腹減り
妙な感覚に目を覚ます。
あれから何時間かは経ったのだろうが、部屋はまだ薄暗かった。
「…遊びすぎたかな?」
「何を(してたんですか)…?」
「何も(していませんですとも、本当だよ)?」
「…」
無言で訴えると、彼女は人差し指と親指を閉じ開きし、つねりつねりするしぐさをする。
「もちもちしてたよ…」
満足そうな顔をしていた。
そういえば、俺が幼い頃から何かにつけて頬を触られていた気がする。
~(回想)~
「あの…ちょっと痛いんですけど…なんです、これ?」
「…あぁ、……頬をとがらしているんだ」
「…できるんですか⁉」
…あれは、ちょっと怖かった。というか「できるんですか⁉」ってなんだ。
なんであの頃の俺は怖がりながらも、ちょっと期待したんだよ。
何かの記憶を巡らせた後は、今の現実の感覚がすっと入ってくることがある。
だから、そう。つまりだ。
…なんだか、おなかが減ったような気がした。
……
お前は何をと人が聞いたら言うかもしれない。
しかし、おかしいのだ。
単に腹が減ったから驚いているわけではない。
死んでいる筈なのにお腹が減っているということに驚いているのだ。
まさかまだ生きている……そのような考えが一瞬よぎり、すぐに否定する。
……いや確実に死んだ、と。
俺を殺したと、並々ならぬ覚悟の果てに行為に及んだアガツミ本人がそう言ったのだ。
死んでいないわけがない。
つまり…考えられるのは……一部の衝動は生き物と同様に動いているということ?
そもそも死んだ俺が死体と全く一緒であるならば、考えることすらできなくて、だから…きっとありえない話ではない…のだ。多分。
であれば、今まで食欲がなかったのは、単にショックな出来事が起きていたからか…。
そう思うと、猶更、おなかが減ってきた。
リンゴでも食べようか
そう皿に、手を伸ばしたところで、アガツミが至極“何気ないこと”を言うように、
俺の背に声をかけた。
「そうだ…、言うのを忘れていたが」
「はい?おなか減ったんで食べてからでもいい…」
「その体には「不死」の権能を付与した。疑似的なものだから、私が定期的に生命力を注ぐ必要があるがね」
「」
あまりの驚きで、意識が一瞬とんだ。
しばらくののち我に返り流れ込んだ情報を、頭が必死に処理する。
「…いや、もう死んでるし、ある種、死ぬことは無いのは当然なのか…?いや、でも、不死の権能はただ死なないというわけじゃないし…」
「ほら…それ」
アガツミが手元を指さす。
つかんだリンゴは粉みじんに弾け飛び、汁と弾け飛んだ果肉はベッドを汚していた。
無意識に力がこもっていたようである。力を加えたという感覚もなく気づけばリンゴが粉みじんだ。
確かに昔とは違うらしい。
うむ、これは色々と試してみないと今後危ないことになるかもしれない…
…ためしにアガツミの肩をつかんでみる。この人はきっと丈夫だから問題はない筈に違いない。
案の定、軽く押しのけられる。
正直予想はしていたが、不死の力の一端のこの馬鹿力も勇者にはさして通用しないらしかった。
そして、今度はこちらの肩をアガツミが掴んできた。
…強化されている筈なのに、意識的に力を込めてもピクリともその手を動かすことができない。
「…?……っ!」
背筋に悪寒が走る。怖気だ。背中を小さな母親が走っているわけではない。
冷や汗がじわっと寝間着ににじむのを感じる。
顔を上げる。
ああ…これはダメだ。
アガツミの瞳が欲望に濡れている。
性的な視線にも似たそれは、それとは一線を画していた。
普段の勝手気ままに自堕落に生きていてもこぼれでる品格をかき消え、
むしろ、その高潔ささえも呑みこみ喰らい、その瞳に、雰囲気に、質量を感じるほどだ。
全ては私の思うがままという、覇者のような威圧感。
身勝手な瞳。
勇者の瞳だ。
「…さぁ…私と未来永劫を共に過ごそうじゃないか…どうしたんだい?こら逃げなくていいだろう?」
「…まだ状況が呑み込めていないのですが。…あと逃げられてはないです」
「今更だね…君がまっさらな体だと思ったら大間違いだよ」
「おいっ…聞き捨てならないこと言いましたね⁉いったい何を、いえ、ナニをしたんですか⁉」
「私は勇者だからね」
「得意げな顔⁉」
「畳の目でも数えていたまえ」
「それなかなか終わりませんよね⁉」
まぁ…どうせ大したことはしていないだろう。
そんな間違いなど、起こるはずはないのだ。
僕らの間に恋愛感情はないのだから。
…少し落ち着いた、状況を整理しよう。
「……というか今永劫を共にとか言いました?」
一旦落ち着き、状況が飲み込めて来ると、落ち着けなくなった。
「ああ…君は死んだ。そして、エネルギーの供給は私経由だ。私から離れれば君は生きてはいけない」
「…そういうことですか…プロポーズみたいに聞こえましたよ、まったく」
肩をなでおろす。
「照れるね…」
「”は”?」
「私は本気だよ」
「本気…ですか」
アガツミがこういうなら、そういうことらしい。
つまりはこういうことか、
アガツミは今、俺に婚姻を迫っていると。
首をかしげる。
勇者との結婚生活…アガツミとの結婚生活…想像ができない。
第一、今でさえ一緒に暮らしているのだ。
それも長い間。
今更何か関係性が変わるとは思えない。
そして、毎度のことながら、俺には拒否権はない、か。
だから問題はどれだけ妥協を引き出せるかということ。
その一点だ。
俺の渋面を見て、アガツミが尋ねる。
「拒むというのかい?」
「拒否権が?」
「ないとも」
「…急すぎませんか」
「…急なのはいつもだ」
「ですね…」
「幾千の時を“一人きり”で過ごしてきた“私”の想いを君は退けるのかい?」
「それは…」
アガツミが顔を覗き、抱え込み、抱く。
艶やかな髪が肩に流れ、体が密着する。
そして、耳元で囁くように言った。
「君を失うかもしれないと思ったときは本当に辛かった。」
「…はい」
もう逆らうことはできない。
先ほどまでとは違う。逆らう気すらすでになくなってしまった。
いつも通り。それはいたって自然のことだった。
彼女は、話しつづける。
「もう失いたくない」
「……はい」
「君を私のものだ」
「ええ…あなたに救われたその日から」
「つがうぞ」
「いや、そんな言葉はねえよ」
思わず突っ込んだ。
思考がクリアになる。
「シュン…」
そんな音が姿から聞こえる気がする。
すねたアガツミが足を抱え座り、人差し指でシーツに丸を書く。
煤けた背中がいじらしい。
溜息をこらえながら、声をかける。
「…アガツミのことは、家族のように思ってますから」
「…つがいも家族じゃないか」
「そんな理屈は通らないんですよ」
「…嫌かい?」
「……というか、それ以前に状況を呑み込めていませんから。驚きすぎて、手に力が入らないですし、気を抜くとひとりでに膝が震えだします。」
「ええと…今は、師匠であったり、その、家族としてしか見れません。いわば相棒であったり…パートナーという言い方であれば大丈夫かもしれませんが……それじゃだめですか?」
「でも、君はもう私から離れることはできないよ。」
本当にひどい言い草である。
ああ…、こうなったアガツミは人の言うことなんて聞きやしない。
「…あー、はいはい。いっつも貴女、人の話、聞かないですもんね。そんな話はしてないんですよ。」
「うるさい」
子どもか。
だから…
「…わかりましたよ。でも一つ、条件を吞んでください」
「条件?いいだろう、なんでも吞もうじゃないか」
これが、妥協点だ。
「絶対ですよ、じゃあ、この際はっきり言います。旅に出るんです」
「旅…?てっきり、私がボロボロに負ける姿が見たいとか…脚を舐めろとか、あるいはそれ以上⁉とか思ってたんだが?」
「い・い・で・す・か?…よく聞いてください。あなたってどこまで行っても勇者の価値観なんですよ」
(ん?と、可愛く小首をかしげるアガツミ。)
「いや、ん?じゃなくて生き返らせれば、まあ生き返ってませんけど、殺してもいいかな~みたいな、根本的に価値観がズレてるんですよ。貴女は」
「へぇ」
「へぇじゃないです。だから…そんな人とは永劫になんて暮らせません」
(雷を浴びたかのようにビクビクっとするアガツミ)
「そんなっっ‼…君は私がいないと生きていけない体だというのにっ」
「……」
「……というのにっ」
「……」
「続きを聞こうか」
冷たい僕の視線に耐えかねてアガツミが話の続きを促す。
「…だから、僕が出す条件は、一つ旅に出て、あなたに足りない価値観を埋めることです。それが条件です」
「……なるほど?だから旅と。」
「ええ、だからこそ旅です」
「旅ねえ…?」
「アガツミが人やいろんな種族にもっと触れ合って一般的な価値観を身に着けて、こういう…悲しい勘違いを起こさないように…旅に出るんです。」
「………?」
「…永劫を共に過ごすのでしたら、こういう普段と違うような旅を通して…お互いの事をより知れた方がいいでしょうし」
「ふーん…?…まぁ、君と旅をするのは楽しそうだね」
「ええ、あんなとこもこんなとこもいけるんです!」
「…美味しいものも綺麗な景色もたくさん見よう。」
「はい!……ですから、今はまだ…」
「契約は成立だ。つまりこの瞬間から私達はつがいということだな」
「旅を終えてからです」
「そんな条件はなかった」
「呑んでください」
「い・や・だ」
「いやです」
「わかったよ。ただしアプローチはする」
「……わかりました」
「じゃあ…」
「もう眠いですね。ああ眠気が…、おやすみなさい」
「あっ、もう…なんだい素直じゃないなぁ」
「…スー」
「………よし」
「よし じゃないですっ!服に手をかけて何する気ですか‼ 寝ますからね!!」
「…ちっ……」
「…アガツミ?もうこの際、抱き着くのはいいですけど、その抱き着き方だと首が締まりますっ、…って寝てる?この一瞬で……ということはっ…締っ……ぐぅ………ぁ」
長い一日が終わる。その日はまるで気絶したかのように…、
ベッドに呑まれるように沈み込んで、眠りについた。




