7‐ラストインプレッション
あてもなくやみくもに走り回った二人は、問題児達の声が消えても走り続けた。
息が限界まで苦しくなっても、秋良は足を止めなかった。
とにかく走りまくって、見知らぬ風景に気付き始めた頃ようやく足を緩めた。
気付けば、後ろから激しい息遣いが聞こえていた。
頭だけを後ろにやると、みどりはもう1mだって走れなさそうだった。
立っているのも辛いといった様子だ。
それでもみどりから文句のような声は聞こえてこなかったように思う。
秋良はみどりの脚力を考えなかったことを少しだけ悔やんだ。
スーパーの駐車場を見つけた秋良は、そこから倉庫の裏へ入っていった。
そして、スーパーと倉庫の隙間の路地に入ったところで、ようやっと足を休めた。
がっくりと崩れ落ちたみどりを残して、秋良は壁の影から油断なく周りを見渡した。
がらんとした駐車場に三人の姿はない。
どころか、人の影すらなかった。夕飯どきだというのに、余り流行ってないスーパーなのだろうか。
なんにしろ好都合だと秋良はほっと息をついた。
「にしても、どこやここ」
聞いてはみたが、声をかけた相手はまだ息を荒げさせていた。
相当きつかったようだ。
秋良は持久力に自信があるが、みどりはそうじゃなかったらしい。
とはいえ、秋良ほど持久力のある者もそうはいないので、
みどりの今の状態は当然の結果といえた。
「…お前あんとき、見つけてきたんやのうて、あいつらから取り返してきたんか?」
みどりの息が落ち着くのを見計らって、秋良が唐突に聞いた。
みどりからの答えはなかった。
「なんでそこまですんねん。お前も前に言うてたけど、あんなボロっちぃマフラーなんぞで傷もろてたらただのアホやろが」
「だって、大事なんでしょう!…よく分からないけど、秋良が大切にしたいものなんでしょう」
突然顔を上げ、食ってかかってきたみどりに、秋良は圧倒された。
その強い視線を、今はもう無視することができなかった。
はぐらかすことも出来なくて、秋良はとうとう観念して素直に言葉を紡いだ。
「…せや。大切や。ボロでダサい安物やが、母ちゃんが買うてくれたもんや思うと、なんや手放せんでな」
ジャンパーのポケットからずぼっと取り出したそれを、秋良はみどりの眼前にかざした。
みどりは、秋良の告げた驚きのエピソードに、丸くなった目を向ける。
「けど、お前に借り作るぐらいなら、もうエエわ。やる」
「はぁ?」
「明日、これ持って奴らんとこ行き。こんなモンに10万の価値あるんやったら儲けもんやろ」
おもむろに突き出された拳から、マフラーがふわっと落ちた。
反射的に、みどりは慌ててそれを受け取ってしまう。
「で、でも、大切だって言ったそばから、こんなの受けとれな…」
「ちょお待ち。そん代わり、頼み聞いてもらう」
「え?」
まあ聞けや、と秋良はみどりの赤くなっている耳に唇を寄せた。
秋良の提案と魂胆を知ったみどりは、口元を段々と笑みの形に作っていった。
「…と、いうワケや」
にんまりと笑って「そういう事なら貰っとく」と言ったみどりを、
秋良は、案外根性据わっとんな、と感心して眺めた。
そして、ゆっくりと、手を差し出した。
「…なに?」
また走るのかと勘違いしたみどりはその手を恐々と見つめた。
しかし、頬を少し赤く染めた秋良を見て、表情を改めさせた。
「その…これから、やな。もしあいつらがまた絡んで来るようやったら、言ってこい、っちゅうか…」
物凄く恥ずかしい台詞だったので、いつものようには舌がうまく回ってくれない。
そんな自分に舌打ちしながらも、秋良は差し出した手をそのままに、みどりを見つめた。
みどりはポカンと口を開けて見つめ返したが、秋良が冗談を言っているのではないと分かると。
「うん。じゃあこれからは本当のよろしくね」
そう言って、秋良の手をぎゅっと握った。
「は?なんやそれ」
言葉の意味が分かっていない秋良にみどりは挑戦的な瞳をよこした。
「だって今までは、テキトーなよろしくだったんでしょ?」
「あ…」
思い出した。
『それほど仲良くする気もないけど、お隣さんやったらしゃーないし、ま、テキトーによろしゅうしたってや』
お互いに好印象とはいえなかった、あの出会い。
しかし今、意外と根性が据わっていて意外と執念深いタチの少女を前に、秋良は確かな絆が生まれるような予感がしていた。
クス、と笑って、けれど次の瞬間には睨みを効かせた秋良は、みどりの挑発を受け取ってしっかりと手を握り返した。
「あほ、お前のどこがテキトーなよろしくやっちゅうねん。お人好しがよく言うわ」
もちろん憎まれ口を叩くのも忘れない。
「うるさいわね!素直にありがとうって言えないの?」
みどりも負けじと睨み返した。
その展開はいつものケンカの始まりと同じだった。
ただ一つ違ったのは、二人して同じタイミングで吹き出して笑い始めたこと。
「…ぷっ。あははは」「…くっ。ははっ」
それだけが常と違い、それこそがそれまでのぎこちない二人を卒業する証となったのだった。
恐らく初めて互いが互いに向けた笑み。
いっそ怖いくらい、なんの混じり気もない歓喜が二人の内を満たしていた。
涙すら浮かべて笑い合う二人は、けれどすぐに収めざるを得なくなった。
「あ、まずい…」
最初に気付いたのはみどり。
どないした、と聞こうとした秋良も、ふっと香ってきた匂いに気付いてあっと声を出す。
「雨…」
建物の隙間から除く狭い空を仰ぐと、今にも泣き出しそうな暗雲で塞がれていた。
「早く帰らないと一雨くるよ」
「言うても、ここどこや?お前帰り道分かんのか?」
「まあ、大体は。でもかなりかかるし、着く頃にはたぶんすぶ濡れになっちゃうよ」
「ほな、雨宿りでもするか」
この季節にずぶ濡れで帰ったら、いくら丈夫な二人でも風邪を引くのは道理だ。
だがみどりは、
「うーん…。いっか、帰ろうよ」
と事もなげに言った。
秋良はびっくりとした。
みどりの発言にではない。そう言われて反発心を抱かなかった自分自身にだ。
「帰ろう、一緒に。秋良」
そう言われて、すぶ濡れになる事を覚悟するなんて、今までなら決してあり得なかった。
だが今、次第に濃厚になる雨の香りをかいで感じるのは、不思議な高揚である。
まさに青天の霹靂だった。
雨は、大嫌いだ。
それなのに今、秋良は、ずぶ濡れで帰るのもいいかと、確かにそう思っていた。
「せやな。…帰ろか」
そう言って見つめた先の、あまりにも印象的な笑顔は、さらなる奇跡を秋良に起こした。
一生に一度しか思わないであろう、嘘みたいに暖かな思いを芽生えさせたから。
明くる日、例の問題児三人組が下級生のマフラーをズタズタに引き裂くという事件が生徒指導の高岡教諭の耳に入り、彼らはとうとうお縄を頂戴する。
その際、都合良く芋づる式に彼らの非行の証拠が出てきた理由は、神のみぞ、いや、とある二人と神のみぞ知ることだろう。
生徒たちの間では、あずき色のマフラーを巻いた二人が騙したんだ、とわめいて三人が自宅謹慎になったという噂で持ちきりになったが、それはまた別の話だ。
〈了〉




