(王立学園・学園長室)
――午後二時五十二分。
王立学園中央校舎一階、学園長室。
「失礼します」
アンナ・ニコラは学園長室の扉をノックした後、深く一礼し入室する。
振り返り、ゆっくりとドアを閉めていた。
「おお、アンナ君。忙しいところを、すまないねぇ~」
学園のトップが座るには、いささかみすぼらしい作りの木製の椅子。そこで執務中のブルカ・マルカ学園長は、記入途中の書類を置いてアンナの方を見上げる。
羽ペンを、机の上のスタンドに立てる。机も飾り気のない質素な造りだ。部屋の中に調度品もない。実務的な部屋だな――アンナは、そんな感想を持つ。
学園長は、四角い黒縁眼鏡をクィッと上げていた。
「何のご用でしょうか? 多忙なのは事実ですので、手短にお願いします」
アンナは胸を反り、学園長を見下ろすような形で言う。
「うん、ま、注意・警告の類かな。アンナ君は成績優秀ではあるけど、校則違反すれすれの行為が多く見うけられるのでね、ここで釘を刺しておきます。このままだったら、来年の生徒会長どころか寮生代表もあぶないよ。いや、生徒でいられるのかも怪しいな」
「何か、ワタシに落ち度が、違反行為があったのでしょうか?」
アンナは、顔色をちっとも変えずに聞く。誰かが客観的にこの状況を見れば、学園のトップに対して極めてふてぶてしい態度を取っている生徒と、とらえられる。
「寮内や学校の教室内では、授業の一部でなければ、魔法の使用は禁止されてるよね。これは、当然知ってるでしょ――」
学園長は下を向き、新しい書類に目を通しながら話を続ける。
「――でね、アンナ君さ、個人が授業の予習・復習で魔法を使う場合には、特別な教室を用意してある。そこで魔法を行使するのも知っているでしょ」
感情を込めず、淡々と発言をする。校舎の各階に設置してある、魔法実習室の事だ。
「ハイ、その点に関しては、言い訳はしません。しかし、寮のワタシの部屋には生徒会長のマリー・アレンさまもいらっしゃってました。彼女は事もあろうか、寮内で使用厳禁の魔法アイテムを使って、部屋の魔法錠をこじ開けています」
「他にも違反者がいるので、自分は見逃せと?」
「いえ、それは本意ではありません」
手強い相手に、アンナの額で汗が吹き出る。学園長は実に落ち着き払った態度だった。
「更にアンナ君。君は部屋の周囲に魔法結界を張って、室内で魔法を使用した痕跡を消していましたね。これは悪質な行為ですよ。君には運悪く、生徒会長のマリー君が無理矢理に開錠してしまったので、その悪事が露見した。それにドアの近くに、寮内で使用厳禁の監視魔法のアイテムを設置する――普通の生徒であれば一発退学の事柄ですが、成績優秀者の生徒代表の君には、今回は警告に留めます。まあ、魔法成績の良い人間でなければ、こんな結界やアイテムは駆使できませんからね」
「温情溢れる処置に、感謝します」
アンナは前に両手を伸ばし、ペコリと頭を下げて、回れ右をする。
右足を一歩踏み出した所だった。
「帰ってよろしいとは、言ってませんよ」
やや強い学園長の口調。依然、目線は手元の書類にあった。
「そうでしたか、それは失礼しました」
後ろを向いたまま、学園長に聞こえないように舌を打つ。そうして憎々しげな表情を浮かべるアンナ。
ゆっくりと振り返ったときに、アンナは笑顔に変わっていた。
「学園長、最初に申しましたように、急いでおりますのでぇー」
歯を見せて、満点の笑顔を見せつける。
「うーん、これからが本題でね」
(本題? アタシまだ、何かやらかしていたっけ?)
アンナは頭を巡らせる。思い当たる悪事が、多すぎるのだ。
「急いでいるのは、弟君の所に向かうためかい?」
「ええ、そうです」
「弟思いで、うるわしいねぇ~。姉弟愛かい? 僕は感動するよぅ~」
わざとらしい演技をして、顔を上げた。
学園長の鋭い目付きを見て、アンナは少し体を引く。
「は、はい、ありがとうございます」
取りあえずの謝辞を述べ、アンナは前で組んでいた手を、後ろに回す。息を深く吸い込んで、平静を保つ。
「弟君の本名は、カイト・アーベルなんでしょ。『アーベル』といえば、思いつくのは高名なる……」
(そっちの件か……)
アンナは、学園長を煙に巻く方法を模索する。
「あ、ハイハイ! カイトをアタシの弟として入学させたのには、特別で特殊な理由があるのです! 彼は家族もなく、見た目にも違いすぎますから、血も繋がらないアタシと同居していた事実は、彼にとって不利となると判断したのです。姉弟であることにしたのは、全て彼の事を思った行動なんです」
顔の前で大きく両手を振って、一気に喋る。そうして、論点をずらそうと試みる。
「どうして? むしろ不利なのは、君の方でしょ。それと、自分を『アタシ』と呼ぶのは感心できません。女の子は女の子らしくしないとね」
「あ……」
アンナは自分の口を押さえていた。
「すみません」
「いいんですよ。それよりも、弟君の元に急いでいるのは、『アーベル』の痕跡を消すためですか? 具体的なことを言いますと――彼の、ステイタスカードを偽造――するため」
「ぎ、偽造ですか? ワタシが? 何の為に? 証拠はあるのですか?」
アンナの顔色が見る見ると変わる。血の気が引いて蒼白になる。
これだけでも証拠となり得るのだが、大人の学園長は、子供である学生のアンナを追い詰めにかかる。
「では、君のカードを見せて下さい。ステイタスカードの偽造は、校則違反では済みませんよ。純然たる法律違反です。厳罰が処せられるのも知っているのでしょう。カードを取り上げられての禁固刑。旧王宮の地下構造物の正体は……」
「分かりました。ステイタスカード、起動!」
アンナは制服姿の胸の前に右手をかざす。白く発光して、アンナのカードが出現する。
「どうぞ、ご覧下さい」
アッサリと学園長の前に差し出す。しかし、彼は受け取らない。カードを見ようともしない。
「うん、偽造は完璧だと思うよ。僕程度の魔法力じゃ、見破るのは不可能と踏んだのかい?」
いっさい彼女の方を見ずに、会話をする。
「いえ、そんなことはありません。是非、ご覧下さい」
「うん、いいよいいよ。かえって確信を持った。それからさ、君は過去に僕に出会っていないかい? この確認のために、アンナ君を呼んだのもある」
「ハイ? 過去にですか? ワタシの知るブルカ・マルカさまは、見目麗しい女性でした。学園長さんとは、同姓同名でしょうか?」
「うん、やっぱりね。君の記憶通り、ブルカ・マルカ男爵は女性だったよ。彼女は、王宮の魔法護衛部隊の最高責任者。弱冠二十歳の若さでその役職に就任する。だけど彼女も、ステイタスカードを偽造したんだ。性別の欄と、職業、到達予想レベル、現状レベル……誰にも見破れなかったよ。法律では、カードの偽造を物理的な切り貼りと想定していた。でも、魔法力で書き換えるとは、誰も予想しなかった」
「何の事ですか?」
「このごに及んでも、おとぼけになられるのですか――」
学園長は、アンナの綺麗な青色の瞳を見る。丁寧な口調に変わっていた。そして、ゆっくりと口を開く。
「――アナスタシア・ニコラエヴァ王女殿下」
ブルカ・マルカは、顔の前で両手を組む。




