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3‐マフラー




いつものことではあったが、秋良は半ばうんざりしていた。

朱に交われない者をいたぶろうとするのが人間の本能なのだとしたら、人間とはなんとおろかで馬鹿な生き物なのだろう。

幼いながらそんな風なことを思った秋良は、だから軽蔑というよりはむしろ憐れみに近い眼差しでもって、取り囲む者達を見回した。


「お前、いい加減にしろよ。こっちが優しくしてやりゃつけあがりやがって」

「お前みたいな貧乏人相手に俺たちが相手してやるなんざめったにないことなんだぞ」

「ほら、さっさと金出せよ。そしたら帰してやるから」


なんとも支離滅裂な要求を差し出したそいつらは、秋良より一学年上の、近所でも有名な問題児三人だった。

ケンカに勝つことが強く、負けるものは皆弱虫で、逆らった者は痛めつけられて当然と思っているような奴らだった。

秋良はそんな奴ら関わるのは時間の無駄とばかりに、なるべく避けようとしていたのだがクラスでも異質な秋良は傍から見ればそれ以上に目立つ存在だった。

それ故、目をつけられるのは当然の結果といえた。

そして運悪く下校中に、それも周りに誰も見かけないような道で問題児達と出会ってしまったのだ。

己の不運を嘆きつつも、秋良は深い溜息を吐き出して睨んだ。


「貧乏人と分かってる様な奴相手に金たかるんが、そないに優しいことやったとはな。なんとも親切な話しや」

「なんだと、このヤクザ野郎!」

「いいから早く金出せよ!じゃねえとひでえぞ!」

「自分の立場分かってんのかよ!」


脅しや罵声にしても酷いものだ。どうやらヤクザ野郎というのは、やくざ=大阪弁という安易なイメージから吐き出されたものらしい。

もっとうまい言い回しは出ないものかと、これだから東京モンはという蔑みの眼差しを投げた。


「分からんお人らやな。貧乏人言うんは金ない奴のこっちゃ。日本語も分からんような奴らに出す金なんぞ1円もない言うてんねん」

「なんだとー!」

「もう許さねぇ!」

「半殺しにしてやる」


案の定襲い掛かってきた三人の上級生を、秋良はひらひらと軽いステップで避けた。

彼らは虚しく空を切る腕の音にさらに腹をたて、血走った目で避けた秋良の後を追った。

秋良は走り出した。

どうせ誰もついてはこれまいと、高をくくっていた。

その通り、三人の問題児たちは、腕力はあるかもしれないが、秋良の足には敵わないようだった。

これで平穏無事に家に帰れると、三人の足の遅さに感謝しているときだった。

するり。

身につけていたマフラーが、解けて舞った。


「あっ」


まずい。

すーすーする首元の肌寒さに青ざめながら、秋良はあずき色のマフラーを横目で追った。足を止め、マフラーの落ちている後方まで急いで戻り、拾い上げた。

だが、それをジャンパーのポケットに無理やり押し込めようとした時、秋良より一回り太い腕が、無情にもそれを阻んだのだった。


「おっと、なんだそりゃ」


はっとして上を見上げた秋良の視界には、汗だくになりながらも厭らしい(あるいは彼らにとっては余裕の)笑みを貼り付けた問題児の顔が映った。

追いつかれてしまったのだ。


「チッ」


逃げようと踵を返したが、既にもう一人が回りこんで退路は塞がれていた。

形勢逆転したと思ったリーダー格の少年が、嘲笑して秋良の足を引っ掛けた。


「うぁ」


背中を見せていた秋良は為す術もなく転がされる。

ぎゃはははという馬鹿笑いが起こった。

カスが、と心の中で罵倒しながら、秋良は逃げ出す隙を見計らっていた。


「おいおい、なんだこのきったねぇマフラー!」


秋良は、はっとしてポケットの中を探った。

薄い科学繊毛の感触はない。

焦って視線をさまよわせると、数歩先の地面に、それはくたっと力なく横たわっている。

掴もうとした矢先、マフラーは自分ではないものの手によって掬い上げられた。

秋良はかっとして言った。


「汚い手ェで触るなやボケェ!」


叫んだ秋良の顔を、リーダー格の少年が容赦なく蹴った。


「ぐあぁっ」


物凄い衝撃と痛みが顔面を襲い、秋良は再びその場に転がった。

ぼとりと血の塊が鼻から垂れた。

だが秋良にはそれを気にしている余裕はない。

何故なら、あのマフラーは、カスに触らせていいものではないからだ。


「か、返せやっ…」


必死に足にしがみつく秋良を嘲笑って、マフラーを手にした少年は秋良の体を踏みつけた。


「おいおい、貧乏人はこんなぼろっちぃマフラーにも必死になんなきゃいけねぇのか?」

「かわいそうだから、今日は金の代わりにこのぼろっちぃマフラーで許してやろうぜ」

「しかたねぇな、貧乏は」


そう口々に言って笑い合うと、少年たちはマフラーを持っていこうとした。

どうやら、問題児達は金が欲しいというより嫌がらせをしたいだけらしかった。

秋良はしかし、それで引き下がるわけにはいかなかった。

勝ち目も意味もないケンカをしてでも、マフラーだけは譲れない。

じり、と起き上がって、秋良は啖呵を切った。


「待てや、クズどもがぁっ!貧乏人にまで金たからなアカンほど飢えてるんやったら、ワイが相手したるわ!はよこんかカスっ!!」


子供とは思えぬほどの迫力がこもった啖呵に、三人はすぐさま振り返った。


「なんだとコラァ!」

「そんなに殺されてぇかよ!」

「顔変形するまで殴ってやる!」


秋良の啖呵に得体の知れない怖気を感じながら、三人はその怖気にすら怒りを覚えて襲い掛かる。

秋良も、すでに後のことなど考えていられなかった。

とりあえずマフラーさえ取り返せればいい。

保身など頭になかった。


「来いや、コラ!」


しかし、次の瞬間全員が動きをとめることになった。


「せんせぇーっ!高岡先生、こっちです、早く!!」


少女のものと思われる金切り声が秋良の後方から響いてきた。

振り返ってみると、30mほど先に七倉みどりの姿があり、こちらと後ろを交互に見ながら、大きく手を振ってもう片方の手でこっちを指差していた。


「やっべ、高岡!?バレたら今度こそ…!」

「おい、早く逃げろ!」

「あ、待って!」


少年たちはクモの子を散らしたように逃げ去った。

秋良はその間、ピクリとも動かずに、走ってくるみどりを見ていた。

後ろから来るはずの高岡教諭の長身は、しかしいつまで経っても来る様子がない。


「はぁっ、はあ…っ。よかった…間に合った」


みどりは、腰を曲げ、膝に両手をついて息を整えると、顔を上げて秋良に向き直った。


「…偶然見つけてさ。あいつら高岡先生の名前出すと逃げるんだよ」


要するに、みどりが機転を利かせたらしかった。


「あ、血。すごい出てる」


呆然としていた秋良は、みどりがポケットからハンカチを取り出して自分の鼻の周辺を拭こうとしているのに気づいて、とっさに手で払った。


「あっ」


水色のハンカチは、ふわりと地面に落とされた。

みどりはそれを見送ると、無言で秋良を睨んだ。


「……」

「……」


秋良も静かに睨み返す。

だが、みどりは怒りを抑えるように素早くしゃがんでハンカチを拾い……

そしてその視線の先に、あずき色のマフラーが落ちているのを見つけた。

秋良もそれに気づいて、みどりが手を伸ばして触れようとする寸前にそれをかすめ取るように拾い上げた。

しゃがんだままその素早い動作を見たみどりは、非難の色を浮かべた目で頭上を睨んだ。 秋良はそんなみどりの目から隠すかのように、くしゃくしゃにまとめたマフラーと一気に ポケットに押し込んだ。


「余計なことしやがって…。イイことしたつもりか?」


秋良は、ことさら視線を険しくすると、子供とは思えないほど低い声をみどりに投げた。


「礼なんぞ言わんからな」


すると、みどりはばっと立ち上がって、堪りかねたように詰め寄った。


「あんたからお礼言われたくてしたわけじゃない!あんたが痛めつけられてるのを見捨てたくなかっただけだよっ。そんなマフラーの為にあんな奴ら相手にするなんて、何考えてんの?」


次の瞬間、秋良は目いっぱい腕を振り上げていた。

無意識だった。


―――パンッ。


乾いた音が二人の周りに響いた。

強いようで、それほどでもないような音だった。

みどりは、左頬を押さえて呆然と秋良を見詰めていた。


「お前なんぞに…お前みたいなお嬢に、何が分かるんや!」


ぎりっと噛み締めた歯の隙間から、憎しみとも悲しみともつかない感情に濡れた声が漏れた。

その声を受けたみどりは、大きな黒目がちな目から、ぽろと涙を溢れさせた。

きらりと光った軌跡が頬を押さえている手の中に消える。

秋良は、その光から逃げるようにして、だっと走り出した。

おもむろにポケットに突っ込んで握り締めたら、マフラーはくしゃりと悲鳴をあげた。

秋良はそれこそ、こちらが悲鳴を上げたい気分だった。








こいつらは小学生じゃないですね、きっと

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