそれは盛り上がっているのであった。
寮生代表だけでも多忙であるため、十年前に唯一、生徒会長と生徒代表と寮生代表を一人で兼ねていたオリガ・ニコラエヴァ第一王女殿下は、大変に優秀であったのだ。
ちなみに、生徒代表とは学園高等部全体の成績トップの事だ。現在の生徒代表は、二年生のアンナ・ニコラであるのだった。
「クロエ・ブルゴーさん?」
カイトは、大柄な上級生の女子生徒の顔を見上げ聞いた。
160センチメータルの身長の彼と比べても、20センチ以上は高い。赤褐色の肌に、赤い髪の毛に、炎のような赤い瞳。意思の強そうな、太い赤い眉に意識が向かう。
その次にカイトが注目したのは大きな胸だ。カップ数ではマリーと変わりがないかも知れない。だけど、鍛え上げられた胸の筋肉で、胸囲の数値がグンと増している。1メータルほどのボリュームがありそうだ。制服の胸のボタンがはち切れそうだった。
下のシャツのボタンも、限界ギリギリだ。
(服たちが可哀相)
カイトはそんな感想を持った。クロエの体躯には、学園の制服は可愛らし過ぎるのだ。
「キミが、カイト・アーベル君か。そうかそうか、キミが久しぶりに誕生した勇者さまねぇーえー」
値踏みするかのように、カイトを頭の先からつま先までジロジロと見るクロエ。
「あ、アンドレおじさん?」
彼女と目が合って、カイトは実感する。顔立ちが誰かに似ていると、ずーっと思っていた。そうだ、少し濃い男前風の顔立ちは、アンナの父親役のアンドレ・ブルーにそっくりだった。割れたあご先など、輪郭は瓜二つだ。
「なに! アンドレだと! きさま、父を知っているのか!?」
いきなり胸ぐらを掴まれて恐怖する。猛烈な腕力で持ち上げられ、カイトの体が浮いてしまった。彼は足をバタバタとさせる。
「ちょっと、何するんですか! 弟が怯えているでしょうが」
アンナが慌てて割って入る。
「し、失礼した。この件は、後に尋問することにしよう。寮長から、女子寮にこれから男子が住むと聞かされてな、様子を見に来たのだ」
「ご心配なく、クロエさま。部屋まではワタシが付き添いますし、部屋からは一歩も出しません。コイツは大人しくさせます」
「それでは、食事はどうする?」
当然の質問であった。クロエも、アンナの私生活を疑っている。寮の夕食や朝食に絶対に顔を出さない生徒代表の優等生。
休日も部屋から出てこない、学園トップの優秀生徒。
「ええ、食事は部屋の中で済ませています。幸いこの部屋は、元々二人部屋。優良生徒の特権で、一人で使わせてもらって感謝してます。食事の方は、昼食の余ったパンなどを食べて過ごしていますわ。故郷の父が送ってきた乾燥麺を茹でていて、食べ物には事足りませんの。おほほ」
(気持ちの悪い、笑い方だなぁ)
カイトは思う。愛想笑いをする、こんなアンナは始めて見た。
「そうかそうか、それはすまなかったな。そうだ、カイト君。キミの知る『アンドレ』の事は、のちのち聞くことにしよう。キミの体にな、ははは」
健康的な白い歯が、光っていた。そして、両手の指を互い違いに組んでポキポキ、ゴキゴキと鳴らすクロエ。
「あはは、はぁ……」
腕力を見せつけられて、愛想笑いが引きつるカイトであった。
「それでは」
アンナが扉に向くと、何の動作もなく部屋の鍵が開く。その事にカイトは驚いていた。
(魔法って、すごいや!)
「では、明日土曜日の授業で……」
クロエ・ブルゴーは潔く部屋の前から立ち去った。
後ろ向きのまま、頭の上で手を振っていた。
「ガチャリ!」
二人が部屋に入ると、ロックの掛かる大きな音がした。驚いて振り返るカイト。
「ま、これで、不法侵入を企てる者は、電撃で黒こげにされるのだよ」
警備魔法を入念に何重にも掛けるアンナだった。嗜虐的な笑みを浮かべている。
(アンナ姉ちゃんは、ヤッパリいじめっ子だよ)
カイトは感じていた。
他人をいたぶるときに、最高の笑顔を浮かべる。決まって、いじめの標的にされていたのはカイトだった。
もう慣れてしまって、体の方が順応してしまった。最近は、物足りなくも思っている。
「物騒だよう」
そう言い、浴室に真っ直ぐ向かうカイト。巻き込まれるのはゴメンだとの顔だ。
「あ、くれぐれもアンドレの事は、大戦士クロエ・ブルゴーさまにばらすんじゃないよ。あ、アンドレにも、娘の事は告げないこと」
「やっぱり、娘さんなんだ」
「そうよ。これは、アタシの、アタシたちの遙かなる目的成就の為には、仕方がない事なんよ」
「遙かなる目的?」
「そう、時期が来たら、カイトにも話してあげるね」
バスルームの鏡。それに写る自分の姿を真っ直ぐに見つめるアンナだった。
フッ――と、自分の前髪を息で吹き上げるアンナ。
遙かなる目的――極めて自分勝手な望みだった。
ニコラエヴァ王家の再興。自分の存在と目的は、今の大陸には不要なのかも知れない。単なる異物であるのかも知れない。
そんな不安がよぎる。
アンナが女王の玉座に座るとき、隣に居て欲しい人物は……。
「うん――そうだ! クロエさまは、剣術だけでなくて格闘術も達人よ。百種類にも及ぶ絞め技に、音を上げないようにね。キシシ」
「ええ!?」
カイトは声を上げる。
――悩んでいても、しょうがない!
いつものアンナに戻って、明るく振る舞っていた。
「では、ガリラヤ村のカイトの家、地下書庫へ、転移!」
アンナが強く手を握ってきた。
何度か経験した転移魔法であるが、全く慣れないカイトであった。黒い空間に足元から吸い込まれる落下感覚に、毎度毎度酔ってしまう。
「うん!」
大きくうなずくカイトの姿。一瞬にして二人の姿は消えていた。
次回からは、
レベル04「狙うのは 女戦士の 爆乳だ!」
を、お送りします。