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超個人的意見

羨ましいとズルいは違います ~被災地支援の話と幼さ ~超個人的意見

作者: 時司 龍
掲載日:2026/10/15

 熊本の被災地を、某事務所に所属するタレントさん達が訪問したというニュースを目にしました。

 この事務所の方々は、以前から被災地支援を続けていらっしゃいます。今回の訪問も、その一環なのでしょう。被災された方々にとって、物資や人手による支援は勿論、好きなタレントが目の前に来てくれる事も、大きな励みになるのではないでしょうか。


 ありがたい話だと思います。


 ところが、このニュースに関連して、ネット上では「ズルい」という声が上がったらしいのです。


 コンサートに行っても、CDを買っても、好きなタレントと気軽に写真を撮ったり、サインをもらったりできる機会など、そうそうありません。お金を使ったからといって、必ずしも特別な体験ができるわけではない。それが芸能人とファンの距離というものです。最近はテレビに出ているようなタレントさんであっても、握手会等、境界が曖昧な場合もありますが。


 だからこそ、被災地で写真を撮ってもらったり、サインをもらったりしている人達を見て、羨ましく思う気持ちはわからなくもありません。



 ありませんが。

 これを見た時、私は正直、こう思いました。

「・・・小学生かい」


 いや、勿論、羨ましいですよ?

 何しろ私、数ある趣味のひとつにアイドルオタクも嗜んでおります。

 今回、全員で参加されていたA.〇.〇-〇。一番の推しです。外見だけで好みを言うなら、TさんやHさんが好きです。でも、推しはTちゃん。声とダンスが好きなのです。最近出た曲ならT〇〇・・・。

 そして、今回参加されていたSグループ。外見ならRさんが好みですが、推しはSさん。やっぱり声とダンスが好きでして・・・。


 特にどこが素敵なのかと言いますと ・・・割愛させていただきます。

 普段より早口になり、息継ぎも忘れて喋り倒せる自信があります。


 ごくごく一般的なオタクです。



 そんな私ですから、被災地でタレントさんと写真を撮ったり、サインをもらったりできた人達を見れば、そりゃあ羨ましいですよ、勿論。

「いいなあ。私も会いたいなあ」

 そう思います。


 でも、それと「ズルい」は別の話です。

 ニュースに寄せられた反応の大多数は、被災地支援やボランティア活動という趣旨を理解した、冷静なものだったのではないかと思います。

 実際にどのような意見がどれほどあったのか、全てを把握しているわけではありません。ただ、「ズルい」という言葉が出てきた事自体に、私は引っかかりました。



 何が「ズルい」のでしょうか。



 その人達だけが贔屓されているから? 自分は同じようなサービスを受けられないから? お金を払ってコンサートに行っている自分より、被災地にいる人達の方が得をしているから?

 理由はいろいろあるのでしょう。

 しかし、そもそも、これは誰かが得をするために企画されたイベントなのでしょうか。被災地を訪問し、支援活動をする。その活動の中で、タレントと被災者が交流する。そこに写真撮影やサインという機会ができる。


 それを見て、自分も同じ事をしてほしいと思うのは自由です。

 けれど、自分には機会がないのに、あの人達だけズルいと不満を呟くのは、話が違うのではないでしょうか。


 誰かが支援を受け、誰かが笑顔になったからといって、自分が損をするわけでもありません。

 それなのに、他人が得たものを見て、自分が得られなかった事に腹を立てる。・・・精神的に、随分幼いなと思ってしまいました。



 さて、ここからは少し話が変わります。


 ひと昔前、「年齢の八掛け」という言葉が流行った事がありました。今の人は昔の人より長生きで、見た目も若々しい。だから、実年齢の八割くらいの感覚で考えればいい、というものです。


 外見が若々しいのは、何の問題もありません。ただこれ、精神年齢にも当てはまる部分があるのではないかと言われています。


 ふた昔前なら、25歳は「クリスマスケーキ」と呼ばれました。25歳過ぎたら、行き遅れ。結婚を急かされる時代でした。早くに家庭を持ち、近所付き合いや親戚付き合い、子供を通じた保護者同士の付き合いなど、本人の意思にかかわらず、他人と関わらざるを得ない場面も多かったのです。

 気の合わない人とも付き合い、納得できない事にも折り合いをつける。自分の思いどおりにならない事も多々ありながら、大人として振る舞う事を身につけざるを得ませんでした。


 勿論、昔の人達が全員成熟していたわけでも、今の人達が全員幼いわけでもありません。


 ただ、18歳で成人となった今、法律上の大人と精神的な大人は別物だと、改めて感じます。会社にいても、です。


 今回の「ズルい」という言葉も、まさにそこに繋がると思うからです。

 自分が手に入れられなかったものを、他人が手に入れた。それだけの事なのに、相手が不当に得をしたかのように呟く。

「自分が得をできなかった」と「相手がズルをした」は、まったく別の話です。

 その区別がつかないまま、他人の幸運にまで文句をつける。年齢を幾ら重ねても、そんな考え方から抜け出せない人はいるのでしょう。


 年齢を重ねれば自動的に大人になれるのなら、世の中はもっと平和になっているはずです。



 けれど、現実はそうではありません。

 自分が損をしたと感じれば不満を口にする。自分が持っていないものを他人が持っていれば、相手を羨むだけでなく、相手が得をした事そのものを許せなくなる。

 


 被災地を訪問したタレントさんたちを見て、羨ましいと思う。

 それ自体は、何もおかしくありません。

 私だって、推しが目の前に現れたら、平静を装える自信はありません。写真を撮ってもらえたら、しばらくはその一枚を眺めてニヤニヤするでしょう。サインなんていただいた日には、額に入れて飾りたくなるかもしれません。


 ただ、それでも「ズルい」とは言わないと思います。


 世の中には、自分が望んでも手に入らないものがたくさんあります。お金を払っても手に入らないものもあれば、努力しても届かないものもある。運やタイミングが左右する事だってあるでしょう。

 そのたびに、誰かを「ズルい」と責めていたら、いったい何人を敵に回せば気が済むのでしょうか。

 羨ましいなら、羨ましいでいい。

「いいなあ。私も会いたいなあ」

 そう言って終わればいい。


 他人の幸運を、自分への不公平だと決めつけない。

 それくらいの分別は、成人しているかどうかに関係なく、身につけておきたいと思うのです。


 ・・・もっとも、こういう話をすると、そんな事を言うなんて、あなたは恵まれているからだと返される事もあるのでしょう。とりあえず五体満足なので恵まれてはいるでしょう。


 人にはそれぞれ事情があります。お金があっても心に余裕がない時、他人の幸せを素直に喜べない事だってあるでしょう。

 それはわかります。

 わかりますが、被災地で笑顔になれた人達がいる。支援に訪れたタレントさん達がいる。良かったね。それでいいではありませんか。

 大人になるというのは、年齢をただ重ねる事だけではないのだと思います。


 自分の思いどおりにならない現実を受け入れる事。他人と自分は違うのだと理解する事。そして、自分が手に入れられなかったものを、誰かが手に入れたからといって、文句を言わない事。

 少なくとも私は、そういう人でありたいと思っています。


 推しに会えなかった羨ましさは、家に帰ってから存分に語ればいいのです。

 早口で。

 息継ぎを忘れて。

 それこそ、一般的なオタクらしく。

読んでくださってありがとうございます(*_ _)

ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
 時司 龍さん、こんにちは。 「羨ましいとズルいは違います ~被災地支援の話と幼さ ~超個人的意見」拝読致しました。  被災地への、アイドル訪問。至極、まっとうな活動なのに。  ズルいという。  …
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