赤の花に祝福を
閉ざされた牢獄。
自由を許されることのない縛られた四肢。無駄だと分かっていても、少年は残った力で動かそうとした。
重く、鈍い音が執拗に響き渡る。
耳触りでしかない、錆びついたその音は虚しく辺りへと溶け込む。小さく吐き出される息は、白い尾を引いて部屋の中の凍てついた空気を示す。
少年は少し顔を上げ、鉄格子の間から降り注ぐ月明かりを眺め乍自嘲気味に降格を釣り上げる。
暗闇の中で光る彼の濁った紅蓮の瞳。
瞼を下ろすと顔をたった一つの出入り口に向け、再び目を見開いた時には感情という感情が消え失せていた。
既にそこに存在するのは‘無’の少年。
少年が意識を扉に向けた理由はただ一つ、微かに鼓膜を震わせる外から響く足音。
規則的に刻まれていた足音が止んで、たっぷりと時間をかけてから扉が開かれて女性が中へとはいってきた。
場違いという言葉が相応しい容姿の人物。
華々しいカクテルドレスに身を包み、足元を彩るのはハイヒール。口元は血を塗りたくったようなルージュでかためられていた。
「ねぇ、人魚姫。貴方は本当に可哀そうね。人間になることを望み、悪い魔女に言いくるめられて代償として記憶を失い。しまいには、会いたい人にも会えないなんて」
女性は喉を鳴らして笑うと、手にしていた真っ赤なバラの花束を少年の前に落として、視線を合わせる。
闇の渦巻く少年の目に映るのは実に見目麗しい人。長い金髪をかきあげると、そのまま彼の顎を掴んだ。
「ねぇ、人魚姫。口をきけなくなって、ましてや性別さえも変わってね。本当、可哀そうだわ。でもだめよ? 何か思い出してもあの人には会わせないから」
彼女はあいている片手で花束から一本のバラを抜き取ると、迷いもせずに握りつぶした。
棘の残るバラ。
不健康ともいえる程青白い手から鮮血がこぼれだして地面へと滴った。
「ねぇ、人魚姫。記憶が無いからといって魔女の呪いは解けるわけではないのよ?」
少年を諭すように女性は続ける。
「ねぇ、人魚姫。わかっているかしら? ああ、記憶が無いのだから分かっていないのでしょうね。可哀そう。今日が、期限の日。泡になる前にきれいなまま、殺してあげるわ」
少年の口が小さく動く。
だが、女性がそれに注目すはずもなかった。
「ねぇ、人魚姫。さようなら」
何時の間にか手にされていた銀色のナイフが少年の首筋につきたてられる。
狂い咲く赤の花。
記憶を失ったはただただ。
無残な終りを迎えたのだった。
記憶の海に溺れる彼を横目に、女性は牢獄を後にする。
/三題噺 ・人魚姫・記憶喪失・薔薇 より *赤