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信仰少女と現実な自分  作者: ららら
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真壁実人の独白

神は死んだ――――


 かの有名な哲学者フリードリヒ・ニーチェは、そう説いたらしい。

この言葉は、それまで神がいると信じて疑わなかった信徒達に、神はいないとニーチェが説いたときの言葉である。

そして民衆には、神という唯一より所のある存在を失い、この世に価値を見出せずに絶望する…という背景がある。

他にもこの大層民衆の御支持をお持ちの神様は、たった一週間でこの世界を創造なされて、唯一無二の存在で不可侵的な存在などと語り継がれているらしい。

しかし、そんな神様うんぬん、世界がうんぬんなどよりも、自分にとっては現在抱えているこの数学の課題の方が重要だったりする。

その通り。単純なこの答案用紙(通称紙)は、俺にとって神の存在よりも重い。

そうだろう? 例え神の教えとやらに従ったとして、一体どんな利益があるのだろうか。

それこそ数学の課題が免除になったり、挙句の果てには都内随一の大学への推薦がもらえたり

自分の両親が毎年買っている宝くじが当たったりして、毎日ベンツでお迎えご苦労様ってか?

絶対そんなことはありえない。

だから宗教なんてやってる奴は、至極理解に耐えがたい。

だっておかしいだろう?


例えば毎週毎週、自分の学校の帰りがけの駅前で、神の存在を信じる教徒達は一般人に向け教えを説く。

どこから引っ張り出してきたのか、布教用の宣伝カーをこしらえてくる。

その中には大量印刷された聖書でたくさんだ。

そして代表の一人が電子メガホンを手に、使い古された聖書を読み上げる。

他の教徒は、車の中の聖書を通行客に配り歩く。

自分はと言えば、こんな夏真っ盛りの週末にご苦労様ですね、と心の中で悪態をつく。

そして興味のなさそうなそぶりに、冷ややかな眼差しを交えながら聖書の受け取りを拒否するのだ。

大体一般人の反応はこんなものだろう。

別に自分だけがこのような冷たい反応を取っているわけではない。宗教に対する各々の捉え方と対応なんてこんなもんだ。

そんな人を呼び込むという目的に、実を結ばなさそうな活動も時々機能したりする。まさにこれこそ神の所業とも言うべきか。

そう、わかり易く明け透けな活動に流されている奴もいたりするのだ。

どうやら聖書の読み上げに、感涙にむせび、立ち止まって力強くうなずいている。

そしてきっと大量に発行されたであろうその聖書を、さも金一封を頂くかのように、丁寧に受け取っていた。

受け取った者の、言葉の端端には以下に自分が汚れていたのかを説明する懺悔だったり、何かに目覚めたように思考が統一されてない戯言だったりした。挙句の果てには聖書を読み上げてる人と握手する人までいた。

おいおい、それは無いって、だって痛すぎる。あ~今でも思い出すと悪寒がするぜ。

とにかく、あれだけ教義に従って活動又は従事しても、神様は対価すら払わないのだから。

きっと皆がいう神様とやらは、相当やり手の詐欺師だ。相手に不快を残さない、その道のプロ級の人騙し。

いくら神様に祈りを捧げたって、それが100%実利に結びつかない。

これが自分の人生経験から基づく、宗教に対する偏見。――いや客観的に考えた見解である。


 と、それは置いておいて、なら自分は何を持って、この世に価値を見出すか。

やっぱりお金―――? イエス

加えて学力―――? もっとイエス

地位や権利は―――? 最高だ…

やはり、資本主義国家の日本にはこれが、何にも代えがたいものであろう。

金があれば、将来生活していく上で困りはしないし、貯金自体がステータスになったりする。

一方、地位や学力はそれを生み出し、世間体が気になる俺のプライドも守ってくれる。

しかしこれは有り過ぎても良いという話にはならない。

極端な話になるが、この国の総理大臣などになったって、得られる地位や権力は十分すぎて有り余る。

多少のプライドを守れる最低ラインの生活を営む上では、行き過ぎた利益など必要ないし、かえって障害ともなりえる。

だからそこそこより高めのボーダーラインを維持、そのまま全速前進、これで十分である。

例えば学校生活でいえば、1学年100人の中でいえば、30位以内。ちなみに自分の前期定期考査の点数はこのくらいだったりする。

人からすれば褒められることではないことかもしれないが、自分にとってはまさに願ったり叶ったりの結果である。


 そんな現実主義で功利主義な自分であるが、友人関係に関しては比較的に恵まれていると言える。

このような考えを持つ者は、誰しも他人に対して冷たくあしらったり、極度に受け身である傾向がある。

しかし自分はその点抜かりがない。快適な社会生活を送る上で、他者とのコミュニケーションは必要不可欠だ。そこは忘れない。

高校2年生、定期考査が終わったばかりの夏休み直前の昼下がり。

来年には進学に悩ませられるのだろうが、現段階では順風満帆。

まるで風がゆるやかに流れる、凪のような生活が訪れると思っていた。


が、それを脅かすような存在が一人、いや及ぼしかねないような人物。

理解しがたく、自分の主義の真逆に位置する考えを持つ女。

それならば席もそれに習って、教室の中心から真逆に位置すれば良いと思うのに、よりによって廊下側に位置する自分の席から見て左、つまり隣の席。

一見普通のスクールバックの中には、きっと学校の教科書とは関係の無い、分厚い本一冊忍ばせている。

今は大人しく授業を受けているが、授業終了を知らせる鐘が鳴ればその机は演説机に早変わり。

休み時間中は彼女の演説に耳を傾けなければならない。いや傾けなくてもきっと耳に入る。

そんなお騒がせなクラスメイトは、俺が軽蔑してやまないものにご執心のパラノイア。

背筋をぴんと伸ばしたその姿勢は、まさに彼女の巍然とした強情さを証明している。

今は閉じているその瞳は他人への遠慮を知らずして、他人には見えないものを知る。

彼女は神の存在を信じて疑わない、クラスメイトだった。

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